回りくどい帰結

来条恵夢

文字の大きさ
50 / 130
風邪

2

しおりを挟む
「…おい?」

 顔を近付けると、軽い寝息が聞こえた。スープは空になっていて、最終的におにぎりは三つが消えている。
 電池が切れたようで、食べかけのおにぎりをつかんだまま眠っていたりしないだけ、子どもよりはましかもしれないと思う。
 やはりまだ、本調子からは程遠いのだろう。はかない望みではあるが、もしも覚えていなければ中止の連絡を入れようと決める。
 ひっくり返すと危ないので、机の上を片付けてからアキラの肩をたたく。いつもなら放置するが、今はせっかく熱が下がってきているのに悪化しかねない。

河東カトウ。河東、起きろ。薬、飲めるか?」

 ぼんやりと眼を開いたところで薬の袋を振る。
 眠ると胃も動きを止めそうだから、果たして飲ませても効果があるものかと迷うが、処方された薬は飲み切った方がいいと言うしそれを言うなら食べてすぐに寝るのも問題なのだから、本人が嫌がらなければ飲ませよう。
 今にもまぶたを落としそうな英は、うめき声に似た音を出しながら、ソファーに倒れていた体を立て直す。

「のむ。おにぎり、おいといて。あとで食べたくなるかも」

 とりあえず一回分の薬と白湯さゆを渡し、盆を出してストロー付きの蓋のあるマグカップに麦茶を入れて、ラップをかけたおにぎりとペットボトルのスポーツ飲料とを乗せた。
 それを一旦テーブルに置いて、英が薬を飲み終えるのを待って、肩を貸す。身長差があるのでなかつえ代わりだが、支えがないよりは歩きが安定する。
 やはりまだ体は熱っぽいようだが、風呂場でひっくり返っていた時よりはましなような気はする。

 ゆっくりの歩みに合わせていると、この家は広いなと思う。
 豪邸と言うほどではないが、この場所にこの規模の一軒家というのは、一体いくらかかったのだろうと考えて、そういえばそんな話をしたこともなかったなと今更に気付く。
 この家に引っ越してから何かと英と話していたような気がするが、一体何を話したのかと思い返しても一部を除いてろくに内容が思い出せない。ほとんどが、他愛もない雑談だったのだろう。
 英はよく喋るので黙っているといくらか不安になってしまい、雪季セッキはそんな自分に苦笑する。慣れというのは恐ろしい。

「せっき」
「なんだ?」
「…おこった?」
「…どれに」

 携帯端末を奪って勝手に電話をかけたことなのか、その前のだまちなのか、わざわざ裏社会と関わりを持とうとしていることなのか。まさか、インフルエンザにかかったことではないと思うが。
 布団に収まった英はうるんだ眼で雪季をとらえ、どこか不思議そうに見つめた。

「おこってないなら、いい」

 熱をはかるとさっきよりは少し上がっているが、誤差程度のものだ。意識が混濁こんだくするほどの高熱は越えたはずだが、いつも以上に言葉が怪しい。
 深く考えるだけ無駄のように思えて、盆に乗せた一式を持ってこようかと立ち上がりかけたところで、ズボンのすそをつかまれていることに気付く。気付かず、こけなくて良かった。そのまま、見下ろす。

「なんだ」
「…いっちゃヤダ」
「………すぐ戻る」

 ぐずる子どもの相手をする人たちは、日々こんなややこしい対応を迫られているのだろうか、と雪季は多少の尊敬の念を抱く。ただ、その相手は飽くまで「子ども」で、「同級生」ではないはずで。
 裾から指を引きはがしながら、どうにか溜息を呑み込んだ。
 いつも以上に本気か冗談かが読みづらく、面倒くさい。妙に素直なので、無下むげにするとこちらが悪いような気分になるところが厄介だ。
 用意しておいた盆をつかみ、そこにプリンも二つ足して、溜息を置き去りにして英を寝かせている部屋に戻る。
 この間に眠っていればいいのに、という雪季の淡い期待は裏切られ、英が恨めし気な視線を寄越した。無視して、布団から少し離れた手の届くあたりに盆を置く。雪季自身は、プリンを一つ取って回り込んで腰を落とす。

