回りくどい帰結

来条恵夢

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邂逅

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 土鍋を持ってローテーブルに戻ると、結愛ユアが、落ち着きなく待ち構えていた。やはりどこか、小動物じみていて微笑ほほえましい。

「…どうして正座?」
「感謝と申し訳なさを少しでも…!」
「受け取ったから、しびれる前に崩した方が」

 素直に頷いて、正座がかれた。代わりのように、そわそわと視線が鍋と雪季セッキを往復する。汁椀と箸が二組、ちゃんと置かれていた。何を作っているかの見当はついていたのだろう。
 考えてみれば、結愛が一人暮らしを始めてから何度も、あまり接点を持たないようにしようと思っていた時ですら、雪季はご飯作りを口実に結愛に会いに来ていた。

「…ユキちゃん?」

 何を察したのか、不意に、結愛が問いかけるような声を上げる。
 突然に、雪季の中に実感が落ちてきた。結愛に、どれだけ救われてきたのか。わかっていたつもりで、これほどにしみじみとした実感が、何故このタイミングで来たのかはわからないまま、雪季はくずおれないように座り込んだ。

「ユキちゃん? どうかした? 帰って来たばっかりでご飯作らせて、疲れちゃった?」

 気づけば、心配そうにした結愛が、熱でもはかろうとしたのか雪季の額に手を当てていた。目を覗き込むように、顔を近付けている。雪季には、躊躇いなく伸ばされる手を、受け取る資格もないのに。

「そろそろいいだろう、食べよう。…大丈夫、何ともないから」

 雪季はふと、こんなにも中途半端だったからこそ、師は自分に見切りをつけたのだろうかと思った。
 人を殺すことが、好きだったわけではない。達成感はあったが、それに溺れていたわけでもない。仕込みのためだけでもなくバイトを渡り歩き、結愛との付き合いも絶たず、まるで「表」の生活に未練があるかのように、「裏」だけにはいられなかった。
 そもそも、雪季はあちらに足を突っ込む必要はなかった。
 親を亡くして頼れる親類もおらず、施設には入ったがひどい環境というほどもなく、両親は無理心中として処理されたが、受取人には雪季も指定されていたためにいくらかの保険金とそもそもの貯金や家財などは遺された。
 きっと雪季は何ら問題なく生きられたし、生きていくべきだったのだろう。中途半端にあちらにいることを、本当は厄介がられていたのかもしれない。

「ユキちゃん。おいしいよ、ありがとう」
「…ありがとう」
「いつもおいしいご飯作ってもらって、色々とお世話になっちゃって、ありがとうはこっちの方だよ。私にできることがあったらなんでも言ってね」

 今以上に? と、口を突いて出そうになったが、言ったところで結愛は首を傾げるだけだろう。きっと雪季も、これまでに結愛からもらったものを、他の立ち位置では理解することはできないだろうから。

「まあどう考えても、私よりもユキちゃんができることの方が多いんだけど。プリンくらいならいつでも作るし、愚痴だっていくらでも聞くよ」
「…真柴はネタにしそうだな。漫画の」
「そ…んなことしないとは断言できない…」

 あからさまに目を逸らし、そうして、一度、結愛は箸を置いた。雪季が一瞬怯んだくらいに真っすぐに、眼を向ける。

「私はきっと、世界を、物語をつくることをやめられない。今はこうやって漫画でご飯食べられて、すごくありがたいことだけどきっと、誰に見向きされなくっても、発表する場所さえなくても、つくることはやめないんだと思う。漫画家クビになったって他の仕事しながら描くだろうし、絵が描けなくなったって頭の中で描くことは続けるよきっと。…だからね。ユキちゃんは、私がこれを大切にしてることを知ってるから、仕事大丈夫なのかって真っ先に訊いてくれるけど、そのことはすごく嬉しいけど、ユキちゃんのこともすごく大事だよ」
「…どうして、漫画のネタにされそうなことからそんな壮大な告白に」
「壮大って。だって。なんかユキちゃん、ちゃんと言っとかないと勝手にどっか行って無茶しそうなんだもん。河東カトウ君のところで働き出して少し感じ変わったけど、少し前まではこうやって言っちゃったらそれだけで私のとこにはもう来なくなっちゃうみたいな、そんなことあったよ。それも、私のためにいない方がいいとかの理由で」
「…まさか」
「本気で言ってるなら自覚ないだけ」

 何故かやや怒っている風に断言して、結愛は箸を持ち直した。とりあえず一段落ついたらしいと、雪季も茶碗に手を伸ばす。少し冷めただろうか。
 そうして、結局のところ漫画の創作と並べて大切だと言われたことに苦笑する。それが息をするようなレベルで生活と同一化している結愛にとっては、最大の好意だろう。そのことが嬉しく、心苦しくもある。

真柴マシバ。…ありがとう」
「こちらこそ」

 眼が合って、互いに笑み崩れる。
 奇跡のようにはかなくて、あたたかくて、本当にこんなものを受け取っていいのだろうかと雪季は思う。そして、だからこそ手放せないのだと思い知る。
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