回りくどい帰結

来条恵夢

文字の大きさ
17 / 130
女子会

しおりを挟む
 人の気配で目が覚めた。
 廊下の足音が、かすかながら聞こえたのだろう。誰か水でも飲みに来たのかと思ったが、雪季セッキが使っている部屋の前でぴたりと止まった。向かいの図書部屋に来た可能性は、短いノックですぐに否定された。
 一度きりで、思ったよりも音が響いたと思ったのか、囁くような声があとをいだ。

「せっくん、話、いい?」
葉月ハヅキさん。こんな時間に男の部屋を訪ねるべきじゃないと思う」
「ぇえ起きてるん?!」
「寝てたらどうしたんだ一体」
 
 とりあえず、部屋の鍵を開けて招き入れる。雪季自身が口にした忠告ではあるが、こちらは何をするつもりもない。それでも、戸は明けたままにしておいた。
 豆電球はついているが薄暗いので、明かりをつけようとしたら止められた。

「その…話したいことがあるんやけど、話しにくいからこのくらいの方がいいなー、って」
「何?」

 座布団もないので、葉月はそのまま畳に座り込んだ。膝を立てて、抱え込むように腕を回す。自分を守るようだと、雪季は思った。

「…せっくんって、ほんまに…人、殺してたんやんな…?」
「ああ」

 アキラが雪季のことをいろいろと調べさせていた「情報部」は、会社の情報部そのものではなく葉月一人のことだった。今まで、葉月はそのことに触れはしなかったが、切り出しあぐねていただけだったのか。
 次の言葉までしばらく待つ。

「…はじめの。はじめに殺した人のことって、覚えてる?」
「…ああ」

 問題なくこなせていたと思ったのに、十年越しで目撃者がいたと当の本人から知らされた一件だ。
 そんなことがなくても、覚えている。もちろんすべてではなく忘れていることもあるだろうが、あの日のことも、下調べでのあれこれも。
 英に言い当てられたように、自分で手にかけた人たちのことを、雪季は覚えている。

「その人、妻と娘がおってな。あのあと娘は、大阪の親戚に引き取られて、施設に預けられた。母親は、あの人が死んだって聞いて、ふらぁとどっか行ってもた」

 三崎新伍。娘の名は、莉奈リナ
 妻子がいたことは覚えている。ただ、休日にはあまり外出することもなく、それならば狙うのは平日かと方針を決めたために、詳しく調べることはなかった。葉月というのは、母方の姓だろうか。
 するりと思い出されたそれらの情報に、雪季はつか眼を閉じた。忘れてはいなくても、気付けなかった。
 目を開けても、葉月は膝を抱えたまま俯いていた。

「ウチは、お母さんもきっと、助かった、って思った。あの人が死んだって言われて、ああもうこれでいつ殺されるかって怯えんでいいんや、って。他の人に嘘ばっかついて隠して、殴られたりねちねち言われたりするために家に帰らんでいいんや、って。お母さんもおらんなってもたから家出なあかんかったけど、よかった、って思ったもん。あの人の名字捨てて、大阪弁覚えて、もうあの頃のあたしは捨てよう、って。でも、気になって色々調べて…せっくんを見つけて、社長にも会えて」

 偶然、のわけがない。いくらなんでも、そんな偶然があってたまるものか。仕組んだとまでは言わずとも、雪季を調べて追いかけて、英は葉月のことも見つけ出したのだろう。そうして、使えると思った。

「せっくんが、あたしたちを助けるために殺してくれたんじゃないってことは、わかってる。でも、あたしたちはせっくんに助けられた。救われた。ずっと、ありがとうって言いたかった」

 受けれるべきなのか、拒むべきなのか、喜べばいいのか怒ればいいのかさとせばいいのか、何も浮かんでこない。
 金のためだと、生きるためだと、ただの仕事だと割り切ってきた。だから感情も後悔も伴わせないと、決めていた。遺族に報復されることは考えないでもなかったが、それは仕方のない事だろうとも思っていた。

「昔のこと、蒸し返すみたいなことしてごめん。でも、どうしても言いたかった。――おやすみ、起こしてごめん」
「葉月さん」

 立ち上がった葉月に、何を考えることもなく声をかけてしまった。自分の声を聞いて、何を話すつもりだと焦りが込み上げる。
 まだ何も、受け容れられていないのに。

「俺、は…」
「何も要らんから。ありがとうもごめんも、ウチが言いたかっただけやから、朝になったらもう何も言わへんし、忘れてくれていいから。ホンマは、寝てると思ったから、独り言だけ言ってすっきりするつもりやった。…ごめん」

