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雨舞 2004/5/15
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雨の音が聞こえる。
雨は嫌いだ。あの女の葬式を思い出す。
雨の降る夜だった。我に返って口を押さえても、もう遅い。霧夜が、こちらを見ていた。
相棒は、苦笑した。
「この町でそんなことを気にしていたら、身がもたないよ」
「まあな」
そんなことは判ってる。この町には、雨が多い。きっと、生まれたときも父親がくたばったときも母親が死んだときも自分の葬式も、全部雨だった奴だってそう珍しくないだろう。
「でも、忘れられない」
「どうしてそう、二元論にしようとするかな」
呆れた、と言いたげに頭を振る。
何度も読み返してぼろぼろになった本を閉じて、霧夜は机の上のりんごを転がした。赤いりんごは、血にぬれた首に見えた。
あの女は、まるで、全てを裏切って生きていた。
肉親も、友人も、恋人も夫も、子供も。通りすがりの花売りも。そうして、たった一人で、大勢に囲まれて、「奇麗に」死んでいった。
あるいは、それが恋人だったら、嘲りの笑みなり怒りの声なりとともに、記憶の片隅に押しやれたかもしれなかった。でも。
あの女は、よりにもよって俺を生んだのだ。
窓の外で、雨が強まったようだった。
「こんな日に外に出るだなんて、気の毒だね」
隣の部屋の戸が開く音と出て行く足音を聞いて、霧夜が歌うように、呟くように言った。その手は、まだりんごを転がしている。
「…最悪だった。雨で道がぬかるんで、下ろしたての服に泥がはねて。靴だって水浸し。俺は、早く靴や服を脱ぎたかった。たくさんの奴らが泣く棺の中身なんて、どうでも良かったんだ」
惜しい才能だった。素晴らしい人だった。
悲しむ声は、ただ上滑りして聞こえた。言ってる方は本気で、でも俺には、関係のないことで。
「半分だけ血のつながった弟が、泣きながら服の裾をつかんでるのも鬱陶しかった。あの女から解放されて、喜びたいくらいだったのに、喜べなかった。雨のせいなのか、弟のせいなのか判らなかった。それとも、あの男のせいなのかもしれなかった」
あの女が何をしても許していた。それは、寛容ではなくて卑小さのもたらすもので、それがたまらなく厭だった。
どうして俺は、両親なんてものから生まれなくちゃならなかったんだろう。一人で死ぬなら、一人で生まれたっていいはずなのに。
「雨が、降らなかったら…」
雨音と、霧夜の転がすりんごの音。
「いいことを教えてあげようか」
長い間、黙って話を聞いているのかいないのか判らないような様子だった霧夜は、りんごを転がしながら、暗記しているものをそらんじるようにして言った。
「雨はただの水滴で、空から降ってきて地におりて、やがては川に、そして海に流れていく。その後は、少しずつ空に昇っていって、また雨になって降りてくる。その繰り返し」
「…何が言いたい?」
「ちょっとした知識をね。晴れてるときだって、雨が水蒸気になって空に上っていってるって考えたらさ、いつも雨の中なんだって気がしない?」
「だから何なんだよ」
「つまり、こだわることはないってことだよ。考え方一つで、世界は簡単に変わる」
突然、霧夜はりんごを投げてよこした。
「落ち着いて思い出せるようになるまで、あまり気にしない方がいいと思うけどなあ。沈めてしまえばいいんだよ、奥深くに」
まあ、それができたら苦労しないんだろうけど。
小さく肩をすくめて、本に手を伸ばす。そしてもう一度こちらを見て、苦笑いをした。
「そんなかおをしなくても。手っ取り早いことは、雨の日に楽しい思い出を作ることだろうね。何なら、今から遊びにいく?」
さっき、気の毒にと言った口でそんなことを言う。そう言うと、あれは出掛けるのが気の毒だって言ったんだよ、と、そ知らぬ顔で言う。遊ぶのであれば問題はないらしい。
「…何やって?」
「篠山邸前の空き地、行こうか。あそこの近くに、施設があるだろう。空き地は、いい遊び場になってるらしいよ。仲間に入れてもらおう」
「それ、偵察兼ねてないか?」
「さあ?」
次の標的は篠山鷹也、篠山家の次男。
結論から言うと、やはり偵察込みだった。しかし、それ以上に楽しかったのも確かで。雨も、案外悪くないと思ったのは、それが始めだった。
