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三章 家族で仲良く暮らしたい、城島啓太

家族で仲良く暮らしたい、城島啓太 5

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「絶対に見に来て、そうじゃなきゃ離婚するって言ったの」
 しかし、隆は現れなかった。
「大芝居が終わってすぐに携帯に電話をしたら、夫は仕事が押して会社から出られなかったって、まったく悪びれた様子も見せずに言ったのよ。一言も謝らないの。啓太はものすごくガッカリしてた。晴れ舞台をパパに見てもらえると思っていたんだから当然よね。もう私、頭にきちゃって」
 陽子は、「これからのことを話し合いましょう。今日の午後九時までに帰ってこなければ離婚です」とSNSにメッセージを入れた。それが昨日のことだ。
「みごとに既読スルー。約束の時間をすぎてすぐに“離婚ね”と書いたんだけど、今度は既読にすらならないの。電話をかけても出やしない。それでも急いで帰ってきて謝りでもしたら話を聞こうと思って起きて待っていたんだけど、やっぱり帰ってこなかった。いてもたってもいられなくて、今朝、母さんに全て話したの。おかげで頭が整理できたわ。啓太と二人で生きていく決意を新たにしたところよ」
「完全に隆さんが悪いですね」
「でしょ!」
 陽子はテーブルを手の平で叩いた。
「でもやっぱり、弁護士に相談する前に夫婦で話し合ったほうがいいと思いますよ」
「そう思ってたから、私は何度も夫に提案したじゃない。どうせあの人、私を見下してるのよ」
「どういうことですか?」
「すぐに、誰の金で食えてるんだ、とか、働いたことのない苦労知らずのおまえが離婚をしてもやってけるはずがない、とか。そういうことを言うのよ」
「それはひどいですね」
 拓斗も同意だ。仕事も大変だろうが、一人で啓太を育てるのも大変だっただろう。
「もう我慢の限界よ。よく堪えたって自分を褒めてあげたいくらい。来年、啓太は小学校に上がる。苗字が変わったりするから、タイミングもちょうどいいと思うの。離婚して私が働く。次はちゃんと家族を大事にしてくれる人と再婚するわ。私は母さんに育てられてるからね。両親は私たちきょうだいに愛情をもって接してくれた。啓太にも、自分の生まれ育った家族が一番だって誇りを持ってもらいたいの。ダメな夫なんていないほうがマシよ」
 一理ある。いや一理どころではない。これでは夫の隆は捨てられて当然だと拓斗は思った。
 しばし考えるようなしぐさをしていた雄一郎は、小さくうなずいた。
「陽子さんの言い分はわかりました。隆さんの話も聞いて来ますから、弁護士に相談するのは待ってください」
「えっ」
 驚いたのは陽子だけではない。拓斗も声を出していた。
「今の話で、状況は充分理解できるじゃないか」
「それじゃあ、拓斗はこのまま陽子さんが離婚してもいいっていうのか。啓太はまた泣くぞ」
「仕方がないよ、旦那さんは随分とひどい仕打ちをしているんだから」
「でしょ! あなた、よくわかってるわね!」
 拓斗は陽子に手を握られた。
「そうかな。モラハラ発言もあるようだけど、家族を養ってはいるし、修復できないほど最悪な関係ではないと感じたよ。陽子さん、隆さんがこれからは家族を大事にすると土下座して謝ってきたらどうします?」
 後半は陽子に視線を戻して雄一郎は尋ねた。
「本当に反省して態度を改めるなら考えるけど……。でも、あり得ないわよ」
「それを確かめに行ってきます」
 その前に、と言って雄一郎はフレーバーウォーターを二つのグラスに注いだ。
「これを飲んでから」
 すすめられて拓斗も飲んだ。爽やかな味と香りがする。喉を潤してから二人は家を出た。
「無駄だと思うけどね」
 陽子にそう言われながら見送られた。
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