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短編
夜の電車
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今日も、がらんとした電車に乗り込んだ。
酔っ払った私同様にくたびれた勤め人たちを乗せた、動く箱。これが、朝や数時間前にはすし詰め状態というのだから、冗談のような話だ。
「すみません、ここいいですかな」
一瞬、何のことかわからず、声をかけてきた男の子をまじまじと見てしまった。何故か着流し姿の、美青年。
四人がけのボックス席で、相席のことだと気付くまでに時間がかかったのは、疲れと思わぬ美形への驚きとの相乗効果に違いない。そもそも、相席を断る人自体が少ない。
他も空いているだろうにと思ったのは肯いた後で、礼を言って向かいに座った青年が子どもをつれていることに気付き、疑問は霧散した。二人揃っての空席は、ここか、通路を挟んだ隣くらいのものだ。こういうとき、二人ずつの座席は不便だ。
子どもは小学校の低学年くらいの男の子で、まさか親子ではないだろうから、少し年の離れた兄弟だろうか。
「お仕事の帰りですか?」
「ええ」
意外にも声をかけられ、眠りたいんだけどなと思う反面、興味も惹かれたので、愛想よくとはいわないまでも、返事をする。
これが、似合わないのに髪を伸ばして勘違いしたような奴だったら無視だな、と思うと、現金だと我がことながら苦笑する。珍しい着流しも、似合うならいいじゃない、と。見た目というのは偉大だ。
「そちらは? 役者さんとかかしら」
「ああ。やはり目立ちますか、普段着なのですが」
「それじゃあ、学生さんかしら」
自由気ままな格好でこの年齢なら、と思って訊くと、曖昧な返事だった。フリーターか何かだろうか。
ふと気付くと、子どもがじっと私を見ていた。何だろう、今まで子どもに好かれたためしはない。
子どもは、嫌いではないが、苦手だ。
子ども扱いが嫌いでできないのだが、そうなると、どう対応すればいいのかがさっぱりわからない。自分の子どもがいれば、別だっただろうか。
別れた旦那はその逆で、自然体のまま子どもと付き合うのが得意な人だった。玩具会社のデザイナーよりも、保父や小学校の先生の方が向いているのではないかと思ったほどだ。
「大変ですな、こんな時間まで」
「ええ。だけど半分、好きでやっているようなものだから」
当たり障りのないことを言われて、少年から意識を逸らす。見ていて、話しかけられても困るだけだ。
それにしても、最近の子どもはこんな時間まで起きていても平気なのだろうか。おまけに、今日は平日のはずだけど。
「シゴトがすきだから…ぼくをすてたの?」
「え?」
まだ声変わりには早い、高い声。少年は、じっと私を見た。
自己主張の乏しい顔立ちで、目だけはパッチリとしている。髪はねこっ毛で、女の子に見えないこともないくらいのショートカット。
まさか。
「……悠人……?」
「ぼくなんて、いらないとおもったの?」
ちゃんとした会話ができるほどには成長していなかった。顔も、違うと言われれば自信はない。でも、もしかして本当に。この子は…私の、子どもなのだろうか。
何故。
「本当に……悠人、なの…?」
「そうだよ。お母さん」
見つめる瞳を、知っている。
「でも…だって、悠人は、あの子は…!」
死んだ。
仕事と子育ての両立に疲れて、目を離した隙に。そのことで、あの人とも別れた。無理やり、あの人の実家に逆らってまで結婚したのに、それなのに。
どうしてこの子はここにいるの。
「悠人君は、あなたに捨てられたと聞かされて育てられた。いや、はじめは死んだと言われておった。まだ生きていると知って聞いたら、捨てて行ったと、言われた。それで、会いに来たんじゃよ」
「捨てた…あたしが…?」
悠人が、不安そうに私を見つめる。
