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邂逅
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「お帰りなさい、ユキちゃん」
満面の笑みで出迎えられ、雪季は言葉に詰まった。昨日まで一月ほど海外にいて、だからその言葉だというのはわかるが、それでも。
「…ただいま」
これでは、結愛の家に住んでいてそこに帰って来たようで。どこか落ち着かないが、おそらく結愛は、そんなことには気付いていない。
待ちきれない子どものように雪季の腕を引っ張って、部屋の中へと誘う。あまりに無邪気で、雪季はひっそりとため息を落とした。
とりあえず、土産を渡して両手を埋めて、靴を脱ぐ。
「仕事、大丈夫か?」
「さっき原稿送った! 頑張った!」
「…さっきって、アシスタントの人たちは?」
アシスタントも編集者も、雪季があまり顔を合わせたくないのを知っているから、結愛は会うときは大体被らないようにしてくれている。
案外大雑把なのでそれでも何度か掠めるように顔を合わせたことはあるが、今は、それらしき靴は見当たらない。
結愛は、何故か得意気に胸を張った。
「ユキちゃん凄いよ、私たち未来を生きてるよ。SFの世界に到達してたんだね」
「…悪い。よくわからない、どういう意味だ?」
いつものようにローテーブルの前に腰を落とし、妙に浮かれている結愛を見据える。
ハイテンションなのは、原稿を上げたばかりで、もしかすると徹夜明けなのかもしれない。そうとなれば、昼時は過ぎているが、食事はちゃんと摂ったのかも気になるところだ。
対面で身を乗り出した結愛は、手元にノートパソコンを引き寄せ、開いて見せた。
「デジタル入稿! アシさんも、自宅で作業してくれて。凄いよね、世の中進んでるよ」
「へえ…。じゃあもう、全部パソコンで? 紙には描かないのか?」
「…えーと。それは」
何故か、それまできらきらと輝いていた眼が逸らされる。何気なく目をやると、結愛の後方の作業机には、依然として紙の束が積み重ねられていた。
やがて、結愛は観念したように深々と息を吐いた。今から懺悔でもしそうな気配がある。
「ええとその、実は…私はあんまり進化してません…」
「進化」
「基本的に、私は今までと同じ感じで書いて、スキャナで取り込んで、データの補正とか補修とかしてもらって、背景とかトーンとかベタの処理をしてもらって、っていう…未来人はアシさんたちで結局私はあんまり変わってないっていうかむしろ手間かけさせちゃってるような感じで…ちょっとはいじれるけど全然っていうか」
「それで回るなら、真柴が気にすることはないんじゃないか? 技術が増えても、必要な人が使えればそれでいいだろ」
「うー…でもなんだか、魔法使いを搾取する悪徳役人になったみたいで」
「どんな例えだ」
パソコンのモニタに完成したばかりだろう原稿が表示されているので、数頁めくってみる。ウェブ連載の連作読み切り作品だろう。読みふけると話が逸れるので、なるべく内容は読まずに、絵の感じだけを目に留める。
それほど今までとの違いが感じられないのは、データ化をしている人の腕がいいのだろうか。
雪季は漫画の描き方自体にそれほど詳しいわけではないが、ペン入れや消しゴムかけに相当する部分になるのだろうかと考える。いや、ペン入れは結構結愛がやっていると言っていた気がするから、そういうものでもないのだろうか。
時間のある時にでも少し調べてみようかと思いつつ、モニタから結愛へと視線を移す。
「今までだって手を借りてたんだから、少し形が変わっただけのことだろ。そんなに気にしなくていいんじゃないのか?」
「…うん。そうだね。でも少しずつスキルアップは頑張る。私も魔法使いになりたい」
最後だけ抜き取ればとんでもなく夢見がちな言葉だと思うが、結愛が真面目に口にした言葉だということはわかるので、茶化す気にはならない。
あまりにも真っ当なひたむきさに目を細めていたら、はっとしたように、結愛が雪季を見た。
「ごめん、私のことはどうでもよくて、お帰りなさい。楽しかった?」
「色々と面白かったけど、真柴のそういう話もちゃんと面白い」
「…ユキちゃんは私を甘やかしすぎだと思う…」
「そういえば、昼ご飯ちゃんと食べたか?」
「う」
言葉に詰まった時点で、回答している。
雪季は使い慣れた台所に移動して、ざっと食材を確認する。冷蔵庫の隅でネギが干からびていたり、ニンジンが水分を失っていたり、玉ねぎが乾いていたりする。これも、見慣れた光景だ。
それらを引っ張り出して刻み、冷凍庫で霜の下りているご飯をレンジに放り込み、卵を出して、小型の土鍋に水を張って火にかけ、各種調味料を引っ張り出す。
「家主よりお客さんの方が台所に溶け込んでる…」
「ちゃんと食べてたか? 誰も来ないからって食べずに済ませてないだろうな」
「ユキちゃんはお土産話をしに来ただけで私のお母さんをしに来たわけじゃないはずなのに…」
「真柴。鍋敷きと食器と飲み物出しておいてくれるか?」
「…はーい」
邪魔、と言外に告げて、狭い場所でどうにか手元を覗き込もうとしたり手を伸ばそうとしてくる結愛を追いやる。これが英なら遠慮なく蹴り出すところだが、結愛にそんな手荒さは必要もない。
刻んだ野菜やキノコをラップをかけてレンジで加熱して、土鍋の麺つゆベースで整えただし汁に投入。先ほど解凍したご飯も入れて、軽く沸き立った頃合いで水溶き片栗粉を少し回し入れ、溶き卵を流して蓋をする。ふわりと漂うだしの匂いが、なんとも平和だ。
