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ヘルナイト

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 スタッフルームに入った瞬間、ビクッと足が止まった。

「お疲れ」

 爽やかな声で労われて、後退りしそうになっていた体勢を元に戻す。

「遅かったな」

 狭いスタッフルームで折り畳み椅子に座っていた暁生あきおは、スマホから視線を上げて俺を見た。

「ああ……レジ締めに手間取っちゃって……」
「言ってくれたら手伝ったのに」
「……もう帰ったと思ってたし」

 暁生はいかにも好感度の高そうな笑顔を浮かべて、俺をじっと見つめる。男同士とはいえ、着替えをじろじろ見られるのは気まずい。暁生の視線を遮るように、ロッカーの扉に隠れてバイト用のシャツを脱いだ。

「……何か用があった?」

 もうすっかり帰り支度は終わっているように見えるのに、暁生は椅子に座ったまま、スマホすら見ずにじっと俺へ視線を向けている。

「いや、ダラダラしてたらこんな時間になっただけ」
「……先、帰って大丈夫だよ。まだ店長いるから鍵閉めもないし」
瑞希みずきが終わるまで待つよ」

 笑顔でそう言われると、断ることもできない。
 俺は諦めてさっさと着替え、お待たせ、と暁生に声をかけた。
 閉店作業まで終えれば、もう深夜に近い時間だったが、この辺りはまだ営業している店も多く、駅までの道は賑わっていた。
 ネオンと喧騒の中、隣を歩く暁生をそっと見上げる。
 俺は背が高い方なので、人を見下ろすことは多いけど、見上げることは滅多にない。それも暁生に対する苦手意識の一因なのかもしれないと、ふと思った。

 そう、俺は暁生が苦手なのだ。

 オーナーシェフが『うちは顔採用だから』と公言する通り、店のスタッフは男も女もみんな顔がいい(自分をそこに含めるのは図々しいけど、俺も子どもの頃から見た目を褒められることは多かった)。
 その中でも一番美形なのが暁生だ。
 うちの店は場所柄のせいか芸能関係のお客さんも多く、スタッフがスカウトされるのは珍しいことじゃないが、声をかけられる回数は暁生が断トツで一番多かった。
 外見だけじゃない。
 歳上のフリーターバイトもいる中で、バイトリーダーをやるくらい仕事もできる。

 俺がこの店に入ったのは、ちょうど一年くらい前の大学二年生に進級した時だった。
 暁生は大学に入ってすぐの頃からここで働いており、バイト歴としては一年先輩だった。同い年だし話しやすいだろう、という理由で暁生が俺の教育係になった。

 バイトを始めてすぐ、俺と暁生は意気投合した。
 休みの日に買い物に行ったり、バイト終わりに食事に行ったり、一時期は同じ大学や高校の時からの友達よりも親しくしていた。
 違和感を覚えたのは、三ヶ月ほど経った頃だった。

「暁生って、なんか距離近くない?」

 バイト前に着替えながら、同じく着替え中の春人はるとに思い切って尋ねた。

「いや、うちのバイトみんな距離なしじゃん」

 オーナーシェフの趣味なのか、確かにスタッフは陽キャ一軍みたいなタイプばっかりだし、男のスタッフは年齢関係なく下の名前で呼び捨てにするのが慣例だった。

「ていうか、むしろ暁生が一番距離あるくね?」

 すでに着替え終わり、椅子に座って始業までの時間を潰していたれんが、スマホを眺めながら会話に入ってくる。

「しごできだから別にいいけどさ、なんかちょっと壁作ってるよな」

 散らかったテーブルに無造作に置かれた、誰かからの差し入れの菓子を食べながら廉が言うと、春人も頷いた。

「まあ、俺と廉は学年も違うしな」

 俺にはただ単に、同い年だから気安く接してくるだけなのだろうか?
 暁生は頼りになるし、優しくて穏やかでいい奴なのは間違いない。何が気になるのかと訊かれても、はっきり答えられるわけでもなかった。
 でも、一緒に働くようになって一年が経った今も暁生に対する違和感は消えず、むしろ顔を合わすたびに増していくように感じていた。

 バイト中の出来事とか、お互いの大学の話とか、当たり障りのない会話をしているうちに駅に着いた。

「あっ、もう電車来てるっぽい! お疲れ!」

 俺は暁生に向かって手を上げると、走って改札を抜けた。以前、駅まで一緒に帰った時に、うちに来たいというようなことを遠回しに言われて以来、なんとなく警戒するようになってしまった。
 電車に乗り込み、無事に振り切れたことにほっと息を吐きつつ、雑な別れ方をしたことに罪悪感を覚えた。

 冷静になると、なんで暁生と上手く付き合えないんだろうと自己嫌悪に陥る。
 仕事では、数えきれないくらい暁生にフォローされている。距離が近いといっても、強引に部屋に押しかけたりするわけじゃないし、こちらが無理だといえばあっさりと引いてくれる。
 俺が暁生を苦手と感じるのは、暁生のせいじゃくて俺自身のせいないのかもしれない。

 落ち込みながらアパートのドアを開けると、暗闇にぼんやりと人影が浮かんで見えた。飛び上がって心臓が止まりそうになるが、何度でもこのドキドキを味わえるなら、アルバイト代半年分の価値はあった。

「……ただいま」

 上り框に置いた、ジョンソン殺人鬼の等身大フィギュアに声をかけて、ワンルームのベッドに突っ伏す。
 別れ際に見た暁生の、捨てられた犬みたいな縋るような目を思い出してため息が漏れた。
 正統派のイケメンで、背が高く、いかにもスポーツマンといった筋肉質な体型で、真面目でリーダーシップもある。
 もうちょっと性格と女癖が悪かったら、典型的なジョックだ。

「序盤で死ぬタイプだな……」

 暁生のことを考えながら、俺は無意識のうちに呟いた。
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