私のせいだと、葬式にさえ参加させてもらえなかった。あの人ともろくに話せないまま、離縁され、一方的に縁を切られた。
では、本当に。
悠人は生きているのか。
「捨てるわけないじゃない…ずっと、ずっと…夢にだって見たわ! 生きているなら、絶対に手放さなかった!」
「お母さん」
涙で、悠人の顔も、ちゃんと見えなくなった。それでも、ぎゅっと抱きしめた体が、あたたかかった。
あったかもしれない裏切りへの憤りよりも、この子にまた会えたことが、生きていてくれることが、嬉しかった。
「お母さん、ありがとう。…ごめんね」
「え」
ふっと、姿が掻き消えた。
涙をぬぐっても、着流しの青年も、悠人も、そこにはいなかった。
見渡しても、何度見ても、見慣れた、がらんと動く鉄の箱。
「何…何なのよ…」
呆然と背もたれに寄りかかっていると、マナーモードにした携帯電話が震えた。半ば反射で取り出すと、惰性で残していたメモリから、別れた夫の名が選び出されていた。
電車の中と躊躇いながらも、長いコールの後に、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『美子か』
「何か用。悠人が死んで、縁を切ったんじゃないの」
演技でも感情でもなく、全て削ぎ落ちた私の声に、元夫は黙り込む。長い沈黙だった。その間に電車は止まり、煌々と光るホームで人を出し入れして、また闇の中に滑り出す。
『ずっと…隠してたことがある』
「何」
まさかと、胸が鳴った。
『あの時、悠人は死んでなかったんだ。でも、お前が殺しかけたと思って…隠して、俺の実家で育ててた』
息が、止まるかと思った。それなのに落ち着いた声の出る自分を、離れたところから、別の自分が呆れたように見る。
「何の冗談?」
『違う! …本当なんだ』
「じゃあ、今頃罪の意識に耐えかねたの? あの子を私に返してくれる、って?」
『今日…事故で死んだ』
今から来れないかと、病院の住所を告げる声が聞こえた。
窓の外を、真っ暗な夜が流れて行った。
酔っ払った私同様にくたびれた勤め人たちを乗せた、動く箱。これが、朝や数時間前にはすし詰め状態というのだから、冗談のような話だ。
「すみません、ここいいですかな」
一瞬、何のことかわからず、声をかけてきた男の子をまじまじと見てしまった。何故か着流し姿の、美青年。
四人がけのボックス席で、相席のことだと気付くまでに時間がかかったのは、疲れと思わぬ美形への驚きとの相乗効果に違いない。そもそも、相席を断る人自体が少ない。
他も空いているだろうにと思ったのは肯いた後で、礼を言って向かいに座った青年が子どもをつれていることに気付き、疑問は霧散した。二人揃っての空席は、ここか、通路を挟んだ隣くらいのものだ。こういうとき、二人ずつの座席は不便だ。
子どもは小学校の低学年くらいの男の子で、まさか親子ではないだろうから、少し年の離れた兄弟だろうか。
「お仕事の帰りですか?」
「ええ」
意外にも声をかけられ、眠りたいんだけどなと思う反面、興味も惹かれたので、愛想よくとはいわないまでも、返事をする。
これが、似合わないのに髪を伸ばして勘違いしたような奴だったら無視だな、と思うと、現金だと我がことながら苦笑する。珍しい着流しも、似合うならいいじゃない、と。見た目というのは偉大だ。
「そちらは? 役者さんとかかしら」
「ああ。やはり目立ちますか、普段着なのですが」
「それじゃあ、学生さんかしら」
自由気ままな格好でこの年齢なら、と思って訊くと、曖昧な返事だった。フリーターか何かだろうか。
ふと気付くと、子どもがじっと私を見ていた。何だろう、今まで子どもに好かれたためしはない。
子どもは、嫌いではないが、苦手だ。
子ども扱いが嫌いでできないのだが、そうなると、どう対応すればいいのかがさっぱりわからない。自分の子どもがいれば、別だっただろうか。
