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三章
昇進試験のこと 5
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気付くと、スガとはぐれていた。
一度隊室に戻って時間を喰ったためか、一般人の避難の混乱にはあまり遭遇していない。それなのに、いつの間にかスガの姿がなかった。
「まあ…僕が心配する必要もないか」
むしろ、自分自身を心配すべきだ。懐にウタを抱えたまま、ルカは苦笑した。
とりあえず、外に出てしまおう。ソウヤやリツと合流できない以上、一人でうろついても邪魔になるだけだ。
「あのぉ」
「…はい?」
一階のロビーに降りようとしていたところでかけられた声は、明らかに幼かった。少なくとも、同僚や上司ではないと思わせる。かといって、学校を卒業したばかりの一年だけの後輩でもない。ぎこちなく振り向いたルカは、予想を裏切られなかったことに慌てた。
十歳前後の女の子。春向きの明るいワンピースを着て、薄色の髪は軽くカールしている。
リツを傷つけた、数ヶ月前の出来事を思い出す。一般人が多くいたため、封鎖は行われていない。それは、少女を妖異かどうか見極めるわかりやすい基準がないということだ。
耳の近くに心臓が移ったかと思うほどに、脈の音がうるさい。
「ぴぃ」
「鳥?」
ウタの声に、少女の不思議そうな声に、脈拍が遠ざかる。ああ、と、ルカは一度目を閉じた。
「放送は聞こえたかな。訓練に協力してもらいたいんだ、外に出ようか」
「だめなの」
「え?」
少女は、懸命に背伸びをしてルカに話しかける。目線をあわせるために膝をつきたいところだが、少女が妖異でないとしても、何かあったときの動作が遅れそうでできない。
片耳に押し込んだままの受信機から聞こえる情報では、残る妖異は三体のみのようで、ルカとスガの閉じ込めたものが含まれていなければたった二体だが、油断していいものでもない。
よくよく考えれば、逃げた妖異のどれにも該当せず、人のはずの少女を、首を傾げて見下ろす。少女は、困った顔をした。
「弟とはぐれちゃったの。だから、いっしょに探してほしいの」
「ええと…僕は、キラ・ルカ。君と弟君の名前は?」
「ハヤミ・アイル。弟は、キリト。ねえ、手伝ってくれる?」
「うん。外にいるかもしれないから、とりあえず行ってみよう」
避難していれば問題はないが、中に残っていれば厄介だ。笑顔を崩さず歩きながらアイルからキリトの特徴を聞き出しつつ、参ったなとのため息を飲み込む。しかし、外に出ればどこかの隊が避難を仕切っているだろうから、班長あたりをつかまえて任せてしまえばいい。
悩むのは、その後の己の行動だ。外に、ソウヤかリツがいればいいのだが。もう随分と経った気もするが、捕らえた妖異の報告がまだだ。スガが既にしてくれているだろうか。
とにかく、誰でもいいから上役をつかまえて状況報告をしようと決める。ルカは、良くも悪くも下っ端でしかない。
「ねえ、お兄ちゃん。さっきの鳥の声、何だったの?」
「ああ…ちょっとここに、友達をかくまっててね」
「え? 鳥と友達なの? どうしてそんなとこに? どんなコ?」
アイルが、きらきらと目を輝かせる。この状況で弟とはぐれてもあまり不安そうに見えないのは、まさか妖異がいるとは思っていないからだろう。迷子とかくれんぼを混同している子どもを、何人も知っている。
人気のなかったところから一転して、入り口近くはさすがに人が多い。はぐれないようアイルの手を握り、話せそうな人はいないかと探すうちに、見慣れた顔を発見した。
「ソウヤ先輩!」
「ルカ君。あれ、リッさんは? そちらは?」
器用に人の間をすり抜けて近付いてきたソウヤにほっとして、手早く説明を済ませる。ついでに何故リツのことを訊かれたのかもたずねてみる。
「うわあ、大変だったね。リッさんがルカ君たちを探すって言ってたんだけど、会えなかったか」
苦笑して、ソウヤは、妖異を一体捕獲していることと少年が一人、内外判らず行方知れずの報告と伝達を手配しに、一旦、人込みの中へと去っていく。
やがて、少女らの母親を連れて戻ったので、少女を引き渡した。
「ルカ君、捜索隊に入るかい?」
「え、いいんですか?」
