夜の底を歩く

来条恵夢

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二、いつものことといつもでないこと

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 ゆがみのない金貨のような月に照らされ、地面にはつかさの影が落ちていた。冷たい風にも柔らかな熱がこもり、春だと思い知らせる。
 ジャージ姿で月を見上げる。
 あまり絵になるような姿ではないが、見掛けを演出したがるのはりょうだけなので、誰も問題にしない。そもそも青年とその補佐は、やしろにこもって御守おまもりの放棄を行うのだから、そんなことを気にかける余裕などあるはずがない。
 御守の継承者なしでの放棄は、継承者がいるよりもずっと負荷がかかる。またそれは、次の継承者にしても同じことで、前任者から直接受け継ぐ方が、格段に負担は少ない。
「代々引き継いでるっていうなら、次も一族の誰かなんでしょ? なんで、いないなんてことになるの?」
「詳しいことは聞いてないけど、まだ幼いとか複数の候補がいて絞り込めてないとか、相応しいものがいないからこの先に期待とか、そんなところじゃないかな。ここは十歳以下の狩人かりゅうどを出したことがないから、年齢かもね」
 襲撃にはまだしばらく間がありそうで、そうと司は鳥居の下で話をしている。
 社周辺には結界が張ってあるが、御守の力を利用したものだけに、放棄が終われば消えてしまう。襲撃はそれからになるだろう。青年のことは当人たちに丸投げで、離れたところにある民家の住人に気付かれないようにするのは颯にお任せだ。
 司はただ御守の器として選ばれただけで、何かの術が使えるといったことはない。狩人の中には拝み屋をやっていた者などもいるらしいが、司も、青年もそれとは異なる。ただ青年は、家柄か多少は扱える術があるらしいが。 
 ちなみに後で、社務所でシャワーを貸してもらえることになった。
「それにしても」
 言って司は、首にかかった紐を引っ張った。Tシャツの下から、指先ほどの大きさのくれない勾玉まがたまが引っ張り出される。中で炎が揺れるように、ほのかに輝いている。
「こんな便利なものがあるなら、もっと活用したらいいのに」
 今夜渡されたこれが、土地外でも御守を使える理由らしい。どこでも使えるなら、狩人ネットワークでも組んで、相互に助け合えそうなものだ。 
 だが颯の声は、いくらかぐったりとしている。
「無茶言わないでよ。疲れるんだよ、凄く」
「え、颯が支えてるのこれ?」
「そうだよ。周辺の封鎖と勾玉の維持とで、大変なんだから。土地と実際に使う場所とで、最低二人は媒介者がいるしね。今はまだましだけど、御守を出したら僕、術に専念するからね。僕のことは気にしなくていいけど、助けも期待しないでね」
「了解」
 あやかしに聞かれればまずいかも知れない内容だが、鳥居の下は結界圏内だ。一応、内側の声は聞こえない。妖たちの声は届くが、あまりに多すぎて聞き分けられない。
 不意に、手を強く引かれた。
「いい? もし御守が使えなくなったら、社務所に駆け込むんだよ。絶対に、どうにかしようとしないで。僕のことも、あの人たちのことも気にしちゃ駄目だよ」
 痛いほどに、見つめられているのがわかる。
「わかってる。まだ死にたいわけじゃないんだ。何か勘違いされてるかもしれないけど、あたしはそこまでお人よしじゃない」
「――兄さんを、見殺しにするの?」
 声に振り返ると、暗がりに宮凪みやなぎが立っていた。ワンピースと髪がはためき、一瞬、幽鬼のように見えた。
 司は驚き、いで、溜息ためいきを落とした。
「死にに来るなんてもの好きな」
「どういうつもり。アンタたちは、兄さんを助けるために来たんじゃないの」