別れた旦那はその逆で、自然体のまま子どもと付き合うのが得意な人だった。玩具会社のデザイナーよりも、保父や小学校の先生の方が向いているのではないかと思ったほどだ。
「大変ですな、こんな時間まで」
「ええ。だけど半分、好きでやっているようなものだから」
当たり障りのないことを言われて、少年から意識を逸らす。見ていて、話しかけられても困るだけだ。
それにしても、最近の子どもはこんな時間まで起きていても平気なのだろうか。おまけに、今日は平日のはずだけど。
「シゴトがすきだから…ぼくをすてたの?」
「え?」
まだ声変わりには早い、高い声。少年は、じっと私を見た。
自己主張の乏しい顔立ちで、目だけはパッチリとしている。髪はねこっ毛で、女の子に見えないこともないくらいのショートカット。
まさか。
「……悠人……?」
「ぼくなんて、いらないとおもったの?」
ちゃんとした会話ができるほどには成長していなかった。顔も、違うと言われれば自信はない。でも、もしかして本当に。この子は…私の、子どもなのだろうか。
何故。
「本当に……悠人、なの…?」
「そうだよ。お母さん」
見つめる瞳を、知っている。
「でも…だって、悠人は、あの子は…!」
死んだ。
仕事と子育ての両立に疲れて、目を離した隙に。そのことで、あの人とも別れた。無理やり、あの人の実家に逆らってまで結婚したのに、それなのに。
どうしてこの子はここにいるの。
「悠人君は、あなたに捨てられたと聞かされて育てられた。いや、はじめは死んだと言われておった。まだ生きていると知って聞いたら、捨てて行ったと、言われた。それで、会いに来たんじゃよ」
「捨てた…あたしが…?」
悠人が、不安そうに私を見つめる。
私のせいだと、葬式にさえ参加させてもらえなかった。あの人ともろくに話せないまま、離縁され、一方的に縁を切られた。
では、本当に。
悠人は生きているのか。
「捨てるわけないじゃない…ずっと、ずっと…夢にだって見たわ! 生きているなら、絶対に手放さなかった!」
「お母さん」
涙で、悠人の顔も、ちゃんと見えなくなった。それでも、ぎゅっと抱きしめた体が、あたたかかった。
あったかもしれない裏切りへの憤りよりも、この子にまた会えたことが、生きていてくれることが、嬉しかった。
「お母さん、ありがとう。…ごめんね」
「え」
ふっと、姿が掻き消えた。
涙をぬぐっても、着流しの青年も、悠人も、そこにはいなかった。
見渡しても、何度見ても、見慣れた、がらんと動く鉄の箱。
「何…何なのよ…」
呆然と背もたれに寄りかかっていると、マナーモードにした携帯電話が震えた。半ば反射で取り出すと、惰性で残していたメモリから、別れた夫の名が選び出されていた。
電車の中と躊躇いながらも、長いコールの後に、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『美子か』
「何か用。悠人が死んで、縁を切ったんじゃないの」
演技でも感情でもなく、全て削ぎ落ちた私の声に、元夫は黙り込む。長い沈黙だった。その間に電車は止まり、煌々と光るホームで人を出し入れして、また闇の中に滑り出す。
『ずっと…隠してたことがある』
「何」
まさかと、胸が鳴った。
『あの時、悠人は死んでなかったんだ。でも、お前が殺しかけたと思って…隠して、俺の実家で育ててた』
息が、止まるかと思った。それなのに落ち着いた声の出る自分を、離れたところから、別の自分が呆れたように見る。
「何の冗談?」
『違う! …本当なんだ』
「じゃあ、今頃罪の意識に耐えかねたの? あの子を私に返してくれる、って?」
『今日…事故で死んだ』
今から来れないかと、病院の住所を告げる声が聞こえた。
窓の外を、真っ暗な夜が流れて行った。
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