「こっちは手が足りてるみたいだからね。妖異も残り一体で、屋上に追いつめてるらしいし。子どもの入り込みそうなところとか、多少は詳しいでしょ」
施設で暮らしていれば、下手をすれば日々かくれんぼだ。しかしそのことを言い当てられたのは少々意外だった。マキが話したか、今までに似たような境遇の知り合いでもいたのだろうか。
急いで、建物の中へと引き返す。ルカ一人加わったところで大きく変わることはないだろうが、何もしないよりはましだ。それに、スガやヒシカワにも会えるかもしれない。二人からすればルカに心配されるなどと心外だろうが、気になるのは仕方がない。
「ん? ああ、十一隊の秘蔵っ子」
「は?!」
とりあえず地下から、子どもの潜みそうなところを探そうかと階段を下ったところで、明らかにルカに向けられた言葉で妙なことを口走られた。
地階の廊下を見渡せる場所に立ちはだかる男がその発言主で、警護の第三隊の紺の制服をまとっている。すらりと、背が高い。階級章は何故か見当たらないが、三十は超えているだろうこの男が、準尉よりも下ということはないだろう。
思わず胡乱げになってしまった視線を改め、どう接したものかと迷う。とりあえず、手招きをされたこともあり、階段を下りきった。
「やあ、人災の秘蔵っ子。こんなところで何をしてるのかな、人災は上だよ」
「あの…自分のことをご存知、なのですか…?」
「うん? 有名人の自覚がないみたいだね。それは難儀な。ソウヤは何をしてるのかな」
「ソウヤ先輩?」
「先輩。へえ、先輩! それなら僕のこともアラタ先輩と呼んでくれていいよ」
妙に馴れ馴れしくてやり辛い上に、つながりも見えない。が、ソウヤの知人であれば、後で訊いてみればいいような気もする。
とりあえず、頭二つ分くらいは身長差のありそうなアラタを見上げる。
「七歳くらいの男の子が迷子になっているかも知れないのですが、見かけませんでしたか?」
「ああ、何か言っていたかな。僕は見てない。少なくとも、ここにはいないと思うよ。何しろ、妖異がここから逃げたってことで、徹底的に洗ったからね。今もほら、僕が番をしているし。上を探したほうがいいよ」
「はい。ありがとうございます」
この調子なら、他の階も調べてあるかもしれない。何事もなく無駄足で終わるなら、それでいい。
「ところで、秘蔵っ子君」
心なし軽くなった足で二、三歩階段をあがったところで、また声をかけられた。妙な呼び方だが、ルカをさしているには違いなさそうだ。
「はい?」
「一体、檻に入れたんだって?」
「あ…。自分一人でやったわけではありません」
「それ、処分されたよ」
笑顔で告げられる。そうですか、と応えると、やはり笑顔で続けられた。
「君は、直接手を下すのが嫌いなのかな?」
「ただの力不足です」
「でも、試験のときは違っただろう? 逃げと取られても仕方ないね」
「そうですね」
ルカは、すうと心が冷えるのを感じた。
男が試験のことを知っていることは気にならなかった。既に噂が駆け巡っているのかもしれないし、第三隊の隊長が話したのかもしれない。ただ、何を言われても傷付かないよう、温度を下げて鈍くする。学生時代には、頻繁にあったことだ。
男は、ふうん、と息を漏らして笑顔を引っ込めた。
「馬鹿正直か手抜きか知らないけど、もうちょっとくらい自己弁護したほうがよくないかな」
「申し訳ありません」
「…なるほど、僕が信用に値しないか。だけどね、信用できない相手にほど、もっともな言い訳を用意しておいたほうがいいよ。それが、自分と仲間を守る初歩だ」
真顔で妙に芝居がかったことを言われ、戸惑う。言っている内容はある程度は納得できるのだが、素直に肯けないのは発言者の雰囲気のせいだろうか。どこか、空々しい。
どうにか表情を押し殺すルカににこりと笑いかけ、男は、追い払うように手を振って見せた。
「とりあえず、つまらない怪我はしないようにね」
無言で一礼し、ルカは、今度こそ階段を登りきった。
その後は順調に各階を回ったが、行き会った隊員に訊いても、何箇所か見て回っても、子どもは見つからなかった。だが、通信機から聞こえるアナウンスでも、見つかったとの報告はない。
