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女子会
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英の部屋から拝借したCDをかけながら、雪季は簡単なつまみで酒を飲んでいた。図書部屋から持ち出した坂口安吾の文庫本をめくり、酩酊のふわふわとした感覚を楽しむ。
今日は英は戻らないだろうから、明日の昼くらいまではのんびりとしていられるだろう。
本格的な護衛ならこんな風に離れたりはしないだろうし、別行動を取るとしてもすぐに駆け付けられる場所に待機するだろう。少なくとも、居場所を知らないということはない。
だが雪季にとっては幸い、そこまでは英が拒否した。
GPSでの居場所確認は取れるようにはしてあるが、別行動中に何かあればその時は諦めよう、ということで合意している。もちろん、連絡がついた時点で間に合うようなら駆けつけるというように努力はするが、無理な時は無理ということにしてある。
「おーいー、あーけーてー」
場違いに明るい声に、雪季は思わず顔をしかめた。
間延びはしているが、聞き覚えはある。ただ、何故それが玄関の外から聞こえてくるのかがわからない、というよりもわかりたくない。
「せっくーん、社長ー、おらんのー?」
アルコールくさい溜息を落とし、雪季は、心地良い酔いから抜け出した。
はじめの声は笹倉叶子のもので、次は葉月莉奈。たまに泊まりに来るという葉月は鍵を持っているので、放っておいても入って来るだろう。
ただ、そうすると居留守を使ったとでも責められそうなので、諦めて玄関に向かう。
「…酔ってますね?」
「こんばんはー雪季くーん。あれー家の中では眼鏡してないんだー」
顔を真っ赤にして、多少舌足らずになっているのに案外しっかりと見ている。雪季の眼鏡は完全な伊達で、仕事の時以外は外している。
「ウチは飲んでへんで? カナちゃんが、帰るのめんどいから寮行こうって」
「女の人だけで、男所帯に来ない方がいいと思うけど」
「こまかいこといーわーなーい」
いつもはいかにも「仕事ができる」風な笹倉が、随分と崩れている。比べて、独自のテンションを保つ葉月の方がまともに見えてしまうくらいだ。
危なっかしいので支え役を葉月と代わり、リビングルームへと連れて行く。
玄関横の葉月が使う部屋に直接通した方が良いかと思ったのだが、楽し気な笹倉が途中で買ったという酒瓶を片手に、飲もうと言い張った。
「明日も明後日も休みでしょー。飲もうよー」
「笹倉さん、帰らなくていいんですか?」
確か笹倉は、既婚者だったはずだ。医師の夫は大学病院と個人医院とをかけ持ちで勤めていて、元々はそちらが英と交流があり、笹倉の就職につながった。
いつもはまとめている髪を下ろした笹倉は、何故か、自慢げに笑い飛ばした。
「旦那、学会で出張中だもーん。帰ってもつまんなーい。飲もーう」
重かっただろうに、日本酒の四合瓶と赤ワインが一本、乾きものと缶詰とが数個ほど出てくる。
なるほど、こうやって缶詰が貯蓄されていくのかと雪季は嘆息した。二人とも食事は済ませているだろうに、どう考えてもつまみが多い。
「てか、せっくんも飲んでるやん。一人でさみしー…って、社長は?」
「今日は帰って来ないと思う」
「今どんなのと付き合ってるんやった?」
「ゆるふわ系の女子大生?」
「あれ、バリキャリ女は?」
「続いてるか切れたか知らないけど、今のメインは女子大生ー」
テーブルの角を挟んで、会社で葉月が言っていた通りの女子会が始まってしまった。
この家にも慣れているだろうし、部屋に引っ込もうかと酒のグラスを回収しようと手をのばしたら、思いがけず素早く押さえられた。しかも、示し合わせたように左右から同時に。罠にかかった気分だ。
「雪季君は? 会った? 今の社長の彼女」
