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二章 引きこもりの鬼

二章 1

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 駅の喧騒から離れ、閑静な街並みの一角にある「BAR SANG」のドアベルが鳴った。
「よっ、飲みに来てやったぜ」
 ドアを少し屈むようにして店に入ってきたのは、長身の桂男・蘇芳だ。顔だけでなく身体まで作りこまれた彫刻のように端正で、人を虜にするために生まれてきたようなあやかしだった。
 カウンター席の中央に座った蘇芳に水とおしぼりを置いた毬瑠子に、開けている蘇芳の胸元が目に入った。毬瑠子は「あわわ」と、頬を染めながら慌てて目をそらす。
 鋼のような蘇芳の大胸筋からは色香が漂うようで、胸元のチャームポイントは女性の専売特許ではなかったのだなと考えさせられる。
「なんか飲ませてくれ。二人も好きなのを飲んでいいぞ」
「今日は一人なのですね」
 吸血鬼のマルセルはグラスを準備しながら蘇芳に声をかけた。
 蘇芳が店に来るときはいつも連れがいた。連れてくるあやかしには大抵悩みがあり、マルセルに相談することが多かった。
 客の話を聞くのもバーテンダーの仕事だとマルセルは真摯に相談にのっているが、蘇芳がそういう客をわざわざ連れてくること自体に不満があるようだ。
「連れてこようと思ったんだけどさ、そいつが頑なに動かないんだよ。だからさ……」
「それ以上言わなくて結構です。聞きたくありません」
 マルセルが蘇芳の言葉を遮った。
「そんなこと言うなよ。おまえと俺との仲だろ」
 マルセルは胡乱な目で蘇芳を見ると、手早くカクテルを作り始めた。
 細長いコリンズグラスを取り出して氷を入れてかき混ぜた。グラスを冷やしたのだろう。その氷を捨てて改めてクラッシュアイスを入れ、ソーダとリキュールのカンパリを入れて、輪切りのライムを添えた。透明感のある赤いカクテルだ。
「カンパリソーダです」
 そう言って蘇芳の前に置く。
「おっ、珍しいのを作ったな。なにか意味があるのか?」
「カクテルはすべてに意味がありますよ」
 マルセルはすましている。カクテル言葉の意味を言うつもりがないようなので、毬瑠子はスマートフォンで調べてみた。
 カンパリソーダの意味は「ドライな関係」。
 毬瑠子は吹き出しそうになって口元を押さえた。蘇芳はお得意さんだというのに、塩対応も甚だしい。
 続けてマルセルはオレンジジュース、パイナップルジュース、レモンジュース、氷をシェイカーに入れて、ノンアルコールカクテルを作った。
「毬瑠子には“シンデレラ”を」
 オレンジ色の可愛らしいショートカクテルだ。シェイクする姿が素敵だと話したら、マルセルは毬瑠子のためにもシェイカーを振るようになった。
 マルセルは中世の欧州貴族のような衣装で、相貌も美しく品がある。蘇芳以外には誰にでも親切だが、毬瑠子には特別優しい。
「でな、連れてきたかったヤツというのは鬼なんだよ」
 マルセルのすげない態度など意に介さない様子で蘇芳は話を続けた。
「鬼?」
 毬瑠子は眉をしかめた。鬼といえば悪者の代名詞だ。
「お嬢ちゃん、今、怖いと思っただろ」
 蘇芳に指摘されて、毬瑠子は素直にうなずいた。
「鬼というと、地獄で亡者を責める獄卒のイメージが強いんだろうな。大昔は不可思議な事件はなんでもかんでもあやかしの、特に当時からメジャーだった鬼のせいにされていた。でも神として神社で祀られている鬼もいるんだぜ」
 毬瑠子は「へえ」と感心する。
「鬼の神様かあ。いろんな鬼がいるんだね。人にも善人と悪人がいるから、それと同じなのかな」
 鬼というだけで怖がるのはやめようと、毬瑠子は反省した。
「ヴァンパイアなんて血を吸うんだから、人にとっちゃ鬼より恐ろしいだろ」
「わたしは人を襲いませんよ。毬瑠子が怖がるようなことは言わないでください」
「一般論だ」
 マルセルは目を尖らせるが、蘇芳は悪びれずに笑みを浮かべている。
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