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二章 目指せ声優! 鈴華愛紗

目指せ声優! 鈴華愛紗 6

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 二人は食事を終えて立ち上がる。
「すぐお皿を洗っちゃいましょう。洗い物って、時間が経つほどこびりついて落ちにくくなるんですよ」
 二人並んで皿を洗い、ついでに粗熱のとれたカレーを鍋ごと冷蔵庫にしまってから部屋に戻ろうとすると、愛紗に話しかけられた。
「そうだ拓斗さん、一曲弾いてくださいよ。ピアニストを目指している人がどれくらい上手いのか聞いてみたいです」
「……いや、それが……」
 拓斗は困ってしまった。素直に今は弾けないのだと言ったほうがいいだろうか。
 黙っていると愛紗が目の前まで来て、じっと拓斗を見上げてくる。
「もしかして拓斗さん、スランプですか?」
「スランプ」
「それで、全然ピアノを弾いていないんですね」
 言われてみると、拓斗の今の状態はスランプと言えないこともない。状況はもっと深刻な気もするが。
「わかりますよ、わたしもお芝居をする身ですからね。どう演じていいのか混乱して、わけがわからなくなることもあるし、台詞がさっぱり頭に入らないこともあります」
 愛紗は訳知り顔で頷いている。
「スランプって、成長痛だっていいませんか?」
「成長痛?」
「はい。身体や精神が伸びて変化して、成長しているんです。いろんな成長が同じ方向に同じ速度で発達してくれたらいいのに、バラバラでアンバランスでちぐはぐで、だから痛くて苦しいんです。だけどその成長がピタッと上手く噛み合った時、一回りも二回りも大きな力を出せるようになるんです」
 愛紗は拳を握って力説する。
「……って、わたしは思うようにしています」
「そうかもしれないね」
 その言葉からは、愛紗も血のにじむような努力を乗り越えてきた軌跡があるように感じられた。
 実際そうなのだろう。
 さっき聞いた外郎売だって、あそこまで早く滑らかに語れるようになるまでに相当な時間をかけているはずだ。中学校を卒業したばかりで北海道から上京するのだって、勇気が必要だっただろう。
「努力しないと成長しませんよね。前進しないと壁にすらぶつかりません。すごく壁は苦しいけど、乗り越えてその上から見る景色は、乗り越える前とは違います」
「うん、そうだね」
 拓斗も今まで、いくつも壁を乗り越えてきたという自負がある。楽しいだけではプロを目指せない。
「……わたしの声、気になりましたか?」
 愛紗がさっきまで食事をしていたテーブルに座る。拓斗もつられて、同じように愛紗の正面の席に戻った。
「高いなとは思ったけど」
 子供の声とも違う、裏声のような高音。
「この声のせいで、いじめられました」
 愛紗は細い首を指先ですっとなでた。
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