夜の底を歩く

来条恵夢

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二、いつものことといつもでないこと

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「これ、児童虐待とか言わないの…?」
 曇り空の鈍い光の下で、通りに面した特等席にでも飾られていそうなリュック型のかばんを背負ったルナは、前方にまだまだ広がる山道に、呆然とつぶやいた。
「少なくとも、高校生は児童じゃないな」
 応えたつかさは、安さと軽さだけがとりえのナップザックを背負い、涼しげな様子だ。ルナが、恨みがましい視線を寄越す。
「あげ足取りはいいよ」
「いやいや、言葉は正確に使わないと。行政区分によると、児童は小学生。高校生なら、生徒か。生徒虐待、は、語呂が悪いなあ」
「どうでもいいけど、頂上まで行かないと昼ごはん食べられないよー?」
 司とルナよりは数歩先に立つ委員長が、特に急かすでもなく声をかける。この短い時間でも、委員長の取り柄と欠点のひとつに、おっとりとした部分が上げられると、司は気付いていた。
 委員長には自らの立候補だったのだが、その理由を尋ねてみたところ、「だって一月だけでしょう? 今なったら、次はならなくていいじゃない?」との返答だった。引き続きお願いします、ということになったらどうするのかと重ねて訊くと、「あらら」と言って終わってしまった。考えていなかったらしい。
 ちなみに、部屋割りは出席番号の奇数と偶数で分けられており、司は、ルナと同室で委員長とは別室だった。つまり、昨夜の会話に、ルナは参加していて委員長は加わっていない。
「男子なんて、もう姿見えないよ」
「あれだけ無茶苦茶にとばしたら、すぐにばてると思うけど。案外、こっちが先に着くかもよ?」
「兎と亀だね」
「もう、班行動なのに。先生に見つかったら怒られるよー?」
 そう言いながら、委員長が焦っているようにも怒っているようにも感じられないのは何故だろう。
「そのときは連帯責任で一緒に怒られるから。せっかくだし、緑でも楽しみながらゆっくり行こう」
「緑なんて、東雲しののめにもあふれてるよー」
「本当だよ。わざわざ、ウォークラリーなんて何考えてるのよ先生たちは! 疲れるだけじゃない。いいよね、先生たちは。チェックポイントで座って雑談してればいいんだから」
 意気投合しているようなしていないような委員長とルナに、それ密告しとこうか、と返した司は、軽く睨まれてしまった。
「そんなこと言ってると、先行くからね」
「わたしも」
 歩き出した委員長に、ルナが小走りで並ぶ。前後の方がいいだろうが、道幅は比較的広いからいいかと、司は、二人を追う形で歩を進める。
 前を行く二人が話に夢中なようなので、司は改めて周囲を見回した。
 ウォークラリーの開催地に選ばれた山は、冬場にはスキー場になるらしい。合宿に使われている宿からも近いため、冬場には、スキー客で込み合う。学校は、客の少ない今の時期に安く使用させてもらっているのだろう。
 大幅に人の手の加わったこの山には、既に神はいない。あの青年に御守おまもりを預けている神は、別のところにいるのだろう。
 普通、こういった場所にはあやかしも少ない。だが今は、昼間だというのに、あちこちに影が見られる。司を偵察しているのか、それとも、あの青年を襲いに来たものが、こんなところにまできているのか。
 神社からは多少距離があるから、そうだとすれば、笑うべきか同情すべきか迷うところだ。夏の甲子園を見に行くために、大阪に宿を取るようなものだろうか。それはそれでありなのかもしれない。
 空を仰ぐと綺麗な青色が広がっている。雨に降られながら妖とやり合うよりはましだが、そうすると妖の返り血をどうするべきか。宿の風呂場を借りられるわけがないし、かと言ってそのまま放置もいやだ。滝場でも近くにあるだろうかと考えて、司はひっそりとげんなりした。疲れる上に面倒だ。明日の予定がほぼ帰るだけなのが、せめてもの救いか。
「わー!」
「気持ちいい!」
 一人黙々と歩いてるうちに、頂上にたどり着いていたらしい。ひらけたところで、うっすらと汗をかいたルナと委員長が、きゃあきゃあと騒ぐ。少し奥まったところで、同じ班の男子が手招てまねいていた。
