月夜の猫屋

来条恵夢

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短編

桜の木の下

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 桜の見頃みごろは、昨日今日らしい。
 ぽつんと取り残されたかのような満開の桜の木を見て、誰かがそう言っていたことを思い出した。
「桜か。もう咲いてたのね」
 誰にともなく、呟く。
 このさびれた公園は、来る人のほとんどが近道が目的だ。それも、こんな時間になっては通る人もほとんどいない。私も、さっさと帰るつもりだったのに。部活が思いがけず長引いてしまった上に、自転車はパンク。全く、ついてない。
「花見客もいないなんて。なんだか、淋しいわね。折角綺麗に咲いて…」
 目が、あった。
 相手は、誰もが子どもとみるくらいの年頃の、子どもだった。驚いたようにこちらを見つめ、いで、ふっと笑って飛び降りた。桜の幹に、座っていたのだ。
「こんばんは」
「こんなところで何してるのよ!」
 ひとごとを聞かれた恥ずかしさから、ついつい言葉がきつくなる。これじゃあただのやつあたりじゃない、と思いながらも言ってしまった言葉は取り消せない。でも、この子はそんなことは気にしてないようだった。
「花見だよ。夜桜見物」
「花見って、どこが」
「どこがって言われても困るんだけどなあ。まあ、一般的な見方じゃなかったのは確かだけどさ」
 あくまで無邪気に言う。
「…こんな時間に一人で外にいるなんて、危ないじゃない」 
「それを言うならあなたも一緒だよ。ねえ、満開の桜の木の下には死体が埋まってるって、聞いたことある?」
「はあ?」
 なんで、そんなことを言い出すんだろう。でも。その組み合わせは、あまりにはまりすぎているように思えた。薄く色づいたの桜の花と、その下に眠る青白い死体。グロテスクではあるけど、絵になるような気がする。
「死体が埋まってるから、あんなに綺麗に咲くんだっていう話。本当の桜は、真っ白なのかもしれないね」
 くすくすと笑いながら、そんなことを言う。なんだか少し、怖くなった。
「だけど死体は…死体になった人は、きっとそんなことは望んでないんだよね。そもそも死にたくはなかっただろうし、もし死にたかったとしたら、余計に桜の栄養なんて形で生きたくはないだろうし。そう思わない?」
「何、言ってるのよ」
「それに、こんなところに埋められたら誰も見つけてくれないよ」
 淋しげな声に、思わずはっとさせられる。ところが、言った本人は笑顔を見せると、近くの石を拾って投げた。闇の向こうで、声がした。
「出てきたら? それとも逃げる?」
「誰が…?」
 私よりも大きな人影が、近付いてくる。大学生くらいに見えるその人は、至ってまともに見える。
 何? この人は、何なの? この子と何か関係があるの?
「なんだお前は、突然石を投げてきたりして」
「あ。そう来るか」
「あんた、この子の知り合い? ちゃんと注意しろよ」
「え」
「どうしてくれるんだよ、この怪我」
 よくよく見ると、額から血が出ているようだった。
「この人とあたしは初対面。関わるつもりなんてなかったんだけどさ。後ろにいかにもつけてますって人がいたんじゃ、放っとくわけにもいかないしね。まして、相手が殺すつもりじゃあね」
「何を馬鹿なことを。どこにそんな証拠があるって言うんだ」
「うわあ。犯人の常套句じょうとうくだね」
 口調は楽しげなのに、なぜか私は怒っていると思った。静かに、怒っているのだ。言っていることが本当かはわからないけど、その怒りは本物だ。よっぽど、大人よりも大人じみた怒り方をしている。
「証拠はないんだ」
「なんだと。証拠もないのに、勝手にそんなことを」
「何か起きた後じゃ遅いし。事後処理だったら、警察に任せとけばいいんだから」
「ただの妄想だ」
「だったらいいね」
 くすりと笑う。それはなんだか、闇の中の桜に異様に似合っていた。恐さを伴う、美しさ。
 男は、それに何かを触発されたらしい。暗くても、あの子を強く睨んでいるのがわかった。それこそ、殺しそうなぎらぎらした目で睨んでいる。雰囲気に呑まれてなのかもしれないけど、この人が誰かを殺したと言われても、納得できる。
「そうだとしたら、あたしはただの思い込みが激しい子どもだね。怒るのも当然だよ。でも悪いけど、怒るならここを離れてからにしてね。今喧嘩売られたら、手加減できないかも知れないから」
「…なんだと」
 子どもが言う台詞セリフじゃない。でも、それよりも驚いたのは、男がこっちに走ってくることだった。そこまでむきにならなくても。
「人の忠告は、素直に聞いた方がいいのにね」
 ポツリと呟き、男を見据える。横から覗える限り、そこにはもう何の感情も浮かんでいなかった。機械的に「離れてて」とだけ言ったけど、やっぱりその顔には何も浮かんでいない。
 男は、いつの間にかナイフを握っていた。大振りのそれを小さな動きで避けると、容赦なくお腹に蹴りをいれる。痛さに体を折った男の首筋を、手刀で叩いた。男が、倒れる。
 男を見下ろす顔は、やっぱり無表情だった。
「ごめん、恐い思いさせて。もっと別のやり方もできたのに、そうしなかった」
 長い間を置いて、その子は言った。うつむいて、泣いているような気がした。
 そんなことないと言おうとして、恐さに震えてる自分に気付いた。声なんて、出なかった。
「もっと力があれば、無駄に苦しい思いなんてさせなくて良かったのに。もっと強かったら、苦しいのは一回だけで済んだのにね」
 呟くそれは、懺悔ざんげのようだった。
 まだ、子どもなのに。どうしてこんなにつらい言葉を吐くんだろう。どうして私は、何も言えないんだろう。私には、せめて言葉をかけるくらいしか出来ないのに。
「もう、大丈夫だと思うから。悪いけど、送ってはいけないから、気をつけて帰ってね。ちゃんと、交番に連れて行くから。…ごめんね、恐い思いをさせて」
 その子は、それだけ言って去って行った。男を引きずって行く音が聞こえなくなっても、しばらくは動けなかった。

「駄目だな。やっぱりまだ、許せないや」
 少女のいなくなった公園に立ち、あきらは小さく呟いた。満開の桜の木を、見上げる。
「あたしがこの下に埋まってる事実は、消しようがないもんね」
 彰の透明な視線だけが、桜を見つめていた。 
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