やがて、残すは屋上のみとなり、そこでは妖異捕獲劇が繰り広げられていたはずで、まさかそこにはいないだろう、きっと外で迷っているんだと楽観的に、それでも一応はどうなったのかと足を向けたところで、ルカは厭なことに気付いた。
耳に装着した受信機は、妖異の全捕獲を告げてはいない。
ルカが兵団本部の建物内に戻ったときには、妖異は屋上にいると知れていた。当然、何人かの隊員が向かっていたはずだ。そしてルカは、見回っていた隊員の調べたところはほぼ省いたためにそう時間はかけていないつもりだが、それでも全階を探してから屋上のみを残している。
それなりの時間が経っているはずだった。
それにもかかわらず、状態の進展が知らされていない。これが、後片付けに手間取っている、といっただけのことならいい。迂闊にも報告を上げ忘れているのなら、いい。
「――何か起きているんですか?」
屋上の扉に張り付く数人の隊員の姿に、ルカは、間の抜けた問いを投げかけた。
一応声はひそめていたが、険しい目つきで睨まれ、少し怯む。そのうち、まだルカとそう年の変わらないだろう一人が、足音を消してルカの元にやって来て囁いた。
「妖異が、一般の子どもを人質に取ったんだ。で、膠着してる。今、地下で隊長たちが作戦練ってる。悪いことは言わないから、とりあえず外に出とけ」
「子ども、って…」
「迷子が出てるって連絡あったろ。とにかく、新人には無理だ」
「待ってください」
言うだけ言って背を向けた青年の腕を掴んだのは、考えてのことではなかった。だが、迷惑そうな目を、真っ向から見据える。
「第十一隊のリツ隊長も、会議室ですか」
「お前、十一隊か?」
あからさまに見下す視線を無視して、ルカは肯いた。あのリツが、おとなしく安全な場所での作戦会議に参加しているとは思えなかった。
案の定、青年はちらりと屋上へ続く扉を見た。
「向こうで、妖異とにらみ合ってる」
「やっぱり」
思わず呟いてから、ルカは、せめて様子だけでも見せてもらえないかと頼み込んだ。
渋々ながら扉の前に通してもらったルカは、元は扉の上方にはまっていたガラスの破片に注意しながら、そっと覗きこんだ。
リツの姿があった。
いつものように着崩した赤の隊服姿だが、ところどころに鋭い刃物で切られたかのような跡がある。ルカの位置からでは背中しか見えないが、いつでも駆け出せる体勢のリツが視線を向ける先は、どうにか見えた。
緑色の蔓が、屋上の手すりに絡み付いている。ひときわ茂った中心から、小さな手と虚ろな瞳がのぞく。ルカは、血が冷えるのを感じた。
子ども――当たり前だ。アイルの、まだ十歳ほどの少女の弟だ。七歳だと言っていた。妖異には、そんなことは関係がない。
「――どのくらい」
「はぁ?」
もういいだろう、と声をかけられ肩をつかまれた気がしたが、ルカは、少年の泣くことさえ置き去りにした瞳から目が逸らせない。
「彼がとらわれてから、どのくらい経ちましたか。地下の会議はどのくらいで決着がつきそうですか」
「オレたちが気付いたときには――」
「答える必要はない。戻れ」
「すみません」
そう言いながらも笑っていることを自覚しながら、ルカは、視線を少年に釘付けにしたまま、懐に手を入れた。
そこでようやく、視線を引きはがす。懐から引き抜いた手にのる、小さなウタを見つめた。
「頼むよ、ウタ」
すうと、息を吸う。
「――草と風のおふとん
お月さましずかに目を閉じて
星たちもささやく
おやすみ おやすみ 愛し児よ
おやすみ やさしい夜に」
短いゆったりとした子守唄にあわせて、ルカの掌から飛び立ったウタが唄う。
ルカの至近距離でどさりと鈍い音がして、男たちが意識を手放したと判った。扉の向こうのリツも、膝をついて倒れている。
ルカは、そもそも鍵のかかっていなかった扉を開け、屋上に降り立った。日差しを浴び、風にあおられながら、子守唄を口ずさみ続ける。
手すりのしげみに膝をつくと、蔓をかき分け、少年の身体を引き上げた。まだ小さく、成長途上のルカでさえ、軽々と抱き上げられる。
まだほんの、子ども。
少年も眠っていて、虚ろだった瞳はまぶたの下に閉ざされている。目覚めたときにすべて忘れていたらいいが、そう上手くはいかないだろうか。
「ありがとう、ウタ」
肩に舞い降りたウタにそう言って、とりあえずルカは、少年を抱えてリツの傍らまで移動して座り込んだ。
「…この後、どうなるのかなあ」
