4 / 13
昨日の未来
二日目
しおりを挟む
その日の夜も、霧雨が降っていた。
この町では、雨の降らない日の方が少ない。いい加減、汚れきった空気を伝って降る雨が体に良くないだろうことは判っているが、それでも、霧夜は傘を差す気にはなれなかった。傘が嫌いなのか雨に濡れるのが好きなのか、よく判らない。
傘を差さない霧夜の隣を、やはり雨に濡れた羽澄が歩いていた。
「付き合うことはない。差せばいいだろう」
「いやまあ、俺もそう好きじゃないからな」
差し出された傘をまるきり無視して、羽澄は、頭の後ろで手を組んだ。軽く目を閉じて、瞼に細かな雨を受ける。
上下ともに黒の服を着て茶のジャケットを羽織った羽澄は、その色ごと、この町に馴染んでいた。
廃屋に見える崩れかけの建物にも、まず間違いなく人が住んでいる。ごみの散らばった汚い町角は、夜ともなれば灯りは乏しく、人身売買を行なう輩も闊歩する。いや、それは昼であっても大差はなく、軽犯罪まで数に入れれば、この町には犯罪者以外はいないかも知れない。
拒むことはないけれど、優しく迎え入れてくれることもない。それは、よくある町の姿だった。
それでも霧夜は、そんなこの町が嫌いではない。嫌いならばもっと楽だったかも知れないと思うが、そうはならなかった。生きることに必死で、そのくせ退廃しているような。そんな空気が、妙に愛しい。
「そういや、三谷のおやっさんの娘が行方不明なんだと」
何気なく唐突に、羽澄は言った。
三谷というのは、大きな組織の、半ばお抱え医者の名だ。羽澄も霧夜も、多少の面識はある。
「見事な金髪で、それは愛らしい女の子だとか。薫ってんだと」
含みのある口振りに、霧夜は睨み付けていた。しかし羽澄は、口の片端を上げて笑っている。
「ついでにおやっさんも、このところずーっと、金城のところにいるんだよなあ。今までは、日に一度は家に帰ってたっていうのにな」
にやにやと笑う羽澄の視線の先には、数人の男たちがいた。どれも、酔っ払いや、あるいは人身売買を目論むといった風ではない。見るからに、どこかの下っ端でしかない。
霧夜は、苦々しく溜息をついた。
「お前の職業を忘れていた」
「あっ、何それ、酷いなあ。俺、今日はずっとお前と一緒にいただろ。相棒を疑うなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ」
「昨夜か」
軽口を無視して断定すると、霧夜は男たちを見据えた。
周囲はぐるりと取り囲まれている。この程度なら人数はあまり問題ではないが、もしも、秋衣たちにまで手が及んでいれば。がらくたを改造して、あの建物の周りはとりあえず守っているが、無事だろうか。
何かあれば――羽澄といえど、ただでは済まさない。
その気配を見取って、羽澄は口調を改めた。
「言っとくけど、俺、本当に何もしてないからな。俺の目論見は他にあるんだ。今は、こんなやつらは邪魔なんだよ。大体、お前の恨みを買うのだけはやめようって決めてるんだから」
「それを信じろと?」
「お前を怒らせたらとてつもなく容赦がないって知ってなかったら、とっくに秋衣や木曽のじーさんたち殺してでも今の生活なんか辞めさせてる」
「――そうか」
「ああ」
終始、淡々と言葉を交わして、二人は男たちに声をかけた。安っぽい挑発は、すぐに効果をあらわした。
この町では、雨の降らない日の方が少ない。いい加減、汚れきった空気を伝って降る雨が体に良くないだろうことは判っているが、それでも、霧夜は傘を差す気にはなれなかった。傘が嫌いなのか雨に濡れるのが好きなのか、よく判らない。
傘を差さない霧夜の隣を、やはり雨に濡れた羽澄が歩いていた。
「付き合うことはない。差せばいいだろう」
「いやまあ、俺もそう好きじゃないからな」
差し出された傘をまるきり無視して、羽澄は、頭の後ろで手を組んだ。軽く目を閉じて、瞼に細かな雨を受ける。
上下ともに黒の服を着て茶のジャケットを羽織った羽澄は、その色ごと、この町に馴染んでいた。
廃屋に見える崩れかけの建物にも、まず間違いなく人が住んでいる。ごみの散らばった汚い町角は、夜ともなれば灯りは乏しく、人身売買を行なう輩も闊歩する。いや、それは昼であっても大差はなく、軽犯罪まで数に入れれば、この町には犯罪者以外はいないかも知れない。
拒むことはないけれど、優しく迎え入れてくれることもない。それは、よくある町の姿だった。
それでも霧夜は、そんなこの町が嫌いではない。嫌いならばもっと楽だったかも知れないと思うが、そうはならなかった。生きることに必死で、そのくせ退廃しているような。そんな空気が、妙に愛しい。
「そういや、三谷のおやっさんの娘が行方不明なんだと」
何気なく唐突に、羽澄は言った。
三谷というのは、大きな組織の、半ばお抱え医者の名だ。羽澄も霧夜も、多少の面識はある。
「見事な金髪で、それは愛らしい女の子だとか。薫ってんだと」
含みのある口振りに、霧夜は睨み付けていた。しかし羽澄は、口の片端を上げて笑っている。
「ついでにおやっさんも、このところずーっと、金城のところにいるんだよなあ。今までは、日に一度は家に帰ってたっていうのにな」
にやにやと笑う羽澄の視線の先には、数人の男たちがいた。どれも、酔っ払いや、あるいは人身売買を目論むといった風ではない。見るからに、どこかの下っ端でしかない。
霧夜は、苦々しく溜息をついた。
「お前の職業を忘れていた」
「あっ、何それ、酷いなあ。俺、今日はずっとお前と一緒にいただろ。相棒を疑うなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ」
「昨夜か」
軽口を無視して断定すると、霧夜は男たちを見据えた。
周囲はぐるりと取り囲まれている。この程度なら人数はあまり問題ではないが、もしも、秋衣たちにまで手が及んでいれば。がらくたを改造して、あの建物の周りはとりあえず守っているが、無事だろうか。
何かあれば――羽澄といえど、ただでは済まさない。
その気配を見取って、羽澄は口調を改めた。
「言っとくけど、俺、本当に何もしてないからな。俺の目論見は他にあるんだ。今は、こんなやつらは邪魔なんだよ。大体、お前の恨みを買うのだけはやめようって決めてるんだから」
「それを信じろと?」
「お前を怒らせたらとてつもなく容赦がないって知ってなかったら、とっくに秋衣や木曽のじーさんたち殺してでも今の生活なんか辞めさせてる」
「――そうか」
「ああ」
終始、淡々と言葉を交わして、二人は男たちに声をかけた。安っぽい挑発は、すぐに効果をあらわした。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる