夜の底を歩く

来条恵夢

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二、いつものことといつもでないこと

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「持とうか」
 松葉杖まつばづえを使いながら勉強道具を持つのは難しいだろうと、そう単純に考えての言葉だったのだが、にらみつけられてしまった。美人に睨まれると、こわい。なまじ造形が整っているだけに、鬼気迫るものがあるのだろうか。
 宿泊施設の廊下で立ち止まった二人を、何人もの同級生たちが追い抜いていく。まだいくらか余裕はあるが、これから勉強の時間だ。そのためか急ぐ者はおらず、中には宮凪みやなぎの顔を見知っていたのか、単に綺麗な容貌や松葉杖に目を留めたものか、注視する者も少なくない。
 学校指定の体操服、つまりは青色のジャージ姿で、司は肩をすくめた。
「何か変なこと、言った?」
「何を聞いてるのか知らないけど、私に構わないで。迷惑よ」
「うーん、聞いたのは、元不登校ってのとめちゃくちゃ頭がいいらしいってのだけだけど? それって、取り巻きになるといいことでもついてくる?」
 疑い深げに睨み付けられ、やれやれと息を吐く。合宿の初日からこれだ。残念ながらつかさには、親睦合宿で宮凪と親睦を深められる自信がない。まあそんなもの、なくていいのだが。
 さてどうしたものかと思っているうちに、視線をそらされ、宮凪が一人で歩き出す。やはり、辞書や春休み中に出された課題、筆記用具が邪魔そうだ。
 司は、溜息をひとつ落とすと、勉強道具をさらった。
「ちょっと!」
「また後で~」
 言って、さっさと歩いて行く。慣れない松葉杖では、追いつけないだろう。宮凪の刺すような視線が痛いが、元々司は、人にどう思われているかをあまり気にしない性分だ。宮凪にどう思われようと、宮凪を見ていて気持ち悪さがある方がいやだ。
 勉強室に割り振られた部屋は広いが、きっちりと折り畳み式の机とパイプ椅子が並べられ、狭苦しく感じられる。
 合宿初日は、朝にバスに乗り込んで学校を出発、部屋に荷物を置いて昼食をとった後、教師からの訓戒やら学校生活の心得やらを聞かされた後、何故か校歌の練習をして、休憩を挟み、クラス単位でのホームルームのようなものを行った。ほとんど雑談のようなものだったが、そこで各委員も決めた。ルナの予想通りに図書委員の立候補者が多く、事情を呑み込んでいるらしい佐々木が苦笑していた。
 そして夕食を挟み、今に至る。これから二時間ほど、休憩を挟みながら勉強をするらしい。
「司、こっちこっち」
 先に来ていたらしい少女に手招きされ、とりあえず自分の荷物を置きに、歩み寄る。
「ルナ。宮凪さんの席ってどこか知ってる?」
「どうして?」
「荷物強奪してきたから、置いとかないと」
「思い切ったことするねー。出席番号順だから、えーと、そこじゃない?」
 いくつか後ろの席を指され、わかりやすいようにと、和柄の筆箱を目立つように置いて、ルナのひとつ空けた隣の席に座る。委員長は仕事でも頼まれているのか、まだ来ていないようだ。
 ルナはまた、笑っている。
「宮凪さん、手強てごわいと思うよ?」
「いや別に、口説こうとかそういうのとは違って。大きい荷物持って大変そうな人がいて方向同じなら、そこまで持ちましょうかーて言うでしょ」
「やさしいね」
 嫌味ではないのだが引っかかりを感じ、司は、ルナを見た。そこにあるのは可愛らしい笑顔で、何、と逆に訊かれてしまう。首を振るしかなかった。
 ルナと話しているうちに委員長がやってきて、どうやら、宮凪も到着したようだった。教師たちがやってきて、テキストの答え合わせという、半ば自習の勉強が始まる。
 自分の解いた問題を、配られた回答に沿って採点しながら、司の考えは、夜へと移る。
 今日の引き継ぎは望み薄ということだが、顔合わせをしておきたいという司の希望で、とりあえず出かけることは決まっている。そうが部屋まで迎えに来て、そのときにまだ同室者が起きているようなら幻術でもかけるということだが、上手くいくのかと考えると胃が痛むような気がしてしまう。
 そんなことを考えながらも時間は過ぎて、順次入浴を済ませると、後は寝るばかりになる。
 元々、修学旅行などでも盛り上がるクラスメイトたちをよそに早々に寝てしまう司だが、今日明日は今を逃せば眠れないとわかっているだけに、一人、おやすみと宣言して目を閉じてしまう。寝る前に見たところでは、宮凪も早寝仲間のようだった。
 ところが、こういうときに限って眠れないから始末に負えない。小声での会話を耳が拾ってしまい、気付けば聞き入っている。これじゃあ盗み聞きだ、と焦っているうちに、会話は不穏な方向へと流れていった。
「あたし、こいつキライ」
 一瞬、誰のことかわからなかったが、会話に参加していないのは宮凪と司だけで、どちらかだろうということはわかる。先程から行っている、クラスメイトになった女子たちの品評の一環なのだろう。主に違う部屋になった子らに関してで、話している同室者同士は、とりあえずほめておけ、という空気になっていた。眠っていれば、除外なのだろうか。
 怒ったり腹を立てるのを通り越して、呆れた。
 ここで立ち上がったらどんな顔をするだろうと思っていたら、急に静まり返った。何かと思えば、人の動く気配がある。しばらくして、戸が開く。宮凪が出て行ったのだろうと当たりをつけ、司も、うーんとうなってみせた。
「…えーと…トイレ…?」
 寝返りを打った流れで目を開け、上半身を起こす。そのまま、目をこすりながら立ち上がって、部屋を出る。その間ずっと、ぎこちない沈黙は続いていた。
「うー、今何時だ…?」
 最小限の明かりだけ残された廊下を歩いて、トイレに向かう。残念ながら、廊下に時計はかかっていない。トイレにも、なかったような気がする。
 覗いても宮凪の姿はなく、自分同様に話を聞いてしまって、ショックを受けたのかと司は首をかしげる。まさか、どこかでひっそりと泣いているのだろうか。それとも、怒りをどこかにぶつけているかもしれない。
 差し当たっては時間を確認したいのだが、そのために食堂に行って先生にでも見つかったら厄介だ。仕方ない、戻って寝直すか、と部屋に戻りかけた司は、入り口前に子どもの背中を見つけ、小走りで駆けつけた。
「颯。もうそんな時間?」
「司ちゃん。どうして外に? 術、かけなくていいの?」
「いやそれは見つかったら困るから、きっちりかけてください。あ、終わったら、上着取りたいから呼んで」
「わかった」
 素直に頷いて、躊躇ちゅうちょなく部屋に入っていく。昨日の会話の内容には一切触れることはなかった。
 まだ眠っていないだろう彼女たちが颯を見てどんな反応を示すのか、見てみたい気もするが悪趣味に思えて自重した。それに、いくら忘れるとはいえ、いるはずのない人間と一緒にいるところを見られるのは、避けた方がいいだろう。
 廊下でぼうっとしているところを、教師か他の生徒、あるいは先程出て行った宮凪に見られるといささかまずいことになるが、そのときはそのときと開き直り、司は、壁にもたれて目を閉じた。
 四月とはいえ、山の中ということもあって夜は冷え込む。自前のジャージのズボンと長袖のTシャツを寝巻き代わりに着ているが、建物内でも少し肌寒い。ジャージの上着を着込めばいくらかましだろう。
「司ちゃん」
「…ん? あー、はい」
 部屋に入って、そろそろと荷物の中からジャージを引っ張り出す。ついでに、宮凪が戻ってきたときの誤魔化しに、枕を布団の中に入れておく。起きないとわかっていても、行動を潜めてしまうのは雰囲気だろうか。
 そこで、はたと。
「あ」
「どうしたの?」
「守るって言っても、地元離れたら御守オマモリ使えないじゃない。ただの一般人じゃないか」
 焦って言うと、吹き出された。子ども特有の笑い声に、誰かが聞きつけたら怪談話ができるだろうと、冷や汗をかきながら少し愉快な気分になった。
 ところが颯は、ひとしきり笑うと、けろりとして司の手を取った。
「いろいろやり方があるんだ、心配しないで。行こうか」
 にこりと笑って、片手で窓を開けたかと思うと、司の手を握ったまま、ひょいと司を横抱きにして飛び降りる。
「―――!」
 ちょっと待て、と叫ぶ間もなかった。軽やかに着地した上にどこをどうしたものか、衝撃らしいものもろくにはなかったが、司の心臓は音が聞こえそうなほどに激しく動いている。颯の手が離れて立たせようとしてくれるが、身動きが取れない。
