【R18】年下王子と未亡人令嬢

紺乃 藍

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月の褥に溺れる ⑤


「俺は、あなたとはまったく逆の理由です」

 薄い布越しにやわらかな温度と鼓動のリズムを感じていると、男性がふとそう呟いた。

 逆の理由、という文言に反応して顔を上げると、男性がティアナの身体を抱きしめたまま重苦しげなため息をつく。

「先ほど従者だと説明した女性は、厳密には俺の従者ではありません。俺の婚約者の従者です」
「え……。……ええっ!? こ、婚約者さまがいらっしゃるのですかっ!?」

 衝撃的な告白を耳にしたティアナは、思わず大きな声を発してしまう。

 結婚の約束をした相手がいながら別の女性と肌を重ねることは、浮気をしていることと同義だ。つまりティアナは、知らなかったとはいえ目の前の男性と不義の道に落ちたということになる。それは完全に予想外だ。

 たしかに、永遠を誓った相手がいるにもかかわらず、他の異性との恋愛も楽しもうとする人はいる。ジャックもそういう人であった。だが目の前の男性がそのような不道徳に走るようには思えなかったし、ティアナ自身も背徳の行為に加担するつもりはなかった。

 なんということをしてしまったの……! と青褪めるティアナだったが、ティアナの絶望を感じ取った男性はすぐに手を振って『そうではない』と否定してくれた。

「心配しないでください。彼女は今夜、俺がこの『月の仮面舞踏会』に来ていることを知っています」
「え……?」
「というより、俺は彼女の指示でここへ来たのです」

 思いがけない説明にティアナの思考がはた、と止まる。さらに重ねられた台詞もあまりに難解だったので、男性の黒い仮面を見上げて首を傾げてしまう。

『月の仮面舞踏会』は、いわば出会いを求める男女のための夜会だ。なのに婚約者がその場へ赴くと知りながら止めないばかりか、そこへ参加するよう自ら促すとはどういうことか。

 ティアナの大混乱に気づいた男性が、困ったような苦い笑みを浮かべる。ふいに視線が合った彼のロイヤルブルーの瞳はどこか疲れた印象で、その奥には諦めと落胆の色が宿っている気がした。

「俺には、男性としての魅力が足りないようです」
「? どういうことでしょうか……?」
「結婚そのものは随分前から決まっていたのですが、『あなたが男らしくないから結婚に踏み切れない』『早く女性というものを経験して、男性として魅力的になってほしい』『一度でも他の女性と夜を過ごしてきたら結婚してあげる』と言われてしまいまして」
「!?」

 男性がつらつらと重ねる説明に、先ほどとはまた別の衝撃を受ける。自分の中には存在しない発想に触れ、軽いめまいも覚えてしまう。

 ――しかしなるほど。
 ようやく話が見えてきた。

 つまりティアナが処女を捨てるために今夜ここへ訪れたのと同じように、彼も童貞を捨てるためにここへやってきたということ。出会った相手がティアナだったのはただの偶然だが、実は互いに似たような事情を抱えていたということだ。

 そう教えられると色々辻褄が合う。目の前の男性の『はじめて』が本当だったとわかる。婚約者がいながら男女の出会いの場へ訪れた経緯も、浮気に加担してしまったのではと焦るティアナを『心配はいらない』と宥める理由も納得できる。

 もちろん罪悪感がゼロになったわけではない。だがティアナや男性の行動が原因で彼の婚約者が傷つくわけではない、と知れたことにはホッとできる。

 ただし腑に落ちないこともある。ティアナがどうにも理解できないのは、彼の婚約者だという女性の考え方だった。

「それは……大胆なご意見ですね」

 今の自分が感じている素直な気持ちをぽつりと呟く。

 男性はもちろん、ここにはいない彼の婚約者も傷つけない言葉選びはするが、やはり理解が難しい、自分とは異なる思考だと思う。もしもティアナが同じ立場だったら、きっとこう考えるはずだ――

「たった一人の相手と添い遂げられるなんて、素敵なことだと思うのですが……」
「っ……俺も、そう思います……!」

 ティアナの意見に強く共感したのだろう。ハッとした男性が声のトーンを上げて身を乗り出し、ティアナの顔をじっと覗き込んでくる。

「女々しいと思われるかもしれません。こういう考えだからこそ『男性らしくない』と言われるのでしょう。ですが俺は、一人の女性を生涯愛し抜くことが『男性らしさ』だと思っていました。……婚約者には、俺の考えのすべてを、否定されましたが……」

 必死な様子で自身の心情を吐露する男性だが、徐々に語尾が萎んでいく。

 もしかしたら彼もティアナと同じぐらい――いや、それ以上の寂しさや悔しさを感じているのかもしれない。月明かりを受けて悲しげに揺れ動く青い瞳を眺めているとそんな気がして、ティアナの胸の奥もきゅ、と切なく軋んだ。

「では、先ほどの女性は……」
「そうです。彼女は俺が『他の女性と過ごした』ことを見届けるための、いわば『証人』です」

 ティアナの確認に、男性が不機嫌な表情で頷く。従者だという割に互いに冷めたような印象があったが、やはり先ほどの年配の女性は、ただの従者ではなかった。彼女は男性が『本当に他の女性と過ごしたかどうか』を見届けるために――男性が『はじめて』を失ったことを証明するために派遣された『監視役』だったのだ。

 男性が置かれたあまりの状況にまた胸が痛む。想像以上の不自由さと屈辱の確認をされていたという事実に、ティアナの方が息苦しくなってしまう。

「婚約者の言い分は、俺には『浮気をしなければ結婚しない』という主張にしか思えません。正直、理解しがたいです」
「……」

 男性の意見には強く同意する。頷いていいのかどうかわからないので、黙ってはいるが。

 ティアナの沈黙を肯定だと受け取ったのだろう。また一つため息をついた男性が、窓の外に浮かぶ満月を見遣って寂しげに口を開いた。

「本当は意味不明な要求など突っぱねて、強引に結婚することも可能です。ですが俺は、生涯を共にする女性に無理強いはしたくない。どんなに意味不明でも、俺の望みとはかけ離れていても、それが彼女の希望なら真摯に向き合いたいと思っています」

 男性の身なりや言葉遣い、一つひとつの動作に垣間見える上品な所作から、おそらく一流の立ち振る舞いを叩き込まれた上流貴族の令息なのだろうと予想する。となると彼のいう『婚約者』は自分で決めた相手ではなく、家長から決められた相手である可能性が高い。

 貴族の結婚に自由意思が伴わないことは珍しくない。愛がないまま、尊敬がないまま、決められたレールに乗るように婚姻を結ぶこともあるだろう。

 そんなままならない状況の中でも、彼は相手の女性に寄り添う道を選んだ。自分の信念と異なっていても、理想から大きく乖離していても、自分ではなく相手の気持ちを優先することにした。たとえそれが『他の女性で経験してきて』という頭痛のするような願いだったとしても、彼女との関係を保つために甘んじて受け入れることを選んだのだ。

 そんな彼の選択に、なぜか無関係のティアナの胸が痛む。

「申し訳ありません。こちらの事情にあなたを巻き込んでしまい」
「い、いいえ……!」

 男性の心底申し訳なさそうに謝罪するので、慌てて首を振る。たしかに少し恥ずかしい思いはしたが、男性が優しく労わって丁寧に接してくれたので、ティアナには不満などなにもない。もちろん、巻き込まれた、とも思っていなかった。

 ティアナの返答に男性が安堵の表情を見せる。

「これで彼女も納得してくれるといいのですが」

 男性が抱える事情と不安はティアナの抱えるものとよく似ていた。そして同じ不安を抱える者同士だからこそ、ティアナは彼の想いに強く共感できた。

 だからだろうか、気づけばティアナは男性の手を取り、何度も頷いていた。

「あなたはとても強くて、優しくて、繊細な人なのですね」

 彼はきっと誰にでも優しくできて、どんな人にも寄り添うことができる、心の広さと懐の深さを持っているのだろう。しかしその代償として自分自身を犠牲にしてしまう、不器用で繊細な心の持ち主なのだとも感じる。