「いえ。…俺、そろそろ寝ます」
「えー来たばっかやーん、せっくんめっちゃお酒飲んでる途中やーん。逃げるなー」
「…葉月さん、飲んでないんですよね? すごく絡み酒っぽくなってますけど」
「リナは大体こんなもんでしょ」
「あっ今何気に失礼なこと言われた気がする!」
「うん気のせいじゃないかなー」
仲が良くて楽しそうなのは結構だが、雪季の腕をつかんだままなのはやめてほしい。
女性相手に力任せに振り払うのも躊躇われて、下手に身動きが取れない。その間にも英の恋人遍歴に関する話が弾んでいて、要らない知識が増えていく。元カレだの元カノだの、心底どうでいい。
「…わかった、付き合いますから、とりあえず手を離してもらえますか」
「やったー」
息が合っていて、顔つきが似ているわけでもないのに姉妹のようだ。もう少し状況が違えば微笑ましく思えるところだろうが、雪季は静かにため息をついた。
笹倉の向かいの葉月の隣に腰を落とし、飲みかけのグラスを引き寄せる。
「雪季君はそれ、何飲んでるの?」
「ウイスキーです。飲みますか?」
「お酒強い?」
「それほどでも。今も、ちょっとふわふわしてます」
ただ、どれだけ飲んでも素面に比べて明らかに記憶が飛んだことはないし、酒絡みでの失敗談もほぼない。二日酔いも、あまりなった覚えがないくらいだ。小まめに水を飲んでいるおかげもあるだろう。
「あんまり、顔には出ないのね。あたしは買ってきたのにするー。八海山」
「常温ですね。氷入れますか?」
「え。うーん。…雪季君は、日本酒はストレートで飲め、派じゃないんだ?」
どんな派閥だ、と思いながらも、そういえば日本酒に氷を入れたりお湯で割ったりを嫌がる人はいたなと思い出す。雪季の元保護者の店でのことだ。日本酒を使ったカクテルなど言語道断だ、とも。
上目づかいで見つめる笹倉に、肩をすくめて返す。
「美味しいと思えるなら何だっていいんじゃないですか。葉月さんは? お酒でなくても、何か飲む?」
「飲むー」
「オレンジとカルピスと烏龍茶と麦茶と紅茶と珈琲」
「カルピス!」
「原液のやつだから、好きに割って」
コップと水、氷を適当にテーブルに運び、その間にスナック菓子が二袋とスルメの天ぷらが開け広げられていた。
それならと、きゅうりをスティック状に切って、マヨネーズと塩、一味と味噌も出す。あとは、二日ほど前に作ったきんぴらごぼうの残り。
ただそれだけのことに、笹倉と葉月と、揃って大きく見開かれた眼に迎えられ、軽くひるむ。
「そのきんぴらって、惣菜? 出来合い? 買ってきたやつ?」
「いや…作ったやつ、だけど…?」
「めっちゃおいしいし! えっ、ちょっと待って、このおつまみもまさか手作り? せっくん作!?」
一人で飲んでいた時のつまみは、マグロ缶とゆでたキャベツを和えただけのものだ。作ったというほどでもない。だが素直にそう答えるには、早速箸を握った女性陣の視線が怖い。
誤魔化すように、スルメの天ぷらを引き上げてトースターで軽く温める。
「ひと手間が…ここは居酒屋雪季か…っ!」
「なんなんせっくん超人か!?」
「…とりあえず夜なんで、声量押さえましょうか、二人とも」
このくらいで超人と呼ぶとは、二人の食生活はどうなっているのか。深く考えないようにして、どうにかあっさと切り上げられる方法はないものかと頭を悩ませる。
残念ながら何も思い浮かばないうちに、トースターが音を立てた。
「いいなー、雪季君、嫁に欲しい」
既に旦那がいるはずだが。そして婿でなく嫁なのか。
こぼれかけた言葉をウイスキーで呑み込んで、スナック菓子に手をのばす。久々に食べると、濃い味と軽い食感が美味しい。
「アキラ君ずるいなー、絶対普通の料理も上手いでしょー、ずるいなー」
「あ、それでかな、社長最近結構顔色いいよな?」
「あー、思った! 前まで生活全般ぼろぼろだったもんねえ。今は、朝ちゃんと出社してくるし。助かるわー。リナも、もう一回ここに戻ったら?」
