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四章 親愛なる瀬田雄一郎のために
親愛なる瀬田雄一郎のために 11
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「……っ」
左手に鋭い痛みが走った。
あと一曲。お願いだから動いて。一番届けたかった曲が残っているんだ。
額に汗を浮かべながら拓斗は最後の曲のために構え、両手を同時に力強くおろした。
感情を叩きつけるようなフォルテ・ピアノの和音が、重々しいグラーヴェで始まる。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『ピアノ・ソナタ 第八番「悲愴」』だ。
まるで絶望の嘆きのような序奏。打ちひしがれて涙にくれている姿が目に浮かぶようだ。
一七九八年頃の、二十代後半のベートーヴェンによる作品だ。ベートーヴェンは自分の楽曲にほとんどタイトルをつけなかった。そのなかで自ら『悲愴』と表題をつけたこの曲には、強いメッセージ性を感じる。
この頃のベートーヴェンは聴力の異常に悩まされていた。友人へ宛てた手紙には「何回となく創造主を呪った」と書かれていたという。そんなベートーヴェンによる『悲愴』だ。
低いグラーヴェから一転して素早いアレグロに入る。それは困難から抜け出せない焦りや緊迫感に追われているようだ。アレグロは激しさを増していく。絶望から抜けだそうと必死にあがいているようにも感じる。
しかし、むなしくも主題に戻るのだ。重々しいグラーヴェが、序奏よりも重くのしかかる。
どんなに努力をしても、あがいても、絶望の淵に叩き落されるだけなのか。
いや、諦めない。またすぐにアレグロに切り替わる。
これが繰り返される緊迫感のなかで第一楽章が終わると、穏やかな第二楽章が始まる。
なんという優しい響きなのだろうか。温かいひだまりに包まれているようだ。絶望の底から這いだそうと全力を出し尽くし、疲れ果て、傷だらけになった身体をゆっくりと癒すかのように。
ベートーヴェンの生まれを考えると、故郷ドイツのライン川が浮かんでくる。広大で穏やかな父なる川に身をゆだね、一時の安眠を得る。誰だって走り続けることはできない。休息は必要なのだ。
そして目覚めの時が来る。第三楽章だ。ロンド主題は軽やかで、途中で展開されるフーガも穏やかだ。それはまるで、癒えた身体で、また目標に向かって元気よく駆け出しているようだ。
拓斗の鼻先から汗がしたたり落ちた。
左腕が限界だった。もう肩から下の感覚がほとんどない。
ぼくは軽やかに弾けているのか。そもそも、曲として成り立っているのか。
ごめんね、無理はしないと言ったのに。あと数分なんだ。頼むよ、動いて。
曲はクライマックスを迎え、ドラマチックに盛り上がる。そして第二楽章を匂わせながらフォルティッシモで力強く締めくくられる。
「……終わった」
新たな汗がしたたった。意識が朦朧とするところを、大きな歓声が引き戻した。
ぼくの思いは届いただろうか。
聴衆に、特にシェアハウスのメンバーに捧げた曲だ。
この曲は、もがき苦しみ、時には身体を休めながらも、また決意を固めて目標に向かって走り出すようにも聴こえる。
タイトルこそ『悲愴』だが、『希望』の曲なのだ。
耳の疾患に侵されながら書かれたこの『悲愴』は、当時は斬新で、実験的だともいえる構成だった。不安におびえながらも、ベートーヴェンの思考は既に未来を向いていた。
ベートーヴェンは運命を悲観する手紙ばかりではなく、「この運命に打ち勝つ」「新しい音楽を作り上げて世に出したい」という内容も送っている。自死も考えながら、それを乗り越えた。
そして彼は難聴に向き合い、今でも親しまれている交響曲『運命』や『田園』など、あまたの名曲を残した。
メッセージどおりに、実際に運命に打ち勝ったのだ。
拓斗は最後の力を振り絞って退場する。
袖のカーテンを通り過ぎると搾りかすだけになっていた気力が霧散し、身体が倒れていった。床にぶつかるとぼんやりと思ったのに、衝撃がない。