「自分の信念を曲げてまで、婚約者さまのお望みを優先されるなんて……とてもお辛かったでしょう」

 本当は彼も辛かったはずだ。意味がわからない要求を受け入れるために自分が折れる選択をすることは、言葉にできない苦しさと切なさがあったと思う。

 だが彼は『諦める』『断ち切る』という選択をしたティアナと異なり、『関係を改善する』『前向きに考える』という選択をした。

 だからティアナは、彼なら丈夫だと言い切れる。自分が傷ついてでも前に進もうとする強さを秘めているのなら、絶対に大丈夫だと信じている。同じ不安や悩みを持つ者同士で、彼の強さと優しさを知ったティアナだからこそ、自信をもってその背中を押せるのだ。

「大丈夫です。相手の婚約者さまも、あなたの想いを知れば、きっと大好きになってくれますよ」

 ティアナがそう宣言した瞬間、男性がロイヤルブルーの目を真ん丸に見開いた。それから急に腕を伸ばし、ティアナの身体を強く抱きしめてくる。

 思いがけない突然の抱擁に思わず小さな声が出る。だが男性は構わずにティアナを強く抱きしめ続けた。

「ああ……俺の結婚相手が、あなただったらよかったのにな……」

 男性がふと呟いた一言に、ティアナの時間が静かに停止する。

 急に何を言い出すのだろうと狼狽した。だがティアナの肩に額をのせた彼の声があまりにも切実だったので、否定の一言を少しだけためらった。

「あなたの亡き夫だという男性の心が、不思議で仕方がありません」

 そこから十数秒が経過したのち、男性がそっと話題を逸らした。

「こんなにも魅力的な女性と共に過ごして、なにも感じないなんて」
「み、魅力的なんて……そんなこと……」
「とても魅力的ですよ」

 肩から額を浮かせて顔を上げた男性が、ティアナの目を覗き込んでにこりと笑う。

 黒い仮面のせいで相変わらず素顔も表情のすべてもわからないが、彼の瞳は先ほどよりは幾分か晴れやかになった気がする。おそらくティアナが結婚相手だったら、などと思いつきで空想を口にしたが、そこから我に返った拍子に冷静になったのだろう。あるいは吹っ切れたか。

「それにあなたに求婚しているという男性の考えも、よくわかりませんね。本気でほしいのなら相手が嫌がることなどせず、真正面から誠実に求愛すればいいと思うのです。――俺なら、そうします」
「……っ!」

 男性の意見そのものにはティアナも完全同意だ。もちろんラザールが真正面から誠実に求愛してきても受け入れはしないが、よくわからない、という点に関しては頷くばかりである。

 しかしティアナが気になったのは、男性が最後につけ加えた一言だ。もちろん彼は『自分ならこうする』と意見を述べているだけだが、熱を帯びた視線でじっと見つめられると、まるで彼自身がティアナに求愛しているかのように錯覚する。

「――失礼いたしました」

 驚いたティアナがたじろいだことで、男性も自分の失言に気がついたらしい。ティアナからぱっと離れた男性は一瞬の間をあけると、ティアナに向かって軽く頭を下げてきた。

「俺の『はじめて』をもらってくださり、ありがとうございます」
「! こ、こちらこそ……!」

 男性の謝意を耳にし、ティアナもハッと我に返る。慌ててシーツの上で居住まいを正したティアナも、誠意を込めて感謝の気持ちを伝えるよう深々と頭を下げた。

「私の『はじめて』をもらってくださり、本当にありがとうございました」

 丁寧にお礼を述べてからそろりと顔を上げると、ふと視線が合う。

 お互いしん……と黙り込んでしまうが、そこから数秒が経過するとなんだか無性におかしさが込み上げてくる。ティアナの中に生まれたくすぐったい感情は男性の胸の中にも生じたようで、彼もすぐに破顔すると、くすくすと楽しそうに笑ってくれる。

 互いにぺこりとお辞儀をして終わる一夜限りの戯れなどなかろうに。けれど同じ境遇の二人にはこれが最もふさわしい形のような――こうして互いに感謝して尊重し合って終われる関係が、今の自分たちには一番自然だと思えた。

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