狐火郵便局の手紙配達人

烏龍緑茶

文字の大きさ
26 / 30

第26話:「風読みの旅」

しおりを挟む
 風でできた橋を渡った湊は、ついに宙に浮かぶ果樹園へと足を踏み入れた。その瞬間、目の前に広がった光景は、まるで夢の中にいるかのようだった。色とりどりの花々が風に揺れながら咲き誇り、木々には瑞々しい果実が鈴なりに実っている。果樹園全体が風と共に踊っているような優雅さを湛え、甘い香りが湊を包み込んだ。

 (これが風に乗る果樹園……なんて美しい場所なんだ。)

 しばしその光景に心を奪われていた湊だったが、すぐに自らの使命を思い出す。

 (手紙を届けなければ……老夫婦の感謝を精霊に伝えなければならない。)

 湊は果樹園の奥へと歩を進め、精霊を探し始めた。しかし、広大で入り組んだ果樹園は迷路のようだった。木々の影があまりに濃く、どこに向かえばよいのか手がかりさえ掴めない。

 (どうすれば精霊に会えるのだろう……風の中に答えがあるのだろうか?)

 足を止めた湊の耳に、再び風の囁きが届いた。

 「……風を読め……風が道を示す……。」

 その声は、精霊が語りかけているようでもあり、ただ風そのものが自然に生む音のようでもあった。湊は目を閉じ、風の流れに全神経を集中させた。

 (風を読め……風は、俺を導いてくれるのか?)

 湊はそっと歩き始めた。風が強く吹く方向を頼りに、果樹園の中を進んでいく。だが、風は不規則に向きを変え、彼を惑わせた。何度も同じ場所に戻ってきたような感覚が湧き、不安が胸をよぎる。

 (正しい風の道を見つけられるのか……俺にそんなことができるのだろうか?)

 やがて疲れを感じた湊は、木陰で少し休むことにした。そのとき、不意に聞き慣れた声が耳に届いた。

 「湊、どうしたの? 疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

 振り向くと、そこには久遠が立っていた。

 「久遠? どうしてここにいるんだ?」

 湊は目を見開いて尋ねた。久遠はいたずらっぽく笑いながら肩をすくめた。

 「だって湊が心配だったんだもん。つい来ちゃった。あかりには内緒だよ?」

 「久遠……ありがとう。」

 不安に揺れていた湊の心が、久遠の言葉で少しずつ穏やかさを取り戻す。

 「ねえ湊、風の道が分からないんでしょ? だったら、僕が教えてあげるよ!」

 「久遠が……風の道を知っているのか?」

 湊は驚きの表情を浮かべたが、久遠は胸を張って言った。

 「僕は草花とおしゃべりできるんだ。だから風の流れも分かるよ!」

 久遠は近くの花に向かって軽く話しかける。その花がまるで答えるように微かに揺れる様子を見て、湊は思わず感嘆の声を上げた。

 「本当に……草花と話ができるんだな。」

 「ふふん、すごいでしょ? さあ、僕についてきて!」

 久遠は草花に道を尋ねながら、湊を導いていく。風が絡み合い、揺れる果樹園の中を歩きながら、湊は久遠の背中を追い続けた。

 (久遠の力があれば、俺は精霊に辿り着ける……そして、この手紙を届けることができるはずだ。)

 草花の囁きと風の流れに従いながら、湊と久遠は果樹園の奥へと進んでいった。

 木々の隙間から差し込む光が次第に強まり、風が穏やかに吹き抜ける場所にたどり着いた。その中央に、微かに揺れる青白い光が見える。

 「湊、あそこに精霊がいるよ。」

 久遠が指差す先を見つめると、確かにそこには不思議な輝きを纏った存在が浮かんでいた。その姿は人とも木とも取れぬ形をしており、静かに風の中に溶け込むように佇んでいる。

 湊はそっと近づき、手紙を胸に掲げた。

 「風の精霊よ。この手紙を受け取ってください。これは、老夫婦からあなたへの感謝と願いが込められたものです。」

 風が湊の手から手紙をさらい、精霊のもとへと運んでいく。手紙が光に吸い込まれるように消えると、果樹園全体が淡い光に包まれた。

 精霊の声が風と共に響く。

 「感謝の想い、確かに受け取った。この果樹園は、人々の願いと風に支えられて存在している……だが、今、この果樹園は消えゆこうとしている……。」

 湊はその言葉に息を呑んだ。

 「消えゆく……? 一体どういうことですか?」

 精霊は静かに続ける。

 「果樹園の命は限られている。この地に新たな種を植え、風がそれを育むことで、新たな果樹園が生まれるのだ……最後の果実を、この地に託してほしい。」

 湊は頷き、果樹園の中央で輝く一本の木に目を向けた。その木には、ひと際輝く果実が実っている。

 (これが……果樹園の未来を繋ぐ鍵なんだ。)

 湊は果実をそっと手に取った。風が再び囁き、湊の足元を包み込む。

 「さあ、この果実を地に還し、新たな命を育むのだ……。」

 湊は静かに頷き、果実を手にしたまま膝をつき、土に触れる。その手に伝わる温かさが、未来への希望を感じさせるようだった。

 湊は種を埋め、再び風に身を委ねた。

 果樹園は、湊の行動を見守るかのように優しく揺れる。その光景は、希望の幕開けを告げているかのようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。

雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。 その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。 *相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

処理中です...