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仇敵
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張慧儀は飛鶴派の弟子でありながら、魔教の劉英と道ならぬ恋に落ち、駆け落ち同然に門派を離れた。この時、慧儀の胎には劉英の子が宿っていた。
貧しくとも幸せな、慎ましい生活を送っていた二人だが、慧儀が子を産んだ直後、醜聞を恐れた飛鶴派は慧儀を奪って連れ去ってしまう。
破門を申し入れた慧儀であったが受け入れられず、慧儀とその子を守ろうとした劉英は半死の状態となった。その後劉英は、生まれたばかりの子を魔教に預けたところで力尽き、息を引き取った。
一方、飛鶴派の本山に連れ戻される途中で逃げ出した慧儀は、愛する夫と子どもの消息もわからず、兄弟子であり幼馴染でもある任家杰に助けを求めた。
家杰は、必ず夫と子に会わせようと約束をしながら、彼女を犯した。
劉英を殺し、慧儀を奪ったのは、幼い頃から慧儀に懸想していた家杰の仕組んだ罠だった。
家杰は慧儀が孕むまで犯し、慧儀は家杰との子を出産する際の負担と、度重なる心労から命を落とすこととなってしまった──
「つまり、お前はわたしの兄だというのか」
永芳はそう言ったきり、言葉を失った。
母については、誰も詳しくは教えてくれなかった。父や門派幹部の永芳に対する冷淡さに思い悩んだこともあったが、魔教に寝返った女の子どもとして忌み嫌われていたのだとしたら、合点がいく。
一度魔教と交わった女が総帥との子を産んだことが公になれば、混乱は免れない。
「あなたに罪はない。だが、父と母を殺した任家杰と飛鶴派を許すことはできない。その飛鶴派と手を結ぼうとするわが教も、あの男の血が流れているあなたも……」
劉玲華に差し出された剣を見下ろした永芳は、静かに目を伏せた。
もう事情を知る者は誰もいない。
劉の話を鵜呑みにするつもりはなかったが、劉が永芳に向ける憎しみと、垣間見せるやるせない表情に偽りはないのだろう。
「三十余年も復讐を誓って生きてきた貴殿の苦しみがいかばかりであったか、わたしの想像が及ぶものではないでしょう……」
項垂れる永芳を見下ろす劉の目には、弟を慈しむ色が僅かに滲んだ。
永芳を魔教に連れ帰ったのは、親切心や憐れみからではない。
物心ついた時から復讐を誓った相手が、門派の聖地を焼き尽くすという愚行の果てに自死してしまった。行き場のない憎しみは、仇敵の息子であり、異父弟でもある永芳に向かうはずだった。
永芳の弟弟子である青年を手にかけ、自分一人だけが生き残るという、劉自身が味わった地獄へ突き落としたのち、父の悪行を暴露し、心を蹂躙した上で復讐を果たすつもりだった。
だが、永芳をここに連れてきて以来、劉の心は揺れ動いていた。
永芳は、総帥の実子で剣の才能に恵まれているにも関わらず、疎まれ蔑ろにされてきた存在だった。
劉玲華もまた、邪派の女が産み落とした子と非難され、顔の痣は呪いだと忌み嫌われた。
永芳へ異父弟としての情があるわけではないが、彼もまた、劉と同じく自らの出自に翻弄されてきた一人だった。
任家杰がおぞましい仇敵だとしても、永芳自身に非があるわけではないことはわかっている。
永芳を死に追いやったとしても、心が晴れることがないだろうということも、薄々感じていた。現に、飛鶴派本山での凄惨な光景の果てに劉の胸に残ったのは、虚しさだけだった。
だが、ただ復讐のみを拠り所に生きてきた劉にとって、この宿願を捨て去るわけにはいかなかった。
「任永芳、僕と決着をつけて欲しい」
永芳へ剣を向けることに逡巡しながらも、復讐を果たさなくてはならないという使命感だけで、劉は永芳へ剣を渡した。
この際、勝ち負けはどうでもよかった。自らが死ぬことになっても構わない。
劉が永芳の腱を断ち、永芳が劉の顔に傷をつけたときから、いずれは決着をつけなければならなかったのかもしれない。
じっと俯いていた永芳は、ゆっくりと顔を上げた。
「腱を切られた時、わたしはいつか貴殿に復讐すると誓いました。今はもう、そんな気持ちはありません。今までずっと、剣のためだけに生きてきましたが、もうその執着すらありません。父や同胞の死に貴殿の責任がないことも理解しています」
劉玲華を兄と慕うことはなくとも、親の因縁に翻弄された者同士、または剣に身を捧げた者同士、永芳は相通じるところを感じていた。
だが劉は、自分の信じる正義のためならどれだけ残虐なことでもできる男である。劉に剣を突きつけられて、魔教とはそういうものだということを思い出した。
いや、魔教だけじゃない。
江湖(武人が属する、一般社会から逸脱した世界)とは、己の信条を貫くためならどんな犠牲も厭わない、ならず者の集まりなのだ。
そして、永芳自身も江湖で生まれ育った無頼だった。
「それでも──」
永芳は、差し出された剣を手に取った。ゆっくりと抜刀し、劉玲華へ剣先を向ける。
「わたしの弟子の死は償ってもらう」
貧しくとも幸せな、慎ましい生活を送っていた二人だが、慧儀が子を産んだ直後、醜聞を恐れた飛鶴派は慧儀を奪って連れ去ってしまう。
破門を申し入れた慧儀であったが受け入れられず、慧儀とその子を守ろうとした劉英は半死の状態となった。その後劉英は、生まれたばかりの子を魔教に預けたところで力尽き、息を引き取った。
一方、飛鶴派の本山に連れ戻される途中で逃げ出した慧儀は、愛する夫と子どもの消息もわからず、兄弟子であり幼馴染でもある任家杰に助けを求めた。
家杰は、必ず夫と子に会わせようと約束をしながら、彼女を犯した。
劉英を殺し、慧儀を奪ったのは、幼い頃から慧儀に懸想していた家杰の仕組んだ罠だった。
家杰は慧儀が孕むまで犯し、慧儀は家杰との子を出産する際の負担と、度重なる心労から命を落とすこととなってしまった──
「つまり、お前はわたしの兄だというのか」
永芳はそう言ったきり、言葉を失った。
母については、誰も詳しくは教えてくれなかった。父や門派幹部の永芳に対する冷淡さに思い悩んだこともあったが、魔教に寝返った女の子どもとして忌み嫌われていたのだとしたら、合点がいく。
一度魔教と交わった女が総帥との子を産んだことが公になれば、混乱は免れない。
「あなたに罪はない。だが、父と母を殺した任家杰と飛鶴派を許すことはできない。その飛鶴派と手を結ぼうとするわが教も、あの男の血が流れているあなたも……」
劉玲華に差し出された剣を見下ろした永芳は、静かに目を伏せた。
もう事情を知る者は誰もいない。
劉の話を鵜呑みにするつもりはなかったが、劉が永芳に向ける憎しみと、垣間見せるやるせない表情に偽りはないのだろう。
「三十余年も復讐を誓って生きてきた貴殿の苦しみがいかばかりであったか、わたしの想像が及ぶものではないでしょう……」
項垂れる永芳を見下ろす劉の目には、弟を慈しむ色が僅かに滲んだ。
永芳を魔教に連れ帰ったのは、親切心や憐れみからではない。
物心ついた時から復讐を誓った相手が、門派の聖地を焼き尽くすという愚行の果てに自死してしまった。行き場のない憎しみは、仇敵の息子であり、異父弟でもある永芳に向かうはずだった。
永芳の弟弟子である青年を手にかけ、自分一人だけが生き残るという、劉自身が味わった地獄へ突き落としたのち、父の悪行を暴露し、心を蹂躙した上で復讐を果たすつもりだった。
だが、永芳をここに連れてきて以来、劉の心は揺れ動いていた。
永芳は、総帥の実子で剣の才能に恵まれているにも関わらず、疎まれ蔑ろにされてきた存在だった。
劉玲華もまた、邪派の女が産み落とした子と非難され、顔の痣は呪いだと忌み嫌われた。
永芳へ異父弟としての情があるわけではないが、彼もまた、劉と同じく自らの出自に翻弄されてきた一人だった。
任家杰がおぞましい仇敵だとしても、永芳自身に非があるわけではないことはわかっている。
永芳を死に追いやったとしても、心が晴れることがないだろうということも、薄々感じていた。現に、飛鶴派本山での凄惨な光景の果てに劉の胸に残ったのは、虚しさだけだった。
だが、ただ復讐のみを拠り所に生きてきた劉にとって、この宿願を捨て去るわけにはいかなかった。
「任永芳、僕と決着をつけて欲しい」
永芳へ剣を向けることに逡巡しながらも、復讐を果たさなくてはならないという使命感だけで、劉は永芳へ剣を渡した。
この際、勝ち負けはどうでもよかった。自らが死ぬことになっても構わない。
劉が永芳の腱を断ち、永芳が劉の顔に傷をつけたときから、いずれは決着をつけなければならなかったのかもしれない。
じっと俯いていた永芳は、ゆっくりと顔を上げた。
「腱を切られた時、わたしはいつか貴殿に復讐すると誓いました。今はもう、そんな気持ちはありません。今までずっと、剣のためだけに生きてきましたが、もうその執着すらありません。父や同胞の死に貴殿の責任がないことも理解しています」
劉玲華を兄と慕うことはなくとも、親の因縁に翻弄された者同士、または剣に身を捧げた者同士、永芳は相通じるところを感じていた。
だが劉は、自分の信じる正義のためならどれだけ残虐なことでもできる男である。劉に剣を突きつけられて、魔教とはそういうものだということを思い出した。
いや、魔教だけじゃない。
江湖(武人が属する、一般社会から逸脱した世界)とは、己の信条を貫くためならどんな犠牲も厭わない、ならず者の集まりなのだ。
そして、永芳自身も江湖で生まれ育った無頼だった。
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永芳は、差し出された剣を手に取った。ゆっくりと抜刀し、劉玲華へ剣先を向ける。
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