 昼食は飯盒炊爨はんごうすいさんの定番、カレーライスで、一応設定されている開始時間は十二時でそれまでは休憩ということになっているから、まだ正午にはなっていないようだ。それぞれ、好きなようにくつろいでいる。
 二人を置いて男子たちのところへと歩み寄った司は、熱い視線を向けられ、思わず身を引いた。引いた分を、いかにも運動部に所属していそうな一人が、身を乗り出して埋める。
「なあ、これの名前なんだっけ?」
「はぁ?」
「これだよこれ! 皮むき器じゃなくて、何かあっただろ。誰も覚えてないんだ」
 何事かと思えば。訊いて回ればいいじゃないかと思ったが、周辺の何人かがこちらの様子を窺っていることから察するに、既に訊いた後のようだ。
 そんなことで真剣にならなくてもなあ、阿呆だなあこいつら。愛すべき阿呆だ、と勝手に断定した司は、ジャガイモやにんじんの皮むきのために用意されているそれを、ちらりと見た。
「ピーラー」
「え?」
「スペルは知らないけど、ピール、が、皮をくか何かじゃなかった? で、ピーラー。だったと思うけど」
「おおおっ」
 嬉しそうに、悔しそうに、どよめく。
 こんなに無邪気なものだったかな、と、同い年のはずの少年たちを見ていると、呆れたような視線に気付いた。宮凪みやなぎがこちらを見ている。確か、足の怪我けがのせいで山歩きはしていないはずだ。飯盒炊爨だけの参加なのだろう。
 しかしそうすると、やはりこれは同年代から見ても阿呆らしいのか。改めて見てみると、女子はほとんどが呆れているか苦笑しているかだ。
 なるほど、と思って納得していると、やはり同じ班の一人と目が合った。朝に顔を合わせてはいるものの印象が薄かったが、よく見ると、吊気味の目尻できつい印象を与えそうなのに雰囲気でそれを感じさせないところが、りょうそうを連想させた。
「えと、沖田おきたさん?」
「うん」
「料理できるんだ?」
「料理器具の名前知ってたからって、そうはならないと思うけど? しかも、確証ないし」
「えー、でも俺、何にどう使うかすら予想つかなかったよ」
「飯盒炊爨って、中学とかでもやらなかった?」
「火の番ばっかりやってたから。火の育て方は任せて」
 ピーラーの名前が判明してはしゃぐ残る三人の男子は、物珍しげに食材をつつき始めている。この調子で、到着してから落ちつきなく食材や用具を見ていたのだろうか。
 視線に気付いて、一人くつろいでいる男子が笑う。
「やっぱさ、普段やらないことって血が騒ぐでしょ」
「司ー、黙っていなくならないでよ。あ、ごめん、話してた?」
「や、アイ
「なんだ、ピラか。じゃあいいや。荷物置かせて」
 ぞんざいな反応にも構わず、どうぞどうぞと、少年は、座っていたベンチを明け渡す。ルナはそこに委員長と自分の二人分の荷物を置き、司の方に手を差し出した。荷物、と言われ、ナップザックを下ろす。
「ピラ?」
 男子生徒を示して訊くと、ルナと少年が顔を見合わせ、どうぞと、手のひらで差し出されたルナが口を開く。
平田兵吉ひらたへいきち、で、ピラ」
「下の名前言うなって」
「逆鱗これね。しつこく言うと怒るから気をつけて。他は、まあ無害だよ」
「同じ中学?」
「腐れ縁」
 二人の声が重なって、思わず笑う。苦虫を潰したような顔で見合う二人が面白い。
 しかし、つつくのはやめておく。
「委員長は?」
「開始まで向こうにいるって」
中里なかさとさん、料理できるかな?」
 女子二人に対して一人だというのに、気後れする様子もない。意外に思ったのが顔に出たのか、姉が三人、とルナが補足する。
「ピラ、何が言いたいのかしら?」
「あっちの三人も俺も、ろくに料理をしたことがない。愛は料理ができない」
「ちょっと、わたしは」
「独創的過ぎるフルーツカレー」
「む」
「塩味のみたらし団子」
「う」
「爆発した目玉焼き」
「うう…」
 幼馴染って厄介なんだなと、妙なところで司は感心した。司にはそこまで親しい友人はいなかったが、弟や諒、太郎あたりがこんな位置づけかもしれない。
 しかし、詳細を聞いてはみたいが、体験したくはなさそうだ。
「カレーなんて、材料切って煮込んだらできるじゃない。どうせ、ルー使うんだし」
「…そう思って痛い目にあったんだ…」
 ふっ、と遠くを見る平田が、悲劇を演じる役者並に影を背負っている。冗談か誇張だろうとルナを見ると、あてなく視線が泳いでいる。事実か。