「えー。でも社長、同居人おったら苛々してくるやん。ウチもそうやから、掛け算で鬱陶しい」
「そういえば、そんなこと言ってたっけ。雪季君は? そのへんどう?」
「はあ」
勝手に二人で喋っていてくれていいのに、と思いながら、雪季は少しばかり首を傾げた。
引っ越してきて、そろそろ一月ほど。まだそれほど経っていないから、特にそういった齟齬も感じないのだろうか。船で同室だった時から、英にも特に変わった様子は感じられずにいる。
「この広さで二人だけだから、邪魔にもなりようがないんじゃないですか? それ以前に、まだ一月ほどですし」
「最短って何日だっけ」
「三日。でもあれは、そもそも会社辞めてもたし」
「ああ! アキラ君が放り出しちゃったんだっけ? どの地雷踏んだんだろうねえ、あの子」
雪季の知らない、元彼女で秘書だった女性の話が持ち上がる。女子会って怖いな、と雪季がひそかに思っていると、玄関で音がした。そっと、席を立つ。
人感センサーのライトがついているので、こちらが囮でなければ玄人筋の侵入者ではないだろう。だが、こんな時間にこれ以上来客はないはずだがまさか他の社員が帰り損ねたかと――
「なんだお前か」
「えっ何俺わざわざ出迎えに来てそんなこと言われるようなことした? あれお客さん?」
目ざとく二人の靴に気付いたようで、式台に上がりながら訊いて来る。
「笹倉さんと葉月さん。飲んでる」
「あー…。うわほんとだ、居る」
「えー社長ーおかえりー」
「あっれー、女子大生はどうしたのよー、なんで帰って来ちゃったのー」
「シャワー浴びてくる」
既に石鹸の匂いをさせているのに逃げたな、と思ったが口に出すのは大人げない気がして呑み込む。だが女性陣は素直に、逃げたーと言ってけらけら笑っている。
踵を返して風呂場へ向かった英は、あ、そうだ、と口にして足を止めた。顔だけ振り返る。
「小腹空いた。何か作って」
「…米? 麺? パン?」
「米。がっつり系で」
「小腹かそれ?」
ご飯は冷凍した分がある。ひき肉も冷凍していたはずなので、それを炒めるか、とキッチンに入ったところで、呆けるように向けられた二人分の視線に気付いた。
「肉みそ作るけど、二人も食べる? ご飯かうどん」
「はいはい! うどん!」
「う…食べたい、けど…いや駄目やめとく。…ってそうじゃなくて!」
人参と玉ねぎとピーマンを出してみじん切りにして、炒めて火の通ったところでひき肉も投入する。田舎味噌と豆板醤と、しょうゆも少し入れて味付けする。
それと並行して、湯を沸かして冷凍うどんを解凍する。あとは、レタスを少しむしって、キュウリを薄くスライス。
「葉月さん、ジャージャー麺風に生卵入れる? そういえば、アレルギーとか大丈夫?」
「うわー本気でせっくんプロっぽい。アレルギーないけど卵はいらーん」
「わかった」
生卵がないと麺の絡みが悪いかと、麺つゆを少し加えて片栗粉でとろみを作る。あとは、分けておいた肉味噌もどきを小皿に少し盛って、レタスときゅうりと一緒に運ぶ。
「笹倉さん、これなら罪悪感少ないかも。食べますか?」
「…雪季君、本気で嫁に来ない?」
「お断りします」
微妙に本気じみた眼に、きっぱりと返す。
見れば、四合瓶はほとんど空になっている。笹倉の酒の強さがどのくらいかは知らないが、既に飲んでいたのだし飲みすぎではないだろうか。そっと、水のグラスを傍に置く。
「それにしても本当に、仲良くやってるのねー」
「はい?」
グラスを傾けるのではなくもてあそぶように持つ笹倉に、首を傾げる。女性二人は何やら目と目で会話を交わし、口を開いたのは葉月だった。食べかけのうどんの丼を、一旦置く。
「社長って、シロートの手料理好きじゃないはずなんやんな。絶対あかんってわけじゃないみたいやけど、ケータリングとか買って来た惣菜とか何品か並んでたら、手料理はまず手ぇつけへんもん」