「命がけでの手助けだけじゃあ不満? 命まで確実に落とせって? どこをどう考えたってかなわないのに向かっていくのは、勇気でも美談でもなくてただの無謀なんだけど? それともあなたは、よく知りもしなくて親しくもない人のために無駄でもいいから命を落とすべきだとでも?」
「…どうして…それじゃあ何のために、守人もりびとをやってるのよ…!」
「金が全てじゃないけれど、所詮、この世は金次第。て川柳、知ってる? 正しいよ。悪いけど、正義感でも義務でもない。ただの仕事。報酬をもらうのが前提であって、そのためには生きてないと意味がない」
 黙り込む宮凪に向ける、司の視線は冷たい。もっともそれは、颯の比ではないだろう。
「死にたくなかったら、社務所入っててくれる? 今更送れないから、そこで小さくなってて」
「私だって」
「何ができる?」
 近くはない距離を一度に縮め、司は、宮凪の喉笛のどぶえを捕らえた。宮凪の鼓動が激しくなったのが感じられる。
「ここまで気付かれずに来られたんだから何かしら力はあるんだろうけど、御守を出してもない状態であたしに押さえられる程度だと、何もできないと思うけど? 言っとくけど、あなたの兄さんが助けに来てくれるなんて夢は見ないほうがいい。向こうは向こうで手一杯」
「っ、これはっ、油断して」
「顔見知りだったから? 暢気のんきだな。妖なんて不定形なのが多い上に、人の姿を写し取れるのも多いのに」
「そろそろ、来るよ」
「だってさ。死にたいなら、残ってればいい」
 言うだけ言って、司は、鳥居の下に戻った。小声で、颯に声をかけられる。
「やさしいね」
「どこが? 逆にむきになって、居残るんじゃない?」
 宮凪のことは頭の中から払い落として、鳥居の外を睨み据える。
 しんと、空気が静まり返っている。耳を澄ましても、先程のざわめきは感じられない。多くのものがひしめいている気配はたしかにあるのに、声がしない。逆にそちらの方が、恐ろしい。
 颯を見ると頷いた。
 司は、利き腕をひと振りし、日本刀を取り出した。そのまま助走もつけずに跳び上がり、石造りの鳥居の上に着地する。
 高い位置の方が風が強く、ジャージの上着がはためくことに気付き、ジッパを上げる。
 周囲を見回すと、神社を中心にした円形に妖たちが見える。綺麗に結界の境界を囲んでいるようだ。少し思案し、司は、一旦鳥居から飛び降り、今度は社の屋根に跳び上がった。空中で地面を見てみると、宮凪が立ち尽くしているのが目に入った。正気かと、舌打ちをする。
 諒がいれば、女の子が怪我でもしたら大変、とでも言って無理矢理に社務所に放り込んだだろうが、颯にその余裕はないだろう。既に、火月カゲツも出してしまっているから、術を支えるのに手一杯のはずだ。
 司が自分で動こうかと思っていると、宮凪は何やら符を取り出している。屋根への着地とほぼ同時に、シャボン玉が弾けるような音がして結界が切れたのがわかった。宮凪には、とりあえずは自力で頑張ってもらおう。
「火月、囲え」
 押し寄せる妖たちに、結界とほぼ同じ大きさで炎をぶつける。力のないものは、それだけで焼け落ちる。だが、その程度ではやられないものや後ろにいたために炎をまぬがれるものも多い。
 大技は消耗が激しく、間を置いて二度目を放つと、接近戦に切り替えた。
 司目掛けてやってくるものも多く、しばらくは、刀を振るうだけで切り裂けた。刀を使う間、どう動くかといった部分は、御守刀の方にほぼ主導権がある。半ば体を明け渡してそれに意識が追随するような感覚で、おそらく司が、ただの日本刀を手にしたところで同じ動きはできないだろう。
 そもそも、重さが違う。御守刀はほとんど重みを感じない。
 重さだけを取れば玩具を振り回すように、刃こぼれひとつない刀がひらめく。まるで舞うようなその動きが、不意に止まった。
「よお」
「何しに来た?」
 正面に、諒が立っている。
 司が動きを止めたのは一瞬で、対面しながら、火月の動くままに体を動かす。視線は、正面かららさなかった。
「何って、助けに来てやったんだろ。わざわざ」
「へえ。学校は?」
「きっちり終わってから来たに決まってるだろ。なんだよ、疑ってるのか?」
「ああ。違うとわかってても、少し迷った」
 火月を素早く、正面に向かって振り下ろす。綺麗に二つに割れた「諒」の眼は、驚愕にか見開かれていた。
 真っ二つに裂かれた小型の犬のような生き物、おそらくは狐が屋根に落ちる。
「…もしかして、親戚だったかな。つか、本物だったらどうしよう」
「お前っ、今俺でもっただろ?!」
 いつの間にかほぼ背あわせに、諒が立っている。口を動かしながら、躊躇なく、向かってくる妖の息の根を止める。
 司はそちらに一瞥を向け、視線を前に戻した。
「何しに来た?」
「助けに来てやったってのに、何か怖い事言ってるし! 大体なんだよその格好、ジャージって! かわいくねー、しかも前閉めんな!」
「開けてたら邪魔じゃない。それより、来てくれたなら先に、下に女の子いるから」
「ああ、そっちの建物に行かせた」
 社務所を指す。言うまでもなかったらしい。
 これが偽者なら見破れないな、と苦笑して、司はひたすらに日本刀を振るっていった。背面に諒がいるため、三方にだけ集中していればいい。
 しばらくして向かって来るものが少なくなると、さて、と、司は息を吐いた。走り回る足場にしていた、社の屋根から飛び降りる。火月は出したままだ。
「生きてますか」
「…おかげさまで、どうにか」
 戸を開ける必要もなく、妖に蹴破られたものか、蝶番ちょうつがいが外れ、戸の片方がずり落ちている。中には、はかなげな青年が巫女装束でひっそりと座り、補佐だった男がかたわらにいる。
「ありがとうございます」
 双方から深々と頭を下げられ、司は肩をすくめた。
「生き延びられて良かったですね、お互い。ここまででよろしいですか?」
「はい。後は、こちらで何とか致します。今後、数で攻められることはありませんでしょうし」
「妹さん、社務所にいますよ」
従妹いとこです。言い含めたつもりでしたが、無茶をしたようですね。ご迷惑をおかけします」
「お連れして?」
 諒に言うと、即座に動いた。颯は、万が一を考えて術を維持しているようだ。司の火月も出したままだから、鳥居の下で、動けずにいる。
 司は、青年を見た。
「差し支えなければ今後のためにお教え願いたいのですが、これからはどうするおつもりで?」
「真面目に大学に通って、終業次第神職を引き継ぎます。後任の選定も私の仕事になります」
「襲われたら?」
「この地は、少々特殊なんです。素質が見出されればそれぞれに妖との契約を執り行い、守人に選ばれれば、契約した妖がそのまま補佐になります。だから彼は、私が死ぬまで縛られている。気の毒ですが」
 青年の静かな声に、ごくわずかだが男が身動きしたのがわかり、寡黙だと、司は感心した。半ば、呆れる。言いたいことは言うべきだ。
「解放を望むなら、少し手を抜けばよかっただけのことでしょう。お互い、もう少しお話をされた方がよろしいのではないですか? 若輩者が、僭越せんえつでしたでしょうか」
「…いえ」
「兄さま!」
 声が上がり、駆け寄ってきた宮凪に場所を譲る。青年に叱責されながらも、無事を知ってか嬉しそうだ。
 司は、諒に礼を言って周囲を見回した。そろそろ、火月を仕舞っても大丈夫だろうか。そんなことを考えていると、宮凪の肩に伸びる手があった。火月で払いのける。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
 戸惑うような宮凪の礼に返してから、司は、諒を軽く睨みつけた。
 青年らに背を向けて鳥居に歩み寄ると、当然のように諒がついてくる。
「わざと見逃しただろ」
「あ、わかった?」
