40 / 130
結婚
6
しおりを挟む
何故か餃子が食べたいと言い出した英は、意外にも器用に餡を包んでいった。
「餃子って全部家で作れるんだな」
「何を当たり前のことを」
市販のものよりも厚めで食べ応えのある皮で包んだ餃子をいくつも平らげてから口にした言葉に、雪季は呆れの眼差しを向けた。
四十万が存在を教えてくれた電気鍋でテーブルの上で焼けるので、雪季も食べる手を止めてはいない。
面倒だったので、今日は餃子尽くしだ。揚げ餃子はトマトとひき肉、チーズを入れたピザ風のものと、春雨とナッツ、ひき肉を炒めたものを入れた春巻き風と、時雨煮の残りを刻んでとろみをつけたものと。電気鍋で焼いているのはオーソドックスな肉餡。
最後は、電気鍋に白菜と人参と顆粒スープの素を入れて、スープ餃子にするつもりだ。それまでに満腹になれば、明日の朝に回してもいい。皮に厚みがあるので、これだけで十分主食になる。
「あと、餃子にはニンニク必須だと思ってた」
「俺はむしろ、バイト先で初めて知った。ラーメン屋」
「え。それまでは? 冷凍食品とかは?」
「親もあの人も手作りで入れなかったから…」
「うわーなんか、俺と真逆な食生活してたっぽい」
赤ワイン片手に、何が面白いのかけらけらと笑う。
昼過ぎに下りて来てケーキを食べただけなので腹が減っているのか、箸の進みは雪季よりもずっと早い。それでも不思議と、あまりがっついた感じはしなかった。
今日は結局、昼前には四十万とバイクの後ろに乗って中原が帰り、昼頃に前後して起きてきた女性陣はパンケーキを平らげて引き上げていった。駅までは雪季が車を出したのだが、どこかでお茶をして帰ろうかと話していた。
パンケーキはベーコンエッグを添えて甘いものではなかったが、その後には昨夜に残ったケーキも食べていたはずなのだが。
「あーそうだ雪季、李さんのこと。四十万に聞いた?」
「…何を?」
言い方が曖昧過ぎて、見当がつけられない。四十万から聞いた李の話といえば今朝の手合わせの誘いくらいのものだが、果たしてそのことなのか。
「あの人ヘッドハンティングが趣味だから、甘い言葉で誘われてもほいほいついて行くなよ。俺か、せめて他の誰かと一緒の時以外は断るように」
「何だその知らない人にお菓子をもらうな、みたいな注意」
「えー。手合わせしたいって言われてちょっと浮かれてなかったかー?」
「…聞いてたのか」
あの会話はリビングでのものではあったが、英の寝室は扉を開けていれば階下の音が筒抜けだ。盗み聞きを咎めるよりも先に、起きていたなら降りて来いよと雪季は英に呆れのこもった眼差しを向けた。
実はこいつは、葉月に匹敵する引き籠りたがりではなかろうかとの疑いを抱く。仕事のある日は夜になっても出歩くことも多いが、休日と決めると案外家に居る時間も長い。
三回目の餃子を並べ、水を入れて蓋をする。焼き上がるまでは、揚げ餃子と野菜スティックに手が伸びる。
「俺いない方が平和だろ。それに、聴いてたんじゃなくて聞こえたんだから仕方ない」
「それほど大きな声では喋っていなかったはずだし、そもそも、昨夜は戸を閉めたんだが?」
「夜中にトイレに行って開けっ放しにしたんじゃないかな」
にっこりと笑いながら、目を合わせてくるところが曲者だ。
普通、嘘をつけば視線が泳ぐことが多く、逆にそれを誤魔化そうとするとやたらと眼を見開いて見つめてしまったりするが、ごくごく自然にのぞき込む。
些細な、どうでもいいような嘘ではあるが、これがどんなものでも同じようにできるのだから性質が悪い。
雪季は目を逸らし、チーズの揚げ餃子を齧った。冷めて固くなってきたので、蓋を開けたら電気鍋に入れた方がいいかなと考える。そうして目線を戻すと、英が少しばかり不貞腐れたような顔をしていた。一体どんな反応を望んでいたものか。
「そう言えば。昨日の件で、処分は?」
「…減俸とか? そんな堅苦しくしなくても。それとも、クビになりたがってる?」
「いや。いい人ばかりで、申し訳なくはなる。お前以外」
そろそろいいかと蓋を開けると、湯気越しに英の恨めし気な眼が見えた。それでいて、焼き上がりのふっくらとした餃子には先に箸をつける。
