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顕現 2003/5/24
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「ってぇ…」
無造作に突き倒され、貴也は右半身を強く打った。しっかりと頭も打ち付けてしまい、そのせいで眼鏡が吹っ飛んだ。
「こらテメエ、俺身動きとれね―んだぞ?! ってか、人質ってのはもうちょっと丁寧に扱うもんだろうがよ、おい!? こらーっ、無視すんじゃねーっ!」
溝口貴也が誘拐されたのは、何の変哲もない夏休みの一日だった。
誘拐といっても直接の金銭目的ではなく、必要なのは貴也の父の一言だったらしい。新薬の発表をするなという、一言。シュウキョウジョウノリユウ、らしい。
「…腹減ったぁ…」
冷たいコンクリートの床に右半身を下にしたまま、貴也は呟いた。冷たくてしんどくて、閑だ。
おまけに、小学生とでも言うならまだしも、高校生になってこれとあっては、後で様々な人たちに何かと言われるのが目に見えている。
――からかわれるんだろーな―。
呑気にそんなことを考えながら、貴也は溜息をついた。父親が条件を呑むとも思えないから、無事に帰れる保証は一切ないはずなのだが、貴也に危機感はない。
「…そろそろかな?」
この倉庫に入れられてから半日ほど経った頃、貴也はそう呟いた。
それに応じるかのように、野太い悲鳴が上がった。次いで、必死に走って来る足音。貴也は、思わず笑みをもらした。
「おいっ!」
勢い良い良く開けられた扉と、必死の形相の男。もっとも、寝転がっている貴也には、想像でしかわからないのだが。
「お前、顕現者か?! この悪魔め!」
「おいおいおい、何だよそれ? ってか、何が起きてるわけ?」
「何がだとっ?! この化け物どもは貴様のせいだろ?!」
男は、わざわざ貴也の目の前までやってきて怒鳴った。しかし貴也は、呑気そうに笑うだけだった。
「俺、眼鏡落ちてるからね。何か居るわけ?」
「何がだとっ…! この、異常者め!」
「あれ、あんたがそういうこと言うわけ? その「異常者」を「まとも」にするための薬の販売を、あんたは阻止しようとしてたんじゃねーの?」
「貴様!」
今にも貴也の首を締めかねない勢いだった男が、不意に倒れてきた。貴也が、慌てて転がって押しつぶされることを回避する。
鈍い音がして、男の体は真正面からコンクリートの床に衝突した。
あー、こりゃ後で大変だわと思いながら、貴也は首を捻って顔を上げた。表情のない、女の姿が目に入る。
「真咲さん、もっと早く来れなかったの?」
「その前に、あなたが私から離れなければこんなことにはならなかったと思いますが?」
「…ロープ、解いてくれる?」
真咲にロープを解いて――というよりは、ナイフで断ち切って――もらうと、貴也は約半日ぶりに体の自由を取り戻した。
手足をさすると、跡が痛い。
しかし真咲は、そんな貴也を気遣うでもなく地面に落ちた眼鏡を拾い上げ、貴也に差し出した。
「ああ。かけてほしい?」
「ふざけないでください。…つらいのは、判りますが…」
はじめて、真咲は表情らしきものを浮かべた。つらそうに、わずかに眉を持ち上げる。
貴也は、軽く方をすくめて眼鏡を受け取った。眼鏡をかける。――途端に、視界がより明瞭になり、様々なものが見える。
「消えた?」
「…はい」
「そ。じゃあ、行こうか。新薬の発表は? もう終わった?」
「はい。ですが、まだあなたの説明を待って、解散はしていません」
「待たなくていいのに」
苦笑して、貴也は立ち上がった。長時間の拘束に一度足をふらつかせたが、それだけだった。
ミゾクチ製薬が開発した薬は、近年突発的に出現した「顕現者」の能力抑制を行うものだった。
