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Day‘s Eye 魔術師になったデイジー
高等魔術師の令嬢と魔なしの女家庭教師【三人称視点】
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昔々あるところに、黒の王国があった。
王国の歴史は古くから続き、その国の成り立ちには魔法・魔術が深く関わっていた。魔力を駆使し、戦乱の世を送った人々によって国が出来上がったという歴史がある。
魔力に恵まれた人々を魔術師と呼び、国を統一するべく武勲を上げた彼らは時の王により、爵位を与えられた。
貴族たるもの、魔力持ちであって当然。
魔なしは貴族にあらず。
彼らの意識は血を尊ぶことだけでなく、魔力至上主義へと移り変わっていったのだ。
平民であれば、それは大した問題にはならなかった。周りに沢山魔なしがいるので彼らと同じ生き方をすればいいだけのことだ。
しかし、上流階級ではそうはいかなかった。貴族が魔なしを排出したということはとんでもない恥であるとされていた。
そのため、貴族の子女で魔なしと分かれば、教会送り、孤児院送り、もしくは養子として別の家へと送られた。
その女もそのうちの1人だった。
彼女はずっと魔力が欲しかった。だけどどんなに努力しても彼女の身に魔力が宿ることはなかった。彼女が魔なしであったが故に、母は不貞を疑われた。そして母は彼女を責め立てた。口には出せない位酷いことをされた。兄妹にも嘲笑され、彼女はとうとう捨てられたのだ。
しかし彼女は諦めなかった。
魔なしが通う中等学校に入り、優秀な成績を修めると卒業後は女家庭教師育成校に入校した。彼女は自分の力で道を拓いていった。魔なしであっても、1人で立派に生きてみせると決心した。
──なのだが、彼女の胸の奥深くでは、“貴族”、“魔術師”に対する劣等感がくすぶり続けていた。
そのため、とある少女の噂を聞きつけた時、彼女はひどく嫉妬した。
そして心に誓ったのだ。
必ずや立派な淑女にしてみせる、と。王太子殿下の婚約者として返り咲きさせて見せれば、女家庭教師である自分の評価はうなぎのぼり。これまで魔なしと嘲笑してきた人間たちを見返せると彼女は野望に燃えた。
そのために少女の過去を一切排除させた。外への連絡を遮断し、四六時中監視させた。泥臭い平民としての過去を捨てさせ、上流階級の娘としての人生を歩ませるため、逆らうことのない従順な娘に仕立てようとした。
しかしそのどれも中々うまく行かない。
──彼女はわからなかったのだ。
その少女は昔の彼女。
少女も努力の人であり、努力一筋で高等魔術師にのし上がった人間であることを。
強い意志を持った少女だからこそ、彼女と反発する。彼女のやり方は全て裏目に出ているのだと。
人の幸せの価値観はそれぞれ異なっており、彼女の幸せと少女の幸せは全く形が違うのだと。
少女の人となりを知る前に、義務を押し付け、圧力をかけ続けていた彼女は大事なことを見落としていたのである。
■□■
町の中にある一等上等なカフェの椅子に腰掛けて紅茶を頂いていた彼らはおしゃべりに興じていた。
バカンス中の貴族風4名の他に1人、平民の少女が混じってる部分は異様だが、その空気は決して悪くない。だからといって全員が楽しそうというわけでもないが。
「まぁ、アステリアは随分優秀だったのね」
「そうなんです! 周りの人もデイジーの勢いに圧されててぇ。試験前には私の勉強を見てくれたのに、いつも学年トップですごかったんですよぉ」
町に滞在している辺境伯一家がデイジーの友人であるカンナをお茶に誘い、デイジーの学生時代の話をねだっていた。
この場でお喋りをするのは辺境伯の妻であるマルガレーテと、カンナだ。話の中心であるデイジーは黙ってお茶のカップを傾けているだけ。彼女と実の家族の間にはまだまだ距離があった。
