秘剣 侶鶴雪香(ひけん りょかくせっこう)

冲令子

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殺戮の朝1

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 永芳と余雪が訪ねるはずだった南揚派から使いの者が来て、さらに急を要する事態だという。
 扉を開けると、使いの林は転げるようにして部屋に飛び込んできた。

「何かあったのですか」

 林は永芳の問いに答える前にその腕を掴むと、部屋の外に連れ出した。慌てて余雪もついて行く。

「飛鶴派の本山が魔教に襲撃されたとのことです。すぐに一緒に来てください」

 永芳と余雪は動揺しながらも、急いで宿を後にした。主人に断って馬は置いたまま、軽功で本山に向かう。
 飛鶴派の本山には、すでに各派の重鎮が集まりつつあるはずだ。魔教に襲われたとしても、手練揃いの正派に大きな被害があるとは思えなかった。

「現地からの連絡は?」
「それが全く……。我が派の総帥も到着しているはずなのですが、同行した者から伝令犬で走り書きが届いただけで、詳しい状況は全くわからないのです」

 報せを受けて、すでに数人が飛鶴派の本山に向かっているらしい。林は永芳と行き違いにならないよう、迎えに来てくれたと言う。

「それはお手数をおかけしました」
「いえ、こちらこそ騒ぎ立てて失礼しました。いくら魔教が騙し討ちをしようと、任総帥がおられるところで大事があるとは思えませんが、永芳どのも本山の騒動を放っておいて当派に滞在するというわけにもいかないでしょうから」

 宿を訪ねてきた時は取り乱していた林は、説明するうちに落ち着いたのか、永芳に微笑んでみせた。その表情を見て、永芳の気持ちにも余裕ができた。
 林は永芳や余雪に比べて内力が浅く、軽功を使う足も遅れがちだったが、そこまで急ぐ必要もあるまいと、永芳は林に合わせて速度を落とした。

 全力ではないとはいえ、夜を徹して軽功を使い続けた永芳の足は、次第に痛みを感じ出した。

「もう少し行くと泉があります。一度そこで休憩をとりましょう」

 永芳の様子に気づいた余雪が提案すると、林も疲れていたのか、ホッとした表情で頷いた。
 泉の方へ向かおうとした永芳は、ハッと顔を上げた。
 夜明けの紫の空に、橙色の陽の光が広がり始める。朝靄で霞む景色の先に、どす黒い煙が天へと立ち昇るのが見える。

「本山の方角だ……」

 永芳は早鐘を打ち出した胸をぎゅっと押さえた。嫌な予感に、じんわりと汗が滲む。

「急ぎましょう」

 余雪は永芳の腰に手を回すと、抱き抱えるようにして軽功を駆使した。林も慌てて続くが、二人はすでに遥か先だ。
 余雪の行動は、永芳にとっては屈辱的な仕打ちだったが、足元はもう痛みでおぼつかない。早く本山に行かなくてはという使命感に唇を噛み締め、余雪に身を任せた。 
 本山に近づくにつれて、バチバチと爆ぜる音と焼け焦げた臭いが風に乗って運ばれてくる。風は熱気を帯びていて、永芳は思わず袖で顔を覆った。

 朝日に照らされた飛鶴派の本山は、すでに灼熱の炎に焼き尽くされ、残火が燻っているだけだった。
 朱塗りの大門は炭となり、金泥で横書きに大きく『飛鶴派』と書かれていた表札は、見る影もなく焼け落ちている。

 永芳を抱えて門前に降り立った余雪は、目の前に広がる光景に声も出なかった。
 思わず後退ると、何かにつまづいて受け身を取る暇もなく尻餅をついた。
 真っ黒に煤けた遺体だった。
 青ざめて言葉をなくした余雪の手を、永芳が掴んで立ち上がらせる。

「……雪児、ここは火が残っているから向こうに移動しなさい。動けるならこの二人に止血をしろ。そこのお前はあそこにいる怪我人を運んで──」

 永芳は余雪以上に心をかき乱されていたが、自分を叱咤しながら動ける者たちへ指示を出した。
 見る限り、まともに動けそうな者はいない。
 父は、幼い弟弟子たちは……
 不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら、今ここで差配できるのは自分しかいないという使命感のみで焼け跡を歩き、まだ息のある者を救出する。焦げた遺体が目に入るたびに、胸が抉られるような痛みを感じた。

 稽古場だった広間は屋根が焼け落ちて、炭となった柱が、朝日の輝く青空に向かって聳えていた。
 その中央に立つ姿が目に入った時、永芳は全身の毛が逆立つような憎悪に、呻き声を溢した。

劉玲華りゅうれいか……」

 火の粉が立ち昇る中、陽炎が揺れる向こうに、その男はいた。垂髪が熱風に舞い上がる姿は、多頭の龍のようだった。
 顔の左上を黒の面具で覆った男は、もう一方の目で永芳をじっと見つめていた。
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