「顕現者」は、個人差はあるものの、突然奇妙なもの――例えば、阿波踊りをするシロナガスクジラ――が見え、その状態で放置しておくとやがて、それが他の人々も見える状態になる――顕現してしまう。
対処法はないと見られていたが、この度ミゾクチ製薬が開発した薬は見事にそれを抑制した。
それに、薬を服用することを神から授かった体に対する冒涜と見る団体が反対し、ミゾクチ製薬社長の息子であり、高校生にして薬品開発者の溝口貴也を誘拐する今回の事件に発展した…と、されている。
実際には他製薬会社の思惑があるのだろう。
「真咲さん、食事に行こう? 何が食べたい?」
記者団に対する説明を終えてから、貴也は後ろにひっそりと控えている真崎を振り返った。袖口が縛られて鬱血している部分に触れて痛いので、ワイシャツのボタンを外しながらのことだった。
「…いちいち私に訊かなくても、あなたが行くところにご一緒します」
「駄目だよ、真咲さん」
やはり表情を変えもしない真咲に、貴也は笑みを向けた。貴也は、眼鏡をかけているときの方が印象が柔らかかった。
「この薬のおかげで金一封も出たしね。なんでも好きなものをおごってやる、って上司の気分なの、今」
さらりと言ってのける。
今回の新薬は、商品化に向けた研究から出てきたものではなかった。言うなれば、会社の研究施設を私設化した上での副産物だったのだ。
貴也は「顕現者」だが、一般的なそれとは多分に異なる。
ほとんどの「顕現者」がいつ何が見えるようになるか判らないのに対して、貴也の場合は、眼鏡をかけているときはいつでも見えるのだ。眼鏡を外すと見えなくなるが、代わりに半日ほど放置した時点で、それまで貴也に見えていたものが顕現する。
それをどうにかするための研究であり、飽くまで副産物だったのだ。
「ホントに、なんでもおごるよ?」
疲れているはずなのにそうとは見せず、貴也は言う。
真咲は、覚悟を決めた。
「そうですね。でしたら――」
無造作に突き倒され、貴也は右半身を強く打った。しっかりと頭も打ち付けてしまい、そのせいで眼鏡が吹っ飛んだ。
「こらテメエ、俺身動きとれね―んだぞ?! ってか、人質ってのはもうちょっと丁寧に扱うもんだろうがよ、おい!? こらーっ、無視すんじゃねーっ!」
溝口貴也が誘拐されたのは、何の変哲もない夏休みの一日だった。
誘拐といっても直接の金銭目的ではなく、必要なのは貴也の父の一言だったらしい。新薬の発表をするなという、一言。シュウキョウジョウノリユウ、らしい。
「…腹減ったぁ…」
冷たいコンクリートの床に右半身を下にしたまま、貴也は呟いた。冷たくてしんどくて、閑だ。
おまけに、小学生とでも言うならまだしも、高校生になってこれとあっては、後で様々な人たちに何かと言われるのが目に見えている。
――からかわれるんだろーな―。
呑気にそんなことを考えながら、貴也は溜息をついた。父親が条件を呑むとも思えないから、無事に帰れる保証は一切ないはずなのだが、貴也に危機感はない。
「…そろそろかな?」
この倉庫に入れられてから半日ほど経った頃、貴也はそう呟いた。
それに応じるかのように、野太い悲鳴が上がった。次いで、必死に走って来る足音。貴也は、思わず笑みをもらした。
「おいっ!」
勢い良い良く開けられた扉と、必死の形相の男。もっとも、寝転がっている貴也には、想像でしかわからないのだが。
「お前、顕現者か?! この悪魔め!」
「おいおいおい、何だよそれ? ってか、何が起きてるわけ?」
「何がだとっ?! この化け物どもは貴様のせいだろ?!」
男は、わざわざ貴也の目の前までやってきて怒鳴った。しかし貴也は、呑気そうに笑うだけだった。
「俺、眼鏡落ちてるからね。何か居るわけ?」
「何がだとっ…! この、異常者め!」