「雪季は俺にばっかり厳しい」
「…そもそもあの出会いで関わり方で、こうやって呑気に食事をしている時点で十分にあり得ない状況だと思うが」
「あー…。そう言われればそうかもだけど、雪季、なんか俺よりも他の奴らとどんどん仲良くなりそうでずるい」
「そう思うなら、今日下りて来ればよかっただろ。まさか人見知りだとか言い出さないだろうな」
空いたところに残っている揚げ餃子を並べる。あと数個程度だから、このまま食べきれそうだ。あらかた片付いたら、スープ餃子をどうするか訊いた方がいいだろう。
反応がないことに視線を上げると、睨まれた。
「そっちじゃない」
「…そろそろ飲むのやめた方がいいんじゃないか」
酔っ払いが、と、睨み返す。今日は雪季は昨日持ち込まれた缶のハイボールを空けただけなので、残りわずかなボトルの赤ワインは、全て英の胃に消えている。
英は、鼻で笑ってグラスを空にして、残りを全て注ぎ入れる。
「雪季はなかなか俺の言葉を信じないから。酔ってる時に言ったことの方が、まだ信じるだろ?」
言葉に詰まる。にやにやと笑みを向けられ、口惜しいのでどうにか探す。
「どれも胡散臭い」
「ひどいな」
「そこで笑うところが信用ならないんだお前は。まだ食べられるか? 残りの餃子、スープにするが」
「うん、食べる。そこで逃げちゃうところが、君の甘いところだ」
三つ残った揚げ餃子を全て英の皿に移し、電気鍋でまずはスープを作る。そこに餃子を投入して蓋をすると、後はやることがなくなった。一本だけ残ったキュウリに手をのばして片付ける。
大人しく揚げ餃子を片づけていると思った英は、不意に、爆弾を投じた。
「四万十のあれは、雪季と中原が名前で呼び合ってるのに嫉妬しただけだから気にしなくていい」
「………。ん?」
「あいつも馬鹿と言うかどうしようもないと言うか。前の職場追われた上に引っ越しまでする羽目になったのも、異性愛者を好きになったせいだっていうのに、懲りない」
山本の書いているという小説の話をしているのか。一瞬だけそう思いかけて、いやそれは逃避かと首を振る。問題は、発言者が英であることで、英が時には意味のない嘘もつくことであって。
思わず英の顔を見ると、首を傾げて返された。
「男の同僚に告ったら、周りにばらされて居づらくなって退職。知らなかった?」
「知ってるわけないだろ?! …それ、他の人は知ってるのか?」
「いや、言ってない」
「…知ってるわけないだろ…」
まさか四十万に問い質すわけにもいかないので、真偽のほどは判らない。
判らなくてもいいのだが、もしも本当だとすれば、大変そうだとやや同情を覚えてしまう。それほど軽く済ませられるものではないのだろうが、何をどう思えばいいものかがよくわからない。
「困ってるっていうから、とりあえず話聞いてみたら使えそうだしで雇ったのに、すぐに秘書は無理だとか言って来て、今の仕事に落ち着いた。失礼だと思わないか?」
「…辞めるって言われなくてよかったな」
四十万も、こうも無造作にばらされているとは思わないだろう。気の毒に思えて、もしこの先、何か助けでも求められたらなるべく応じようと決める。
つい溜息をついてしまってから、振り払うように餃子スープの様子を見る。そろそろ良さそうだ。
「器貸せ」
「ん。…もうちょっと、驚くとか何かあると思ったんだけどな」
「個人の性癖をどうこう言う趣味はない」
「趣味の問題…? いやほら、警戒するとか、恋愛対象に見られたら困るなーとか、ないんだ?」
何故か、雪季の方が常識外れのような反応をされている気がする。話したものかと少し考え、まあいいかとどう話すかを頭の中でまとめる。
スープは、とりあえず半分ずつ分けてきれいに片付ける。焼いたものよりも艶やかな餃子から湯気が立ち上った。
「恋愛感情とは違うだろうが、そういう対象に見られるのはあったからな」
「…え?」
薄味のスープの中で、やはり餃子はもっちりと食べ応えがある。