「歩けるか?」
その声に目を開けると、幼なじみの顔があった。
「雄一郎……」
左手に鋭い痛みが走った。
あと一曲。お願いだから動いて。一番届けたかった曲が残っているんだ。
額に汗を浮かべながら拓斗は最後の曲のために構え、両手を同時に力強くおろした。
感情を叩きつけるようなフォルテ・ピアノの和音が、重々しいグラーヴェで始まる。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『ピアノ・ソナタ 第八番「悲愴」』だ。
まるで絶望の嘆きのような序奏。打ちひしがれて涙にくれている姿が目に浮かぶようだ。
一七九八年頃の、二十代後半のベートーヴェンによる作品だ。ベートーヴェンは自分の楽曲にほとんどタイトルをつけなかった。そのなかで自ら『悲愴』と表題をつけたこの曲には、強いメッセージ性を感じる。
この頃のベートーヴェンは聴力の異常に悩まされていた。友人へ宛てた手紙には「何回となく創造主を呪った」と書かれていたという。そんなベートーヴェンによる『悲愴』だ。
低いグラーヴェから一転して素早いアレグロに入る。それは困難から抜け出せない焦りや緊迫感に追われているようだ。アレグロは激しさを増していく。絶望から抜けだそうと必死にあがいているようにも感じる。
しかし、むなしくも主題に戻るのだ。重々しいグラーヴェが、序奏よりも重くのしかかる。
どんなに努力をしても、あがいても、絶望の淵に叩き落されるだけなのか。
いや、諦めない。またすぐにアレグロに切り替わる。
これが繰り返される緊迫感のなかで第一楽章が終わると、穏やかな第二楽章が始まる。
なんという優しい響きなのだろうか。温かいひだまりに包まれているようだ。絶望の底から這いだそうと全力を出し尽くし、疲れ果て、傷だらけになった身体をゆっくりと癒すかのように。
ベートーヴェンの生まれを考えると、故郷ドイツのライン川が浮かんでくる。広大で穏やかな父なる川に身をゆだね、一時の安眠を得る。誰だって走り続けることはできない。休息は必要なのだ。
そして目覚めの時が来る。第三楽章だ。ロンド主題は軽やかで、途中で展開されるフーガも穏やかだ。それはまるで、癒えた身体で、また目標に向かって元気よく駆け出しているようだ。
拓斗の鼻先から汗がしたたり落ちた。
左腕が限界だった。もう肩から下の感覚がほとんどない。
ぼくは軽やかに弾けているのか。そもそも、曲として成り立っているのか。
ごめんね、無理はしないと言ったのに。あと数分なんだ。頼むよ、動いて。
曲はクライマックスを迎え、ドラマチックに盛り上がる。そして第二楽章を匂わせながらフォルティッシモで力強く締めくくられる。
「……終わった」
新たな汗がしたたった。意識が朦朧とするところを、大きな歓声が引き戻した。
ぼくの思いは届いただろうか。
聴衆に、特にシェアハウスのメンバーに捧げた曲だ。
この曲は、もがき苦しみ、時には身体を休めながらも、また決意を固めて目標に向かって走り出すようにも聴こえる。
タイトルこそ『悲愴』だが、『希望』の曲なのだ。
耳の疾患に侵されながら書かれたこの『悲愴』は、当時は斬新で、実験的だともいえる構成だった。不安におびえながらも、ベートーヴェンの思考は既に未来を向いていた。
ベートーヴェンは運命を悲観する手紙ばかりではなく、「この運命に打ち勝つ」「新しい音楽を作り上げて世に出したい」という内容も送っている。自死も考えながら、それを乗り越えた。
そして彼は難聴に向き合い、今でも親しまれている交響曲『運命』や『田園』など、あまたの名曲を残した。
メッセージどおりに、実際に運命に打ち勝ったのだ。
拓斗は最後の力を振り絞って退場する。
袖のカーテンを通り過ぎると搾りかすだけになっていた気力が霧散し、身体が倒れていった。床にぶつかるとぼんやりと思ったのに、衝撃がない。
「歩けるか?」
その声に目を開けると、幼なじみの顔があった。
「雄一郎……」
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