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Day‘s Eye 芽吹いたデイジー
汚れたオレンジ【テオ視点】
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「テオ、上がる前に町へ行ってこれをガイ爺の工房に届けてきてくれ」
職場の親方に頼まれたのは町のお得意様への配達だった。何度か足を運んだ工房なので迷うこと無く任務は完了した。
用が終わったらとっとと帰る。早く仕事終わらせて家に帰りたいんだ。デイジーは今日もあまり体調がよくなさそうだった。それなのに依頼だからといって体を無理に起こして仕事をしていた。
医者に見てもらおうと言ってみても、デイジーは頑なに拒む。大丈夫だからって。
こっちとしては心配でたまらない。出来ることなら俺がすべて肩代わりしてやりたい。だが俺は薬の技術も知識もない。その上不器用なのでデイジーみたいには作れない。当たり前だ。俺はデイジーじゃないんだから出来るわけがない。
デイジーは魔術師としての矜持を強く持っている。困っている人がいるなら自分の不調を押してでもなんとか用意してやろうとする真面目なやつなんだ。そんなところにも惚れているから、やるなと禁止できないのが辛い。彼女から仕事を取り上げるなんて真似、出来っこないのだ。
「…あ」
気持ち早歩きで路地を突っ切っていた俺は目の端に映ったものに気を取られて足を止めた。そこにあったのは果物だ。
そう言えばここ最近のデイジーは食欲が無いものの、果物、それも酸っぱいものであれば好んで口にしていた。丸々ツヤツヤとしたオレンジは皮にハリがあり、とてもいい香りがした。
「兄ちゃんどうだい、今朝仕入れたばかりのグラナーダ産オレンジだよ」
「グラナーダ産か」
安いなと思ったら、物価が安い南の国から輸入したものか。珍しいな、ここでグラナーダの農作物が販売しているとは。エスメラルダでも南の辺境ならグラナーダ産を入荷してるって聞くが、この辺ではあまり見かけない。
「味はうまいぞ。味見してみるか?」
そう言って八百屋の親父がナイフでオレンジを切って、俺に一切れ渡してきた。
品種が違うのだろう。こっちとは少しばかり風味が違う。酸味が強めなので、エスメラルダ産の甘いオレンジに慣れた人には酸っぱく感じるかもしれないが、俺は嫌いじゃない。それにデイジーもこのくらい酸っぱいほうが食べやすいかもしれない。
「あっ狼のにいちゃんだ!」
オレンジを咀嚼していると、足元から呼びかけられた。俺が視線を下に向けると、そこには先日の木彫りのドラゴンをもった男児の姿。
この男児の母親に嫌な印象を持ってた俺は辺りを見渡して誰もいないことを確認する。…いないな。良かった。
「買い物してるの?」
「嫁さんに土産で買ってこうと思ってな。親父、その切りかけのオレンジも買い取るよ。他に3つほど包んでくれ」
「毎度」
八百屋の親父と商品と金の受け渡しをして、切り分けてもらったオレンジを男児に渡す。男児はにぱぁと無邪気に笑って「ありがとう!」とオレンジにかじり付いていた。
…腹が減っているんだろうか。そう言えばこの子ども、身長の割に痩せているし、服がこの間と同じだな……風呂に入れてもらえているんだろうか。
「おい兄ちゃん、悪いことは言わねぇ。この子どもに関わんねぇほうがいい」
「え…?」
肩を掴まれたと思えば、八百屋の親父が俺に言った。
「この子どもの母親は他所から流れてきたんだが、子どもをほったらかして日中から男を家に引き入れてるって話だ。関われば面倒事に巻き込まれるぞ」
それは知っている。俺もあの母親込みの交流は遠慮したいが、この男児にはなんの罪もない。お礼をちゃんと言えるしっかりした子どもじゃないか。こんなやせ細っているのを放置するのは流石に駄目だろう。ここまで来ると孤児院の子供のほうがいくらか健康的だぞ。
八百屋の親父の忠告に対して、俺は苦笑いを浮かべることで返事とした。これ以上この場に留まる理由はない。俺は赤の他人。あまり踏み込まないほうがいいってことだろう。オレンジの残りを食べていた男児の頭を撫でた。
「じゃあな、坊主」
男児は口をもぐもぐ動かしながら手を振って見送っていた。
せめてもっとまともな血縁者がいるならいいのに。そもそも男児の父親はどうしたんだろう。娼婦として商売している間に出来た父親不明の子どもなのだろうか。
妊娠を避けるための薬や手段もあるが、金や手間がかかるからと対策を練らないものも多い。そうして可哀想な子どもが誕生するのだ。産み落としたくせに責任を取ろうともしない親がこの世にはたくさんいる。
獣人として生まれ、獣人としての常識や文化を学んできた俺には、人族の一部の親のその身勝手さが理解できない。
赤の他人のことなのだが、自分のことのように暗い気持ちに襲われてどんよりしていると、突然鼻につく悪臭に襲われた。身構えていなかった俺は「ふがっ」とうめいて鼻を押さえる。
クッサ…! 鼻が痛ぇ!
ものすごい刺激臭に襲われて涙目になりかけていた俺は足を止める。
「またうちの子の相手をしてくれていたみたいで…ありがとうございます」
……いないと思っていたのにいた。
相変わらず男の匂いと質の悪い香水の匂いを漂わせている女は濃い化粧顔をニンマリとさせて俺に近づけてきた。
「よかったら、うちにいらっしゃらない? あの子なら日が暮れるまでは帰ってくるなって言い付けているから」
「いえ、結構です」
俺が拒絶しているのがわからないのだろうか。後ずさる俺を追うように女は一歩近づいた。
「そんな冷たいこと仰らないで。相談があるんです…」
俺の腕に絡みつく手に鳥肌が立つ。
臭い。あまりの臭さに体が防衛反応起こしてくしゃみがでそうだ。
「よそから来たから心細いの。ね? ちょっとだけだから」
人の話を聞いているのだろうか。ちょっとも何もねぇの。迷惑なの。俺は女の肩を掴んで引き剥がそうとするが、この女、見た目の割に力が強く、どさくさに紛れて俺の胸に抱きついて来やがった…!
だから臭いんだって!
「俺、嫁がいるんで!」
「大丈夫、内緒にしていたらわからないわ」
内緒とかそういう問題じゃねぇんだけど。
この女、また別の男の匂いがべっとりついてる…これは昨日とか一昨日の話じゃない。つい30分前とかその程度である。さっきまで男と乳繰り合っていたくせに寂しいもなにもないだろうが。
「あの子の父親は私を置いてひとりで逃げたの。それから私は女手一つであの子を育ててきた」
「いやあの、離れてくれませんか。困るんですけど」
女を引き剥がそうとするが、人族の女は骨が細くて力加減によってはバキッと折ってしまいそうになるから怖い。突き飛ばしてもいいけど、下手に怪我させたら後が面倒だ。どうやって引き剥がすべきか。
身体を擦り付けないでほしい。臭いが俺に染み付いてくるだろ…。
「──ふぅん、困るって言っている割には自分からは離れないんだね?」
どうすべきか迷っていると、背後から聞き覚えがありすぎる声が聞こえてきた。
なんで気づかなかったのだろう。俺の好きな甘い匂いが漂っているのに。この臭い女のせいで、彼女のいい匂いがかき消されてしまっていたのか…!
「デイジー!」
顔色の悪いデイジーは仕事の配達で使うロバを連れていた。注文分の薬を届けに町までやってきたのだろうか。
「帰ってこなくていいよ。さよなら」
大好きな嫁さんと会えた。助かったと思ったのもつかの間のことだった。デイジーは氷の眼差しで俺を睨みつけると、俺に帰ってこなくていい宣言をしてきたのだ。
…嘘だろ、この状況見て誤解されたの? 俺嫌がっているのに、デイジーの目には最低な浮気男の姿に見えてるの?
「ほら奥さんもそう言っているし」
俺の体に巻き付けた腕に力が増す。どんだけ厚顔無恥なんだこの女は…! 俺の目の前は怒りで真っ赤になる。
「離せよ!」
「あっ!」
ぶんっと腕を振って女の手を振り払うと、慌ててデイジーの後を追う。こんな不名誉な誤解されて終わるとか絶対に嫌だ。ていうか今すぐデイジーの匂いで癒やされたい。
「デイジー、待てって!」
ロバの手綱を引いて移動している彼女の手を掴もうとしたその瞬間、ビリリっと静電気よりも強い刺激を手のひらに感じ取ってパッと手を離した。
その反動でどしゃりと地面に買ったばかりのオレンジが転がった。
「…さわんないで、汚らわしい」
デイジーはじろりと俺を睨みつける。その目は軽蔑に満ちていた。
土に汚れたオレンジがころころ転がる。
デイジーに拒絶された俺は、衝撃でしばらくその場で固まっていたのである。
職場の親方に頼まれたのは町のお得意様への配達だった。何度か足を運んだ工房なので迷うこと無く任務は完了した。
用が終わったらとっとと帰る。早く仕事終わらせて家に帰りたいんだ。デイジーは今日もあまり体調がよくなさそうだった。それなのに依頼だからといって体を無理に起こして仕事をしていた。
医者に見てもらおうと言ってみても、デイジーは頑なに拒む。大丈夫だからって。
こっちとしては心配でたまらない。出来ることなら俺がすべて肩代わりしてやりたい。だが俺は薬の技術も知識もない。その上不器用なのでデイジーみたいには作れない。当たり前だ。俺はデイジーじゃないんだから出来るわけがない。
デイジーは魔術師としての矜持を強く持っている。困っている人がいるなら自分の不調を押してでもなんとか用意してやろうとする真面目なやつなんだ。そんなところにも惚れているから、やるなと禁止できないのが辛い。彼女から仕事を取り上げるなんて真似、出来っこないのだ。
「…あ」
気持ち早歩きで路地を突っ切っていた俺は目の端に映ったものに気を取られて足を止めた。そこにあったのは果物だ。
そう言えばここ最近のデイジーは食欲が無いものの、果物、それも酸っぱいものであれば好んで口にしていた。丸々ツヤツヤとしたオレンジは皮にハリがあり、とてもいい香りがした。
「兄ちゃんどうだい、今朝仕入れたばかりのグラナーダ産オレンジだよ」
「グラナーダ産か」
安いなと思ったら、物価が安い南の国から輸入したものか。珍しいな、ここでグラナーダの農作物が販売しているとは。エスメラルダでも南の辺境ならグラナーダ産を入荷してるって聞くが、この辺ではあまり見かけない。
「味はうまいぞ。味見してみるか?」
そう言って八百屋の親父がナイフでオレンジを切って、俺に一切れ渡してきた。
品種が違うのだろう。こっちとは少しばかり風味が違う。酸味が強めなので、エスメラルダ産の甘いオレンジに慣れた人には酸っぱく感じるかもしれないが、俺は嫌いじゃない。それにデイジーもこのくらい酸っぱいほうが食べやすいかもしれない。
「あっ狼のにいちゃんだ!」
オレンジを咀嚼していると、足元から呼びかけられた。俺が視線を下に向けると、そこには先日の木彫りのドラゴンをもった男児の姿。
この男児の母親に嫌な印象を持ってた俺は辺りを見渡して誰もいないことを確認する。…いないな。良かった。
「買い物してるの?」
「嫁さんに土産で買ってこうと思ってな。親父、その切りかけのオレンジも買い取るよ。他に3つほど包んでくれ」
「毎度」
八百屋の親父と商品と金の受け渡しをして、切り分けてもらったオレンジを男児に渡す。男児はにぱぁと無邪気に笑って「ありがとう!」とオレンジにかじり付いていた。
…腹が減っているんだろうか。そう言えばこの子ども、身長の割に痩せているし、服がこの間と同じだな……風呂に入れてもらえているんだろうか。
「おい兄ちゃん、悪いことは言わねぇ。この子どもに関わんねぇほうがいい」
「え…?」
肩を掴まれたと思えば、八百屋の親父が俺に言った。
「この子どもの母親は他所から流れてきたんだが、子どもをほったらかして日中から男を家に引き入れてるって話だ。関われば面倒事に巻き込まれるぞ」
それは知っている。俺もあの母親込みの交流は遠慮したいが、この男児にはなんの罪もない。お礼をちゃんと言えるしっかりした子どもじゃないか。こんなやせ細っているのを放置するのは流石に駄目だろう。ここまで来ると孤児院の子供のほうがいくらか健康的だぞ。
八百屋の親父の忠告に対して、俺は苦笑いを浮かべることで返事とした。これ以上この場に留まる理由はない。俺は赤の他人。あまり踏み込まないほうがいいってことだろう。オレンジの残りを食べていた男児の頭を撫でた。
「じゃあな、坊主」
男児は口をもぐもぐ動かしながら手を振って見送っていた。
せめてもっとまともな血縁者がいるならいいのに。そもそも男児の父親はどうしたんだろう。娼婦として商売している間に出来た父親不明の子どもなのだろうか。
妊娠を避けるための薬や手段もあるが、金や手間がかかるからと対策を練らないものも多い。そうして可哀想な子どもが誕生するのだ。産み落としたくせに責任を取ろうともしない親がこの世にはたくさんいる。
獣人として生まれ、獣人としての常識や文化を学んできた俺には、人族の一部の親のその身勝手さが理解できない。
赤の他人のことなのだが、自分のことのように暗い気持ちに襲われてどんよりしていると、突然鼻につく悪臭に襲われた。身構えていなかった俺は「ふがっ」とうめいて鼻を押さえる。
クッサ…! 鼻が痛ぇ!
ものすごい刺激臭に襲われて涙目になりかけていた俺は足を止める。
「またうちの子の相手をしてくれていたみたいで…ありがとうございます」
……いないと思っていたのにいた。
相変わらず男の匂いと質の悪い香水の匂いを漂わせている女は濃い化粧顔をニンマリとさせて俺に近づけてきた。
「よかったら、うちにいらっしゃらない? あの子なら日が暮れるまでは帰ってくるなって言い付けているから」
「いえ、結構です」
俺が拒絶しているのがわからないのだろうか。後ずさる俺を追うように女は一歩近づいた。
「そんな冷たいこと仰らないで。相談があるんです…」
俺の腕に絡みつく手に鳥肌が立つ。
臭い。あまりの臭さに体が防衛反応起こしてくしゃみがでそうだ。
「よそから来たから心細いの。ね? ちょっとだけだから」
人の話を聞いているのだろうか。ちょっとも何もねぇの。迷惑なの。俺は女の肩を掴んで引き剥がそうとするが、この女、見た目の割に力が強く、どさくさに紛れて俺の胸に抱きついて来やがった…!
だから臭いんだって!
「俺、嫁がいるんで!」
「大丈夫、内緒にしていたらわからないわ」
内緒とかそういう問題じゃねぇんだけど。
この女、また別の男の匂いがべっとりついてる…これは昨日とか一昨日の話じゃない。つい30分前とかその程度である。さっきまで男と乳繰り合っていたくせに寂しいもなにもないだろうが。
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「いやあの、離れてくれませんか。困るんですけど」
女を引き剥がそうとするが、人族の女は骨が細くて力加減によってはバキッと折ってしまいそうになるから怖い。突き飛ばしてもいいけど、下手に怪我させたら後が面倒だ。どうやって引き剥がすべきか。
身体を擦り付けないでほしい。臭いが俺に染み付いてくるだろ…。
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なんで気づかなかったのだろう。俺の好きな甘い匂いが漂っているのに。この臭い女のせいで、彼女のいい匂いがかき消されてしまっていたのか…!
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顔色の悪いデイジーは仕事の配達で使うロバを連れていた。注文分の薬を届けに町までやってきたのだろうか。
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大好きな嫁さんと会えた。助かったと思ったのもつかの間のことだった。デイジーは氷の眼差しで俺を睨みつけると、俺に帰ってこなくていい宣言をしてきたのだ。
…嘘だろ、この状況見て誤解されたの? 俺嫌がっているのに、デイジーの目には最低な浮気男の姿に見えてるの?
「ほら奥さんもそう言っているし」
俺の体に巻き付けた腕に力が増す。どんだけ厚顔無恥なんだこの女は…! 俺の目の前は怒りで真っ赤になる。
「離せよ!」
「あっ!」
ぶんっと腕を振って女の手を振り払うと、慌ててデイジーの後を追う。こんな不名誉な誤解されて終わるとか絶対に嫌だ。ていうか今すぐデイジーの匂いで癒やされたい。
「デイジー、待てって!」
ロバの手綱を引いて移動している彼女の手を掴もうとしたその瞬間、ビリリっと静電気よりも強い刺激を手のひらに感じ取ってパッと手を離した。
その反動でどしゃりと地面に買ったばかりのオレンジが転がった。
「…さわんないで、汚らわしい」
デイジーはじろりと俺を睨みつける。その目は軽蔑に満ちていた。
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