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番外編
影薄いはずのモブ姉が強すぎて、狙っている彼を攻略できない件【林道寿々奈視点】
しおりを挟む『あやめちゃん!』
その呼び名に私は不思議な感覚を覚えた。どこかでその名前を聞いたような気がする。そんな違和感からだ。
あやめちゃんと呼ばれたその子は同じ高校の同級生だった。違うクラスで話したことのない、どこにでもいる女子高生。
染めたことのない黒髪に健康的な丸顔。黒目がちのその瞳は愛嬌があって、友達と笑い合うその姿は普通に可愛らしかった。
何故、私がその子のことを気になったのか。その時点では分からなかった。そのことに気づいたのは、“彼”との出会いだった。
あれは3月のこと。高校の入試シーズンに運悪くじゃんけんで負けた私は受験生の誘導係になってしまったのだ。そのため学校に登校しなきゃならなかったのだが、そんな日に私は電車で痴漢に遭っていた。
後ろで何やらもぞもぞしているなと思っていると、スカートの上からねっとりとお尻に触れる手。背筋が悪寒でゾゾッとした。声を上げたいのに、こんな時に限って私の声帯はストライキを起こしていたのだ。
やめてください、その一言だけなのに恐怖で声が出ない。嫌で嫌で仕方ないのに、と私は情けなくも泣きそうになっていた。
『…おい、やめろよオッサン。痴漢とかして恥ずかしくねーの?』
お尻から手が離された。誰かが助けてくれたのだ。その声は変声期を迎えたばかりの少年の声だった。私が振り返ると、学ラン姿の男の子が痴漢をしていたであろうおじさんの手を掴み上げていた。
小さな顔に配置されたパーツは恐ろしいくらいに整っており、アーモンド型の瞳は軽蔑の眼差しで痴漢を睨みつけている。中学生ながらも美しく整った顔立ちをした彼の顔を見た瞬間、記憶が濁流のように流れ込んできた。
前世の記憶だ。自分が何者であったのか、目の前の彼が一体誰なのかまで……未来の、一年後の彼の姿がスチル画として蘇る。今は黒髪だけど、来年度彼は髪の毛を染めるのだ。今は品行方正にしているけど、高校入学した後徐々に素行不良になっていくのだ……
『大丈夫ですか?』
高校前の駅で駅員に痴漢を突き出した彼は私を気遣うように声を掛けてきた。
『た、助けてくれてありがとう…』
私が震える声でお礼を言うと、彼から『自分の姉もよく痴漢に遭うので、ただ単に許せなかっただけです』とあっさり返された。
記憶が蘇った私には「優しい…」とときめく間もなく、疑問が湧いた。
姉。…お姉さんも痴漢に遭うんだ……?
あれ? あのゲームの中では彼とその姉は仲が悪かったはずなんだけど……痴漢に遭ったとかそういう話する間柄なの?
どういうこと?
『じゃあ俺、試験があるので』
『えっあっ待って……行っちゃった』
彼は駅の階段を飛ばしながら駆け出し、あっという間にその場から走り去ってしまった。まさに風のように去っていった。
そうか、彼は今日私の通う高校を受験するのか。彼は間違いなく合格する。春から同じ高校に通うんだ…! また会えるんだ! 飛び上がるくらい私は喜んだ。
たった一度、痴漢から助けてもらっただけだった。
私はそのたった一度で彼に恋をしたんだ。
だけど彼は乙女ゲームの攻略対象だ。ヒロインの相手役候補なのだ。そして私はモブですらない、その他大勢のポジション……
──彼がヒロインのものになるのが許せなかった。運命だとしても、それに抗ってやりたくなったのだ。
そうだ、私にはあのゲームの記憶がある。私なら彼のヒロインになれるんだ。
内なる自分がそう囁いた気がした。
だけど、ちょっと待てよ? と冷静な私がストップをかけようとする。
彼の姉の名前は……あやめ。…同級生に同じ名前の子がいたけど……そういえば、彼女の名字も田端だった。あの子が、彼のお姉さん…?
…どういう事なの。ゲームでは違う高校に進学していたはずなのに…それに、ゲームの中ではもっと陰気で顔を前髪で隠すような暗いキャラだったはず…
所々引っかかりはあったが、モブ姉もとい田端あやめは彼の実姉だ。血のつながった姉は恋のライバルにはなりえない人物。なのでさほど危険視しなかった。
──その時の私は馬鹿だった。
ヒロインよりも誰よりも強敵なのが誰なのかも気づかず、ヒロインの役割を乗っ取って彼を攻略しようとしていた。
戻れるなら過去に戻ってやり直したい。
■□■
入学式当日、桜吹雪の下にヒロインはいた。向こう側から彼が歩いて来ている。あの出会いのスチルを思い出したが、私はその流れを敢えて妨害してやった。
「ねぇ君ー! 新入生だよねー? 体育館こっちこっちー!」
声をかければ、彼はこちらに意識を向ける。私は入学式実行委員として新入生を誘導する係をゲットしたので何ら違和感もない。
彼を体育館に案内してあげると、彼にお礼を言われた。痴漢から助けてもらったのはひと月前のことだけど、彼は私のことを一切覚えていないようだった。それが寂しくて悲しかったが、そんなことにめげてはいられない。
私は必ず彼を射止めてみせる。
たとえヒロインの座乗っ取りだとしても、恋は戦争、多少は汚い手を使っても許されるはずなのである。私はばれないように拳を握りしめた。
彼…和真君は入学したその日から注目の的となった。
それと同時に彼の姉である田端あやめも別の意味で注目されるようになった。
「田端、髪の毛の色を戻せ。それと化粧をするな」
「あっ風紀副委員長様、あそこに校則違反者がいますよ! おーい沢渡くーん!」
「お前が言うな」
モブ姉なのに、攻略対象と接触しては、何かしら騒動に巻き込まれている彼女は和真君とは別の意味で目立っていた。
モブ姉ってあんなに派手だったっけ? あんなに……アグレッシブだったかな……
私は自分の前世の記憶を疑い始めた。
その上、攻略状況は芳しくない。
ヒロインと同じアクションをとっても、和真君が心を開く様子はない。シナリオ通りに和真君が非行しはじめたが、何かがどこか違う。
何故なんだろう。
…あぁそうだ、和真君とモブ姉は特別仲が悪い風には見えないんだ。もしかしてモブ姉が原因なのか…?
私はモブ姉の生態を調べるために跡をつけることにした。
そこで目にしたのは犬に群がられるモブ姉の姿である。ギャルギャルしい格好をしているのに、犬と触れ合うその姿は微笑ましく映った。
それにしても、歩けば犬に当たるってくらい犬にぶち当たっている。
「ハッハッハッ…」
「どうしたのペコちゃん!? すみません、いつもはこんなことないのにー」
「ははは、いえいえ」
散歩中の犬がモブ姉の前でお腹を見せて期待の眼差しで見上げている。モブ姉がお腹をひと無ですると、もっともっとと身体を拗じらせて歓喜している。
1頭来てはまた1頭寄ってくる。まるで歩く犬フェロモンだ。
「可愛いねぇ、いい子だねぇ」
「きゅぅぅん」
「あやめちゃんの手にかかると、うちの暴れん坊将軍もおとなしくなっちゃうわぁ」
磁石で引き寄せられるように犬がモブ姉へ寄っていく。どんな屈強な犬もモブ姉にかかればかわいいわんちゃんに様変わり。
どういうことなんだ。ここは花咲く君への世界ではないの…? えっ…わんわん物語…?
「ウー…ワンッ!」
「ギャウギャウ!」
「きゃあ!」
モブ姉を監視すべく、電信柱の影に隠れていた私は、散歩中のよその犬たちに吠えられ、追いかけ回された。さっきまで田端あやめに尻尾振ってたくせに何なのこの変わり様は!! まるで不審者扱いじゃないの!?
異常なほどに犬に愛された田端あやめ、一体何者なの…!? ますますわからない。
■□■
あやめちゃんが私と同じ転生者だと知ったのはそれから後の話だ。
あやめちゃんは、私が転生者だと気づいていて警戒していたそうだ。私がヒロイン乗っ取りしようとしていることを許せなくて妨害しようとしていたみたい。
あやめちゃんはあのゲームのシナリオ通りに事が進んで欲しいようだ。攻略対象とヒロインが結ばれるべきと考えている。
……そんな事言うあやめちゃんだって攻略対象を好きになっているくせに。
確かに私のしていることは卑怯だったと思う。だけど好きになった気持ちを否定しないで欲しい。それは私だけじゃない。あやめちゃんの気持ちもだ。
人を好きになる気持ちは皆同じなんだから。
私は和真君が好きだ。
なので、ヒロインである本橋花恋のことが嫌いである。ドジっ子だかなんだか知らないけど、いろんな攻略対象とイベントを起こしているくせに誰のルートに進んでいるのかもわからない。
そういうところも見ていてむかつくし、運命の出会いが約束された特別な存在なことも腹が立つ。
あの女が誰かとくっつくのを待つくらいなら、卑怯な手を使わずに正攻法で彼に好意を伝えていく。彼が振り向くまで私は諦めない!
「…唐揚げなら姉ちゃんが作ってくれたのがあるからいい」
「……私、朝5時に起きて作ったんだよ?」
「そもそも頼んでないけど」
そう、諦めない。
彼の姉の作った唐揚げのほうが上手でも、姉の唐揚げがあるからいらないと言われても私は決して諦めたりしない。
「これから? 姉ちゃん迎えに行くから無理。この間変なつきまといに遭ったから、姉ちゃんのバイトの帰りは橘先輩と交代で送り迎えしてんの」
「……」
…そう、けっして諦めない。
彼がいつだって姉を優先しようと私は諦めない。彼は優しい人だから、大事なお姉さんを見捨てるマネはしないのだ。
「和真くーん! がんばってぇぇ!」
彼の試合に応援に来たのに、彼の視線の先にいるのが姉のあやめちゃんだったとしても、私は、私は絶対に…!
「昔は俺ばかり守ってもらっていたから、今度は姉ちゃんを守れるくらいに強くなりたいんだ」
乙女ゲームでは不良系美形だった彼が、たくましく強くなっていく彼は硬派なイケメンにクラスチェンジした。
それはすべて、大好きな姉のため。
貴重なテレ顔で空手を習い始めた理由を語られた私は……
「和真君がシスコンになっちゃったのは、あやめちゃんのせいなんだからね!」
「うわ、急に何!?」
あやめちゃんは困惑した様子で「そんな事ないと思う」と否定するけど、そんな事があっているから私の恋はうまく行かないんだよ!
和真君が振り返ってくれないのは、なにもかも強敵すぎるあやめちゃんが悪い!!
絶対に絶対に諦めないんだからぁっ!
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