「司ちゃん?」
「……せめてひとこと、ほしかったんですけど…?」
「あれ。ごめん」
「あれて何あれ、て。その細腕で持ち上げられたのにも吃驚だけど四階から何も言わずに飛び降りるな人を抱えて!」
「ごめんごめん。兄様なら、もっと無茶してるだろうから慣れてると思ってた」
 そうか二人は兄弟だった、と、司は、がっくりと頭をれた。思い返せばはじめの頃は、いろいろと無茶をされた。これではもたないと思って抗議し続けた結果、今では、かろうじて声くらいはかけてくれる。
 そうか未改善版か…と力なくつぶやく。
 言いながら司は、よろよろと立ち上がった。汗をかいたせいで、風が一層冷たく感じられる。
「…どっち?」
 こっちだよ、と、弾んだ声で手を引かれる。
 同じ夜だが、馴染んだ地でないと思うと、どこかよそよそしい。その分新鮮さもあるのだが、颯はああ言ったものの火月カゲツが出せないのが感覚でわかる分だけ、緊張感がまさる。
 夜道を、手を引かれて歩く。
 りょうよりもその手の位置が低いとはいえ、やはりそれは、司にひとつの記憶を思い出させる。押さえてはいるが、あやかしたちがあちこちに潜み、落ちつきなくざわついているのが感じられるのまで同じだ。
 あの時は、走っていた。祖母の姿をした祖母のかたきを追って、森の中を走っていた。草に体が切れても、痛みを感じる余裕もなかった。ただ必死で、恐ろしく、目のくらみそうな怒りがあった。今でも、あのときのことを思い出すと頭に血が上り、指先や足先から血が引いて冷たくなる。
 それが、司が実質的に狩人かりゅうどになった夜のこと。
「司ちゃん?」
「――何?」
 聞き返しながら、目の前に建物があることに気付いた。民家には見えず、周囲を見回すと、鳥居が建っている。
「神社?」
「うん。この辺りの狩人は、代々ここの神社の人なんだ。今日明日は社にいるって」
「代々? 本当は受け継いでいくものなの?」
「いろいろだよ」
 はぐらかされたような気がするが、手を引いて促され、歩き出す。戸を叩くまでもなく内側から開けられ、迎えられた。敷居と鴨居と、木戸の擦れる軽い音がした。
 中で揺らめくのは、和蝋燭わろうそくともった炎だった。
 揺らめく明かりに、線の細い顔が浮かび上がる。和服姿で、律儀に背筋が伸びている。また、手前の闇にうずくまるように、大きな体を無理矢理縮めたような、例えば横溝正史の小説に出てきそうな男が控えていた。彼が、戸を開けたのだろう。
「お入りください」
 口を開いたのは、奥に控える青年だった。声を聞けば、青年とわかる。しかし見かけははかなげで、らした髪が長いせいもあるのか、女性にも見える。大学生くらいだが、こんな青年がキャンパスにいるのは、何か場違いな気がする。
 勧められるままに、司と颯は、隣り合って青年の対面に腰を下ろした。青年が、ゆっくりと頭を下げる。
「この度は、ご足労ありがとうございます」
「偶然事情が重なっただけなので、気にしないでください。情けは人のためならず、と言いますしね。それよりも、こんな時間に起きてらして、大丈夫なんですか?」
「がたは来ていますが、明日で最後と思えば。ご迷惑をおかけします」
「そう思うのなら、あちらにいる方を紹介していただけますか?」
 司がにこりと微笑んで告げると、青年は驚きに目を見開き、困ったように微笑した。
「よくおわかりになりましたね」
「ほめ言葉と頂いておきます」
 司ばかりが喋っているが、気付いたのは颯だ。司は、颯の視線が薄闇の屏風にばかり向いているから、何かあるかとかまをかけただけのことだ。
 そうと気付いてはいないだろう青年は、再度頭を下げた。
「申し訳ありません。他意はないのですが、関係のない者なので下がらせていました。そもそも、同席させるべきではありませんでした」
「どなたなんですか?」
「親類の者です。私を心配して、足を運んでくれたようです。――出ておいで」
 忍びやかな足音がして、炎に艶めく長い髪をした少女が姿をみせる。青年ほどの儚さはないが、和風の美人だ。片足を引きずっている。
 司は、息を呑んだ。無論それは、彼女が美人だからではなく。