「ああいうのは、一種示威行為というか、相手を制圧するためのものでもあるだろ。強姦がただの性欲処理とは限らないし、子どもへのそれは、支配欲の表れであることも多い。それと同じ流れで、力自慢の男が集まると、弱そうに見えるっていうだけでそういう対象になるんだ。名前がスノーホワイトだったから、余計にってのもあっただろうけど」
もちろんそう見られたからといって大人しく従う必要など感じず、相応の対応はさせてもらったが。
そもそも、同業者とはそれほど深い関わりがあったわけではないので、流すようなあしらいだけで済むことも多かった。どう見られようと、それ以上関わって来なければそれまでだ。
ただそれは、万が一力づくで何かされそうになってもどうにかできるだけの心積もりがあったから平然としていられた部分もあるので、まず力では敵わないだろう女性たちが同じような視線を向けられていることを思うと忍びない気持ちにもなる。
「それに比べたら、恋愛感情ならまだ話のしようもあるだろ」
「んんん…そう、なのか…?」
「本人が恋愛感情と思い込んでいるだけの別物なら話が違うが、前の職を辞めることになった経緯や真幸さんへの対応を見る限り、ちゃんと相手のことを想ってるんだろう。そういう人なら、警戒は過剰反応じゃないのか」
「あー…うーん、まあ、そう言えなくも…?」
器を抱えたままの英を置いて、雪季は食べ終えて食器を運ぼうかと立ち上がりかけ、はたと気付く。
「…そもそも、そういったことで警戒するなら、四十万さんよりお前だろ」
「ん?」
「どう考えても、お前の方が断然危険人物だ」
一拍置いて、英は盛大に吹き出した。スープをこぼしそうで危ぶんでいると、英も気付いたのか、とりあえずテーブルに置いた。しかし、笑いは止まない。
放っておいて、食器を運ぶ。今日はほぼ餃子しか食べていないので、洗い物も少ない。電気鍋も洗おうと手をのばすと、唐突に笑いを収めた英に腕をつかまれた。
「で、雪季は俺を警戒してる?」
「それなりに」
つかんでいる手を外し、電気鍋を引き上げる。背後でもう一度、笑いがはじけるのが聞こえた。楽しそうなのはいいがうるさいなと、雪季は息を吐いた。
笑い声を聞き流しながら食器を片づけていると、不意に気付いてしまった。
とりあえず水切り籠に置いて、このまま忘れたふりをしたいと逃げる気持ちを押さえつけて、テーブルに戻る。ようやくスープ餃子に手を付けた英が、顔を上げる。
「その…昨日は、悪かった。あと…ありがとう」
「……えー、と。…え?」
「勝手に職場放棄したことと。その後、俺に非難が向かないようにしてくれただろ。昨日と今日と降りて来なかったのも…全部、そのためだったんだろ。李さんのケーキにしても、別にバームクーヘンでも問題なかっただろうし」
英にいろいろと前科があるだけに、切られるのではないかとむしろ心配された。昨日の件に限っては、どう考えても非があるのは雪季の方で、英に問題があったわけではないというのに、みんな雪季に同情的だった。
それが、雪季を引き止めるための英の手管だったとしても、ありがたかったのは確かだ。
ありがとう、と頭を下げる。気恥ずかしいような据わりの悪さはあるが、それらの配慮に気付いているのにせめて言葉だけでも礼を言わないのは、それはそれで居心地が悪い。
沈黙が長く、どうしたのだろうと顔を上げると、珍しく英がぽかんとしていた。
「…雪季がデレた」
「でれた?」
「呑もう、雪季」
「いや…だから飲みすぎだろお前」
最後の赤ワインも飲み干されている。英はあまり合間に水を飲みたがらないので、酔いが回るのは早い方ではないのだろうか。アルコールの分解に水は必須で、明日は仕事なのだが。
「あと一杯。一杯だけ」
「…何飲む」
「雪季と同じので」
そう言って、今度こそスープ餃子を食べ始める。冷め切ってはいないだろうが、ぬるくはなっているだろう。
雪季は、ざっと今飲める酒の種類を思い浮かべた。ブランデーもウイスキーも数種類、梅酒やカリン酒、桂花陳酒に紹興酒、日本酒も様々に、ワインは赤も白も、ロゼやスパークリングもあったはずだ。缶ビールも何種類か、冷蔵庫で冷えている。