「そーそー。あんまりにも不健康な食生活してるからお弁当でも作ってきてあげようかって言ったら即断られた。何食べるにしても好きな物しか取らないから、今はともかく絶対そのうち不摂生で体壊す、っていう感じで、どうかなーって思ってたんだけど」
はじめに嫌いなものは残せと言ったが、ほとんど残された記憶が無い。てっきり好き嫌いが少ないのかと思っていたが。それ以前に、食材費は出すから料理は頼む、というのは英からの申し出だったはずで。薬や毒の混入を警戒するなら、買って来たものでも変わりはないはずで。
雪季の困惑を気にせず、掛け合いは続く。
「あんな風に、何でもいいから作って、なんて、多分歴代彼女が聞いたら仰天するんじゃない? 料理が趣味なんですーって子もいたはずなんだけどね、今まで付き合ってた中に」
「結局、社長が嫌がってたんって、中途半端に知ってる人が作ったものってことちゃうん? 全然知らんか、めっちゃ親しい人なら問題な…あ」
「中途半端に知ってる人ねー。まあねー。ただの飲み友達で部下なだけだしー?」
酔っているせいもあるだろうが、急降下の不機嫌に、雪季は葉月と眼を見かわして肩をすくめた。
シャワーの音が止んだので、そろそろかと立ち上がって冷凍ご飯をレンジに放り込む。出しておいた卵を割ってだしを入れ、半熟ではないがふわふわとしたスクランブルエッグを作る。温まったご飯を丼にあけ、肉味噌もどきを載せて、上から卵をかぶせて終わりだ。
テーブルに運んで、空いた皿やコップを引き上げた。入れ替わりのように、英が座って箸をのばす。
「うっわ、バスローブとか。なんで似合ってるのよ日本人のくせに」
「え、何その偏見。家で何着ようと俺の勝手だろ」
「なんかむかつくー」
この二人は飲み友達だったのかと、雪季はひっそりとため息を落とした。
使ったものを洗うためにキッチンに残っているが、このままあそこのテーブルには戻りたくないなと思う。こっそりと自室に戻れればいいが、そのためには、あのテーブルの横を通るしかない。
明日の昼までどころか、一晩すらゆっくりできていないと、雪季はやさぐれた気分になった。
今日は英は戻らないだろうから、明日の昼くらいまではのんびりとしていられるだろう。
本格的な護衛ならこんな風に離れたりはしないだろうし、別行動を取るとしてもすぐに駆け付けられる場所に待機するだろう。少なくとも、居場所を知らないということはない。
だが雪季にとっては幸い、そこまでは英が拒否した。
GPSでの居場所確認は取れるようにはしてあるが、別行動中に何かあればその時は諦めよう、ということで合意している。もちろん、連絡がついた時点で間に合うようなら駆けつけるというように努力はするが、無理な時は無理ということにしてある。
「おーいー、あーけーてー」
場違いに明るい声に、雪季は思わず顔をしかめた。
間延びはしているが、聞き覚えはある。ただ、何故それが玄関の外から聞こえてくるのかがわからない、というよりもわかりたくない。
「せっくーん、社長ー、おらんのー?」
アルコールくさい溜息を落とし、雪季は、心地良い酔いから抜け出した。
はじめの声は笹倉叶子のもので、次は葉月莉奈。たまに泊まりに来るという葉月は鍵を持っているので、放っておいても入って来るだろう。
ただ、そうすると居留守を使ったとでも責められそうなので、諦めて玄関に向かう。
「…酔ってますね?」
「こんばんはー雪季くーん。あれー家の中では眼鏡してないんだー」
顔を真っ赤にして、多少舌足らずになっているのに案外しっかりと見ている。雪季の眼鏡は完全な伊達で、仕事の時以外は外している。
「ウチは飲んでへんで? カナちゃんが、帰るのめんどいから寮行こうって」
「女の人だけで、男所帯に来ない方がいいと思うけど」
「こまかいこといーわーなーい」