「なんでアンタが?!」
「あーやっぱり名前覚えてないのかー」
「知ってる人?」
「お知り合いですか?」
 四人の、それぞれの思いを込めた視線が交錯する。司は、宮凪に睨まれ、颯に見つめられ、宮凪を見つめる青年を眺め、ため息を落とした。控えている、青年の補佐だろう男だけがただ一人、静かだ。
 宮凪果林かりん。元不登校児で頭がいいとの噂があって、今回の合宿では同室で同じ係で、勉強道具を持とうとしたら拒絶された相手でもある。トイレにいなかったのは、抜け出したからだったようだ。それにしても、片足が不自由なのによく先に着けたものだ。
 えーと、と、司は目を閉じた。
「お名前を伺うつもりも名乗るつもりもありませんでしたけど、こうなったら、隠すのも無意味のような気がしますね。まあどうでもいいんですけど。彼女とはクラスメイトです。偶然に吃驚びっくりですよ」
 やや投げやりに言い放つ。
 互いに名乗らなかったのは、そのことで縁を作ってしまうことを避けたかったためだ。古よりも威力は重視されていないが、名を知り、呼ぶことには、それなりに拘束力がある。
 名前を知られたために人に負けざるをえなかった妖怪や妖精の話は世界各地に点在している。人の例でも、「夜這よばい」の元は「呼ばい」、つまりは相手の名を呼ぶことだったという説がある。呪術に関しても、対象の正確な名を押さえることが肝要とされる。
 もっともそれらは、人対人、あるいは妖対人においての拘束で、どうも妖同士にはないらしい。
 青年と宮凪が親戚であれば、司の名を知ろうと思えば簡単にわかる。それはそれで厄介なことなのだろうが、司としては、数時間前に向けられた敵意よりも強烈な刺々しさの方に危機感を覚える。うっかり、人ごみで背を押されたりしそうだ。視線が物理的な力を持つなら、今ごろ司には穴が開いている。
 司は内心で溜息をつくと、姿勢を正して青年に対した。
「儀式は明日のようですし、いくつか、今日のうちに質問をしてもよろしいですか?」
 宮凪が睨んでいるのが視界の端に映るが、頑張って無視をする。
 青年は涼やかに、微笑んだ。
「何なりと。――ミナギ」
 青年の呼びかけに、控えていた男が宮凪を促して部屋を出て行く。渋い顔つきながら反抗しないだけの分別はあるようだった。
 これでようやく、仕切り直しだ。
「その着物、女物ですよね?」
「………」
 司ちゃん、と、颯が気配だけで呟いた気がした。
 微妙な沈黙に、でもだってよく見たらそうだし気になって、と言葉を連ねかけた司だが、青年が噴き出して機会を得なかった。
 そのまましばらく、声を殺して笑い続けている。どうしようかと司が迷っているうちに、ひっそりと男が戻って元の場所に控えている。
「すみません、笑ったりして」
「いえ、笑うような質問をしたほうが悪いです…」
 まだ笑いを引きずっている青年に答えながら、さすがにこれからは言動を考えようかとも思う司だった。やや後方の、颯の呆れたような気配にも、つい謝りたくなる。
「明日は巫女装束ですよ。男性は女性の格好を、女性は男性の格好をするのが、うちの正式の作法なのですよ」
「ああ。子どもが丈夫に育つようにって、そうやって育てる地域もあるらしいですね。同じ感じですか?」
「ええ。正確には、神は女であり男であるもの、あるいは女でも男でもないものに宿りますから。その代理も同じことで。まあ私も、最近ようやく、当家だけの習慣のようだと気付いたのですがね。あなたの方は、今日は、制服姿ではないのですね」
「…は?」
 にこにこと微笑んで言われ、司は数瞬、意味を取り損ねた。間を置いてようやく、理解した、ような気になる。
「あの、えっと、それ…どうして?!」
「便利な世の中ですね。夜久やくを一歩も出なくても、情報が手に入るなんて」
 音もなく移動していた男の手に、薄いノートパソコンが載せられている。開かれた画面は、電源を落とさずにいたようで、即座に見たことのある画面になる。
 それは、司が入学式に寝坊する原因になったサイト。
「…何故これを」
「偶然見つけました。東雲しののめでご同業のようなので小まめに見るようにしていたんですよ。まさか、実際にお目にかかれるとは思っていませんでした」
「ああ…まあ、ある意味当たりですけど。ええとその話はこれくらいで」