「あれ、あんたがそういうこと言うわけ? その「異常者」を「まとも」にするための薬の販売を、あんたは阻止しようとしてたんじゃねーの?」
「貴様!」
今にも貴也の首を締めかねない勢いだった男が、不意に倒れてきた。貴也が、慌てて転がって押しつぶされることを回避する。
鈍い音がして、男の体は真正面からコンクリートの床に衝突した。
あー、こりゃ後で大変だわと思いながら、貴也は首を捻って顔を上げた。表情のない、女の姿が目に入る。
「真咲さん、もっと早く来れなかったの?」
「その前に、あなたが私から離れなければこんなことにはならなかったと思いますが?」
「…ロープ、解いてくれる?」
真咲にロープを解いて――というよりは、ナイフで断ち切って――もらうと、貴也は約半日ぶりに体の自由を取り戻した。
手足をさすると、跡が痛い。
しかし真咲は、そんな貴也を気遣うでもなく地面に落ちた眼鏡を拾い上げ、貴也に差し出した。
「ああ。かけてほしい?」
「ふざけないでください。…つらいのは、判りますが…」
はじめて、真咲は表情らしきものを浮かべた。つらそうに、わずかに眉を持ち上げる。
貴也は、軽く方をすくめて眼鏡を受け取った。眼鏡をかける。――途端に、視界がより明瞭になり、様々なものが見える。
「消えた?」
「…はい」
「そ。じゃあ、行こうか。新薬の発表は? もう終わった?」
「はい。ですが、まだあなたの説明を待って、解散はしていません」
「待たなくていいのに」
苦笑して、貴也は立ち上がった。長時間の拘束に一度足をふらつかせたが、それだけだった。
ミゾクチ製薬が開発した薬は、近年突発的に出現した「顕現者」の能力抑制を行うものだった。
「顕現者」は、個人差はあるものの、突然奇妙なもの――例えば、阿波踊りをするシロナガスクジラ――が見え、その状態で放置しておくとやがて、それが他の人々も見える状態になる――顕現してしまう。
対処法はないと見られていたが、この度ミゾクチ製薬が開発した薬は見事にそれを抑制した。
それに、薬を服用することを神から授かった体に対する冒涜と見る団体が反対し、ミゾクチ製薬社長の息子であり、高校生にして薬品開発者の溝口貴也を誘拐する今回の事件に発展した…と、されている。
実際には他製薬会社の思惑があるのだろう。
「真咲さん、食事に行こう? 何が食べたい?」
記者団に対する説明を終えてから、貴也は後ろにひっそりと控えている真崎を振り返った。袖口が縛られて鬱血している部分に触れて痛いので、ワイシャツのボタンを外しながらのことだった。
「…いちいち私に訊かなくても、あなたが行くところにご一緒します」
「駄目だよ、真咲さん」
やはり表情を変えもしない真咲に、貴也は笑みを向けた。貴也は、眼鏡をかけているときの方が印象が柔らかかった。
「この薬のおかげで金一封も出たしね。なんでも好きなものをおごってやる、って上司の気分なの、今」
さらりと言ってのける。
今回の新薬は、商品化に向けた研究から出てきたものではなかった。言うなれば、会社の研究施設を私設化した上での副産物だったのだ。
貴也は「顕現者」だが、一般的なそれとは多分に異なる。
ほとんどの「顕現者」がいつ何が見えるようになるか判らないのに対して、貴也の場合は、眼鏡をかけているときはいつでも見えるのだ。眼鏡を外すと見えなくなるが、代わりに半日ほど放置した時点で、それまで貴也に見えていたものが顕現する。
それをどうにかするための研究であり、飽くまで副産物だったのだ。
「ホントに、なんでもおごるよ?」
疲れているはずなのにそうとは見せず、貴也は言う。
真咲は、覚悟を決めた。
「そうですね。でしたら――」
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