「インフルかかってるときくらいやさしくしてくれてもバチはあたらないとおもうんだけどー」
「…お前に熱がなければ、とっくに部屋に戻ってる」
「ていうかこれ、せっきもうつるんじゃ?」
「その時は諦める。薬飲んで何か食べて寝てれば治るから、放って置いてくれると助かる」

 山本から見舞いには行けないけど、と渡されたカスタードプリン。わざわざケーキ屋まで買いに行ってくれたらしい。蓋を開けて、艶やかな卵色にスプンを差し込む。どこか懐かしい味だ。

「ねこんだときって、ひとこいしくなるっていうけど?」
「一般論と経験論、どっちだ」

 プリンの入っていた箱には店名も何もなかったが、どこの店なのか訊いておこう、と雪季は思った。
 特別美味しいというわけではないが、定番で、それだけにまた食べたくなるような気がする。そこまで考えてから、結愛の作るプリンに似た味なのだと気付く。
 そこで、返事がないことをいぶかしく思って目を向けると、布団の中でもがいていた。

「…何をしてるんだ?」
「おれも食べる。プリン」
「自力で体も起こせないくらいなら、もう大人しく眠った方がいい気がするんだが」
「おれのぶんももって来といて、そういうこというか?」

 しっかりと、盆の上にプリンが二個あったことに気付いていたらしい。
 一旦プリンの容器を置いて、手を貸す。しかし、上体を起こしたところで背もたれに使えそうなものがないことに気付く。枕では高さが足りないし、普段は使っていない部屋なので座椅子やクッションといったものも置かれていない。
 だが、何か探して来ようかと声をかける前に、英が指示を出した。

「…何だこの状況」

 従っておいて何だが、つぶやきくらいはこぼれ落ちる。
 何故か雪季は、英と背中合わせに座ってプリンを食べることになった。それなりに体重を預けられているので、体格差のせいで押し負けて背中が重い。
 それでも、英が上機嫌なのは感じられるので諦めることにした。伝わる体温はやはり少し高めなので、体温計が壊れているわけではないだろう。

「…あんまりあじがわからない…ていうかたまごのあじがつよい」
「それはそれで味がわかっている気がするが。とりあえず、栄養補給できればいいだろ。ちゃんと味わいたければ、体調が回復してから買って来い」

 そういえば言いそびれていたと、山本からの見舞い品だとげる。
 ちなみに、ゼリーの半分は三浦からで残り半分は雪季がスーパーで買って来た。葉月ハヅキからは栄養ドリンクで、四十万シジマからは水ようかん。
 笹倉からは、どうせ熱が引いたら呑むでしょ、と一升瓶を渡された。さすが飲み友達と言うべきか、英の部下が務まるだけあると言うべきか。

「あー…なつにしんかんが出るならかんびょうネタかー…」

 不穏な気がして、聞き流す。更に続きそうなので、急いで別の話題を探す。

「気になってたんだが」
「んー?」
「社員にお前の信奉者がいないのは、わざとか」
「しんぽうしゃ」

 繰り返しただけの言葉は、不思議がるようにも笑いをこらえるようにも聞こえた。
 食べ終えた容器をとりあえず足元に置いて、軽く膝を抱える。学生時代の体育の時間を思い出して、なんとなく不思議な気分になる。

「あそこまでお前のことを読み間違えないのばかり、偶然は集まらないだろ」

 英について回っているとよくわかるが、とにかく外面がいいせいか、やたらと英の歓心を買おうとするような者もいる。困っているところを手助けされて、まるで物語の中のヒーローのように思っている者も。
 社員たちは、一応は英を敬って慕いながらも、そういったところで騙されてはいない。

「べつにおれがえらんだわけじゃなくて。のこったのがひつぜんてきにそれっていうか」
「従順なので揃えようとは思わなかったのか」
「んーそれはそれでいくらでもいるし。どうでもいいかな」
「…訊いておいて何だが、大分ろくでもないな」
「えーひどいなー」