そこにフン、と小馬鹿にするように鼻を鳴らす女がいた。女家庭教師のギルダである。
「高等魔術師になれたのも、優秀なフォルクヴァルツ家の娘なら当然のことでしょう」
その言葉におしゃべりをしていた夫人も、辺境伯も子息も変な顔をして固まっていた。「え?」と言いたげな顔でギルダを見上げているのだ。
カチ、と小さく音を立ててカップをソーサーの上に戻したデイジーはハハッと声を漏らしていた。笑い声を上げたが、彼女の表情には一切の笑みがない。
「…へぇ、皆さんは魔法魔術学校を3年飛び級されたんですかぁ。卒業後すぐに上級魔術師になって、17歳で高等魔術師の資格を取得されたんですね」
高等魔術師の試験はかなり難易度高かったけど、お貴族様なら余裕なんですね。それはすごい。
デイジーは口元を歪めて笑ってみせたが目が笑っていない。
「いや、それはない」
否定したのはデイジーの実兄にあたるディーデリヒである。彼も一応高等魔術師の資格を持っているが、資格を取れたのはここ最近だ。彼はついこの間大学校を卒業したばかり。デイジーのように飛び級してスピード出世したわけではないという。
「ですよね、私は努力したんです。死にものぐるいで庶民ながらに努力して高等魔術師になったんです。フォルクヴァルツ家がどれほどすごいか知りませんけど、私は一切恩恵を受けておりません」
自分の努力を否定されたようでデイジーは大変不快に感じていた。どんなに否定の言葉を投げかけられて矜持を踏みにじられようと、それだけは黙っていられなかった。
デイジーはゆっくり椅子から立ち上がると、ギルダを睨みつける。
「…はじめから恵まれているお貴族様と一緒にしないでくれますか、不快です」
そう吐き捨てると、彼女は踵を返してどこかへと向かった。ギルダが「なっ…! 何ですかその言い草は!」と叫んでいたが、デイジーは振り返らずにどこかへと立ち去ってしまった。
「わたくしは嫌われているのかしら…」
いつまで経っても心を開いてくれない娘にマルガレーテは落ち込んだ。
生死不明の娘だった。会えた時は嬉しくて仕方がなかった。今は戸惑っているだけで、いつか「お母様」と呼んでくれると思っていたのに、デイジーはいつまで経っても心閉ざしたままであった。
マルガレーテは広い心を持って待ち続けていたが、そろそろ心が折れてしまいそうだった。
「貴族嫌いな面があるのは確かです。優秀が故に、在学中貴族から嫌がらせを受けたので…」
カンナは声を潜めて説明した。デイジーはその優秀さ故に苦労もしてきたのだ。
この親子は17年という長過ぎる空白期間があった。そんなすぐに打ち解けるはずもない。それに…
「デイジーは努力の人です。それを貴族のひとくくりにされるのは彼女の矜持が許さないのでしょう」
先程までのおちゃらけた雰囲気はどこへ行ったのか、カンナは真面目に言った。
「それを貴族だからの一言で終わらされると、今までの努力を否定された気分になると思いません?」
ティーカップに入った紅茶の色と同じ色をした瞳を細め、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。
カンナとてお貴族様に憧れはある。しかしそれとは別に学生生活で色々関わってきたため、微妙な感情も抱いているのだ。それに悩まされてきた親友の姿を見てしまったら、口を出せずにはいられなかった。
「温室育ちというわけでもない、ただの村娘が簡単に上り詰めると思いますか? お貴族様とは違って、スタート地点は天と地の差ほどに違うんですよ」
流石にデイジーをバカにし過ぎだろう。とカンナはギルダに非難の眼差しをぶつけた。
「ギルダさんも貴族出身だとか……そりゃあ環境に恵まれた貴族様なら簡単ですよね」
貴族出身なら魔力を持っていて当然。それが平民たちの認識だ。なのでカンナも何も考えずに発したのだが、それに待ったをかけたのはマルガレーテである。
