地球と地球儀の距離

来条恵夢

文字の大きさ
47 / 95

雨舞 2004/5/15

しおりを挟む
 雨の音が聞こえる。
 雨は嫌いだ。あの女の葬式を思い出す。


 雨の降る夜だった。我に返って口を押さえても、もう遅い。霧夜キリヤが、こちらを見ていた。
 相棒は、苦笑した。

「この町でそんなことを気にしていたら、身がもたないよ」
「まあな」

 そんなことは判ってる。この町には、雨が多い。きっと、生まれたときも父親がくたばったときも母親が死んだときも自分の葬式も、全部雨だった奴だってそう珍しくないだろう。

「でも、忘れられない」
「どうしてそう、二元論にしようとするかな」

 呆れた、と言いたげに頭を振る。
 何度も読み返してぼろぼろになった本を閉じて、霧夜は机の上のりんごを転がした。赤いりんごは、血にぬれた首に見えた。

 あの女は、まるで、全てを裏切って生きていた。
 肉親も、友人も、恋人も夫も、子供も。通りすがりの花売りも。そうして、たった一人で、大勢に囲まれて、「奇麗に」死んでいった。
 あるいは、それが恋人だったら、あざけりのみなり怒りの声なりとともに、記憶の片隅に押しやれたかもしれなかった。でも。
 あの女は、よりにもよって俺を生んだのだ。

 窓の外で、雨が強まったようだった。

「こんな日に外に出るだなんて、気の毒だね」

 隣の部屋の戸が開く音と出て行く足音を聞いて、霧夜が歌うように、呟くように言った。その手は、まだりんごを転がしている。

「…最悪だった。雨で道がぬかるんで、下ろしたての服に泥がはねて。靴だって水浸みずびたし。俺は、早く靴や服を脱ぎたかった。たくさんの奴らが泣くひつぎの中身なんて、どうでも良かったんだ」

 惜しい才能だった。素晴らしい人だった。

 悲しむ声は、ただ上滑うわすべりして聞こえた。言ってる方は本気で、でも俺には、関係のないことで。

「半分だけ血のつながった弟が、泣きながら服のすそをつかんでるのも鬱陶しかった。あの女から解放されて、喜びたいくらいだったのに、喜べなかった。雨のせいなのか、弟のせいなのか判らなかった。それとも、あの男のせいなのかもしれなかった」

 あの女が何をしても許していた。それは、寛容ではなくて卑小さのもたらすもので、それがたまらなく厭だった。
 どうして俺は、両親なんてものから生まれなくちゃならなかったんだろう。一人で死ぬなら、一人で生まれたっていいはずなのに。

「雨が、降らなかったら…」

 雨音と、霧夜の転がすりんごの音。

「いいことを教えてあげようか」

 長い間、黙って話を聞いているのかいないのか判らないような様子だった霧夜は、りんごを転がしながら、暗記しているものをそらんじるようにして言った。

「雨はただの水滴で、空から降ってきて地におりて、やがては川に、そして海に流れていく。その後は、少しずつ空に昇っていって、また雨になって降りてくる。その繰り返し」
「…何が言いたい?」
「ちょっとした知識をね。晴れてるときだって、雨が水蒸気になって空に上っていってるって考えたらさ、いつも雨の中なんだって気がしない?」
「だから何なんだよ」
「つまり、こだわることはないってことだよ。考え方一つで、世界は簡単に変わる」

 突然、霧夜はりんごを投げてよこした。

「落ち着いて思い出せるようになるまで、あまり気にしない方がいいと思うけどなあ。沈めてしまえばいいんだよ、奥深くに」

 まあ、それができたら苦労しないんだろうけど。

 小さく肩をすくめて、本に手を伸ばす。そしてもう一度こちらを見て、苦笑いをした。

「そんなかおをしなくても。手っ取り早いことは、雨の日に楽しい思い出を作ることだろうね。何なら、今から遊びにいく?」

 さっき、気の毒にと言った口でそんなことを言う。そう言うと、あれは出掛けるのが気の毒だって言ったんだよ、と、そ知らぬ顔で言う。遊ぶのであれば問題はないらしい。

「…何やって?」
「篠山邸前の空き地、行こうか。あそこの近くに、施設があるだろう。空き地は、いい遊び場になってるらしいよ。仲間に入れてもらおう」
「それ、偵察兼ねてないか?」
「さあ?」

 次の標的は篠山鷹也、篠山家の次男。
 結論から言うと、やはり偵察込みだった。しかし、それ以上に楽しかったのも確かで。雨も、案外悪くないと思ったのは、それが始めだった。


 それでも、あの女を思い出すのだけれど。
 以前ほど、胸を痛めることはない。   
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...