 言い出しっぺは司だが。
「後継者は、見つかりそうですか?」
「難しそうです」
「それでも、実行されるんですか?」
御力おちからは過分なものですから、どうしても体に負担がかかってしまいます。私が、放棄する力も失ってさらけ出されてしまう方が危険です」
 代々引き継がれている力に対して、色々と決め事や優先順位も伝わっているのだろう。確固とした青年の言葉に、勢いで継承したなんて言えそうにもないなと、そもそも言うつもりもなく司は思った。
「性別をたがえるのは、もっと実用に近い意味もあるんですよ」
 二、三、明日の段取りを話して、潮時を感じて帰ると切り出そうとした矢先に、そんな言葉を投げかけられて首をかしげる。青年は、司の眼を見てほのかにんだ。
「神に、姿や名を知られるのは、できる限り避けるべきだからですよ。神もまた、人には異質です」
「…ああ、なるほど」
 近付きすぎては互いに害になるという意味では、神と人も妖と人も変わらない。そして名の縛りは、神と人の間にも通用する。
 でもうちの山神――ヒメ様はとっても気安いです、禁域のはずの泉も、緊急事態とはいえきょうだいで産湯うぶゆに使いました、とは到底言い出せない雰囲気だった。素直に、ただ納得だけを前面に出しておく。青年が今ここでそれを言う意図がつかめない。
「とりあえず、今夜はこれで失礼します。明日、また改めて」
「そうですね。ありがとうございます、お気をつけて」
「はい。…彼女も、連れて戻りましょうか?」
 多少迷いながら、そう口にする。
 敵愾心てきがいしんき出しで扱いの難しそうな宮凪と殊更ことさらに一緒にいたいわけではないが、一人で帰らせるのは論外、かといって控えている男を護衛につければ、青年の守りが弱くなる。颯にあるいは司も陰から気付かれないように、というのも考えないではないが、二度手間だ。
「そうですね。お願いしてもよろしいですか?」
「はい。ただ、説得はお願いします」
「ありがとうございます」
 苦笑混じりだったのは仕方がない。
 では、と司が立ち上がり、従って颯も腰を上げる。外で少し待つと、宮凪が渋々といったていで出てきた。
 青年と補佐とに頭を下げられ、火の灯る社を後にする。鳥居をくぐった途端に妖たちのざわめきが大きくなり、司は、明日の夜を思って溜息をついた。
 大変なのは、御守放棄の直後だ。
 御守の継承もだが、放棄も体力と気力を使う。心身ともに弱ったところを狙う妖を蹴散らすのだけが司の役目で、その後は何か考えているだろう。司の仕事ではない。だが、その「だけ」が大変なのだ。
 まあいい、考えるだけ無駄だ。そう決め込んで、司は、悪い予想たちを押しやった。
 帰り道もやはり颯に手を引いてもらい、逆の手は宮凪の腕をつかむ。宮凪が松葉杖をついているため、行きよりもいくらか速度はゆるい。
「アンタ…何者なのよ」
「東雲高校一年で狩人かりゅうどやってるけど、それで疑問は解決する?」 
「狩人…守人もりびとのことね。でも…女じゃないの」
「えー? そりゃ間違えられることはあるけど、風呂まで一緒に入っといて疑われるとは思わなかったな」
「違っ、だって守人って男しかなれないはずでしょう!?」
「ああ、それ」
 司のあっさりとした声に、拍子抜けしたのか怒っているのか、宮凪は黙り込む。
 司も、その話は聞いたことがある。正確には、しょっちゅう耳にする。狩人の仕事が山の神の領域と被ることが多いからか、山の神が女人を嫌うという言い伝え通りに、歴代の狩人らは男ばかりだ。司が唯一ではないとしても珍しいのは確かだ。
 しかしそんなこと、なれてしまった事実の前では小さなことだ。それをどう伝えるかと考える前に、軽口が口を付いて出た。
「双子の弟がいてね。見間違えられるほどにそっくりで、そのせいじゃないかともっぱらの噂」
「そんな理由?!」
 あはははと、司の小さな笑い声が応じた。
「世の中案外、くだらない法則と勘違いで成り立ってるものだよ。違う?」
 そんな言い逃れで納得させられるとは思わなかったが、宮凪が黙り込んでしまい、会話はそこで終わった。
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