 立ち上がれないまま、雪季ははっきりとは見えない葉月を見上げた。
 彼女が何をどうやって乗り越えたのか、まだ乗り越えつつある途中なのか、踏み込むには雪季の覚悟は決まっていない。深く関わるつもりがなければ、踏み入ってはいけないと、思う。

「…おやすみ」
「うん。おやすみ」

 今までに雪季が知るのとは違って、静かに去る葉月の後ろ姿を、何も言えないままに見送った。
 足音とともに葉月の気配がすっかり遠のいてから、雪季は、のろりと立ち上がった。やることがあることに、救われた気がする自分を救えない、と思う。
 そして、その「やること」は気分や事態を好転させるものではないだろうと知ってはいる。

 部屋を出て、向かいの図書部屋の戸を開ける。雪季の部屋が引き戸なのに対して、ここは外開きのドアだ。

河東カトウ
「あ、ばれてた?」

 電気もつけず闇の中から声だけが返る。目が慣れるにも光が必要で、この部屋は外観からすると窓はあるが本棚と本がすっかりふさいでしまっているために、やたらと濃い闇が横たわっている。
 英が下りて来ていたのには気付いていたが、葉月と深夜に二人きりで、何をするつもりはなくとも念のため歯止め代わりにと放置していた。裏目とまでは言わないが、面倒くさい、とは思う。
 闇の中からのびた手に、腕をつかまれた。

「っ」

 部屋に引き込まれた上で軽く突き飛ばされ、おそらくは入口の真向まむかいの辺だろう本棚にぶつかる。戸の閉まる音がした。

「何を」
「廊下で喋ってて、二人が起きてきたら困るだろ。ここなら、本が音を吸収してくれる」

 言われてみればその通りで、それを英に指摘されたことが悔しくて歯噛みする。
 雪季のそんな様子に勘付いたのか、英が笑った気配がした。電気のスイッチは入り口すぐ横の壁にあるはずだが、つけるつもりはないようだ。

「珍しい、動揺してるのか?」
「…聞いてたのか」
「予想はついてた。葉月は素直だし、いい子だから。俺や君と違って」

 事実を口にしただけという風に、英が葉月を語る口調には温度がない。それは、自身や雪季に対しても同じだった。淡々と、乾いている。
 それならば自分たちは彼女に関わらずにいるべきではないかと、雪季は思ったが口にはできなかった。
 既に十分すぎるほどに関わってしまっていて、そして葉月は英を信頼している。もしかすると、得られなかった父や兄のように。雪季が接したのはほんの短い間だが、それでも感じられるほどに。

「雪季。嬉しい? わずらわしい?」
「…よく、わからない」
「葉月の中で、君はヒーローだ。とんでもない暴君だった父親をやっつけてくれた。命を救われた。君は、いいことをした」
「ただの仕事だ。金に引き換えるための作業だった」
「そうだ。君は、お金のために人を殺して、人を殺したから感謝された。矛盾だな。世の中、こんな矛盾はいくらでも転がってる。善悪だって簡単にひっくり返る。それなら、そんなもの必要かな。そこにすがる必要も、大切にする必要も、ないんじゃないのか」

 いつの間にか、雪季は床に座り込んでいた。英は立ったままなのか、少し高いところから声が聞こえる。何も見えず、声だけが届く。
 これは本当に今起きていることだろうかと、雪季はまどう。夢でも見ているのではないか。夢の中で自問自答しているだけなのではないか。

「でもまあ、そこで悪戦苦闘するのが人なんだろうな。俺にはよくわからないけど」

 どこまでも淡々と、言葉を落とす。
 英の言葉には、嘘が多い。何ら呵責かしゃくを受けることなく嘘を口にする。それなのに雪季に向けられる言葉には、嘘が少ないような気がする。
 それは思い込みだろうかと、ほだされているのだろうかと迷う。

「雪季。大サービスで、真っ当なアドバイスをあげようか。葉月のあれは自己満足だし、あの子の中では君にお礼を言えたことで片付いてる。本当は、君が聞く必要もなかった言葉だ。悩むのがつらいなら、忘れてしまってもいいんだ」
「それはアドバイスじゃない」
「じゃあ何?」
「…悪魔の囁き」

 気障きざな言い方だろうかというのは、口からこぼれ落ちた後に気付いた。

「悪魔か。なるほどね。…おやすみ、雪季」

 扉の開く音がして、その隙間からするりと人が出ていくのが判った。俺も戻ろう、と雪季は思ったが、しばらくはぼんやりと暗闇を見つめていていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...