11 / 37
嵐の夜を越えたら
月の仮面舞踏会から一週間が経過した、ある日の午後。
「そんな……嘘だろう!?」
ラザールがこれ以上ないほど大きく目を見開き、ガタン、と乱雑な音を立てて立ち上がる。すると向かい合うティアナとラザールの間に座っていた女性が、彼の発言を真っ向から否定した。
「嘘ではありません、ラザール=イクシア侯爵」
ラザールが連れてきた女性医師は、名をカミラというらしい。ラザールの貴族学院時代の同級生であることから時折個人的な依頼に応じてはいるが、普段から交流があって特別に仲がいいわけではないようだ。
自身の下した診断を信じようとしないラザールに、カミラが淡々とした口調で言い切る。
「ティアナ=シルヴァーノ嬢の『乙女の証』は、たしかに失われています」
「ばかな……」
先ほどと同じ診断内容を再度告げられると、ラザールが力を失ったように呆然と立ち尽くす。最初にここへやってきた半月前はもちろん、再びシルヴァーノ伯爵家を訪れて応接室に通されるまでは、まったく信じていなかったはずだ。
ティアナがすでに『乙女ではない』だなんて。
できればもう顔を合わせたくなかったラザールと再び対面したティアナだったが、その心は驚くほど凪いでいた。
女医のカミラが思ったよりも丁寧かつティアナの羞恥に配慮して検査を進めてくれたことも、こうして平常心でいられる理由の一つではある。
だがそれ以上に、目の前で立ち尽くすラザールが、ティアナの処女を盲目的に信じていたと気づいてしまった虚無が大きい。そしてその認識が誤っていたと知って露骨にショックを受ける姿にも気色の悪さを感じる。ティアナはラザールの所有物では無いというのに。
「いや、そんなはずがない……! 兄さんは絶対に、ティアナを愛してなどいなかった……!」
(勝手に呼び捨てにするのはやめてほしいのですが……)
専門的な知識を持つカミラの診断を受けてもなお、ラザールは引き下がらない。ティアナはうんざりするばかりだが、当のラザールはカミラの出した結論が不服だとばかりに憤慨し、ティアナに向かって人指し指の先を突きつけてくる。
「どういう手を使ったんだ!? まさか、カミラを買収して――」
今にも噛みつかんばかりに身を乗り出してティアナを糾弾するラザールだったが、彼の咄嗟の一言は完全なる失言だった。カミラの纏う空気がピリッと冷たく変化したことは、ラザールの激昂を冷めた目で見上げるティアナにも伝わった。
「私が嘘をついているとでも?」
「あ、いや……ちが……!」
「私の診断が気に入らないのなら、今後は他の医師を探すといい。もちろんリカルダ夫人の処方薬の面倒からも手を引かせてもらうよ」
「なッ……!」
機嫌を損ねたらしいカミラがつん、と顔を背けると、ラザールが慌てたような声を発する。
ティアナがイクシア侯爵家に嫁いでいた期間からそうであったが、義母リカルダは夜に寝つけないときは睡眠を促すための薬を、苛立ちが収まらず気持ちが落ち着かないときは不安を和らげる薬を服用していた。そしてその薬がなくなると癇癪を起していつも以上に暴言や暴力が増えるので、イクシア侯爵家のメイドや使用人はもちろん、ラザールも母の薬を絶対に切らさないようとにかく必死だった。
リカルダが薬の服用を他人に知られることを嫌がっていため、ティアナは夫人がいつ診察を受けてどんな薬を処方されているのかまでは把握していなかった。だがまさか、ラザールの知り合いであるカミラが薬を用意していたとは。
(カミラ先生に見放されてしまうことだけは、絶対に避けたいはず)
ティアナの予想通り、ラザールはカミラの診断を覆すことは断念したらしい。絶望の色を滲ませながら恨めしそうにティアナを睨んでいたラザールだったが、ティアナが無表情を決め込んで沈黙しているうちに諦めたようだ。
「失礼する!」
がばっと身を翻したラザールが、一言だけ残して応接室を出て行く。部屋を出たところに茶菓子を運んできたシルヴァーノ伯爵家の執事がいたため、二人は肩をぶつけてしまったが、彼は慌てて謝罪を述べた執事にも苛立ちの視線を向けると、ダスダス床を踏みつけながら悔しそうにシルヴァーノ伯爵邸を去っていった。
残されたティアナが、ふぅ、とため息をつくと、こちらを見遣ったカミラが同情するような視線を向けてきた。
「難儀だね、君も」
カミラの一言には苦笑いを返すしかない。今でこそ腕の立つ女性医者としてイクシア侯爵家をはじめ様々な貴族家の往診を受け持っているらしいカミラだが、彼女自身も貴族の家の生まれで元は淑やかな貴族令嬢であったため、家同士の繋がりの面倒やいざこざの厄介さがわかるのだろう。