 そうはいってもいくらでも懐柔なり調整なりはできたのだろうから、それだけの手間をかけるつもりもないほどに関心がないのか、やはり選んでそういった人を残したのか。
 ぼんやりとしていたら、爆弾が投げ込まれた。

「なんでにほんはどうせいこんがみとめられてないかなー」
「…あ゛?」
「うごかないでたおれるこける」

 思わず振り向きかけたところを言葉で制される。あらかじめわかっていたのではないかという素早さで。
 プリンをこぼされても困るのでとりあえず前に向き直るが、自然と頭を抱えていた。声がこもる。

「今何かばかげたことを言わなかったか。熱が上がったなら寝ろ」
「けっこんってかたちがどれだけのきょうせいりょくをもつかはびみょーなとこだけど。いっていのこうそくりょくはある。せっきがおんなだったら、どんなてをつかってでもこんいんとどけにはんこおさせたなとおもって」
「…本気で望んでいる人たちには悪いが、認められてなくて良かったと心底思うし男で良かったとこれほど思ったことはない」
「なんで」
「待て。そういうのじゃないって言ってなかったか」

 布団を洗う羽目になってもいいから移動しようかと思い始める。背中の熱がちょっと怖い。
 言っていることは結愛ユアとそう変わらないはずなのに、ひどく物騒な気がするのは何故だろう。こちらの意思をきれいに無視しているせいなのか。
 返る声は、淡々としていた。

「そういうのじゃないけど。せっきがやさしいのはおれだからじゃないんだろ。いつだっておれをおいて行ける」
「…さんの話か? そもそも誘われることがないだろうし万が一あっても不相応な話に乗るつもりはないぞ」

 スカウト話を疑っているのは英だけだ。それ以前に、今のところ仕事も住居も英に寄りかかっている状態なので、英から要らないと言われるならともかく、何故雪季が見切りをつけるという発想になっているのか。
 とりあえず、養子縁組を思いつかないことを祈る。何に対してかはよくわからないが。

「そんなこと言ったって。わかんないだろ。…せっきは、あのときおれがどれだけたいくつでつまんなくて…きっとせっきとはなしたらおもしろいだろうとおもってたけど。いないだけでこんなにたいくつになるなんておもわなかった」

 身勝手なことを言い立てる。どうしてここまで執着されるのかが雪季にはさっぱりわからない。傍から見ていれば、充分に人生を謳歌しているだろうに。
 片手で英の背を支え、体の向きを変える。覗き込むと、プリンの容器は空になっていた。あいている方の手で取り上げる。

「高熱で考え事をしたところで、堂々巡りになるだけだぞ」
「…せっきはずるい」

 何に対してなのか、訊いても答えてはくれないだろうなと雪季は思う。そのずるさは、きっと、お互い様だ。そして、それぞれよくわかってもいないのだろうとも思う。その曖昧さに乗じている。
 ゆっくりと、布団に寝かせる。

「リビングにいるから、何かあれば呼んでくれ」
「せっき」

 熱で潤み、眠気が下りて来ているのかとろんとした眼が見上げる。

「あした。でかけるまえにおれもおこして。おきたときにせっきがいないほうがなんかやだ」
「…わかった」
「ぜったいだからな」
「わかったって言っただろ」

 豆電球を残して電気を消して、戸は開けたまま部屋を後にする。リビングの片隅に折りたたんでいた毛布を取り上げて、ソファーに乗せた。こちらの電気も、豆電球だけにする。
 プリンの容器を回収し忘れたことに気付いたが、戻って会話が再開しても面倒だ。
 まだ眠るには早いような気はしつつも、雪季はソファーに寝転ねころんだ。手探てさぐりで毛布を取る。そのまま、腕を顔まで引き上げる。
 今のところ体調に不具合は感じないが、いくらか不安にはなっている。英と、ワクチンを打った時期は同じなのだから雪季もかかっておかしくはない。

「…面倒くさいな」

 呟いて、雪季は目を閉じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...