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本編
13 我慢(櫻井視点)
しおりを挟む話は遡り。
コンサートツアー最終日、打ち上げ後──。
夜は深く、カーテン越しの街灯が、部屋に薄い影を落としていた。打ち上げを抜け出してきた二人は、気持ちを伝え合い、今ひとつのベッドで抱き合っている。
櫻井の腕の中、本郷は向かい合って眠っていた。規則正しい呼吸が、櫻井の胸に柔らかく当たる。
──近い。近すぎる。
櫻井は、喉の奥で小さく息を飲んだ。
指先が、無意識に背中の布をなぞってしまう。指に伝わる体温。筋肉のゆるやかな起伏。
(……本郷さんが起きてしまう)
そう思った瞬間、欲は反対方向に強まった。
腕に力が入る。本郷の身体が引き寄せられ、胸にぴたりと収まった。 呼吸が重なり、櫻井の熱が、逃げ場なく本郷の身体に伝わる。櫻井は顔を埋めるように、本郷の首元に口を寄せた。
吸うように息を落とし、肌に唇が触れる寸前で、わざと止める。それだけで、本郷の肩が小さく跳ねた。
(……ッ!)
その反応が、致命的だった。
櫻井の手が、本郷の腰骨を掴む。逃げられない位置を確かめるように、指が食い込み、身体を引き寄せる。
布越しでも分かるほど近い距離。下腹部が熱を持っているのを、本郷に否応なく伝わってしまう。
(まずい)
頭では分かっているのに、止まらない。
男として、恋人として、本郷を抱く準備が、身体の方ではとっくに整ってしまっていた。
櫻井は歯を食いしばり、ぐっと唇を噛む。
(抱きたい、なんて生温い言葉じゃ足りない)
この腕で囲って、逃げ道を塞いで、息が乱れるまで触れたい。その声が、喉の奥で掠れるまで、何度も名前を呼ばせたい。触れてないとこなどないほど、隅々まで──。
優しくするつもりなんて、最初からなかった。全部欲しい。理性も、余裕も、選択肢も奪って、もう自分しか見えなくさせてやりたい。
「……さくら、い?」
本郷の指が、櫻井の腕を無意識に掴む。櫻井は、はっとして腕を緩めた。名残惜しさが、皮膚に残る。
「……すみません」
距離ができた途端、空気が冷えた気がした。
本郷は目を覚まし、少し驚いた顔で櫻井を見上げる。
「……大丈夫か?」
その声が、柔らかくて。拒絶色はなかった。それでも櫻井は、視線を逸らした。
(このまましたら……壊してしまう)
櫻井は、額にだけ、そっと口付ける。本郷は、何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。代わりに、櫻井の胸元に顔を寄せる。
櫻井は、もう一度だけ、その背中に腕を伸ばしかけ──結局、何もせずに引っ込めた。
胸で眠る本郷が、ほんの少しだけ、名残を惜しむように身を寄せている。そのことに櫻井は、最後まで気づかないままだった。
◾︎
本郷ルカの背中に、憧れた。
遠くて、眩しくて、触れてはいけない人だと思っていた。その素顔を知って、惚れて、欲しくなって。俺のものにしたいと願う気持ちを、ずっと抑えきれずにいた。
そして今、その本郷ルカは、俺の腕の中にいる。
胸元に顔を埋め、安心しきった顔ですやすやと眠っている。呼吸のたびに、体温が伝わってきた。
愛しているからこそ、自分の欲を、そのまま向けるのが怖い。
指先が、背中に伸びる。抱き寄せて、もっと触れて、確かめたくて──それでも、途中で止めた。
嫌だったらどうしよう。
怖がらせたらどうしよう。
この人が、俺を信じて預けてくれているものを、俺自身が壊したらどうしよう。
あれほど欲しくて堪らなかったはずなのに。いざ手に入れてしまうと、欲望よりも先に、失うことへの恐怖が立ち上がる。
必死に追いかけて、ようやく掴んだ光だ。
だからこそ、自分の荒々しい衝動で、この人を汚したくない。傷つけたくない。嫌われる可能性を、一ミリだって増やしたくない。
ためらっていた腕を、今度は静かに回す。腕の中の温もりを、そっと抱き締めた。
それが今の俺の、精一杯の愛し方だった。
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