…改めて、酒が多すぎるだろうこの家、と、雪季は額を押さえた。居酒屋かバーでもやるつもりなのか。
「甘いのでいいか」
「うん」
カルーアがそろそろ飲み終わるくらいの量だったのを思い出して、氷と牛乳を出す。
ウォッカもあるからブラック・ルシアンでもいいが、あまり飲んでいない雪季はともかくワインをボトルで空けた英に強い酒を出すのはやめた方がいいかと諦める。
瓶を空にして、英の方は少し牛乳を大目に配分しておく。
「コーヒー牛乳?」
「カルーアミルク」
「あー。もしかしたら飲んだことないかも。女の子が飲んでるイメージ」
それでは、瓶の口が切られていたのは他の誰かが呑みかけで放置していたのだろう。雪季が前に飲んでもなんともなかったから、妙なものが混入されていることはないはずだが。
一口飲んで、甘いと笑う。楽しそうだなと思いながら、雪季は、確かにコーヒー牛乳に似たカルーアミルクに口をつける。
ほんの半年前ですら、こんな状況を想像すらしていなかった。そして、半年後のことさえ想像がつかない。こんな風にのんびりと英と酒を酌み交わしているのか、どこかで一人暮らしに戻っているのか。
今こうやって友人同士のように過ごしていたところで、先のことなどわからない。
「雪季。雪季ってば」
「…なんだ」
「眉間にしわ。なんで酒呑みながらそんな険しい顔してんの」
「地顔だ。ほっとけ」
「うそだー」
こうやってけらけらと笑うところだけ見ていると、ごく普通の気のいい青年のようなのに、と雪季は思う。
雪季は、今の生活を楽しんでいる自覚があった。だからこそ、それほど長くは続かないだろうとの予想は忘れてはならない。例えば、雪季が英を友人と呼べば、それで満足するのかもしれない。満足して、興味をなくせば、そこで終わるだろう。
それなら早く試せばいいと思いつつもそうできないのは、今の生活を失うのを厭だと思ってしまうことと、そうしてもこのままよくわからない執着が続いた場合は更に悪化するのではないかとの危惧と、どちらが大きいのか。
よくわからないまま、雪季はグラスを傾ける。からんと、氷が鳴った。
「餃子って全部家で作れるんだな」
「何を当たり前のことを」
市販のものよりも厚めで食べ応えのある皮で包んだ餃子をいくつも平らげてから口にした言葉に、雪季は呆れの眼差しを向けた。
四十万が存在を教えてくれた電気鍋でテーブルの上で焼けるので、雪季も食べる手を止めてはいない。
面倒だったので、今日は餃子尽くしだ。揚げ餃子はトマトとひき肉、チーズを入れたピザ風のものと、春雨とナッツ、ひき肉を炒めたものを入れた春巻き風と、時雨煮の残りを刻んでとろみをつけたものと。電気鍋で焼いているのはオーソドックスな肉餡。
最後は、電気鍋に白菜と人参と顆粒スープの素を入れて、スープ餃子にするつもりだ。それまでに満腹になれば、明日の朝に回してもいい。皮に厚みがあるので、これだけで十分主食になる。
「あと、餃子にはニンニク必須だと思ってた」
「俺はむしろ、バイト先で初めて知った。ラーメン屋」
「え。それまでは? 冷凍食品とかは?」
「親もあの人も手作りで入れなかったから…」
「うわーなんか、俺と真逆な食生活してたっぽい」
赤ワイン片手に、何が面白いのかけらけらと笑う。
昼過ぎに下りて来てケーキを食べただけなので腹が減っているのか、箸の進みは雪季よりもずっと早い。それでも不思議と、あまりがっついた感じはしなかった。
今日は結局、昼前には四十万とバイクの後ろに乗って中原が帰り、昼頃に前後して起きてきた女性陣はパンケーキを平らげて引き上げていった。駅までは雪季が車を出したのだが、どこかでお茶をして帰ろうかと話していた。
パンケーキはベーコンエッグを添えて甘いものではなかったが、その後には昨夜に残ったケーキも食べていたはずなのだが。
「あーそうだ雪季、李さんのこと。四十万に聞いた?」
「…何を?」
言い方が曖昧過ぎて、見当がつけられない。四十万から聞いた李の話といえば今朝の手合わせの誘いくらいのものだが、果たしてそのことなのか。
「あの人ヘッドハンティングが趣味だから、甘い言葉で誘われてもほいほいついて行くなよ。俺か、せめて他の誰かと一緒の時以外は断るように」