いつもはいかにも「仕事ができる」風な笹倉が、随分と崩れている。比べて、独自のテンションを保つ葉月の方がまともに見えてしまうくらいだ。
危なっかしいので支え役を葉月と代わり、リビングルームへと連れて行く。
玄関横の葉月が使う部屋に直接通した方が良いかと思ったのだが、楽し気な笹倉が途中で買ったという酒瓶を片手に、飲もうと言い張った。
「明日も明後日も休みでしょー。飲もうよー」
「笹倉さん、帰らなくていいんですか?」
確か笹倉は、既婚者だったはずだ。医師の夫は大学病院と個人医院とをかけ持ちで勤めていて、元々はそちらが英と交流があり、笹倉の就職につながった。
いつもはまとめている髪を下ろした笹倉は、何故か、自慢げに笑い飛ばした。
「旦那、学会で出張中だもーん。帰ってもつまんなーい。飲もーう」
重かっただろうに、日本酒の四合瓶と赤ワインが一本、乾きものと缶詰とが数個ほど出てくる。
なるほど、こうやって缶詰が貯蓄されていくのかと雪季は嘆息した。二人とも食事は済ませているだろうに、どう考えてもつまみが多い。
「てか、せっくんも飲んでるやん。一人でさみしー…って、社長は?」
「今日は帰って来ないと思う」
「今どんなのと付き合ってるんやった?」
「ゆるふわ系の女子大生?」
「あれ、バリキャリ女は?」
「続いてるか切れたか知らないけど、今のメインは女子大生ー」
テーブルの角を挟んで、会社で葉月が言っていた通りの女子会が始まってしまった。
この家にも慣れているだろうし、部屋に引っ込もうかと酒のグラスを回収しようと手をのばしたら、思いがけず素早く押さえられた。しかも、示し合わせたように左右から同時に。罠にかかった気分だ。
「雪季君は? 会った? 今の社長の彼女」
「いえ。…俺、そろそろ寝ます」
「えー来たばっかやーん、せっくんめっちゃお酒飲んでる途中やーん。逃げるなー」
「…葉月さん、飲んでないんですよね? すごく絡み酒っぽくなってますけど」
「リナは大体こんなもんでしょ」
「あっ今何気に失礼なこと言われた気がする!」
「うん気のせいじゃないかなー」
仲が良くて楽しそうなのは結構だが、雪季の腕をつかんだままなのはやめてほしい。
女性相手に力任せに振り払うのも躊躇われて、下手に身動きが取れない。その間にも英の恋人遍歴に関する話が弾んでいて、要らない知識が増えていく。元カレだの元カノだの、心底どうでいい。
「…わかった、付き合いますから、とりあえず手を離してもらえますか」
「やったー」
息が合っていて、顔つきが似ているわけでもないのに姉妹のようだ。もう少し状況が違えば微笑ましく思えるところだろうが、雪季は静かにため息をついた。
笹倉の向かいの葉月の隣に腰を落とし、飲みかけのグラスを引き寄せる。
「雪季君はそれ、何飲んでるの?」
「ウイスキーです。飲みますか?」
「お酒強い?」
「それほどでも。今も、ちょっとふわふわしてます」
ただ、どれだけ飲んでも素面に比べて明らかに記憶が飛んだことはないし、酒絡みでの失敗談もほぼない。二日酔いも、あまりなった覚えがないくらいだ。小まめに水を飲んでいるおかげもあるだろう。
「あんまり、顔には出ないのね。あたしは買ってきたのにするー。八海山」
「常温ですね。氷入れますか?」
「え。うーん。…雪季君は、日本酒はストレートで飲め、派じゃないんだ?」
どんな派閥だ、と思いながらも、そういえば日本酒に氷を入れたりお湯で割ったりを嫌がる人はいたなと思い出す。雪季の元保護者の店でのことだ。日本酒を使ったカクテルなど言語道断だ、とも。
上目づかいで見つめる笹倉に、肩をすくめて返す。
「美味しいと思えるなら何だっていいんじゃないですか。葉月さんは? お酒でなくても、何か飲む?」
「飲むー」
「オレンジとカルピスと烏龍茶と麦茶と紅茶と珈琲」
「カルピス!」
「原液のやつだから、好きに割って」
コップと水、氷を適当にテーブルに運び、その間にスナック菓子が二袋とスルメの天ぷらが開け広げられていた。