「わからいでか」
「だってあの子、怒ってたぜ? 同じクラスなんだから、仲良くしないと」
「何でそれを」
「本借りに来た」
 お節介に、感謝すればいいのか突っぱねればいいのか迷って、だんまりを決め込んでしまう。そうしている間に颯の元にたどり着き、とうとう、無反応で済ませてしまった。
 二人が近付くと、颯は、閉じていた目を開いた。どんな表情をしているのかは、暗いこともあるがそれ以前に、元の姿――狐の姿に戻ってしまっているためにわからない。
「もう、いいと思う?」
 こくりと、毛皮に包まれた頭が動く。
 司が火月を仕舞うと、術が解ける気配がした。そして、力が抜けたように、くたりと小さな体が地面に伏せる。礼を言う間も労をいたわる余裕もない。 
 慌てて手を伸ばした司よりも早く、細いのにがっしりとした諒の手が、小さな獣を抱き上げた。
「お疲れ」
「…なるほど。出向いた目的はこっちだったわけだ」
 弟を抱きかかえる諒の眼つきは、柔らかい。
「どうせなら、本人の意識があるときにしっかりとねぎらえばいいのに」
「寝てるから言えるんだろ。こいつは、俺にほめられたって嫌がるだけだ」
 声が寂しそうに聞こえて、司は、返す言葉を呑み込んだ。後方に残した青年たちよりもよほど、話し合いが必要に見えた。だが彼らは、それを拒否し続けてきたのだろう。
 司は、首にかけた紐を手繰たぐった。
「これ、返しといてもらっていい?」
「帰るのか?」
「うん、眠いし。あ、その前にシャワー…悪いけど、何も入ってこないように見張っててくれる? ちょっと、危なそうだからなあ」
 ただでさえ入浴中は無防備になるが、今は火月が出せないのだから尚更だ。
 諒は一瞬、虚を突かれたように眼を見開き、にやりと笑った。
「いいのか?」
「覗くとか? 別に、減るものじゃないし。つか諒は、興味ないでしょ、ふりだけで。――ごめん、さすがにちょっと疲れてる。悪いけど、頼んだから」
 言うつもりがなかったことを口にしてしまい、早口で断って半ば逃げ出すように社務所に駆け込む。張り詰めていた緊張の糸が切れたからか、今更ながらに眠気に襲われ、動いたこと自体と激しく火月を振るったこととで肉体も悲鳴を上げている。
 数時間前に一通り案内された社務所の中を迷いなく歩き、小さな浴室で、いつものように妖の返り血を浴びた服ごと頭から水を被った。着替えも、前もってに脱衣所に用意してある。
「…あー、しまったな…」
 滝に打たれるように水を浴びながら、ぽつりと、司はつぶやいていた。諒の煙幕の軽口を、取り合う余裕さえ失っている自分が情けない。
 だがそれだけで、眼をつぶり、ある程度血を洗い落とすと、服を脱いで湯に切り替え、浴びる。今日はいつの夢を見るだろうかと、何を殺した夢だろうかと、それだけがちらりと頭をよぎる。
 そうして、用意してくれていたタオルをありがたく使わせてもらい、乾いた服を着込むと代わりに、濡れきった服を洗面所で軽く洗って、絞ってから袋に詰める。
 引き戸を開けると、諒が立っていた。
「わ。…ありがとう。浴びる?」
「いや。戻るだろ。送る」
「弟君は?」
「向こうに寝かせてる。後で引き取りに来るさ。疲れてるなら、負ぶってってやろうか?」
「心惹かれる提案だけど、とりあえず遠慮しとく。大丈夫、宿くらいまでは何とかする」
 お互いに、いつもと変わらない態度をとる。先程の失言はなかったかのように。
「何て言うか」
「ん?」
「狸だな」
「それは天圏てんけんだろ」
「そういう意味じゃなくて」
 くだらないことを話しながら司は、今日も生き延びられたんだなと息を吐く。この先、どれだけ刀を振るっていくのか、その後に生きていると安堵の息を吐くのか。その数は、司には予想できなかった。
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