「何だその知らない人にお菓子をもらうな、みたいな注意」
「えー。手合わせしたいって言われてちょっと浮かれてなかったかー?」
「…聞いてたのか」
あの会話はリビングでのものではあったが、英の寝室は扉を開けていれば階下の音が筒抜けだ。盗み聞きを咎めるよりも先に、起きていたなら降りて来いよと雪季は英に呆れのこもった眼差しを向けた。
実はこいつは、葉月に匹敵する引き籠りたがりではなかろうかとの疑いを抱く。仕事のある日は夜になっても出歩くことも多いが、休日と決めると案外家に居る時間も長い。
三回目の餃子を並べ、水を入れて蓋をする。焼き上がるまでは、揚げ餃子と野菜スティックに手が伸びる。
「俺いない方が平和だろ。それに、聴いてたんじゃなくて聞こえたんだから仕方ない」
「それほど大きな声では喋っていなかったはずだし、そもそも、昨夜は戸を閉めたんだが?」
「夜中にトイレに行って開けっ放しにしたんじゃないかな」
にっこりと笑いながら、目を合わせてくるところが曲者だ。
普通、嘘をつけば視線が泳ぐことが多く、逆にそれを誤魔化そうとするとやたらと眼を見開いて見つめてしまったりするが、ごくごく自然にのぞき込む。
些細な、どうでもいいような嘘ではあるが、これがどんなものでも同じようにできるのだから性質が悪い。
雪季は目を逸らし、チーズの揚げ餃子を齧った。冷めて固くなってきたので、蓋を開けたら電気鍋に入れた方がいいかなと考える。そうして目線を戻すと、英が少しばかり不貞腐れたような顔をしていた。一体どんな反応を望んでいたものか。
「そう言えば。昨日の件で、処分は?」
「…減俸とか? そんな堅苦しくしなくても。それとも、クビになりたがってる?」
「いや。いい人ばかりで、申し訳なくはなる。お前以外」
そろそろいいかと蓋を開けると、湯気越しに英の恨めし気な眼が見えた。それでいて、焼き上がりのふっくらとした餃子には先に箸をつける。
「雪季は俺にばっかり厳しい」
「…そもそもあの出会いで関わり方で、こうやって呑気に食事をしている時点で十分にあり得ない状況だと思うが」
「あー…。そう言われればそうかもだけど、雪季、なんか俺よりも他の奴らとどんどん仲良くなりそうでずるい」
「そう思うなら、今日下りて来ればよかっただろ。まさか人見知りだとか言い出さないだろうな」
空いたところに残っている揚げ餃子を並べる。あと数個程度だから、このまま食べきれそうだ。あらかた片付いたら、スープ餃子をどうするか訊いた方がいいだろう。
反応がないことに視線を上げると、睨まれた。
「そっちじゃない」
「…そろそろ飲むのやめた方がいいんじゃないか」
酔っ払いが、と、睨み返す。今日は雪季は昨日持ち込まれた缶のハイボールを空けただけなので、残りわずかなボトルの赤ワインは、全て英の胃に消えている。
英は、鼻で笑ってグラスを空にして、残りを全て注ぎ入れる。
「雪季はなかなか俺の言葉を信じないから。酔ってる時に言ったことの方が、まだ信じるだろ?」
言葉に詰まる。にやにやと笑みを向けられ、口惜しいのでどうにか探す。
「どれも胡散臭い」
「ひどいな」
「そこで笑うところが信用ならないんだお前は。まだ食べられるか? 残りの餃子、スープにするが」
「うん、食べる。そこで逃げちゃうところが、君の甘いところだ」
三つ残った揚げ餃子を全て英の皿に移し、電気鍋でまずはスープを作る。そこに餃子を投入して蓋をすると、後はやることがなくなった。一本だけ残ったキュウリに手をのばして片付ける。
大人しく揚げ餃子を片づけていると思った英は、不意に、爆弾を投じた。
「四万十のあれは、雪季と中原が名前で呼び合ってるのに嫉妬しただけだから気にしなくていい」
「………。ん?」
「あいつも馬鹿と言うかどうしようもないと言うか。前の職場追われた上に引っ越しまでする羽目になったのも、異性愛者を好きになったせいだっていうのに、懲りない」
山本の書いているという小説の話をしているのか。一瞬だけそう思いかけて、いやそれは逃避かと首を振る。問題は、発言者が英であることで、英が時には意味のない嘘もつくことであって。