それならと、きゅうりをスティック状に切って、マヨネーズと塩、一味と味噌も出す。あとは、二日ほど前に作ったきんぴらごぼうの残り。
ただそれだけのことに、笹倉と葉月と、揃って大きく見開かれた眼に迎えられ、軽くひるむ。
「そのきんぴらって、惣菜? 出来合い? 買ってきたやつ?」
「いや…作ったやつ、だけど…?」
「めっちゃおいしいし! えっ、ちょっと待って、このおつまみもまさか手作り? せっくん作!?」
一人で飲んでいた時のつまみは、マグロ缶とゆでたキャベツを和えただけのものだ。作ったというほどでもない。だが素直にそう答えるには、早速箸を握った女性陣の視線が怖い。
誤魔化すように、スルメの天ぷらを引き上げてトースターで軽く温める。
「ひと手間が…ここは居酒屋雪季か…っ!」
「なんなんせっくん超人か!?」
「…とりあえず夜なんで、声量押さえましょうか、二人とも」
このくらいで超人と呼ぶとは、二人の食生活はどうなっているのか。深く考えないようにして、どうにかあっさと切り上げられる方法はないものかと頭を悩ませる。
残念ながら何も思い浮かばないうちに、トースターが音を立てた。
「いいなー、雪季君、嫁に欲しい」
既に旦那がいるはずだが。そして婿でなく嫁なのか。
こぼれかけた言葉をウイスキーで呑み込んで、スナック菓子に手をのばす。久々に食べると、濃い味と軽い食感が美味しい。
「アキラ君ずるいなー、絶対普通の料理も上手いでしょー、ずるいなー」
「あ、それでかな、社長最近結構顔色いいよな?」
「あー、思った! 前まで生活全般ぼろぼろだったもんねえ。今は、朝ちゃんと出社してくるし。助かるわー。リナも、もう一回ここに戻ったら?」
「えー。でも社長、同居人おったら苛々してくるやん。ウチもそうやから、掛け算で鬱陶しい」
「そういえば、そんなこと言ってたっけ。雪季君は? そのへんどう?」
「はあ」
勝手に二人で喋っていてくれていいのに、と思いながら、雪季は少しばかり首を傾げた。
引っ越してきて、そろそろ一月ほど。まだそれほど経っていないから、特にそういった齟齬も感じないのだろうか。船で同室だった時から、英にも特に変わった様子は感じられずにいる。
「この広さで二人だけだから、邪魔にもなりようがないんじゃないですか? それ以前に、まだ一月ほどですし」
「最短って何日だっけ」
「三日。でもあれは、そもそも会社辞めてもたし」
「ああ! アキラ君が放り出しちゃったんだっけ? どの地雷踏んだんだろうねえ、あの子」
雪季の知らない、元彼女で秘書だった女性の話が持ち上がる。女子会って怖いな、と雪季がひそかに思っていると、玄関で音がした。そっと、席を立つ。
人感センサーのライトがついているので、こちらが囮でなければ玄人筋の侵入者ではないだろう。だが、こんな時間にこれ以上来客はないはずだがまさか他の社員が帰り損ねたかと――
「なんだお前か」
「えっ何俺わざわざ出迎えに来てそんなこと言われるようなことした? あれお客さん?」
目ざとく二人の靴に気付いたようで、式台に上がりながら訊いて来る。
「笹倉さんと葉月さん。飲んでる」
「あー…。うわほんとだ、居る」
「えー社長ーおかえりー」
「あっれー、女子大生はどうしたのよー、なんで帰って来ちゃったのー」
「シャワー浴びてくる」
既に石鹸の匂いをさせているのに逃げたな、と思ったが口に出すのは大人げない気がして呑み込む。だが女性陣は素直に、逃げたーと言ってけらけら笑っている。
踵を返して風呂場へ向かった英は、あ、そうだ、と口にして足を止めた。顔だけ振り返る。
「小腹空いた。何か作って」
「…米? 麺? パン?」
「米。がっつり系で」
「小腹かそれ?」
ご飯は冷凍した分がある。ひき肉も冷凍していたはずなので、それを炒めるか、とキッチンに入ったところで、呆けるように向けられた二人分の視線に気付いた。