「まあ…大丈夫じゃない?」
「その根拠は」
 すかさず平田に合いの手を入れられ、ここでなんとなくと答えたらどんな顔をするだろうと、誘惑に駆られたがやめておく。冗談めかしながら、眼が本気だ。
「あたし一応、自炊してるから」
「神よ!」
「やっぱりいつもお弁当司が作ってるの?!」
 感涙せんばかりの平田は司を拝み、ルナは仰天、とばかりに目を見開く。基本的に弁当は残り物を詰めただけだから、一層、苦笑が深くなる。
 そうしているうちに定時になり、一班だけたどり着いていないということだが、飯盒炊爨は開始された。教師が二人、たどり着いていない組を探しに道を戻っていく。合流した委員長は、皮むき器を突き出されて「ピーラーがどうかしたの?」と首をかしげ、司のあやふやな知識を保証してくれた。
 飯盒とカレーとに分かれ、司は、委員長と男子二人とせっせと野菜の皮を剥いた。ピーラーは二個しかなかったため、一人はたまねぎを剥き、一人は、肉や剥けたにんじんとジャガイモを切っていく。
 鍋で肉とたまねぎ、ついでににんじんとジャガイモも飯盒組みがおこしてくれた火にかけ、軽く炒めると、水を入れて煮立てる。あとは、ルーを入れて煮込めばいいだけだ。
 一体、この工程のどこで何をやってどんなことになったのか、ルナか平田に訊いてみたい気がするが、果たして素直に話してくれるだろうか。
「福神漬け、取って来るね」
 火の番は男子が占領してしまい、カレーもかき混ぜてくれている。女子三人で使ったものを洗っていると、思い出した委員長が声を上げた。そう言えばそんなものがあると言っていたなと、司もルナもようやく思い出して送り出した。
 背中を見送ってすぐに、洗剤で手を泡だらけにしたルナが口を開く。
「宮凪さんと、何かあった?」
「は? 昨日ふられたけど、それ以外に?」
 荷物持ったことじゃなくて、と、ルナが笑う。
「違うのかな? 今朝も、ほら、今も。ずっと、司見てるよ」
 わかりやすい人だな、と、司は心の中で溜息をついた。たしかに、ちらちらとこちらを窺っているのがわかる。
「参ったなあ、ほれれられたとか?」
「あはは。司、かっこいいもんね。わたしなんて、あれだけ歩かされてもう足がくがく。明日、絶対筋肉痛だって思うのに、司、平気そうだし」
「まー田舎育ちですから」
「わたしだってそうなんだけど」
「だって家、山すそにあってさ。遊びに行って来るーって出て、山登ってた。季節がいいと、木の実でお菓子も調達できたし」
「わ、サバイバルだ」
 大袈裟な言葉を、笑って受け流す。
 あの山に入り浸っていなければ、今頃司は、全く違うところで、全く違う言動をしていたことだろう。司はあそこで、諒やみなもとと出会い、狩人の任も受け継ぐことになったのだ。
 諒は今頃どうしているだろう、と、ふと思う。東雲にいれば厭でも日に一度は顔を合わせるが、小・中の修学旅行も経験しており、離れたことがないわけではない。それなのに気になってしまったのは、離れた状態での仕事は、今回が初めてだからだろうか。
 颯の補佐が不安なのではなく、ただ、いつもかたわらにいたから、調子が狂う。
「ねえ司、帰りも歩くんだよね?」
「歩かずに帰れるなら、試してみたら?」
「ピラ、何か?」
「できたぞー」
 言いに来たなら言いに来たで素直に言いなさいよ、と、ルナが小言を飛ばす。福神漬けを取りに行っていたはずの委員長は、いつの間にか、食器を並べていた。
「ピラってあだ名の由来はね、キンピラが好きでチンピラにあこがれてたからなんだよ」
「あっ、何ばらしてる!」
 仲がいいことで、とつぶやきながら、司は二人を置いて他の班員のところに移った。
 ひっくり返した飯盒を持ち上げると勢いよく湯気が昇り、思わず声が上がる。底のこげは、炭にまではなっておらず逆に好評で、均等に分けろよ、との声がかかる。
 ご飯もルーも七人で食べるには十分にあったはずなのだが、何故か最後には、男子二人の間でご飯の争奪戦が繰り広げられていた。結局、負けた方がルーだけをすすっている。
 それを眺めてみんなと笑いながら、仕事の後に風呂を借りられるだろうかと、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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