台風の目(仮)

来条恵夢

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番外編

嫁入

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 こちらでお待ちください、と通された部屋には、先客がいた。
 窓の外を見ているのか、こちらに背を向けた黒髪の少女。顔こそ見えないが、十代だろうか。目にした瞬間から何故か見覚えがあるような気がしていたが、少女が振り返ったことではっきりとした。
「おひさしぶりです。ええと…父上? 若作りですね?」
 最後に見かけたのは十年以上前のはずなのに、全く変わっていない。変わっていないその姿で、素っ頓狂なことを言う。
「兄貴の顔を忘れたか! 誰が親父だ!」
「え。だって、兄って…」
 困惑した風に、母親の違う妹は首を傾げた。
「…記憶違いじゃなかったら、たしか…五十とかそのへんじゃないの?」
「まだ四十九だ!」
「随分と老けちゃって…」
「年くらい取る! お前が異常なんだ!」
 その一言に、妹の眼が冷ややかになった。いや、あるいは、それは初めからだったのかもしれない。ただ、口元の笑みが消えただけで、がらりと雰囲気が変わったように思えただけなのかもしれない。
 そうすると、いよいよ昔を思い起こさせる。まだ、同じ家で暮らしていたあの頃を。
「そりゃあまあ。に、したって…あー…父方に似ちゃったんですねー…お気の毒に」
 わざとなのか起伏のない言葉を吐き、こちらの頭の上あたりをじっと見つめたかと思うと、はっきりと目を逸らした。晩年の父はそれは見事な反射する頭をしていた。それほどではないというのに、忌々しい。
「大体なんだこれは、お前の差し金か!? 勝手に家を捨てて、アンジーまで引きずり込みやがって!」
「勝手に。うんまあ、そうですね。すみません。それで、何か困ることでもありました? アズのことはまあ別にして。あたしが出て行って、誰か何か困りました?」
 記憶をたどるまでもなく、問題にはならなかった。むしろほっとしたと、さすがにこれは言っていいものかと言葉に詰まる。
 それに気づいてか、妹はふっと息を吐いた。
「っ、だからって、黙って出て行くことはなかっただろ?! アンまで真似して、おかげでこっちはさんざんだったんだぞ!?」
「あたしだって、はじめは別れの挨拶くらいするつもりでしたよ? 父と母に相談して、他にいい方法があればそれ、ないのにどうしても反対されるなら家出は最終手段、って。師範だって、わざわざそのために待ってくれてたんですよ。何がどうなるかわからないから、ちゃんと言っておいた方がいい、って。でも――聞かなかった。母にとってあたしはもう、存在しないものになってたし、父も似たようなもので、せいぜい、鬱陶しくも喋る動物ってとこですか。あなたたちもそうでしたよね? 誰も話すら聞いてくれないのに、どう切り出せと?」
 言われて、気付く。最後にこの妹を見たとき、珍しくこちらを見ていた。諦めたようにうつむいて歩くのが常だったのに顔を上げ、何か言いたげに。だがかまうことはせず、いつものように無視を決め込んだ。
 いつもとは違っていたから、こうやって少しでも覚えていたのだろうか。
「…だがお前は、懐いてたアンにも言わずに出ただろう」
 妹は、更に冷え冷えとした眼でこちらを見遣る。人ではなく、害獣か何かを見るかのように。
「言ってどうするんですか。言えば、一緒に行くって言い出すのは目に見えてましたよ。まさか、これから弟子入りする先に妹も連れて行けと? 教えを乞う上に生活までみてもらうのに、迷惑極まりない。それに、そんなことをすればあなたたちが探しに来るでしょう。あたしだけなら捨て置くだろうけど、アズまで連れ出せば、師範たちが人さらい扱いされかねない。アズのことは気がかりな分だけ、泣きつかれて決心が鈍っても困りましたし」
 そこで不意に、妹はにっこりと笑った。人形のように、整えられた笑顔だ。
 妹が家を出る前、どういうふうに笑っていたのか、思い出そうとして出てこないことに気付く。いくらなんでも、子どものころからあのすべて諦めた眼をしていたわけがない。今目の前に立っている姿と年齢が同じくらいだったころまでは、きょうだい仲も悪いというわけではなかった。
 それなのに、思い出せない。
「知ってました? あたし、あのままいたら一人でか回り全部巻き込んでか、遠からず死んでただろうって師匠に言われました。あなたたちを見限ったことで、あたし自身もあなたたちさえ守ったことを、後悔なんてしたことありませんよ。きっと、これからもずっと」
「…父さんは、お前が出て行った三年後に死んだ」
「そう。まあ、いい年だったしね」
「っ!」
 口の端にだけ笑みを残し、冷ややかな目でこちらを見る。
「あたしがいたからって寿命は延びた? まあそうだとしても、あたしはあたしをすり減らしてまで、残る気になんてなれなかったと思うけどね」
 言っている意味が、よく理解できない。この妹がいようといまいと、父の死が変わらなかっただろうことは確かだ。むしろ、心労は減ったのかもしれない。アンジーもまだ家出はしておらず、それこそ、この妹の出奔は誰をも困らせはしなかったのだから。
 見透かすように、妹は目を細めた。
「言ったでしょ。あたしは、あなたたちと家族でいることを見限ったの。アズがあたしを追いかけて家出した上自活して挙句に馬鹿王子と結婚なんて、こんなわけの分からない事態にならなかったら、あなたとも二度と顔を合わせることはなかっただろうし、別にそれを淋しいとも思わない。あなたがどう思っているのかは知りませんが、あたしにとってあなたはただ少し血がつながっただけでしかない他人です。両親に関しても、産み育ててもらった恩は、巻き込んで大惨事を引き起こさなかったことでチャラにしてもらいたいところですね。身勝手かもしれませんが、そもそも、産んでくれと頼んだ覚えもありませんし」
 何をどう言えばいいのか、思い浮かばないうちに扉が開かれた。少女の姿をしたままの妹とは違い年相応の姿で、心のままにこぼれだしているとわかる笑みを浮かべ、もう一人の母親の違う妹が入って来たのだ。
 身なりも王宮で整えているのか、どこの令嬢かと目を疑う。こちらは、いつもころころと笑っていた様子が簡単に思い浮かぶ。
「姉さんもここにいたのね」
 張りつめた空気に気付かないのか、窓際の少女に笑いかけ、こちらに体ごと目を向ける。
「アラン兄さん、お久しぶりです、勝手に家を飛び出したりしてごめんなさい。…兄さん、お父さんの方の血が出ちゃったのね…」
 たっぷりと気の毒そうに言われ、しかもその前には頭のあたりに視線が注がれていた。
 呆然となったところに噴き出すような音が聞こえ、見ると少女の姿のままの妹が肩を震わせていた。笑いをこらえている。
「? 姉さん、どうかした?」
「いや、何も?」
 すっと笑いを消し、妹はもう一人の妹に歩み寄った。すれ違いざまに軽く肩をたたき、そのまま扉へと向かう。
「積もる話でもあるならどうぞ。あたしはもう全部終わったからいいや。アズ、またね」
「え? 姉さん?」
 きょとんとしたアンジーは出て行く少女を見遣ったが、首を傾げ、こちらへと視線を戻した。
 向けられた笑顔はやはり本心からのものに思えたが、今心に焼き付いているのは、アンジーにだけ向けられた、少女の柔らかな情のこもった笑みだった。
 それは、記憶には残っていない、だがかつては目にしたかも知れなかった笑顔だった。
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