もちろん彼女は、その難儀なティアナを見かねてラザールに嘘をついてくれたわけではない。彼女の下した『ティアナは乙女ではない』との診断は、まごうことなき真実だ。
「カミラ先生……!」
用は済んだとばかりにカミラが立ち上がったので、慌てて彼女を引き留める。
「あ、ありがとうございました」
「どういたしまして」
ティアナのお礼にカミラがにこりと微笑んでくれる。
彼女はティアナが検査を受けることとなった経緯も、その診断次第でティアナの運命が変わっていたかもしれない状況も知らないはずだが、依頼をされた時点でなにか察するものはあったのだろう。
だからこそ診察は手早く的確に、ティアナの負担が少ないよう体調や羞恥心にも細やかな配慮をしてもらった。ティアナのお礼は、その心遣いに対する感謝の表れだ。
せっかく用意したので、と茶菓子を包んでカミラに手渡すと、彼女は『やった! 甘いもの好きなんだよね~』と嬉しそうな笑顔を残してシルヴァーノ邸を後にしていった。
正反対の態度で帰っていった二人を比較するとまた苦笑いがこぼれるティアナだが、カミラが跨った白馬が街道の向こうへ消えると、全身に安堵と達成感が広がってきた。
(これで自由……!)
無事に検査を乗り切った。ラザールに『ティアナは乙女ではない』と――ジャックに操を立てた身なので再婚はしないと、確実に認識してもらった。
これでティアナは自由になった。イクシア侯爵家へ再び嫁ぐ理由は完全に消え去ったのだ。
「ティアナお姉さま~」
「ミリア」
見送りのために一緒に外へ出てきた執事とメイドを伴って邸宅内へ戻ると、階段を下りてきた六歳年下の妹ミリアがぱぁっと目を輝かせた。
十七歳の立派なレディになったというのに、まだまだ甘えん坊で姉にべったりのミリアは、ティアナの姿を見つけると子犬のように傍へ駆け寄ってきた。
「お客さまはお帰りになったの?」
「ええ、つい今しがた」
近くにやってきたミリアがティアナに抱きついて無邪気に質問してくるので、にこりと笑顔で答える。お行儀が悪いので鼻歌は歌わないしスキップもしないが、ティアナの上機嫌は普段からぽんやりとしているミリアにも伝わったらしい。
「お姉さま、どうなさったの? なんだかご機嫌ね」
「ふふふ……自由っていいわね……!」
「?」
純真無垢なミリアに『乙女ではないと認められたことに安堵している』だなんて口が裂けても言えないので適当にはぐらかしたが、やはり嬉しい気持ちは表に出てしまう。
サロンへ移動して二人でティータイムを楽しむことになったが、紅茶とお菓子を口にする間も、何度もミリアに首を傾げられた。
(フリーデにもお手紙を書かなくちゃ……!)
紅茶の風味と香りを堪能しながら、親友のフリーデにも成功の報告と感謝の気持ちを伝えなければ、と考える。
月に一度の仮面舞踏会が催される『月明かりの館』は、王都のはずれにあるジークハルト大公が所有するお屋敷だ。王都はファルトニア王国の中央に位置しており、『東方域』に位置するシルヴァーノ伯爵領やラヴィエール伯爵領からは、馬車を全力で走らせても移動に片道三日はかかる。それほど離れた場所で開かれる夜会に、当日出発してその日中に戻ることはどう考えても不可能だ。
もちろん数日前に領地を出発し、王都にいる間はシルヴァーノ伯爵家が有するタウンハウスに滞在して、また数日かけて戻ってくることはできる。
だがその王都のタウンハウスには現在、父のマクシム=シルヴァーノ伯爵が滞在している。彼に事情を知られることはもちろん、姿を見られることすらティアナにとっては避けたい状況だった。
そこでティアナとフリーデは、友人同士で小旅行に出かけたことにして、シルヴァーノ伯爵家ではなくラヴィエール伯爵家のタウンハウスへ滞在する方法を選んだ。友人と遠出のおでかけをしてくるわね、と妹ミリアと執事長に留守を頼み、自身はフリーデと共にラヴィエール伯爵家の別邸へ入り、夜会が終わった後も父には会わず、翌朝には帰路についた。
さらに彼女には『月の仮面舞踏会』への参加手配、不安でいっぱいだった道中の話し相手、夜会当日の身支度と送迎、ダンスの練習から閨での振る舞いまで、多岐に渡る支援をしてもらった。フリーデのおかげでマクシムに知られることなく検査を乗り切れたが、これにより彼女はティアナの『共犯者』となってしまった。
結婚を控えた親友にとんでもない負担を負わせてしまった、と申し訳なさを覚えるティアナだが、フリーデは『楽しい女子旅だったわ。今度はちゃんと計画してやりましょうね』と朗らかに笑ってくれる。力強い友人には感謝しきりのティアナだ。