はああ、と盛大に落としたため息を追いかけるように頭を垂らし、ややあって顔を上げた。空が青い。
一度隊室に戻って時間を喰ったためか、一般人の避難の混乱にはあまり遭遇していない。それなのに、いつの間にかスガの姿がなかった。
「まあ…僕が心配する必要もないか」
むしろ、自分自身を心配すべきだ。懐にウタを抱えたまま、ルカは苦笑した。
とりあえず、外に出てしまおう。ソウヤやリツと合流できない以上、一人でうろついても邪魔になるだけだ。
「あのぉ」
「…はい?」
一階のロビーに降りようとしていたところでかけられた声は、明らかに幼かった。少なくとも、同僚や上司ではないと思わせる。かといって、学校を卒業したばかりの一年だけの後輩でもない。ぎこちなく振り向いたルカは、予想を裏切られなかったことに慌てた。
十歳前後の女の子。春向きの明るいワンピースを着て、薄色の髪は軽くカールしている。
リツを傷つけた、数ヶ月前の出来事を思い出す。一般人が多くいたため、封鎖は行われていない。それは、少女を妖異かどうか見極めるわかりやすい基準がないということだ。
耳の近くに心臓が移ったかと思うほどに、脈の音がうるさい。
「ぴぃ」
「鳥?」
ウタの声に、少女の不思議そうな声に、脈拍が遠ざかる。ああ、と、ルカは一度目を閉じた。
「放送は聞こえたかな。訓練に協力してもらいたいんだ、外に出ようか」
「だめなの」
「え?」
少女は、懸命に背伸びをしてルカに話しかける。目線をあわせるために膝をつきたいところだが、少女が妖異でないとしても、何かあったときの動作が遅れそうでできない。
片耳に押し込んだままの受信機から聞こえる情報では、残る妖異は三体のみのようで、ルカとスガの閉じ込めたものが含まれていなければたった二体だが、油断していいものでもない。
よくよく考えれば、逃げた妖異のどれにも該当せず、人のはずの少女を、首を傾げて見下ろす。少女は、困った顔をした。
「弟とはぐれちゃったの。だから、いっしょに探してほしいの」
「ええと…僕は、キラ・ルカ。君と弟君の名前は?」
「ハヤミ・アイル。弟は、キリト。ねえ、手伝ってくれる?」
「うん。外にいるかもしれないから、とりあえず行ってみよう」
避難していれば問題はないが、中に残っていれば厄介だ。笑顔を崩さず歩きながらアイルからキリトの特徴を聞き出しつつ、参ったなとのため息を飲み込む。しかし、外に出ればどこかの隊が避難を仕切っているだろうから、班長あたりをつかまえて任せてしまえばいい。
悩むのは、その後の己の行動だ。外に、ソウヤかリツがいればいいのだが。もう随分と経った気もするが、捕らえた妖異の報告がまだだ。スガが既にしてくれているだろうか。
とにかく、誰でもいいから上役をつかまえて状況報告をしようと決める。ルカは、良くも悪くも下っ端でしかない。
「ねえ、お兄ちゃん。さっきの鳥の声、何だったの?」
「ああ…ちょっとここに、友達をかくまっててね」
「え? 鳥と友達なの? どうしてそんなとこに? どんなコ?」
アイルが、きらきらと目を輝かせる。この状況で弟とはぐれてもあまり不安そうに見えないのは、まさか妖異がいるとは思っていないからだろう。迷子とかくれんぼを混同している子どもを、何人も知っている。
人気のなかったところから一転して、入り口近くはさすがに人が多い。はぐれないようアイルの手を握り、話せそうな人はいないかと探すうちに、見慣れた顔を発見した。
「ソウヤ先輩!」
「ルカ君。あれ、リッさんは? そちらは?」
器用に人の間をすり抜けて近付いてきたソウヤにほっとして、手早く説明を済ませる。ついでに何故リツのことを訊かれたのかもたずねてみる。
「うわあ、大変だったね。リッさんがルカ君たちを探すって言ってたんだけど、会えなかったか」
苦笑して、ソウヤは、妖異を一体捕獲していることと少年が一人、内外判らず行方知れずの報告と伝達を手配しに、一旦、人込みの中へと去っていく。
やがて、少女らの母親を連れて戻ったので、少女を引き渡した。
「ルカ君、捜索隊に入るかい?」
「え、いいんですか?」
「こっちは手が足りてるみたいだからね。妖異も残り一体で、屋上に追いつめてるらしいし。子どもの入り込みそうなところとか、多少は詳しいでしょ」
