裏十六国記

銭屋龍一

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漆黒の大地、火の定め 52

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「その望みはお受けできませんね」
 音慧はにべもない。
「なぜですか。罪人だから人と会わさないようにしているのですか? 狂人だから会う人が危険だから遠ざけているのですか? まさか病がひどいからとかは言われませんよね。もともとここは病人のために区切られた場所なのですから、それでは本末転倒だ」
 冠鬼麟は少しも引かず言い募る。
「それこそ、こちらがお訊きしたいですね。だめだと言うものを、なぜそれほどまでも会いたがるのですか。たぶん誰かからその名を聞いたのでございましょうが、その者とて、本当の楊楊のことなど知りはしないのです。そんな与太話を真に受け、信じたとして、あなた方の何の為になるのですか。それをさらに会おうとして、それにどのような意味があるのですか」
 初めて音慧は自らの感情を言葉の中に表した。
「私たちの為にならぬことなどこの世に山ほどあるじゃないですか。為になるかならぬかは他者に決めていただくことではない。私たちが決めることなのじゃありませんか。意味があるかないかも私たち自身が決めること。そうではありませんか?」
「楊楊は県使であった私の父を殺した男。その者に会わせないといって、私に非でもありますか?」
 音慧の目が赤く色づいていた。それはそのまま怒りがそこにある証拠だと思えた。
「あなたを座敷牢に閉じ込めていたのは、あなたの父親だと言われましたよね。だとしたら、楊楊はあなたをそこから解放した男なのではないのですか?」
「そんなものは結果論でしかない。私は座敷牢に閉じ込められたままであっても、父に生きていて欲しかった。そう思うことは許されぬことなのですか?」
「あなたが思うことは勝手だ。だからそれを許すも許さないもない。それは今、僕がお頼みしていることとは無関係です」
「そう簡単に無関係になられても困る。あなたが楊楊に会うということは、楊楊が私の父を殺したことを認めるということですよ」
「実際そうであったのなら、その通りでしょう。あなたにとって私たちが楊楊に会うということが、あなたの父殺しを容認することに繋がるのだとしても、それは私たちの問題ではない。それはあなた自身の問題なのではありませんか?」
「どうやら、私たちの意見は対立したままのようですね。ここの管理はこの私に任されている。その私が管理するのに不都合な者をここから追い出したとして、誰も文句は言いますまい。あなた方にはここから出て行ってもらうことにいたしましょう」
「あなたが己の誠に誓って、それが正しきことと判断されたのなら致し方ありませんね。しかし、単なるわたくしの感情だけでそう決められたのならば再考をお願いしたいですね」
「もはや、話すこともなし」音慧は言い切った。それから、
「玉蘭、玉蘭はおらぬか。客人がお帰りだ。街の外に繋がる死者の門までお連れしなさい」と声を上げた。
「お呼びですか音慧様。この客人たちを死者の門へと言われたようですが、それでよろしいのですか?」
 玉蘭は現れると、音慧の前に跪いて言った。
「今、なんと申した玉蘭。私に反論して生きていられると思うているのか?」
「このことでわたくしが死を賜るなら致し方ありません。ただこの客人たちにも己の死は己に決めさせてやってもよいと思うたまでです。ですからわたくしの言に恥じるところはございません。どうぞこの命お奪いください」
「お前までがそのような」
 音慧は怒りで体に震えがきているようだった。
「私はここの病人のひとりとして、楊楊に接してきましたが、あの者が音慧様が言われるような完全に隔離しなければならない罪人として扱われるには違和感を感じます。ここに居る以上、罪人ではなく、病人でありましょう。その私の考えが気にお障りなら、どうぞこの命差し上げます」
「そこまで言うか。ならばそなたの命ももらい受けよう。そちらの客人たちとともに死者の門から出て行くがよい」
「承知いたしました」
 玉蘭は深々と平伏してから、ゆっくりと立ち上がった。それから冠鬼麟たちのほうを向いてにっこり笑った。
「誠に申し訳ありませんが、私とお客人は死者の門から出るしか方法がなくなったようでございます。死者の門とはその言葉のとおり、死者しか通れない門でございます。理不尽とはお思いでしょうが、ここでのすべての権限は音慧様にございます。私がご案内申し上げますので、取り乱されぬようお続きください」
「あなたまでそうなることはなかったのに。なぜこのようなことを?」
 冠鬼麟は玉蘭に訊いた。
「ここの玉蘭という職務は、聞かず、見ず、言わず、でしか勤まらぬもの。それを己を出してしまったのですから死を賜ってもしかたありません。ただ、私もそのような職務にありながらも、自分が死んでいるとは思っていませんでした。ですから、命ある限り守らなければならないと思ったものに、ただ命をかけただけでございます。あなたがたには何の責任もありません。これは私の問題なのです」
「そう言われますが」
「いいえ。私に命の良い使い場所を与えてくださり、感謝しているぐらいでございます。だのに何もお返しできず申し訳ありません」
 頭を下げる玉蘭の肩を李斎がさすった。
「我らもここで果てるような命なら永らえても同じこと。案内してください。参りましょう」
 玉蘭は言葉をかけた李斎の顔を改めて見た。それから冠鬼麟の顔に視線を向けた。
「僕も同意見です。さぁ、参りましょう」
 冠鬼麟はにっこりと笑って、玉蘭に言った。
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