裏十六国記

銭屋龍一

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漆黒の大地、火の定め 40

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 食事が済むと、柏潜も巌直もそれぞれ仕事があるからと言って部屋を出て行った。ふたたび冠鬼麟と利斎は二人だけで捨て置かれた。一度食事を運んできた若い男がやってきて、燃料が貴重なので明かりを消させてもらっていいかと訊いてきた。もちろん冠鬼麟たちに否やはなかった。明かりの消された部屋は妙に寒々しかった。
 もっとも実際気温は低い。ただ外とは明らかに温度が違うから、いくらかの暖房の措置は取っているのであろう。
 冠鬼麟は立ち上がり部屋のドアを押してみた。ドアはあっさりと開いた。
「閉じ込められてるわけでもないようですね」
「だとしても、あまり勝手に出歩かないほうがよろしいかと」
「これは李斎ともあろう人が妙なことを言いますね。これまでなら僕が愚図愚図してても、さぁ、行きましょ、と掛け声をかける方だったのに」
 冠鬼麟はそう言うと笑った。それにつられるように李斎も笑い、
「ええ。本当にそうですね。でも王泉はお変わりになられた。今の李斎にはまぶしいばかりなのです」
「まぶしい? 僕がですか」
「ええ。樂遥山の山頂で何が起こったのかは私は存じません。しかし、あの場所で王泉の身に何かが起こったのだとはわかります。あの繭のようなものから出て来られてからお変わりになりました。心の深いところに揺るぎない自信のようなものをお持ちになられたような」
「自信ですか。そうだといいのですが。確かに僕には僕が進むべき道が見えたような気がしました。しかし現実に事を起こすと、今回のように自分のふがいなさを感じるばかりなのです。力が欲しい。心の底から力が欲しい。力無き者に、道を示せる道理はありませんからね。でもいくら無力だからといって、ただ貝のように縮こまってばかりいては、成せることも成せない。ただ、そう思うだけです」
「お強くなられたのだと思います。たぶん王泉が本来お持ちの力が戻ってきているのではないでしょうか? でなければそのようなお言葉は出ないと思います」
「僕がどれだけの力を持っているのかわかりませんが、僕は僕がやるべきことをやろうとは決心しています。それがどのような茨の道であろうとも、その道の先に明日があるような気がするのです」
 李斎はうれしそうに微笑みかけた。冠鬼麟はゆっくりとうなずいて見せた。それから冠鬼麟は通路に出ると歩き始めた。もう李斎も何も言わず、その後に従う。通路を曲がると入ってきたときに通った広間に出た。かなりの数の男たちがそこにはいた。男たちは一様に、冠鬼麟泰麒たちに視線を向けるが、特に何も思うところもないのであろう、すぐに視線を戻し、それぞれが行っている作業に没頭していく。
 冠鬼麟は広間をひととおり眺めた。入ったときは気づかなかったが、かなりの広さがある。天井はドームになっているところまであり、かなり高い。だがドーム状になっている部分は別の空間として分けられているようである。それがどのようになっているのかはここからでは判別できない。
 ふたたび広間にいる男たちに視線を戻す。そこに紫色の袍のような着物を着た男がいた。しばらくその男の動きを見つめる。男は他の男たちのように何か作業をしているわけではない。広間の男たちの間をゆっくりと歩いて回っているだけだ。ときおり他の男たちから声がかかる。それにうなずいて、一言、二言何かを言う。指示を出しているのとも違う様子である。
 冠鬼麟はゆっくりと紫色の袍のような着物を着た男に近づいていく。途中で男のほうが近づいてくる冠鬼麟に気がついたようで、立ち止まり、到着を待つような格好になった。ここにいる男たちは骨格がしっかりした者が多いが、基本的に皆痩せている。紫色の袍を着た男も痩せてはいるが、骨格からして女性的で、あまりにも細く感じられる。顔の色は白く、唇が紅を塗ったように赤い。遠めに見るより、近づいていって見ると、背が高いことに驚かされる。広間にいる男たちとははっきり異質な感じがした。
「わたくしに何か御用でしょうか?」
 紫色の袍を着た男が訊いてきた。その声は高貴な者のようにすずしげに聞こえた。
「いえ。少しお話ができればと思い。お邪魔でしょうか?」
 冠鬼麟はできるだけ自然にと心がけ、言った。
「いえ。別にかまいませんが、何をお話ししましょう」
「皆さん何か作業をしておられるようですが、こんな夜中に何かあるのですか?」
「今の戴顕林国では生き延びるために、夜も昼もありませんが、今夜は満月なので特別なのです」
「満月?」
「ええ。満月の夜はやつらが必ずやってきますからね」
「やつらとは?」
「妖魔です。ここに多くの人が集まっていることを知っているので、満月の夜には餌を漁りにくるのですよ」
 男の声からは特別な感情は読み取れない。あくまで静かな調子である。
「餌とは、あの民たちですか?」
「ええそうです」
「そうか。その妖魔と戦う準備をされているのですね」
「そうではありますが、妖魔は倒せません。我らが持つ武器では妖魔を切り裂くことはできないのです」
「切れないのに戦うと?」
「そうです。被害をできるだけ少なくしなければなりません。そのためにできることなら何でもやります」
「それではこちらのほうが・・・・・・・」
「皆、覚悟の上です」
 この地を訪れたとき、内臓を食われたような死体をいくつも見た。それをあの柏潜が指揮し、埋葬してやっていた。その光景を思い出した。冠鬼麟は軽いめまいを覚えた。天鬼麟は血を嫌う。争いも嫌う。それは持って生まれた性である。だが泰麒はその性に抗ってみたいと思った。
「私たちにお手伝いできることはありませんか?」
 紫色の袍を着た男は少し驚いた表情になった。
「今もお話ししたように妖魔は倒せないのですよ。そこにお行きになるというのですか?」
 冠鬼麟ははっきりとうなずいた。それから李斎を見た。目が合った李斎もはっきりとうなずき返した。
「それがどういうことなのかあなた方はお分かりではないようだ。とにかく、巌直様にご相談してみましょう」
 紫色の袍を着た男はそう言うと、奥に下がっていった。
 冠鬼麟と利斎は男を待つ間、広間にいる男たちの作業を眺めるしかなかった。
 ある一角では鍬の刃を取り除き、その代わりにそこに鎌を取り付けていた。どちらにしろ妖魔は切れないのなら、鍬のままでも、それに代わって鎌を取り付けても同じようなものだと思うけれど、そうするからには、そうする意味があるのであろう。
 また別の一角では弓のようなものの手入れをしていた。形からすればそれは間違いなく弓なのであろうが、大きさなどはまちまちであった。矢と思われるものは竹に似た暁木の枝が使われ、それには矢じりもない。しかもこれから妖魔と戦うにしてはそれぞれが持っている矢の数が少なすぎるように思えた。
 そしてまた別の一角では緑色の塗料を染み込ませたような服に蝋のようなものを塗りつけていた。その服の数は作業をしている男たちよりもはるかに多かったから、たぶんこれから妖魔と戦う者たちに必要な何かなのだろうと思えた。
「それほど命を落としたいのか?」
 野太い声が背後から聞こえた。振り向くと巌直が腕を組んで立っていた。その脇には紫色の袍を着た男が控えている。
「危なくなったら、また誰かが助けてくれるとでも思っているのか。お前たちは我らにもう二度も助けられているのだぞ。お前たちが救ったつもりになっていた民でさえ、お前たちを殺そうとしたではないか。その殺そうとした民たちが妖魔に襲われるからと、なぜお前たちが出ていく必要がある。妖魔が襲ってくる前に、民たちになぶり殺しにあうことだってあるのだ。何のためにそのようなところに、のこのこと出ていこうとするのだ。そんな甘い考えで、俺たちの仕事の邪魔をしないでもらいたい」
 巌直は、冠鬼麟と利斎に詰め寄るような勢いで、まくしたてた。
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