(でも本当によかった……)
紅茶が減ったティーカップの底を見つめて、再びほっと息をつく。本当に良かった、あとは安心して静かに過ごせる、と望んでいた未来を勝ち取った喜びを噛み締める。
これで『運命を変えられた』と信じて安堵するティアナは、まだなにも知らない――
我がファルトニア王国の第二王子であるアレクシス=ファルトニア殿下が、十年も前から決まっていた隣国の王女との婚約を解消したこと。そしてその代わりとなる新たな花嫁を、国内の貴族令嬢の中から選出すると発表されるのは、その日からちょうど半年後のことだった。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた
アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。
高校生くらいから何十回も告白した。
全て「好きなの」
「ごめん、断る」
その繰り返しだった。
だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。
紛らわしいと思う。
彼に好きな人がいるわけではない。
まだそれなら諦めがつく。
彼はカイル=クレシア23歳
イケメンでモテる。
私はアリア=ナターシャ20歳
普通で人には可愛い方だと言われた。
そんなある日
私が20歳になった時だった。
両親が見合い話を持ってきた。
最後の告白をしようと思った。
ダメなら見合いをすると言った。
その見合い相手に溺愛される。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
平凡な令嬢と平凡じゃない友人たち
ぺきぺき
恋愛
身分問わず優秀な学生が通う、王立学園。その中で目立たない茶髪にハシバミ色の瞳を持ち、真ん中よりちょっと下くらいの成績の、平凡な伯爵令嬢であるはずのセイディ・ヘインズはなぜか学園の人気者たちに囲まれて平凡ではない学園生活を送っていた。
ーーーー
(当社比)平凡なヒロインと平凡じゃない友人たちが織り成す恋愛群像劇を目指しました。
カップル大量投入でじれもだラブラブしてます。お気に召すカップルがいれば幸いです。
完結まで執筆済み。
一日三話更新。4/16完結予定。
生贄として捧げられた「忌み子」の私、あやかし皇帝の薬膳料理番になります ~呪いで拒食症の白虎陛下は、私のおかゆに胃袋を掴まれたようです~
腐ったバナナ
恋愛
実家の「一条家」で霊力なしの忌み子として虐げられてきた凛。生贄としてあやかしの国・天厳国へ捧げられた彼女を待っていたのは、呪いによって食事がすべて「泥の味」に変わる孤独な白虎皇帝・白曜だった。
死を覚悟した凛だったが、前世で培った「管理栄養士」の知識は、あやかしの国では伝説の「浄化の力」として目醒める!
最高級の出汁、完璧な栄養バランス、そして食べる者を想う真心。凛が作る一杯の「黄金の粥」が、数年間不食だった王の味覚を劇的に呼び起こした。
「美味い。……泥ではない味がする」
胃袋を掴まれた皇帝の態度は一変。冷酷な暴君から、凛を誰にも触れさせたくない「超絶過保護な独占欲の塊」へと豹変してしまい……!?
嫌がらせをする後宮の妃や、手の平を返して擦り寄る実家を「料理」と「陛下からの愛」で一掃する、美味しくて爽快な異世界中華風ファンタジー。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】初恋の彼に 身代わりの妻に選ばれました
ユユ
恋愛
【 お知らせ 】
先日、近況ボードにも
お知らせしました通り
2026年4月に
完結済みのお話の多数を
一旦closeいたします。
誤字脱字などを修正して
再掲載をするつもりですが
再掲載しない作品もあります。
再掲載の時期は決まっておりません。
表現の変更などもあり得ます。
他の作品も同様です。
ご了承いただけますようお願いいたします。
ユユ
【 お話の内容紹介 】
婚姻4年。夫が他界した。
夫は婚約前から病弱だった。
王妃様は、愛する息子である第三王子の婚約者に
私を指名した。
本当は私にはお慕いする人がいた。
だけど平凡な子爵家の令嬢の私にとって
彼は高嶺の花。
しかも王家からの打診を断る自由などなかった。
実家に戻ると、高嶺の花の彼の妻にと縁談が…。
* 作り話です。
* 完結保証つき。
* R18
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?