満面の笑みで出迎えられ、雪季は言葉に詰まった。昨日まで一月ほど海外にいて、だからその言葉だというのはわかるが、それでも。
「…ただいま」
これでは、結愛の家に住んでいてそこに帰って来たようで。どこか落ち着かないが、おそらく結愛は、そんなことには気付いていない。
待ちきれない子どものように雪季の腕を引っ張って、部屋の中へと誘う。あまりに無邪気で、雪季はひっそりとため息を落とした。
とりあえず、土産を渡して両手を埋めて、靴を脱ぐ。
「仕事、大丈夫か?」
「さっき原稿送った! 頑張った!」
「…さっきって、アシスタントの人たちは?」
アシスタントも編集者も、雪季があまり顔を合わせたくないのを知っているから、結愛は会うときは大体被らないようにしてくれている。
案外大雑把なのでそれでも何度か掠めるように顔を合わせたことはあるが、今は、それらしき靴は見当たらない。
結愛は、何故か得意気に胸を張った。
「ユキちゃん凄いよ、私たち未来を生きてるよ。SFの世界に到達してたんだね」
「…悪い。よくわからない、どういう意味だ?」
いつものようにローテーブルの前に腰を落とし、妙に浮かれている結愛を見据える。
ハイテンションなのは、原稿を上げたばかりで、もしかすると徹夜明けなのかもしれない。そうとなれば、昼時は過ぎているが、食事はちゃんと摂ったのかも気になるところだ。
対面で身を乗り出した結愛は、手元にノートパソコンを引き寄せ、開いて見せた。
「デジタル入稿! アシさんも、自宅で作業してくれて。凄いよね、世の中進んでるよ」
「へえ…。じゃあもう、全部パソコンで? 紙には描かないのか?」
「…えーと。それは」
何故か、それまできらきらと輝いていた眼が逸らされる。何気なく目をやると、結愛の後方の作業机には、依然として紙の束が積み重ねられていた。
やがて、結愛は観念したように深々と息を吐いた。今から懺悔でもしそうな気配がある。
「ええとその、実は…私はあんまり進化してません…」
「進化」
「基本的に、私は今までと同じ感じで書いて、スキャナで取り込んで、データの補正とか補修とかしてもらって、背景とかトーンとかベタの処理をしてもらって、っていう…未来人はアシさんたちで結局私はあんまり変わってないっていうかむしろ手間かけさせちゃってるような感じで…ちょっとはいじれるけど全然っていうか」
「それで回るなら、真柴が気にすることはないんじゃないか? 技術が増えても、必要な人が使えればそれでいいだろ」
「うー…でもなんだか、魔法使いを搾取する悪徳役人になったみたいで」
「どんな例えだ」
パソコンのモニタに完成したばかりだろう原稿が表示されているので、数頁めくってみる。ウェブ連載の連作読み切り作品だろう。読みふけると話が逸れるので、なるべく内容は読まずに、絵の感じだけを目に留める。
それほど今までとの違いが感じられないのは、データ化をしている人の腕がいいのだろうか。
雪季は漫画の描き方自体にそれほど詳しいわけではないが、ペン入れや消しゴムかけに相当する部分になるのだろうかと考える。いや、ペン入れは結構結愛がやっていると言っていた気がするから、そういうものでもないのだろうか。
時間のある時にでも少し調べてみようかと思いつつ、モニタから結愛へと視線を移す。
「今までだって手を借りてたんだから、少し形が変わっただけのことだろ。そんなに気にしなくていいんじゃないのか?」
「…うん。そうだね。でも少しずつスキルアップは頑張る。私も魔法使いになりたい」
最後だけ抜き取ればとんでもなく夢見がちな言葉だと思うが、結愛が真面目に口にした言葉だということはわかるので、茶化す気にはならない。
あまりにも真っ当なひたむきさに目を細めていたら、はっとしたように、結愛が雪季を見た。
「ごめん、私のことはどうでもよくて、お帰りなさい。楽しかった?」
「色々と面白かったけど、真柴のそういう話もちゃんと面白い」
「…ユキちゃんは私を甘やかしすぎだと思う…」
「そういえば、昼ご飯ちゃんと食べたか?」
「う」
言葉に詰まった時点で、回答している。
雪季は使い慣れた台所に移動して、ざっと食材を確認する。冷蔵庫の隅でネギが干からびていたり、ニンジンが水分を失っていたり、玉ねぎが乾いていたりする。これも、見慣れた光景だ。
それらを引っ張り出して刻み、冷凍庫で霜の下りているご飯をレンジに放り込み、卵を出して、小型の土鍋に水を張って火にかけ、各種調味料を引っ張り出す。
「家主よりお客さんの方が台所に溶け込んでる…」
「ちゃんと食べてたか? 誰も来ないからって食べずに済ませてないだろうな」
「ユキちゃんはお土産話をしに来ただけで私のお母さんをしに来たわけじゃないはずなのに…」
「真柴。鍋敷きと食器と飲み物出しておいてくれるか?」
「…はーい」
邪魔、と言外に告げて、狭い場所でどうにか手元を覗き込もうとしたり手を伸ばそうとしてくる結愛を追いやる。これが英なら遠慮なく蹴り出すところだが、結愛にそんな手荒さは必要もない。
刻んだ野菜やキノコをラップをかけてレンジで加熱して、土鍋の麺つゆベースで整えただし汁に投入。先ほど解凍したご飯も入れて、軽く沸き立った頃合いで水溶き片栗粉を少し回し入れ、溶き卵を流して蓋をする。ふわりと漂うだしの匂いが、なんとも平和だ。
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