「肉みそ作るけど、二人も食べる? ご飯かうどん」
「はいはい! うどん!」
「う…食べたい、けど…いや駄目やめとく。…ってそうじゃなくて!」
人参と玉ねぎとピーマンを出してみじん切りにして、炒めて火の通ったところでひき肉も投入する。田舎味噌と豆板醤と、しょうゆも少し入れて味付けする。
それと並行して、湯を沸かして冷凍うどんを解凍する。あとは、レタスを少しむしって、キュウリを薄くスライス。
「葉月さん、ジャージャー麺風に生卵入れる? そういえば、アレルギーとか大丈夫?」
「うわー本気でせっくんプロっぽい。アレルギーないけど卵はいらーん」
「わかった」
生卵がないと麺の絡みが悪いかと、麺つゆを少し加えて片栗粉でとろみを作る。あとは、分けておいた肉味噌もどきを小皿に少し盛って、レタスときゅうりと一緒に運ぶ。
「笹倉さん、これなら罪悪感少ないかも。食べますか?」
「…雪季君、本気で嫁に来ない?」
「お断りします」
微妙に本気じみた眼に、きっぱりと返す。
見れば、四合瓶はほとんど空になっている。笹倉の酒の強さがどのくらいかは知らないが、既に飲んでいたのだし飲みすぎではないだろうか。そっと、水のグラスを傍に置く。
「それにしても本当に、仲良くやってるのねー」
「はい?」
グラスを傾けるのではなくもてあそぶように持つ笹倉に、首を傾げる。女性二人は何やら目と目で会話を交わし、口を開いたのは葉月だった。食べかけのうどんの丼を、一旦置く。
「社長って、シロートの手料理好きじゃないはずなんやんな。絶対あかんってわけじゃないみたいやけど、ケータリングとか買って来た惣菜とか何品か並んでたら、手料理はまず手ぇつけへんもん」
「そーそー。あんまりにも不健康な食生活してるからお弁当でも作ってきてあげようかって言ったら即断られた。何食べるにしても好きな物しか取らないから、今はともかく絶対そのうち不摂生で体壊す、っていう感じで、どうかなーって思ってたんだけど」
はじめに嫌いなものは残せと言ったが、ほとんど残された記憶が無い。てっきり好き嫌いが少ないのかと思っていたが。それ以前に、食材費は出すから料理は頼む、というのは英からの申し出だったはずで。薬や毒の混入を警戒するなら、買って来たものでも変わりはないはずで。
雪季の困惑を気にせず、掛け合いは続く。
「あんな風に、何でもいいから作って、なんて、多分歴代彼女が聞いたら仰天するんじゃない? 料理が趣味なんですーって子もいたはずなんだけどね、今まで付き合ってた中に」
「結局、社長が嫌がってたんって、中途半端に知ってる人が作ったものってことちゃうん? 全然知らんか、めっちゃ親しい人なら問題な…あ」
「中途半端に知ってる人ねー。まあねー。ただの飲み友達で部下なだけだしー?」
酔っているせいもあるだろうが、急降下の不機嫌に、雪季は葉月と眼を見かわして肩をすくめた。
シャワーの音が止んだので、そろそろかと立ち上がって冷凍ご飯をレンジに放り込む。出しておいた卵を割ってだしを入れ、半熟ではないがふわふわとしたスクランブルエッグを作る。温まったご飯を丼にあけ、肉味噌もどきを載せて、上から卵をかぶせて終わりだ。
テーブルに運んで、空いた皿やコップを引き上げた。入れ替わりのように、英が座って箸をのばす。
「うっわ、バスローブとか。なんで似合ってるのよ日本人のくせに」
「え、何その偏見。家で何着ようと俺の勝手だろ」
「なんかむかつくー」
この二人は飲み友達だったのかと、雪季はひっそりとため息を落とした。
使ったものを洗うためにキッチンに残っているが、このままあそこのテーブルには戻りたくないなと思う。こっそりと自室に戻れればいいが、そのためには、あのテーブルの横を通るしかない。
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