思わず英の顔を見ると、首を傾げて返された。
「男の同僚に告ったら、周りにばらされて居づらくなって退職。知らなかった?」
「知ってるわけないだろ?! …それ、他の人は知ってるのか?」
「いや、言ってない」
「…知ってるわけないだろ…」
まさか四十万に問い質すわけにもいかないので、真偽のほどは判らない。
判らなくてもいいのだが、もしも本当だとすれば、大変そうだとやや同情を覚えてしまう。それほど軽く済ませられるものではないのだろうが、何をどう思えばいいものかがよくわからない。
「困ってるっていうから、とりあえず話聞いてみたら使えそうだしで雇ったのに、すぐに秘書は無理だとか言って来て、今の仕事に落ち着いた。失礼だと思わないか?」
「…辞めるって言われなくてよかったな」
四十万も、こうも無造作にばらされているとは思わないだろう。気の毒に思えて、もしこの先、何か助けでも求められたらなるべく応じようと決める。
つい溜息をついてしまってから、振り払うように餃子スープの様子を見る。そろそろ良さそうだ。
「器貸せ」
「ん。…もうちょっと、驚くとか何かあると思ったんだけどな」
「個人の性癖をどうこう言う趣味はない」
「趣味の問題…? いやほら、警戒するとか、恋愛対象に見られたら困るなーとか、ないんだ?」
何故か、雪季の方が常識外れのような反応をされている気がする。話したものかと少し考え、まあいいかとどう話すかを頭の中でまとめる。
スープは、とりあえず半分ずつ分けてきれいに片付ける。焼いたものよりも艶やかな餃子から湯気が立ち上った。
「恋愛感情とは違うだろうが、そういう対象に見られるのはあったからな」
「…え?」
薄味のスープの中で、やはり餃子はもっちりと食べ応えがある。
「ああいうのは、一種示威行為というか、相手を制圧するためのものでもあるだろ。強姦がただの性欲処理とは限らないし、子どもへのそれは、支配欲の表れであることも多い。それと同じ流れで、力自慢の男が集まると、弱そうに見えるっていうだけでそういう対象になるんだ。名前がスノーホワイトだったから、余計にってのもあっただろうけど」
もちろんそう見られたからといって大人しく従う必要など感じず、相応の対応はさせてもらったが。
そもそも、同業者とはそれほど深い関わりがあったわけではないので、流すようなあしらいだけで済むことも多かった。どう見られようと、それ以上関わって来なければそれまでだ。
ただそれは、万が一力づくで何かされそうになってもどうにかできるだけの心積もりがあったから平然としていられた部分もあるので、まず力では敵わないだろう女性たちが同じような視線を向けられていることを思うと忍びない気持ちにもなる。
「それに比べたら、恋愛感情ならまだ話のしようもあるだろ」
「んんん…そう、なのか…?」
「本人が恋愛感情と思い込んでいるだけの別物なら話が違うが、前の職を辞めることになった経緯や真幸さんへの対応を見る限り、ちゃんと相手のことを想ってるんだろう。そういう人なら、警戒は過剰反応じゃないのか」
「あー…うーん、まあ、そう言えなくも…?」
器を抱えたままの英を置いて、雪季は食べ終えて食器を運ぼうかと立ち上がりかけ、はたと気付く。
「…そもそも、そういったことで警戒するなら、四十万さんよりお前だろ」
「ん?」
「どう考えても、お前の方が断然危険人物だ」
一拍置いて、英は盛大に吹き出した。スープをこぼしそうで危ぶんでいると、英も気付いたのか、とりあえずテーブルに置いた。しかし、笑いは止まない。
放っておいて、食器を運ぶ。今日はほぼ餃子しか食べていないので、洗い物も少ない。電気鍋も洗おうと手をのばすと、唐突に笑いを収めた英に腕をつかまれた。
「で、雪季は俺を警戒してる?」
「それなりに」
つかんでいる手を外し、電気鍋を引き上げる。背後でもう一度、笑いがはじけるのが聞こえた。楽しそうなのはいいがうるさいなと、雪季は息を吐いた。
笑い声を聞き流しながら食器を片づけていると、不意に気付いてしまった。