施設で暮らしていれば、下手をすれば日々かくれんぼだ。しかしそのことを言い当てられたのは少々意外だった。マキが話したか、今までに似たような境遇の知り合いでもいたのだろうか。
急いで、建物の中へと引き返す。ルカ一人加わったところで大きく変わることはないだろうが、何もしないよりはましだ。それに、スガやヒシカワにも会えるかもしれない。二人からすればルカに心配されるなどと心外だろうが、気になるのは仕方がない。
「ん? ああ、十一隊の秘蔵っ子」
「は?!」
とりあえず地下から、子どもの潜みそうなところを探そうかと階段を下ったところで、明らかにルカに向けられた言葉で妙なことを口走られた。
地階の廊下を見渡せる場所に立ちはだかる男がその発言主で、警護の第三隊の紺の制服をまとっている。すらりと、背が高い。階級章は何故か見当たらないが、三十は超えているだろうこの男が、準尉よりも下ということはないだろう。
思わず胡乱げになってしまった視線を改め、どう接したものかと迷う。とりあえず、手招きをされたこともあり、階段を下りきった。
「やあ、人災の秘蔵っ子。こんなところで何をしてるのかな、人災は上だよ」
「あの…自分のことをご存知、なのですか…?」
「うん? 有名人の自覚がないみたいだね。それは難儀な。ソウヤは何をしてるのかな」
「ソウヤ先輩?」
「先輩。へえ、先輩! それなら僕のこともアラタ先輩と呼んでくれていいよ」
妙に馴れ馴れしくてやり辛い上に、つながりも見えない。が、ソウヤの知人であれば、後で訊いてみればいいような気もする。
とりあえず、頭二つ分くらいは身長差のありそうなアラタを見上げる。
「七歳くらいの男の子が迷子になっているかも知れないのですが、見かけませんでしたか?」
「ああ、何か言っていたかな。僕は見てない。少なくとも、ここにはいないと思うよ。何しろ、妖異がここから逃げたってことで、徹底的に洗ったからね。今もほら、僕が番をしているし。上を探したほうがいいよ」
「はい。ありがとうございます」
この調子なら、他の階も調べてあるかもしれない。何事もなく無駄足で終わるなら、それでいい。
「ところで、秘蔵っ子君」
心なし軽くなった足で二、三歩階段をあがったところで、また声をかけられた。妙な呼び方だが、ルカをさしているには違いなさそうだ。
「はい?」
「一体、檻に入れたんだって?」
「あ…。自分一人でやったわけではありません」
「それ、処分されたよ」
笑顔で告げられる。そうですか、と応えると、やはり笑顔で続けられた。
「君は、直接手を下すのが嫌いなのかな?」
「ただの力不足です」
「でも、試験のときは違っただろう? 逃げと取られても仕方ないね」
「そうですね」
ルカは、すうと心が冷えるのを感じた。
男が試験のことを知っていることは気にならなかった。既に噂が駆け巡っているのかもしれないし、第三隊の隊長が話したのかもしれない。ただ、何を言われても傷付かないよう、温度を下げて鈍くする。学生時代には、頻繁にあったことだ。
男は、ふうん、と息を漏らして笑顔を引っ込めた。
「馬鹿正直か手抜きか知らないけど、もうちょっとくらい自己弁護したほうがよくないかな」
「申し訳ありません」
「…なるほど、僕が信用に値しないか。だけどね、信用できない相手にほど、もっともな言い訳を用意しておいたほうがいいよ。それが、自分と仲間を守る初歩だ」
真顔で妙に芝居がかったことを言われ、戸惑う。言っている内容はある程度は納得できるのだが、素直に肯けないのは発言者の雰囲気のせいだろうか。どこか、空々しい。
どうにか表情を押し殺すルカににこりと笑いかけ、男は、追い払うように手を振って見せた。
「とりあえず、つまらない怪我はしないようにね」
無言で一礼し、ルカは、今度こそ階段を登りきった。
その後は順調に各階を回ったが、行き会った隊員に訊いても、何箇所か見て回っても、子どもは見つからなかった。だが、通信機から聞こえるアナウンスでも、見つかったとの報告はない。
やがて、残すは屋上のみとなり、そこでは妖異捕獲劇が繰り広げられていたはずで、まさかそこにはいないだろう、きっと外で迷っているんだと楽観的に、それでも一応はどうなったのかと足を向けたところで、ルカは厭なことに気付いた。
耳に装着した受信機は、妖異の全捕獲を告げてはいない。
ルカが兵団本部の建物内に戻ったときには、妖異は屋上にいると知れていた。当然、何人かの隊員が向かっていたはずだ。そしてルカは、見回っていた隊員の調べたところはほぼ省いたためにそう時間はかけていないつもりだが、それでも全階を探してから屋上のみを残している。
それなりの時間が経っているはずだった。
それにもかかわらず、状態の進展が知らされていない。これが、後片付けに手間取っている、といっただけのことならいい。迂闊にも報告を上げ忘れているのなら、いい。
「――何か起きているんですか?」
屋上の扉に張り付く数人の隊員の姿に、ルカは、間の抜けた問いを投げかけた。
一応声はひそめていたが、険しい目つきで睨まれ、少し怯む。そのうち、まだルカとそう年の変わらないだろう一人が、足音を消してルカの元にやって来て囁いた。
「妖異が、一般の子どもを人質に取ったんだ。で、膠着してる。今、地下で隊長たちが作戦練ってる。悪いことは言わないから、とりあえず外に出とけ」
「子ども、って…」
「迷子が出てるって連絡あったろ。とにかく、新人には無理だ」
「待ってください」
言うだけ言って背を向けた青年の腕を掴んだのは、考えてのことではなかった。だが、迷惑そうな目を、真っ向から見据える。
「第十一隊のリツ隊長も、会議室ですか」
「お前、十一隊か?」
あからさまに見下す視線を無視して、ルカは肯いた。あのリツが、おとなしく安全な場所での作戦会議に参加しているとは思えなかった。
案の定、青年はちらりと屋上へ続く扉を見た。
「向こうで、妖異とにらみ合ってる」
「やっぱり」
思わず呟いてから、ルカは、せめて様子だけでも見せてもらえないかと頼み込んだ。
渋々ながら扉の前に通してもらったルカは、元は扉の上方にはまっていたガラスの破片に注意しながら、そっと覗きこんだ。
リツの姿があった。
いつものように着崩した赤の隊服姿だが、ところどころに鋭い刃物で切られたかのような跡がある。ルカの位置からでは背中しか見えないが、いつでも駆け出せる体勢のリツが視線を向ける先は、どうにか見えた。
緑色の蔓が、屋上の手すりに絡み付いている。ひときわ茂った中心から、小さな手と虚ろな瞳がのぞく。ルカは、血が冷えるのを感じた。
子ども――当たり前だ。アイルの、まだ十歳ほどの少女の弟だ。七歳だと言っていた。妖異には、そんなことは関係がない。
「――どのくらい」
「はぁ?」
もういいだろう、と声をかけられ肩をつかまれた気がしたが、ルカは、少年の泣くことさえ置き去りにした瞳から目が逸らせない。
「彼がとらわれてから、どのくらい経ちましたか。地下の会議はどのくらいで決着がつきそうですか」
「オレたちが気付いたときには――」
「答える必要はない。戻れ」
「すみません」
そう言いながらも笑っていることを自覚しながら、ルカは、視線を少年に釘付けにしたまま、懐に手を入れた。
そこでようやく、視線を引きはがす。懐から引き抜いた手にのる、小さなウタを見つめた。
「頼むよ、ウタ」
すうと、息を吸う。
「――草と風のおふとん
お月さましずかに目を閉じて
星たちもささやく
おやすみ おやすみ 愛し児よ
おやすみ やさしい夜に」
短いゆったりとした子守唄にあわせて、ルカの掌から飛び立ったウタが唄う。
ルカの至近距離でどさりと鈍い音がして、男たちが意識を手放したと判った。扉の向こうのリツも、膝をついて倒れている。
ルカは、そもそも鍵のかかっていなかった扉を開け、屋上に降り立った。日差しを浴び、風にあおられながら、子守唄を口ずさみ続ける。
手すりのしげみに膝をつくと、蔓をかき分け、少年の身体を引き上げた。まだ小さく、成長途上のルカでさえ、軽々と抱き上げられる。
まだほんの、子ども。
少年も眠っていて、虚ろだった瞳はまぶたの下に閉ざされている。目覚めたときにすべて忘れていたらいいが、そう上手くはいかないだろうか。
「ありがとう、ウタ」
肩に舞い降りたウタにそう言って、とりあえずルカは、少年を抱えてリツの傍らまで移動して座り込んだ。
「…この後、どうなるのかなあ」
はああ、と盛大に落としたため息を追いかけるように頭を垂らし、ややあって顔を上げた。空が青い。
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