夜の底を歩く

来条恵夢

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「風邪ひくぞ」
「…りょう?」
 ぼんやりと、見下ろす声の主を見定めたつかさは、その姿が薄闇にもれていることに気付いて慌てて体を起こした。朝よりはかなりましになったがまだ残る痛みに、思わず顔が引きる。
「…悪い」
「っ、い、今、何時?」
「あーっと、学校出たのが七時くらい」
 そこから移動時間を考えると、確実に夜の領域だ。実際、空はとっぷりと暮れている。
 司は、ヒメの姿を探した。が、赤い着物の少女は何処どこにも見当たらない。
「ちょっ…ヒメーっ、何時間睡眠だよこれー! 起こせーっ!」
「…ヒメ様に暴言吐く奴ははじめて見たぞ、俺」
「暴言じゃなくって純粋な文句! 友達に言いたいこと言えなくってどうするよ」
「……いやーそういうとこスゴイと思うわ」
 何故か呆れ気味の諒に食ってかかりかけて、昨夜のことを思い出して、気が抜けた。ついでに、夢の中で言われた言葉を思い出す。
 夜闇の中で眼を凝らして、諒を見つめた。何事かと、心持ち緊張したかおを見せる。
「一個だけ、言っといていい?」 
「あ?」
「諒が生き返らせようとしてた人に、似てるって聞いた。身代わりになる気はないよ」
 そうの忠告を気にしたわけではなく、ただ、なるつもりがない以前になれるはずもないと思う。司は司でしかなく、それ以外にどうなりようもない。
「そんなの、あたしにもその人にも失礼だし」
「身代わり、な。似ても似つかねえ」
 軽く司の頭をはたき、諒はうそぶいた。
くぬぎから伝言。あれは、未解決になるようにしとくってよ。もう犠牲者も出ねえしな。火事は火事で、単独の事故で収まりそうだとよ。ついでに桜だけどな、切り倒すらしいぜ」
「え?」
「やたら死人が出るんで怪談話が出来上がってだな、調べてみたら中が腐りきってるってんで」
「そう」
「ただ、惜しんだ奴がいて、培養できないか挑戦するらしいぜ」
「ふうん」
 もしも成功すれば、また木は育ち、今度は真っ当に花を咲かせるだろうか。それがあの桜と同じ桜かどうかはわからないが、成功すればいいのになと、少し、司は思った。
「で?」
「はい?」
「いつまで寝転がってるつもりだ? メシ食いに行こうぜ。おごってやる」
 司がきょとんとしていると、手が差し出された。まじまじと見つめた後でその手を取って立ち上がる。
「わーめずらしー」
「棒読みすんな。その…昨日は、悪かった」 
「ああ。放置して帰ったこと? いやー歩くとちょっと遠いね」
「違うだろ」
「…うん」
 それ以上何を言えばいいのかがわからなくなって、司は歩き出した。大またに追いついた諒が、斜め前を先行する。
 背中を見ていると、何故か落ち着いた。
「ごめん。八つ当たりは、なるべくしないようにする」
「ええっあれ八つ当たりかよ?」
「いや思ってたのは本当だけど。言い方考えなかったから」
 もういやになって、死んだら楽しいことがない代わりにいちいち思い悩むこともないだろうと気付いて、それなら、全て投げ出してもいいと思うくらいには自棄やけになっていた。だから、言い方を考えなかったというよりもむしろ、選んで傷つける言葉を選んだりもした。
 御守おまもりに頼ったところで失われたものが取り戻せないと思ったのは、本当。
 かすかな希望に縋ることで己を保とうとしていた諒にそれを突きつけたかったのも、本当。
 だから司は、言ったこと自体は撤回しない。そもそもできはしないだろう。嘘だと言ったところで、諒が信じるとは思えない。ざっくりと傷つけられた眼が、くっきりと記憶に残っている。
「補佐、降りる? 目的達成は無理なわけだし」
 闇の中を迷わず進む背中が、ぴくりと動いた気がした。実際には気のせいに違いない。山の斜面を下っていて、しかも夜に、司の眼でそこまで見分けられるとは思えない。
「さっき、埋葬してきた」
「え?」
「時間がちすぎたな。じゅついたら、ちりくらいしか残らなかった。吸血鬼かっての」
 よみがえってほしかった二人の遺体の成れの果ての塵は、ヒメの許しをもらって山にいたという。
 司は、止まることをやめた諒の背をじっと見詰めた。諒自身が気付いていただろう事を、見ろと蹴りつけたのは司だ。それなのに、それをした当人は変わらない。相変わらず思い悩み、それにも疲れて放棄して、中途半端に生き続けている。
 ああ、これってうらやましいのか、とふと気付いた。
「司」
「ん?」
「責任は取ってもらうぞ」
「…はい?」
「俺が後生大事に抱えてきた執着を、八つ当たり何ぞで破壊して行ったんだ。責任取れ」
「む、無理。つか、八つ当たりは言い方だけって言ったし! 知らないよ勝手に諒が動いたんじゃない!」
 動揺ついでに足を滑らせたら、すかさず腕を取られた。おかげで、転ぶのは#免__まぬが_#れたが逃げようがない。
 夜になって目覚め始めた山の民らに遠巻きに囲まれながら、一応神域として遠ざけられている山の中腹で、一体何故にこんな事態に、と、司の背を冷や汗が伝う。
 じっと、光を弾いて青白く見える眼が司を覗いた。
愛知あいちと、宮凪みやなぎな」
 愛知って誰だ、ルナか。それと宮凪。その名前がここで出て来る意味がわからない。
「何かあったのかって俺に訊きに来た。多少知ってる宮凪はともかく、一日休んだくらいで訊きに来るか」
「いや…あたしに訊かれても」
「友達を作れ、司。あの弟も、そんなに気になるなら連れ戻しにでも行きゃいいだろ。お前と離れたところで、交通事故に遭うこともあるだろうし通り魔に襲われることもあるだろうよ」
「そういう問題じゃない」
「いいや、そういう問題だ。お前も逃げてるんだよ、司。俺にだけ突きつけといて、手前てめえ一人逃げてんじゃねえよ。宮凪から伝言だ。強くなる、とさ」
 言うだけ言って、手を離した諒は前に向き直る。司は、ぼんやりとしたままその背を追おうとして、また足を滑らせた。溜息と共に、諒に引き上げられる。
「っとに、仕方ねえなあ」
 あまりに軽々と背負われて、文句を言う間もなかった。
 それまでとは比べ物にならない速さで流れる木々を見るともなく見ながら、司は、諒は優しすぎるとつぶやいていた。あれだけ言って、返ってきたのはこんなにも穏やかな指摘。
 馬鹿だなあ、と続けてつぶやくと、お前は阿呆だなといくらか不機嫌そうに言い返される。
「超のつく阿呆だな」
「やだなあ、諒には言われたくなかったなー」
「お前な」
 まだ、人とじかに向き合うのはこわい。狩人をやめない以上、あるいはやめたとしても、これ以上他の人を巻き込みたくはない。それは、気遣きづかいではなく、司のわがままだ。だから、それを無視されても文句は言えない。関わろうとする人がいてくれるなら、宮凪が決めたように、強くなるしかないのかもしれない。
 一人でいられるためでなく、誰かを守れるように。きっと、その方が難しい。
「金井さんに、会ってみようかな」
「…誰だ?」
「本を出すときにお世話になった編集者さん。この間増刷の連絡もらって、新作書きませんかって訊かれた」
 とりあえず、後ろ向きに前進してみようかと思った。今度は治療用の箱庭ではなく、ドールハウスでもつくれないかとは、思う。
「ところで、中華食べたいな。ラーメン屋とかじゃなくってコースとか飲茶のあるとこ」
「おい」
「折角奢ってくれるんだし、いいもの食べたいー。あ、太郎さん呼んでいい? どうせろくなもの食べてないだろうし」
「断る」
「けち」
 くだらないことを言い合って、ゆっくりと夜は更けていく。
 弟にはまだ会えないだろうし、どうしてもルナと宮凪には距離を置こうとしてしまうだろう。太郎や諒には甘えてしまう。金井に会ったところで、何も変わらないかもしれない。地下の水鏡は、また近いうちに新たな対象を映し出すだろう。相変わらず大学受験はぎりぎりに違いない。
 それでも――それらがいとしい日常だと、司は知っている。
「大学芋食べたいな、かりかりのやつ」
「はいはい、仰せのままに」
 夜風に吹かれて、司は微笑んだ。夜の底からでも、太陽を望むことはできるだろう。 
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