裏十六国記

銭屋龍一

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漆黒の大地、火の定め 53

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 玉蘭を先頭に、冠鬼麟、李斎と続いていく。これから死者しか通れない門へ行くというのに、どの顔もすっきりとしている。己のやるべきことをやり終え、最後のときを迎えるかのようである。けれども冠鬼麟にしても李斎にしても、己のやるべきことは、これから、なのである。だのに、少しも悲惨な感じはない。玉蘭に至っては、今にも鼻歌でも歌いだしそうな様子である。
「玉蘭様、どちらにお行きなのですか。まだ食事時には早うございますが」
 玉蘭に気づいた患者が声をかけてきた。その患者は手も足も半分の長さしかなかった。
「これは舞麗。きょうは調子が良さそうですね。その分だと近いうちに病も癒えるやもしれませんね。そうなればふたたび街にもどれますよ」
 玉蘭は優しさのこもった声で応じる。
「街になんかに戻りたくはありません。どうせ芋虫だの化け物だのと言われることはわかっていますから。私はここでの暮らしが一番幸せでございます」
「何を言いますか。ここは死を迎えるだけの病人が住まうところ。元気になったものは街に帰らねばなりません」
「そう言われますが、玉蘭様。ここから街に戻った者などいるのですか? 誰に訊いても、そのような者は知らぬと言いますが」
「もちろん居ますとも。だから早く元気になるようがんばるのですよ」
「嫌でございます。またあの好奇な目で眺められるのかと思うと、鳥肌が立ちます。私はここにずっと居られるよう、別の病の者とも仲良くしているのですが、なかなか病はうつりません。はやくもっと強くひどい病になればいいのに」
「舞麗。そんなことは考えてはいけません。治りたくても治れない患者がどれほど居ると思うのですか」
「すみませんでした。自分のことばかりで、そのような方々のことをすっかり忘れておりました。けれどもこれだけは覚えておいてください。そのような方々に私が何かできることがあるなら、必ずお教えください。私は私のすべてをその方たちに差し出しましょう」
「その気持ちだけ受け取っておきましょう。とにかく、そんなことは考えないで自らの病を治すことです」
「はい。わかりました。玉蘭様」
 舞麗と呼ばれた少女は頭を下げた。玉蘭は、満足そうにうなずくと再び歩き始めた。しばらく歩いてから、冠鬼麟は訊いてみた。
「さきほどの少女は確かに手足が不自由ではございましたが、ここに入れられるような病とも見えませんでした。そのような者でもここに入れられるのですか?」
「ああ見えて、三日に一度は高熱を出すのです。これまで同じ症状であった者のことから推測すれば、後ひと月ほどの命というところでしょうか。最後の一週間は体の中に巣食っている病魔が噴出してきます。そろそろ隔離病棟に移さねばならぬ頃なのです」
 玉蘭はそう答えると、いきなり右方向に向かって歩き始めた。その方向には生垣状の木々があるだけである。
「門はそちらの方向なのですか?」
 冠鬼麟はあわてて同じように右に歩き出しながら言った。
「なにを。楊楊に会われるのでございましょう? ご案内します」
「しかしあの建物には」
「鍵は持っております。死者の門に入るにも鍵はいりますからね。音慧様は私から鍵を取り上げようとはなさりませんでした。それはつまり楊楊に会うことを認められたと同じことでございましょう。あのお言葉の通り、音慧様は楊楊を憎んでおいでですが、殺そうともなさっておりません。つまりそれが答えでこざいましょう」
「我らがこうするとわかっていて死者の門へ行けと?」
 李斎が改めて訊いた。
「ただ私たちに死を与えるだけなら、自ら私たちを連れ、死者の門へ放り込んでしまえばすむことです。けれども、そうなさらなかったのは、精一杯の音慧様のお心遣いでございましょう」
「すると。楊楊に会えるのですね」
 泰麒の声は弾んだ。
「もちろんです」
 玉蘭は優しい笑顔を見せた。
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