それでも、あの女を思い出すのだけれど。
以前ほど、胸を痛めることはない。
雨は嫌いだ。あの女の葬式を思い出す。
雨の降る夜だった。我に返って口を押さえても、もう遅い。霧夜が、こちらを見ていた。
相棒は、苦笑した。
「この町でそんなことを気にしていたら、身がもたないよ」
「まあな」
そんなことは判ってる。この町には、雨が多い。きっと、生まれたときも父親がくたばったときも母親が死んだときも自分の葬式も、全部雨だった奴だってそう珍しくないだろう。
「でも、忘れられない」
「どうしてそう、二元論にしようとするかな」
呆れた、と言いたげに頭を振る。
何度も読み返してぼろぼろになった本を閉じて、霧夜は机の上のりんごを転がした。赤いりんごは、血にぬれた首に見えた。
あの女は、まるで、全てを裏切って生きていた。
肉親も、友人も、恋人も夫も、子供も。通りすがりの花売りも。そうして、たった一人で、大勢に囲まれて、「奇麗に」死んでいった。
あるいは、それが恋人だったら、嘲りの笑みなり怒りの声なりとともに、記憶の片隅に押しやれたかもしれなかった。でも。
あの女は、よりにもよって俺を生んだのだ。
窓の外で、雨が強まったようだった。
「こんな日に外に出るだなんて、気の毒だね」
隣の部屋の戸が開く音と出て行く足音を聞いて、霧夜が歌うように、呟くように言った。その手は、まだりんごを転がしている。
「…最悪だった。雨で道がぬかるんで、下ろしたての服に泥がはねて。靴だって水浸し。俺は、早く靴や服を脱ぎたかった。たくさんの奴らが泣く棺の中身なんて、どうでも良かったんだ」
惜しい才能だった。素晴らしい人だった。
悲しむ声は、ただ上滑りして聞こえた。言ってる方は本気で、でも俺には、関係のないことで。
「半分だけ血のつながった弟が、泣きながら服の裾をつかんでるのも鬱陶しかった。あの女から解放されて、喜びたいくらいだったのに、喜べなかった。雨のせいなのか、弟のせいなのか判らなかった。それとも、あの男のせいなのかもしれなかった」
あの女が何をしても許していた。それは、寛容ではなくて卑小さのもたらすもので、それがたまらなく厭だった。
どうして俺は、両親なんてものから生まれなくちゃならなかったんだろう。一人で死ぬなら、一人で生まれたっていいはずなのに。
「雨が、降らなかったら…」
雨音と、霧夜の転がすりんごの音。
「いいことを教えてあげようか」
長い間、黙って話を聞いているのかいないのか判らないような様子だった霧夜は、りんごを転がしながら、暗記しているものをそらんじるようにして言った。
「雨はただの水滴で、空から降ってきて地におりて、やがては川に、そして海に流れていく。その後は、少しずつ空に昇っていって、また雨になって降りてくる。その繰り返し」
「…何が言いたい?」
「ちょっとした知識をね。晴れてるときだって、雨が水蒸気になって空に上っていってるって考えたらさ、いつも雨の中なんだって気がしない?」
「だから何なんだよ」
「つまり、こだわることはないってことだよ。考え方一つで、世界は簡単に変わる」
突然、霧夜はりんごを投げてよこした。
「落ち着いて思い出せるようになるまで、あまり気にしない方がいいと思うけどなあ。沈めてしまえばいいんだよ、奥深くに」
まあ、それができたら苦労しないんだろうけど。
小さく肩をすくめて、本に手を伸ばす。そしてもう一度こちらを見て、苦笑いをした。
「そんなかおをしなくても。手っ取り早いことは、雨の日に楽しい思い出を作ることだろうね。何なら、今から遊びにいく?」
さっき、気の毒にと言った口でそんなことを言う。そう言うと、あれは出掛けるのが気の毒だって言ったんだよ、と、そ知らぬ顔で言う。遊ぶのであれば問題はないらしい。
「…何やって?」
「篠山邸前の空き地、行こうか。あそこの近くに、施設があるだろう。空き地は、いい遊び場になってるらしいよ。仲間に入れてもらおう」
「それ、偵察兼ねてないか?」
「さあ?」
次の標的は篠山鷹也、篠山家の次男。
結論から言うと、やはり偵察込みだった。しかし、それ以上に楽しかったのも確かで。雨も、案外悪くないと思ったのは、それが始めだった。
それでも、あの女を思い出すのだけれど。
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