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三章 ナポリタンとワンピースと文字
三章 3
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「まだ食うな、ちょっと待ってろ」
仕方がないと、貴之は寝室のクローゼットに向かった。
リビングダイニングに戻ると、盛大に眉を下げた美優が見上げてきた。
「待てをされたワンちゃんの気持ちがわかりました。早く食べたいです」
「情けない顔をするな。ほら」
貴之は黒いタートルネックのセーターを美優にかぶせた。美優の白いハイネックのインナーまですっぽりと隠れる。
「それなら汚れても構わないから、気にせず食え」
「……ありがとうございます」
美優は袖に腕を通しながら、驚いたようにセーターを見下ろした。体格が違いすぎて袖があまって垂れている。美優はその袖に顔を当てた。
「これが貴之さんの匂い……」
「違う。芳香剤の匂いだ」
なんて恥ずかしいことを言うんだと呆れながら、いささか顔が火照ってしまう。これではまるで、初めて泊りに来た恋人に服を貸したときのような会話ではないか。
そういえば事務所を兼ねているとはいえ、ここは一人暮らしの男の家だ。美優はよく入り浸れるものだと、今更ながら警戒心のなさに驚く。
相手が貴之だからだろうか。男として見られていない証左か。
今度脅かしてやろうかな、などと意地悪なことを貴之はチラリと考える。
貴之としても、噛みついてきた子犬に懐かれたような感覚になっているので、あまり気にしていなかった。同じ事故での遺族として、仲間意識のほうが勝っているせいかもしれない。
「いただきます」
美優は手を合わせてナポリタンを食べ始めた。何度も折った袖は手首でかなりの厚みになっている。
「麺はレシピよりも少し、柔らかめにした」
貴之も美優の正面に座ってナポリタンを口に運ぶ。予定どおりの触感だと、貴之は満足した。
麺を茹でる時にオリーブオイルを入れて、表面をコーティングしたのだ。するとたんぱく質であるグルテンをあまり壊さずに済み、柔らかくもコシのある麺になる。
「茹ですぎた言い訳ですか?」
「取り上げるぞ」
「やめてください、冗談です!」
美優は慌てて皿を抱えた。
「……すごく、美味しいです。父にお手本として食べさせてあげたい」
美優の目元が光る。
「ずっとナポリタンを食べたかったんですけど、家族の食卓を思い出してしまって、どうしても一人じゃ食べられなかったんです。懐かしい。本当に美味しいです」
美優は涙をこらえるような顔をして、うつむき気味に食べている。
だから、そういう顔をするなというのに。
「これくらい、いつでも作ってやる」
その表情にほだされて、また貴之は余計なことを言ってしまった。
「はい。ありがとうございます」
美優は笑顔になった。
そんな様子を見ていると、いつも「まあ、いっか」と思うのだ。
食後に皿を片付けた美優は、本格的にソファで仮眠態勢に入ってしまった。出勤時間までここにいるつもりだろう。
こうなると追い出すことも難しいので、音を立てないように貴之は仕事部屋にこもることにする。
本業のライター職はもちろん、最近は副業の代筆屋の依頼も増えていた。
そのため、代筆には時間がかかる可能性と、緊急の際はその旨を明記してほしいと、ホームページに注意事項を追加した。
そんな代筆屋用のメールボックスに、「緊急」の依頼が入っていた。三十九歳の女性のようだ。
自分は移動ができないので、ご足労をかけるが話を聞きに来てほしい、と書いてある。
メールを読み進め、貴之はマウスを動かす手をとめた。
「ここは……」
依頼人のいる場所は、ホスピスだった。
仕方がないと、貴之は寝室のクローゼットに向かった。
リビングダイニングに戻ると、盛大に眉を下げた美優が見上げてきた。
「待てをされたワンちゃんの気持ちがわかりました。早く食べたいです」
「情けない顔をするな。ほら」
貴之は黒いタートルネックのセーターを美優にかぶせた。美優の白いハイネックのインナーまですっぽりと隠れる。
「それなら汚れても構わないから、気にせず食え」
「……ありがとうございます」
美優は袖に腕を通しながら、驚いたようにセーターを見下ろした。体格が違いすぎて袖があまって垂れている。美優はその袖に顔を当てた。
「これが貴之さんの匂い……」
「違う。芳香剤の匂いだ」
なんて恥ずかしいことを言うんだと呆れながら、いささか顔が火照ってしまう。これではまるで、初めて泊りに来た恋人に服を貸したときのような会話ではないか。
そういえば事務所を兼ねているとはいえ、ここは一人暮らしの男の家だ。美優はよく入り浸れるものだと、今更ながら警戒心のなさに驚く。
相手が貴之だからだろうか。男として見られていない証左か。
今度脅かしてやろうかな、などと意地悪なことを貴之はチラリと考える。
貴之としても、噛みついてきた子犬に懐かれたような感覚になっているので、あまり気にしていなかった。同じ事故での遺族として、仲間意識のほうが勝っているせいかもしれない。
「いただきます」
美優は手を合わせてナポリタンを食べ始めた。何度も折った袖は手首でかなりの厚みになっている。
「麺はレシピよりも少し、柔らかめにした」
貴之も美優の正面に座ってナポリタンを口に運ぶ。予定どおりの触感だと、貴之は満足した。
麺を茹でる時にオリーブオイルを入れて、表面をコーティングしたのだ。するとたんぱく質であるグルテンをあまり壊さずに済み、柔らかくもコシのある麺になる。
「茹ですぎた言い訳ですか?」
「取り上げるぞ」
「やめてください、冗談です!」
美優は慌てて皿を抱えた。
「……すごく、美味しいです。父にお手本として食べさせてあげたい」
美優の目元が光る。
「ずっとナポリタンを食べたかったんですけど、家族の食卓を思い出してしまって、どうしても一人じゃ食べられなかったんです。懐かしい。本当に美味しいです」
美優は涙をこらえるような顔をして、うつむき気味に食べている。
だから、そういう顔をするなというのに。
「これくらい、いつでも作ってやる」
その表情にほだされて、また貴之は余計なことを言ってしまった。
「はい。ありがとうございます」
美優は笑顔になった。
そんな様子を見ていると、いつも「まあ、いっか」と思うのだ。
食後に皿を片付けた美優は、本格的にソファで仮眠態勢に入ってしまった。出勤時間までここにいるつもりだろう。
こうなると追い出すことも難しいので、音を立てないように貴之は仕事部屋にこもることにする。
本業のライター職はもちろん、最近は副業の代筆屋の依頼も増えていた。
そのため、代筆には時間がかかる可能性と、緊急の際はその旨を明記してほしいと、ホームページに注意事項を追加した。
そんな代筆屋用のメールボックスに、「緊急」の依頼が入っていた。三十九歳の女性のようだ。
自分は移動ができないので、ご足労をかけるが話を聞きに来てほしい、と書いてある。
メールを読み進め、貴之はマウスを動かす手をとめた。
「ここは……」
依頼人のいる場所は、ホスピスだった。
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