月夜の猫屋

来条恵夢

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中編

第一幕2

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「いらっしゃいませ」
 二十歳くらいの、黒と白の服がよく似合った青年が、微笑み掛ける。対人恐怖症のきらいがあるゆかりは、思わずまたドアを閉めそうになった。さっき一度、そうやって逃げ出したばかりだというのに。
「いらっしゃい。どうぞ。お好きなところにお座りください」
 ゆかりよりも年下、小学生くらいに見える子が、そう言って店内を示す。青年と同じ服を着ているからには、ここの店員なのだろう。
 ――小学生が?
 だが、それで落ちつく事が出来た。近くの、古い、骨董品の部類に入りそうな椅子に座って店内を見る。
 どこから仕入れるのか見当もつかないような小物が、所狭しと並んでいる。
 勾玉まがたまや十字架はともかく、何時いつの、何処どこのものかわからないような地球儀や、写真でしか見た事のない昔の織機、その他名前も知らないものが山ほどある。値札が貼ってあるということは、まさか売り物なのだろうか。
 次に青年を見て、慌てて目をらした。ちょっとしたモデルや芸能人では太刀打ちできないだろう。ゆかりが今まで生きてきた中で、美形、という形容が唯一当てまるかもしれない。
 もう一人いた店員は、どこかへ姿を消してしまった。
 小学生くらいに見えたが、ここで働いているらしい事からすると、実はゆかりよりも年上かもしれない。男の子だろうか、女の子だろうか。年齢は措いておくとしても、外見には、子ども特有の中性さがあった。
 そこまで考えて、ゆかりは首を振った。そんな事を考えてる場合じゃない。水の入ったコップを持ってきた青年に、顔を見ないようにしながら、なんとか声を出す。
「あの……。私、その…」
「はい?」
 優しい声で、訊き返す。この人は自分の言葉を待っているんだ、と思うと、余計に焦ってしまう。
「あの、ここ、月夜の猫屋…ですよね。なんでも屋をしてるって…看板、書いてありました、よ、ね…」
 言っているうちに、自信がなくなってくる。
 本当にそうだっただろうか。見間違えたり、店そのものを間違えてはいないだろうか。いや、何度も確かめた。しかし、こんな訊き方では相手も気味悪がるのではないか。
 意を決して顔を上げるのと元気な声が飛び出すのは、ほぼ同時だった。
「はい。喫茶店兼雑貨屋及び何でも屋、『月夜の猫屋』略して『猫屋』は、世界中探してもここだけだと思います。何でも屋に御用ですか? チリ拾いから思い出探しに山狩り協力、なんでもうけたまわっております。あ。あたし、ウェイトレス兼店員及び所長の、アキラっていいます。こっちは、ウェイター兼店長及び平所員のロクダイ」
すすむです」
「以後、お見知り置きを」
 呆気にとられて見つめるゆかりの目の前で、アキラという少女が、綺麗にお辞儀をして見せた。よどみない台詞せりふと、きびきびとした動き。映画かドラマの撮影かと、そんな馬鹿なことを考えてしまう。
 頭を上げたアキラは、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。ゆかりは、やはりそれをぼうっと見ていた。
「何かご質問でも?」
「どうして…ロクダイ、さん、なんですか…?」
 言って、我に返る。咄嗟に、自分が何を言ったのか思い出せない。そもそも、アキラの言った事すべてを把握できてもいない。
 アキラは、一瞬驚いたようなかおをして、やはり笑顔になった。ロクダイと呼ばれ、征と名乗った青年も、微笑を浮かべている。
「それは、どうしてロクダイが自分で名乗った名前と違うのか、ということ?」
渾名あだなですよ」
 ゆかりが頷いたか頷かないかのうちに、ロクダイが言った。
 優しい、微笑を含んだ声だ。二十歳くらいにしか見えないのに、もっと長い間生きているかのような。祖父の声に似ていると、ゆかりは何故か思った。
「今となっては、誰も本名で呼んでくれませんがね。ちゃんと覚えているかも怪しい」
「うん。忘れてた」
 間を置かず、あっさりと言い放つ。
 そんなやり取りが面白くて、ゆかりは少し笑った。その一方で、おかしなお店だとも思う。店内の装飾もだが、店員が。
 だが、厭ではない。
「はい、そこまで」
 そう言って、高校生くらいの青年が、片手にティーカップと湯気の上がるポットの載ったお盆、片手に飴色に光るパイを載せたお盆を載せて、アキラとロクダイの間に割って入った。いで、お盆を丁寧にゆかりのいるテーブルに載せる。
 美形とまでは言わないが十分にもてそうな青年は、ゆかりに人懐っこい笑顔を向けた。フリル付きエプロンをつけたままだが、ゆかりにはあまり気にならなかった。色々とあって、感覚が麻痺しているのかもしれない。それ以前に、似合っている。
「いらっしゃい。甘いものは平気?」
「……え? あ、えっ、は、はい」
「それじゃあ、試作品だけどお茶うけに」
 丸いパイが切り分けられて、湯気を立てる。中身は、全体的にオレンジ色をしていた。
 不意に、アキラが慌てたように声をあげる。
「セイギ、それって…」
「長い話になるんだからさ。折角できたてなんだし。ちゃんと二人の分もあるって」
「そういう問題じゃないんだけどなあ…」
 深深と溜息をつき、アキラがゆかりの向かいの椅子に座る。パイをそれぞれのお皿に載せて並べたセイギは、続いて紅茶をそそぎ始めた。
 それを、ゆかりはやはり呆然と見ていた。これは、自分の常識が通用しないというよりは、世間一般の常識から外れているのではないだろうか。
 選択を間違えた気がするが、少なくとも悪い人たちには見えないから、取り敢えずはこのままでもいいだろう。
「あ。そうだ。これはセイギ。コック兼店員及び平所員だよ。本名は…何だった?」
正義まさよし! 勝手に渾名あだなつけて、定着させるなよな。自分は変な渾名なんてないくせに」
「だって、そっちの方が呼びやすいんだもん。渾名だってことは覚えてたんだから、まだいいでしょ。それに、文句言うならセイギもあたしに渾名つければいいじゃない」
「お前、自分の名前が呼びやすいこと知っててそういうこと言ってるだろ」
「あはははは」
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