「カンナさん、ギルダはその…魔力には恵まれなかったから魔法魔術学校のことはわからないのよ」
ギルダはバツの悪そうな顔をしていた。カンナは自分の口元を抑え、「そうとも知らずにごめんなさい」と小さく謝罪した。
「それは置いておいてですよ。彼女という基礎を作ったのはこの村であり、この国なんです。デイジーを大切に育ててくれた家族がいるんですよ! それを尊重しないのってどうかと思います。いくら貴族の血が流れていても、デイジーはデイジーでしかないのです」
咳払いした後、カンナは第三者視点、しかしデイジー贔屓気味に意見を発した。
辺境伯一家もギルダも、カンナが真面目に話す子だとは思わなかったのか、少し驚いた顔を浮かべている。
カンナは貴族相手に負けじと意見を述べてやった。
「そちらが必死にデイジーを探していたのはお聞きしましたけど、デイジーだって大変だったんですよ」
彼女が呑気に平民生活を送っていたと思ったら大間違いだ。
「捨て子だと不当に謗られて来たデイジーは無駄に傷ついてきたんです……私からしてみたら今更ですよ本当。遅すぎます。17年前に生き別れになった肉親なんて他人同然です。デイジーは今更、家族ごっこなんて求めてないと思います。彼女の人生を縛ることが彼女の幸せになるとでもお思いで?」
その言葉には耳が痛いのか、辺境伯夫妻は少しばかり身をすくめていた。その自覚はあったらしい。
「それとも、政略結婚の道具にしに来たんですか? 王太子妃ですもんね、大いなる権力を獲られますもんね」
「そんな…いくらなんでも失礼よ!?」
政略結婚の駒にする為に娘を探していたわけじゃないとマルガレーテは憤慨した。カンナに反論すると、彼女は悪気なさそうに首を傾げていた。
「生意気なこと言ってごめんなさい。だけど、デイジーを孤立させて追い詰めるやり方は感心しませんよ? ねぇ、ギルダさん、それにメイドさん?」
カンナが指名すると、ギルダは眉間にシワを寄せてワナワナ屈辱に震えていた。
彼女の本音がどこにあるのかはカンナにはわからない。だけど結果的にデイジーを追い詰めて窮地に追いやっていることに間違いない。
「村へ帰りたがっているのにそれを引き止めて……デイジーが優しいのを利用していませんか? 下手な行動を起こしたら、村の人になにか罰が下されると思ってデイジーは行動に出せなかったんですよ。もしかして、村に帰したらデイジーが二度と戻ってこない気がしたからですか? デイジーにはもう生活基盤が出来上がっていたんですよ。それを壊したのはあなた方です」
カンナは普段出す声よりも低めの声で言った。彼女から醸し出される迫力に圧されているのか、辺境伯一家は口を開かなかった。ほぼ当たってるからだ。反論なぞできまい。
「私物の服を燃やしたり、家族への手紙を妨害するのはいかがなんでしょうか。あと行儀作法とか言って体罰に暴言吐いていたんですよね、追い詰めてどうするんですか? デイジーめちゃくちゃ弱ってるのに誰も気づいてあげないんですね。貴方方への信用も信頼もないから心開かないんでしょう。…そんなこともわからないんですか?」
カンナは遠慮なく言いたいことをズラーッと言ってのけた。彼らは固まった状態でカンナの発する言葉を受け止めていた。
これで処罰されても構わないってくらいにカンナは怒りに燃えていた。そのどれもこれも大事なデイジーのためだから、処罰なんて怖くなかった。これで処罰したらそれまでの人間だろうと強気でいた。
「平民ごときが偉そうに言ってなんですが……今のらしくない彼女の姿を見ていられません。よく考えてください」
カンナは言い逃げするように「デイジーどこいったんだろっ」と独り言をつぶやくと、転送術でどこかへと飛んでいった。行き先は間違いなくデイジーの元であろう。
カンナが立ち去った後は妙な静寂がその場を支配した。耳の痛いことばかり言われてぐうの音も出ないと言ったところであろうか。
その空気を切り裂いたのは重々しいため息ひとつである。
「アステリアの様子がおかしかったのには気づいていたが…」
辺境伯だ。彼は自分の落ち度を自分の娘と同い年の少女に指摘されて自己嫌悪していた。忙しかったと言えば言い訳になるが、娘が何度も訴えていたのをそれらしく流していたのは間違いない。
「アステリアには年の近い別のメイドをそばにつけよう」
「旦那様!?」
辺境伯の決定に、メイド達が悲鳴のような声を上げた。しかし辺境伯は彼女たちを見上げて首を横に振っていた。
「君たちメイドはどうにも気が利かない。年が離れているせいか…? この際メイド育成校から優秀な娘を雇おう」
「そんな旦那様、あのような小娘の戯言」
「そうです、あんな平民の言葉を真に受けたりなんか…!」
ギルダ達は解雇だけは困ると言い募ろうとしたが、辺境伯は再度重いため息を吐き出した。
「……私はアステリアを追い詰めるために君をつけたのではない。アステリアは市井で育った。君が陰日向に支えると言うから任せたのだ」
たとえ魔なしだとしても、それに挫けずに地道に努力して経験を積んできた君なら、アステリアの気持ちが理解できるんじゃないかと思っていたが、過大評価だったみたいだ。
辺境伯の独白のような言葉にギルダは息を呑んだ。
ギルダは貴族の出身ながらも魔なしで、魔ありの兄妹と差別されて育てられた。家族に見捨てられた後は腐らず自立の道を歩んできた。
彼女の劣等感やプライドの高さは異常だったが、立場は違えど似ている2人だと思っていた……しかしそれは間違いだった。
その時、ギルダの中に生まれたのはやるせない怒りである。何故こうなった。
私は完璧だったはずだ。あの娘を王太子妃にすれば、私の名誉は……と自分のプライドのことばかり考えていた。
「君は今日付で解雇する。それとそこにいるメイド達もだ」
その決定にギルダは呆けた顔で固まっていた。
周りにいたメイドたちはがっくりと肩を落とし、その日のうちに解雇され、帰国を余儀なくされた。
嫉妬と矜持に溺れた、強欲な魔なしの女家庭教師の目論見はこうして潰えたのであった。
王国の歴史は古くから続き、その国の成り立ちには魔法・魔術が深く関わっていた。魔力を駆使し、戦乱の世を送った人々によって国が出来上がったという歴史がある。
魔力に恵まれた人々を魔術師と呼び、国を統一するべく武勲を上げた彼らは時の王により、爵位を与えられた。
貴族たるもの、魔力持ちであって当然。
魔なしは貴族にあらず。
彼らの意識は血を尊ぶことだけでなく、魔力至上主義へと移り変わっていったのだ。
平民であれば、それは大した問題にはならなかった。周りに沢山魔なしがいるので彼らと同じ生き方をすればいいだけのことだ。
しかし、上流階級ではそうはいかなかった。貴族が魔なしを排出したということはとんでもない恥であるとされていた。
そのため、貴族の子女で魔なしと分かれば、教会送り、孤児院送り、もしくは養子として別の家へと送られた。
その女もそのうちの1人だった。
彼女はずっと魔力が欲しかった。だけどどんなに努力しても彼女の身に魔力が宿ることはなかった。彼女が魔なしであったが故に、母は不貞を疑われた。そして母は彼女を責め立てた。口には出せない位酷いことをされた。兄妹にも嘲笑され、彼女はとうとう捨てられたのだ。
しかし彼女は諦めなかった。
魔なしが通う中等学校に入り、優秀な成績を修めると卒業後は女家庭教師育成校に入校した。彼女は自分の力で道を拓いていった。魔なしであっても、1人で立派に生きてみせると決心した。
──なのだが、彼女の胸の奥深くでは、“貴族”、“魔術師”に対する劣等感がくすぶり続けていた。
そのため、とある少女の噂を聞きつけた時、彼女はひどく嫉妬した。
そして心に誓ったのだ。
必ずや立派な淑女にしてみせる、と。王太子殿下の婚約者として返り咲きさせて見せれば、女家庭教師である自分の評価はうなぎのぼり。これまで魔なしと嘲笑してきた人間たちを見返せると彼女は野望に燃えた。
そのために少女の過去を一切排除させた。外への連絡を遮断し、四六時中監視させた。泥臭い平民としての過去を捨てさせ、上流階級の娘としての人生を歩ませるため、逆らうことのない従順な娘に仕立てようとした。
しかしそのどれも中々うまく行かない。
──彼女はわからなかったのだ。
その少女は昔の彼女。
少女も努力の人であり、努力一筋で高等魔術師にのし上がった人間であることを。
強い意志を持った少女だからこそ、彼女と反発する。彼女のやり方は全て裏目に出ているのだと。
人の幸せの価値観はそれぞれ異なっており、彼女の幸せと少女の幸せは全く形が違うのだと。
少女の人となりを知る前に、義務を押し付け、圧力をかけ続けていた彼女は大事なことを見落としていたのである。
■□■
町の中にある一等上等なカフェの椅子に腰掛けて紅茶を頂いていた彼らはおしゃべりに興じていた。
バカンス中の貴族風4名の他に1人、平民の少女が混じってる部分は異様だが、その空気は決して悪くない。だからといって全員が楽しそうというわけでもないが。
「まぁ、アステリアは随分優秀だったのね」
「そうなんです! 周りの人もデイジーの勢いに圧されててぇ。試験前には私の勉強を見てくれたのに、いつも学年トップですごかったんですよぉ」
町に滞在している辺境伯一家がデイジーの友人であるカンナをお茶に誘い、デイジーの学生時代の話をねだっていた。
この場でお喋りをするのは辺境伯の妻であるマルガレーテと、カンナだ。話の中心であるデイジーは黙ってお茶のカップを傾けているだけ。彼女と実の家族の間にはまだまだ距離があった。
そこにフン、と小馬鹿にするように鼻を鳴らす女がいた。女家庭教師のギルダである。
「高等魔術師になれたのも、優秀なフォルクヴァルツ家の娘なら当然のことでしょう」
その言葉におしゃべりをしていた夫人も、辺境伯も子息も変な顔をして固まっていた。「え?」と言いたげな顔でギルダを見上げているのだ。
カチ、と小さく音を立ててカップをソーサーの上に戻したデイジーはハハッと声を漏らしていた。笑い声を上げたが、彼女の表情には一切の笑みがない。
「…へぇ、皆さんは魔法魔術学校を3年飛び級されたんですかぁ。卒業後すぐに上級魔術師になって、17歳で高等魔術師の資格を取得されたんですね」
高等魔術師の試験はかなり難易度高かったけど、お貴族様なら余裕なんですね。それはすごい。
デイジーは口元を歪めて笑ってみせたが目が笑っていない。
「いや、それはない」
否定したのはデイジーの実兄にあたるディーデリヒである。彼も一応高等魔術師の資格を持っているが、資格を取れたのはここ最近だ。彼はついこの間大学校を卒業したばかり。デイジーのように飛び級してスピード出世したわけではないという。
「ですよね、私は努力したんです。死にものぐるいで庶民ながらに努力して高等魔術師になったんです。フォルクヴァルツ家がどれほどすごいか知りませんけど、私は一切恩恵を受けておりません」
自分の努力を否定されたようでデイジーは大変不快に感じていた。どんなに否定の言葉を投げかけられて矜持を踏みにじられようと、それだけは黙っていられなかった。
デイジーはゆっくり椅子から立ち上がると、ギルダを睨みつける。
「…はじめから恵まれているお貴族様と一緒にしないでくれますか、不快です」
そう吐き捨てると、彼女は踵を返してどこかへと向かった。ギルダが「なっ…! 何ですかその言い草は!」と叫んでいたが、デイジーは振り返らずにどこかへと立ち去ってしまった。
「わたくしは嫌われているのかしら…」
いつまで経っても心を開いてくれない娘にマルガレーテは落ち込んだ。
生死不明の娘だった。会えた時は嬉しくて仕方がなかった。今は戸惑っているだけで、いつか「お母様」と呼んでくれると思っていたのに、デイジーはいつまで経っても心閉ざしたままであった。
マルガレーテは広い心を持って待ち続けていたが、そろそろ心が折れてしまいそうだった。
「貴族嫌いな面があるのは確かです。優秀が故に、在学中貴族から嫌がらせを受けたので…」
カンナは声を潜めて説明した。デイジーはその優秀さ故に苦労もしてきたのだ。
この親子は17年という長過ぎる空白期間があった。そんなすぐに打ち解けるはずもない。それに…
「デイジーは努力の人です。それを貴族のひとくくりにされるのは彼女の矜持が許さないのでしょう」
先程までのおちゃらけた雰囲気はどこへ行ったのか、カンナは真面目に言った。
「それを貴族だからの一言で終わらされると、今までの努力を否定された気分になると思いません?」
ティーカップに入った紅茶の色と同じ色をした瞳を細め、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。
カンナとてお貴族様に憧れはある。しかしそれとは別に学生生活で色々関わってきたため、微妙な感情も抱いているのだ。それに悩まされてきた親友の姿を見てしまったら、口を出せずにはいられなかった。
「温室育ちというわけでもない、ただの村娘が簡単に上り詰めると思いますか? お貴族様とは違って、スタート地点は天と地の差ほどに違うんですよ」
流石にデイジーをバカにし過ぎだろう。とカンナはギルダに非難の眼差しをぶつけた。
「ギルダさんも貴族出身だとか……そりゃあ環境に恵まれた貴族様なら簡単ですよね」
貴族出身なら魔力を持っていて当然。それが平民たちの認識だ。なのでカンナも何も考えずに発したのだが、それに待ったをかけたのはマルガレーテである。
「カンナさん、ギルダはその…魔力には恵まれなかったから魔法魔術学校のことはわからないのよ」
ギルダはバツの悪そうな顔をしていた。カンナは自分の口元を抑え、「そうとも知らずにごめんなさい」と小さく謝罪した。
「それは置いておいてですよ。彼女という基礎を作ったのはこの村であり、この国なんです。デイジーを大切に育ててくれた家族がいるんですよ! それを尊重しないのってどうかと思います。いくら貴族の血が流れていても、デイジーはデイジーでしかないのです」
咳払いした後、カンナは第三者視点、しかしデイジー贔屓気味に意見を発した。
辺境伯一家もギルダも、カンナが真面目に話す子だとは思わなかったのか、少し驚いた顔を浮かべている。
カンナは貴族相手に負けじと意見を述べてやった。
「そちらが必死にデイジーを探していたのはお聞きしましたけど、デイジーだって大変だったんですよ」
彼女が呑気に平民生活を送っていたと思ったら大間違いだ。
「捨て子だと不当に謗られて来たデイジーは無駄に傷ついてきたんです……私からしてみたら今更ですよ本当。遅すぎます。17年前に生き別れになった肉親なんて他人同然です。デイジーは今更、家族ごっこなんて求めてないと思います。彼女の人生を縛ることが彼女の幸せになるとでもお思いで?」
その言葉には耳が痛いのか、辺境伯夫妻は少しばかり身をすくめていた。その自覚はあったらしい。
「それとも、政略結婚の道具にしに来たんですか? 王太子妃ですもんね、大いなる権力を獲られますもんね」
「そんな…いくらなんでも失礼よ!?」
政略結婚の駒にする為に娘を探していたわけじゃないとマルガレーテは憤慨した。カンナに反論すると、彼女は悪気なさそうに首を傾げていた。
「生意気なこと言ってごめんなさい。だけど、デイジーを孤立させて追い詰めるやり方は感心しませんよ? ねぇ、ギルダさん、それにメイドさん?」
カンナが指名すると、ギルダは眉間にシワを寄せてワナワナ屈辱に震えていた。
彼女の本音がどこにあるのかはカンナにはわからない。だけど結果的にデイジーを追い詰めて窮地に追いやっていることに間違いない。
「村へ帰りたがっているのにそれを引き止めて……デイジーが優しいのを利用していませんか? 下手な行動を起こしたら、村の人になにか罰が下されると思ってデイジーは行動に出せなかったんですよ。もしかして、村に帰したらデイジーが二度と戻ってこない気がしたからですか? デイジーにはもう生活基盤が出来上がっていたんですよ。それを壊したのはあなた方です」
カンナは普段出す声よりも低めの声で言った。彼女から醸し出される迫力に圧されているのか、辺境伯一家は口を開かなかった。ほぼ当たってるからだ。反論なぞできまい。
「私物の服を燃やしたり、家族への手紙を妨害するのはいかがなんでしょうか。あと行儀作法とか言って体罰に暴言吐いていたんですよね、追い詰めてどうするんですか? デイジーめちゃくちゃ弱ってるのに誰も気づいてあげないんですね。貴方方への信用も信頼もないから心開かないんでしょう。…そんなこともわからないんですか?」
カンナは遠慮なく言いたいことをズラーッと言ってのけた。彼らは固まった状態でカンナの発する言葉を受け止めていた。
これで処罰されても構わないってくらいにカンナは怒りに燃えていた。そのどれもこれも大事なデイジーのためだから、処罰なんて怖くなかった。これで処罰したらそれまでの人間だろうと強気でいた。
「平民ごときが偉そうに言ってなんですが……今のらしくない彼女の姿を見ていられません。よく考えてください」
カンナは言い逃げするように「デイジーどこいったんだろっ」と独り言をつぶやくと、転送術でどこかへと飛んでいった。行き先は間違いなくデイジーの元であろう。
カンナが立ち去った後は妙な静寂がその場を支配した。耳の痛いことばかり言われてぐうの音も出ないと言ったところであろうか。
その空気を切り裂いたのは重々しいため息ひとつである。
「アステリアの様子がおかしかったのには気づいていたが…」
辺境伯だ。彼は自分の落ち度を自分の娘と同い年の少女に指摘されて自己嫌悪していた。忙しかったと言えば言い訳になるが、娘が何度も訴えていたのをそれらしく流していたのは間違いない。
「アステリアには年の近い別のメイドをそばにつけよう」
「旦那様!?」
辺境伯の決定に、メイド達が悲鳴のような声を上げた。しかし辺境伯は彼女たちを見上げて首を横に振っていた。
「君たちメイドはどうにも気が利かない。年が離れているせいか…? この際メイド育成校から優秀な娘を雇おう」
「そんな旦那様、あのような小娘の戯言」
「そうです、あんな平民の言葉を真に受けたりなんか…!」
ギルダ達は解雇だけは困ると言い募ろうとしたが、辺境伯は再度重いため息を吐き出した。
「……私はアステリアを追い詰めるために君をつけたのではない。アステリアは市井で育った。君が陰日向に支えると言うから任せたのだ」
たとえ魔なしだとしても、それに挫けずに地道に努力して経験を積んできた君なら、アステリアの気持ちが理解できるんじゃないかと思っていたが、過大評価だったみたいだ。
辺境伯の独白のような言葉にギルダは息を呑んだ。
ギルダは貴族の出身ながらも魔なしで、魔ありの兄妹と差別されて育てられた。家族に見捨てられた後は腐らず自立の道を歩んできた。
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その時、ギルダの中に生まれたのはやるせない怒りである。何故こうなった。
私は完璧だったはずだ。あの娘を王太子妃にすれば、私の名誉は……と自分のプライドのことばかり考えていた。
「君は今日付で解雇する。それとそこにいるメイド達もだ」
その決定にギルダは呆けた顔で固まっていた。
周りにいたメイドたちはがっくりと肩を落とし、その日のうちに解雇され、帰国を余儀なくされた。
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