とりあえず水切り籠に置いて、このまま忘れたふりをしたいと逃げる気持ちを押さえつけて、テーブルに戻る。ようやくスープ餃子に手を付けた英が、顔を上げる。
「その…昨日は、悪かった。あと…ありがとう」
「……えー、と。…え?」
「勝手に職場放棄したことと。その後、俺に非難が向かないようにしてくれただろ。昨日と今日と降りて来なかったのも…全部、そのためだったんだろ。李さんのケーキにしても、別にバームクーヘンでも問題なかっただろうし」
英にいろいろと前科があるだけに、切られるのではないかとむしろ心配された。昨日の件に限っては、どう考えても非があるのは雪季の方で、英に問題があったわけではないというのに、みんな雪季に同情的だった。
それが、雪季を引き止めるための英の手管だったとしても、ありがたかったのは確かだ。
ありがとう、と頭を下げる。気恥ずかしいような据わりの悪さはあるが、それらの配慮に気付いているのにせめて言葉だけでも礼を言わないのは、それはそれで居心地が悪い。
沈黙が長く、どうしたのだろうと顔を上げると、珍しく英がぽかんとしていた。
「…雪季がデレた」
「でれた?」
「呑もう、雪季」
「いや…だから飲みすぎだろお前」
最後の赤ワインも飲み干されている。英はあまり合間に水を飲みたがらないので、酔いが回るのは早い方ではないのだろうか。アルコールの分解に水は必須で、明日は仕事なのだが。
「あと一杯。一杯だけ」
「…何飲む」
「雪季と同じので」
そう言って、今度こそスープ餃子を食べ始める。冷め切ってはいないだろうが、ぬるくはなっているだろう。
雪季は、ざっと今飲める酒の種類を思い浮かべた。ブランデーもウイスキーも数種類、梅酒やカリン酒、桂花陳酒に紹興酒、日本酒も様々に、ワインは赤も白も、ロゼやスパークリングもあったはずだ。缶ビールも何種類か、冷蔵庫で冷えている。
…改めて、酒が多すぎるだろうこの家、と、雪季は額を押さえた。居酒屋かバーでもやるつもりなのか。
「甘いのでいいか」
「うん」
カルーアがそろそろ飲み終わるくらいの量だったのを思い出して、氷と牛乳を出す。
ウォッカもあるからブラック・ルシアンでもいいが、あまり飲んでいない雪季はともかくワインをボトルで空けた英に強い酒を出すのはやめた方がいいかと諦める。
瓶を空にして、英の方は少し牛乳を大目に配分しておく。
「コーヒー牛乳?」
「カルーアミルク」
「あー。もしかしたら飲んだことないかも。女の子が飲んでるイメージ」
それでは、瓶の口が切られていたのは他の誰かが呑みかけで放置していたのだろう。雪季が前に飲んでもなんともなかったから、妙なものが混入されていることはないはずだが。
一口飲んで、甘いと笑う。楽しそうだなと思いながら、雪季は、確かにコーヒー牛乳に似たカルーアミルクに口をつける。
ほんの半年前ですら、こんな状況を想像すらしていなかった。そして、半年後のことさえ想像がつかない。こんな風にのんびりと英と酒を酌み交わしているのか、どこかで一人暮らしに戻っているのか。
今こうやって友人同士のように過ごしていたところで、先のことなどわからない。
「雪季。雪季ってば」
「…なんだ」
「眉間にしわ。なんで酒呑みながらそんな険しい顔してんの」
「地顔だ。ほっとけ」
「うそだー」
こうやってけらけらと笑うところだけ見ていると、ごく普通の気のいい青年のようなのに、と雪季は思う。
雪季は、今の生活を楽しんでいる自覚があった。だからこそ、それほど長くは続かないだろうとの予想は忘れてはならない。例えば、雪季が英を友人と呼べば、それで満足するのかもしれない。満足して、興味をなくせば、そこで終わるだろう。
それなら早く試せばいいと思いつつもそうできないのは、今の生活を失うのを厭だと思ってしまうことと、そうしてもこのままよくわからない執着が続いた場合は更に悪化するのではないかとの危惧と、どちらが大きいのか。
よくわからないまま、雪季はグラスを傾ける。からんと、氷が鳴った。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる