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五章
予期せぬ襲撃②
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「なっ―――⁉」
巨大なコンクリート塊が上から下に、まるで滝のように流れて行く。それらは見る見るうちに廊下の床に積み重なり、教室の出口をあっという間に塞いでしまった。
「な、何だよこれ……どうなってんだよ……」
俺は出口へと近づこうとする。だがそこで、ガシッとさよに腕を掴まれ引き戻されてしまう。
「じっとしていてください。死にたいんですか」
「えっ……」
「退路を断たれました。もう逃げられません」
「―――ッ」
「本気です。相手は今度こそ本気で私たちのことを始末するつもりのようです」
「そんな……」
「無駄口を叩いている暇はありません。―――来ますよ」
と、次の瞬間―――、
緊迫した彼女の声が合図となったかように、教室内にカタカタと不気味な音が響き始めた。
「な、何だ……?」
その音は徐々に大きくなっていき―――
突如、
ガラガラッガランガランガランッ―――‼
派手な金属音を打ち鳴らしながら、教室の机や椅子やらの備品が、一斉に宙に浮かび始めた。
「なっ―――⁉」
瞠目する。
素早く、さよが懐から数珠を取り出す。
途端、
ビュンッッ―――‼
空気の裂ける音がした。
数珠が散る。
バチッ、バチバチ―――!
結界が構築されるのと、さよの目の前で机が木端微塵に弾け飛ぶのはほぼ同時だった。
バチッ、バチバチバチバチバチッ―――‼
電気の弾ける音と青白い閃光が、あっという間に俺たちの四方を覆い尽くす。
「―――ッ、おい!」
俺は左手で目を庇った。
「さよ! 大丈夫か⁉」
彼女の名前を叫ぶ。だが、
「黙っていてください。集中できません」
返ってきたのは彼女の苛立ちの籠った声だった。
指の隙間から、斜め前方に立つさよの姿を見る。
彼女の表情は苦渋に満ちていた。その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
この前のような、余裕に満ち溢れた彼女の姿はどこにもなかった。
このままではマズイ―――
直感的に、俺はそう理解した。
何か……何か突破口を探さないと―――
俺は辺りを見渡す。
しかし、凄まじい速さで飛び交う机と椅子と、網膜を焼き付けるような眩しい閃光のせいで、ほとんど視界が利かなかった。
くそっ―――!
俺は内心で舌打ちする。
その刹那、
ピシィィィッ‼
耳を劈くような、鋭い音が響いた。
何だ―――⁉
音のした方を見ると、結界の右上に小さな亀裂が走っているのが見えた。その亀裂は、相手の猛攻を受ける度に、徐々にその範囲を広げているようだった。
結界にヒビが―――⁉
頭から血の気が引く。身体を突き抜けるような焦燥に駆られる。
マズイ―――
マズイ、マズイ、マズイ、マズイ―――このままでは本当にマズイ。彼女ほどの力を持ってしても対抗しきれていない。
何とか……何とかしなければ―――
俺は必死に思考を巡らせる。全神経を集中させ、この状況をひっくり返すことのできる打開策をひねり出そうとする。
一か八か、後ろの窓から飛び降りようかと考えた。ここは二階だが、上手く足から着地すれば、捻挫程度の怪我で済むかもしれない。
だが、それはすぐに無理だとわかった。窓から飛び降りるためには、一度この結界を解除しなければならない。
そんなことをすれば、俺たちはたちまちハチの巣状態だ。無謀すぎる手段―――死にに行くようなものだ。
ダメか―――
本当に逃げ道がない。まさに袋の鼠だ。このままただやられるのを待つしかないのか―――?
諦めと絶望が俺を呑み込んでいく。再び膝が折れそうになる。
……しかし、さよはまだ、諦めていなかった。
「爆ぜろ!」
突如、叫びにも似た彼女の声が教室に響き渡った。
言霊―――!
凛とした彼女のその声を聞いて、俺の脳裏にその単語が浮かび上がってきた。
俺は、ばっと顔を上げる。
そうか―――!
まだ言霊という切り札が残されていた。思い返してみればこの前も、最終的には彼女の言霊で相手の攻撃を無力化できたのだ。
これで退路が生まれる。目の前に道が開ける。
助かる。
そう確信した。しかし―――、
バチバチバチバチバチッ―――‼
戦況に変化はなかった。縦横無尽に飛び交う物体には、何の変化も起きていなかったのだ。
「なっ、どうして……⁉」
唖然とする。
さよの言霊が効かない―――⁉
どういうことだ。一体何が起きているんだ―――⁉
絶望が再び押し寄せてくる。
ちらりとさよの方を見ると、彼女は飛び交う物体を睨み付けたまま、悔しそうに顔を歪ませていた。そんな彼女の表情を見るのは初めてだった。
パリイイイインッ!
今度は、ガラスが割れたような音が耳を貫いた。
見ると先ほど亀裂が入っていた箇所に、拳大ほどの大きな穴が開いていた。
「―――くッ!」
さよが小さく舌打ちする。そして、
「時坂優!」
彼女が俺の名前を叫んだ。
「非常に不本意ですが、これから私が最も嫌う賭けというものをします」
こちらを振り向かずにそう言った。それは焦燥に駆られた声だった。
「か、賭け……?」
「説明している時間はありません。これから私の言うことに口を挟まず、私の指示したことに黙って従って下さい」
有無を言わせない口調だった。
「わ、わかった……」
彼女の気迫に押され、俺はこくこくと頷いた。
そんな俺の様子を後目で確認すると、彼女はおもむろに大きく息を吸い込み、
「時坂優! 大丈夫ですか! 意識はありますか! 頭から血が流れています!」
突然そんなことを叫び始めた。
「え……。な、えっ……?」
俺は思わず呆気にとられる。
「腕が折れていますっ! 重症です!」
もちろん、俺は重症など負っていない。骨折だってしていないし出血すらしていない。
唐突な彼女の言葉に頭が追いついていかなかった。
しかし、さよはなおも続ける。
「足も変な方向に曲がっています。血もたくさん出ています。このままでは死んでしまいますっ‼」
大声で叫んでいた。それはもう聞いたことのないほどの声量で―――
彼女にもこんな声が出せたのかと、俺は思わず驚いてしまった。
「時坂優! 意識を保ってくださいっ! 目を開けてください! 死なないでくださいっ‼」
狂ったように叫び続けている。
さすがに異常だと思い、俺は止めに入ろうとした。
……しかしそこで、俺はもっと異常なことに気が付いた。
先ほどまでの音がしない……?
宙を見上げる。
―――止んだ……?
攻撃が止まっていたのだ。先ほどまで嵐のような激しさで、もう少しで結界が破られるほどの猛攻だったのに、今は空気を裂く音も、電気が弾ける音も、青白い閃光だって走っていない。
ぐにゃぐにゃに変形した机や椅子は、まるで時間が止まったように空中でピタリと静止していた。
「えっ……。こ、これは……」
だが、俺が目の前の光景に疑問を抱く間もなく、次の瞬間にはさよの張り上げた声が響いていた。
「時坂優! 受け身を取ってください!」
さよの手が俺の胸ぐらを掴む。
結界が消失する。
そして信じられないことに、彼女はそのまま物凄い力で俺を教室前方へと放り投げたのだ。
「なっ―――」
身体が宙を舞う。視界が回転する。
途中、宙に浮いた机と衝突しそうになり、俺は身体を捻ってそれを避けた。しかしそのせいで態勢を崩してしまい、俺は思い切り背中から床に落下してしまう。
「ぐっ……が、はっ……」
衝撃が背中から肺にまで伝わり、一時的に呼吸困難に陥る。
「な……何すんだ、さよ……」
ゲホゲホと咳き込みながらも、俺は何とか立ち上がる。
「おい、さよ! いきなり何すんだ! 殺す気か⁉」
理不尽な仕打ちに俺は声を荒げた。しかし彼女はそんな俺には構わず、
「立てるのなら行ってください! 早くっ!」
「はあ⁉ 行くってどこにだよ! 逃げろってことか⁉」
「それもありますが違います。あなたには―――」
だがそこで、彼女は言葉を切った。
宙に浮いて静止していた物体が、カタカタと小刻みに振動し始めたからだ。
「―――ッ」
さよが懐から予備の数珠を取り出し、自分の周りに結界を再構築する。
「お、おいさよ! 俺の分は―――」
だが言う間もなく、攻撃が再開された。
バチバチバチバチバチッ―――‼
閃光で彼女の姿が見えなくなる。
俺は咄嗟に腕で頭を庇った。気休めにしかならないだろうが、何もしないよりはましだと思った。
……裏切られたと思った。見捨てられたのだと思った。足手まといと判断して俺を切り捨てたのだと思った。
俺は堅く目を閉じる。死を覚悟した。
……だがおかしい。いつまで経っても俺の身体には変化が起こらない。痛みが走らない。吹き飛ばされるような衝撃も起こらない。
不思議に思って恐る恐る目を開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
縦横無尽の攻撃は、結界を張ったさよにのみ集中していたのだ。まるで俺はこの場にいないかのように、猛攻は彼女にのみ執着していた。
「な、なんで―――」
俺が言葉を失っていると、閃光の向こうからさよの声が聞こえてきた。
「時坂優! 聞こえますか! 理由は不明ですが攻撃は私にのみ集中しています。今のうちに、あなたは犯人を捕らえてください!」
「えっ、は、犯人を捕らえるって―――」
「このような精密な呪力操作は遠距離からできるようなものではありません。術者が近くにいるはずです! そいつを見つけて捕らえてください!」
早口に彼女が言った。
「で、でもそんな……。お前はどうするんだよ⁉」
「私は、この攻撃を食い止めるのに精一杯です! ですからお願いします!」
ピシィィィッ‼
結界に亀裂が入る。あの結界も長くはもたないだろう。
「そんな……お前を置いて行けるわけないだろ! 次に破られたらどうすんだ⁉ 言霊だって効かなかったんだぞ!」
「わかっています! ですから早く犯人を捕まえてください!」
「でも―――」
「時坂優っ!」
さよの声が耳を貫く。
「聞き分けてください! 今が犯人を捕まえる、絶好の機会なんですっ!」
怒気を孕んだ声で、さよが叫ぶように言った。
「―――ッ!」
奥歯を噛み締める。
逡巡している時間はなかった。
「……わかった」
短く答える。
「絶対捕まえてくるから、それまで死ぬんじゃねえぞ!」
「……そう簡単には死にませんよ」
結界の中で、さよが不敵な笑みを浮かべた気がした。
出口に向かって、俺は駆けだす。
積み重なった瓦礫を押しのけ、よじ登り、どうにか俺は廊下へと出ることができた。そこで初めて気が付いたのだが、天井が崩れ落ちていたのは、どうやら俺たちの教室の前だけらしかった。隣のクラスの廊下はきれいなままで、窓ガラス等も割れていなかった。
どういうことかと一瞬考えそうになったが、すぐに自分の役割を思い出し、人の気配を探すことに集中した。
ひとまず隣の教室に入った。俺が犯人だったらここに隠れるだろうと思った。
中に生徒の姿はない。みんな、どこかに避難したのだろう。しかし、誰かが隠れていそうな雰囲気もなかった。念のため教卓の下、カーテンの後ろ、掃除ロッカーの中も隈なく調べたが誰もいなかった。
諦めて、俺はその教室を出る。隣の教室では相変わらず派手な音が続いていた。
どうする、どうするどうするどうする―――
焦りと苛立ちだけが込み上げてくる。他に隠れられそうな場所は―――
とその時、目の端で何かが動いた気がした。脊髄反射の速度で俺はそちらを振り返る。
気のせいかもしれない。でも一瞬、廊下の先で何かが動くような気配があったのだ。それはすぐ壁の向こうに隠れてしまったが、人影のようにも見えた。
まさか……犯人―――!
ダッと、俺は駆けだした。
見つけた。ようやく尻尾を掴んだ。
よくも俺たちを振り回してくれた。俺の日常を壊してくれた。絶対に捕まえてやる! 何としてもその面を拝んでやる!
勝利の道が見えてくる―――が、その刹那、
ゴオオオオオ―――
どこからともなく、地響きのような轟音が近づいてきたかと思うと、
ドゴォォォオオオオオオン―――‼
俺の後ろで、轟然たる音が鳴り響いた。
思わず振り返る。
すると廊下の向こうで、霧のような砂塵が舞い上がっているのが見えた。
その砂塵は俺の教室―――今、さよがいる教室から吐き出されているものだった。
巨大なコンクリート塊が上から下に、まるで滝のように流れて行く。それらは見る見るうちに廊下の床に積み重なり、教室の出口をあっという間に塞いでしまった。
「な、何だよこれ……どうなってんだよ……」
俺は出口へと近づこうとする。だがそこで、ガシッとさよに腕を掴まれ引き戻されてしまう。
「じっとしていてください。死にたいんですか」
「えっ……」
「退路を断たれました。もう逃げられません」
「―――ッ」
「本気です。相手は今度こそ本気で私たちのことを始末するつもりのようです」
「そんな……」
「無駄口を叩いている暇はありません。―――来ますよ」
と、次の瞬間―――、
緊迫した彼女の声が合図となったかように、教室内にカタカタと不気味な音が響き始めた。
「な、何だ……?」
その音は徐々に大きくなっていき―――
突如、
ガラガラッガランガランガランッ―――‼
派手な金属音を打ち鳴らしながら、教室の机や椅子やらの備品が、一斉に宙に浮かび始めた。
「なっ―――⁉」
瞠目する。
素早く、さよが懐から数珠を取り出す。
途端、
ビュンッッ―――‼
空気の裂ける音がした。
数珠が散る。
バチッ、バチバチ―――!
結界が構築されるのと、さよの目の前で机が木端微塵に弾け飛ぶのはほぼ同時だった。
バチッ、バチバチバチバチバチッ―――‼
電気の弾ける音と青白い閃光が、あっという間に俺たちの四方を覆い尽くす。
「―――ッ、おい!」
俺は左手で目を庇った。
「さよ! 大丈夫か⁉」
彼女の名前を叫ぶ。だが、
「黙っていてください。集中できません」
返ってきたのは彼女の苛立ちの籠った声だった。
指の隙間から、斜め前方に立つさよの姿を見る。
彼女の表情は苦渋に満ちていた。その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
この前のような、余裕に満ち溢れた彼女の姿はどこにもなかった。
このままではマズイ―――
直感的に、俺はそう理解した。
何か……何か突破口を探さないと―――
俺は辺りを見渡す。
しかし、凄まじい速さで飛び交う机と椅子と、網膜を焼き付けるような眩しい閃光のせいで、ほとんど視界が利かなかった。
くそっ―――!
俺は内心で舌打ちする。
その刹那、
ピシィィィッ‼
耳を劈くような、鋭い音が響いた。
何だ―――⁉
音のした方を見ると、結界の右上に小さな亀裂が走っているのが見えた。その亀裂は、相手の猛攻を受ける度に、徐々にその範囲を広げているようだった。
結界にヒビが―――⁉
頭から血の気が引く。身体を突き抜けるような焦燥に駆られる。
マズイ―――
マズイ、マズイ、マズイ、マズイ―――このままでは本当にマズイ。彼女ほどの力を持ってしても対抗しきれていない。
何とか……何とかしなければ―――
俺は必死に思考を巡らせる。全神経を集中させ、この状況をひっくり返すことのできる打開策をひねり出そうとする。
一か八か、後ろの窓から飛び降りようかと考えた。ここは二階だが、上手く足から着地すれば、捻挫程度の怪我で済むかもしれない。
だが、それはすぐに無理だとわかった。窓から飛び降りるためには、一度この結界を解除しなければならない。
そんなことをすれば、俺たちはたちまちハチの巣状態だ。無謀すぎる手段―――死にに行くようなものだ。
ダメか―――
本当に逃げ道がない。まさに袋の鼠だ。このままただやられるのを待つしかないのか―――?
諦めと絶望が俺を呑み込んでいく。再び膝が折れそうになる。
……しかし、さよはまだ、諦めていなかった。
「爆ぜろ!」
突如、叫びにも似た彼女の声が教室に響き渡った。
言霊―――!
凛とした彼女のその声を聞いて、俺の脳裏にその単語が浮かび上がってきた。
俺は、ばっと顔を上げる。
そうか―――!
まだ言霊という切り札が残されていた。思い返してみればこの前も、最終的には彼女の言霊で相手の攻撃を無力化できたのだ。
これで退路が生まれる。目の前に道が開ける。
助かる。
そう確信した。しかし―――、
バチバチバチバチバチッ―――‼
戦況に変化はなかった。縦横無尽に飛び交う物体には、何の変化も起きていなかったのだ。
「なっ、どうして……⁉」
唖然とする。
さよの言霊が効かない―――⁉
どういうことだ。一体何が起きているんだ―――⁉
絶望が再び押し寄せてくる。
ちらりとさよの方を見ると、彼女は飛び交う物体を睨み付けたまま、悔しそうに顔を歪ませていた。そんな彼女の表情を見るのは初めてだった。
パリイイイインッ!
今度は、ガラスが割れたような音が耳を貫いた。
見ると先ほど亀裂が入っていた箇所に、拳大ほどの大きな穴が開いていた。
「―――くッ!」
さよが小さく舌打ちする。そして、
「時坂優!」
彼女が俺の名前を叫んだ。
「非常に不本意ですが、これから私が最も嫌う賭けというものをします」
こちらを振り向かずにそう言った。それは焦燥に駆られた声だった。
「か、賭け……?」
「説明している時間はありません。これから私の言うことに口を挟まず、私の指示したことに黙って従って下さい」
有無を言わせない口調だった。
「わ、わかった……」
彼女の気迫に押され、俺はこくこくと頷いた。
そんな俺の様子を後目で確認すると、彼女はおもむろに大きく息を吸い込み、
「時坂優! 大丈夫ですか! 意識はありますか! 頭から血が流れています!」
突然そんなことを叫び始めた。
「え……。な、えっ……?」
俺は思わず呆気にとられる。
「腕が折れていますっ! 重症です!」
もちろん、俺は重症など負っていない。骨折だってしていないし出血すらしていない。
唐突な彼女の言葉に頭が追いついていかなかった。
しかし、さよはなおも続ける。
「足も変な方向に曲がっています。血もたくさん出ています。このままでは死んでしまいますっ‼」
大声で叫んでいた。それはもう聞いたことのないほどの声量で―――
彼女にもこんな声が出せたのかと、俺は思わず驚いてしまった。
「時坂優! 意識を保ってくださいっ! 目を開けてください! 死なないでくださいっ‼」
狂ったように叫び続けている。
さすがに異常だと思い、俺は止めに入ろうとした。
……しかしそこで、俺はもっと異常なことに気が付いた。
先ほどまでの音がしない……?
宙を見上げる。
―――止んだ……?
攻撃が止まっていたのだ。先ほどまで嵐のような激しさで、もう少しで結界が破られるほどの猛攻だったのに、今は空気を裂く音も、電気が弾ける音も、青白い閃光だって走っていない。
ぐにゃぐにゃに変形した机や椅子は、まるで時間が止まったように空中でピタリと静止していた。
「えっ……。こ、これは……」
だが、俺が目の前の光景に疑問を抱く間もなく、次の瞬間にはさよの張り上げた声が響いていた。
「時坂優! 受け身を取ってください!」
さよの手が俺の胸ぐらを掴む。
結界が消失する。
そして信じられないことに、彼女はそのまま物凄い力で俺を教室前方へと放り投げたのだ。
「なっ―――」
身体が宙を舞う。視界が回転する。
途中、宙に浮いた机と衝突しそうになり、俺は身体を捻ってそれを避けた。しかしそのせいで態勢を崩してしまい、俺は思い切り背中から床に落下してしまう。
「ぐっ……が、はっ……」
衝撃が背中から肺にまで伝わり、一時的に呼吸困難に陥る。
「な……何すんだ、さよ……」
ゲホゲホと咳き込みながらも、俺は何とか立ち上がる。
「おい、さよ! いきなり何すんだ! 殺す気か⁉」
理不尽な仕打ちに俺は声を荒げた。しかし彼女はそんな俺には構わず、
「立てるのなら行ってください! 早くっ!」
「はあ⁉ 行くってどこにだよ! 逃げろってことか⁉」
「それもありますが違います。あなたには―――」
だがそこで、彼女は言葉を切った。
宙に浮いて静止していた物体が、カタカタと小刻みに振動し始めたからだ。
「―――ッ」
さよが懐から予備の数珠を取り出し、自分の周りに結界を再構築する。
「お、おいさよ! 俺の分は―――」
だが言う間もなく、攻撃が再開された。
バチバチバチバチバチッ―――‼
閃光で彼女の姿が見えなくなる。
俺は咄嗟に腕で頭を庇った。気休めにしかならないだろうが、何もしないよりはましだと思った。
……裏切られたと思った。見捨てられたのだと思った。足手まといと判断して俺を切り捨てたのだと思った。
俺は堅く目を閉じる。死を覚悟した。
……だがおかしい。いつまで経っても俺の身体には変化が起こらない。痛みが走らない。吹き飛ばされるような衝撃も起こらない。
不思議に思って恐る恐る目を開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
縦横無尽の攻撃は、結界を張ったさよにのみ集中していたのだ。まるで俺はこの場にいないかのように、猛攻は彼女にのみ執着していた。
「な、なんで―――」
俺が言葉を失っていると、閃光の向こうからさよの声が聞こえてきた。
「時坂優! 聞こえますか! 理由は不明ですが攻撃は私にのみ集中しています。今のうちに、あなたは犯人を捕らえてください!」
「えっ、は、犯人を捕らえるって―――」
「このような精密な呪力操作は遠距離からできるようなものではありません。術者が近くにいるはずです! そいつを見つけて捕らえてください!」
早口に彼女が言った。
「で、でもそんな……。お前はどうするんだよ⁉」
「私は、この攻撃を食い止めるのに精一杯です! ですからお願いします!」
ピシィィィッ‼
結界に亀裂が入る。あの結界も長くはもたないだろう。
「そんな……お前を置いて行けるわけないだろ! 次に破られたらどうすんだ⁉ 言霊だって効かなかったんだぞ!」
「わかっています! ですから早く犯人を捕まえてください!」
「でも―――」
「時坂優っ!」
さよの声が耳を貫く。
「聞き分けてください! 今が犯人を捕まえる、絶好の機会なんですっ!」
怒気を孕んだ声で、さよが叫ぶように言った。
「―――ッ!」
奥歯を噛み締める。
逡巡している時間はなかった。
「……わかった」
短く答える。
「絶対捕まえてくるから、それまで死ぬんじゃねえぞ!」
「……そう簡単には死にませんよ」
結界の中で、さよが不敵な笑みを浮かべた気がした。
出口に向かって、俺は駆けだす。
積み重なった瓦礫を押しのけ、よじ登り、どうにか俺は廊下へと出ることができた。そこで初めて気が付いたのだが、天井が崩れ落ちていたのは、どうやら俺たちの教室の前だけらしかった。隣のクラスの廊下はきれいなままで、窓ガラス等も割れていなかった。
どういうことかと一瞬考えそうになったが、すぐに自分の役割を思い出し、人の気配を探すことに集中した。
ひとまず隣の教室に入った。俺が犯人だったらここに隠れるだろうと思った。
中に生徒の姿はない。みんな、どこかに避難したのだろう。しかし、誰かが隠れていそうな雰囲気もなかった。念のため教卓の下、カーテンの後ろ、掃除ロッカーの中も隈なく調べたが誰もいなかった。
諦めて、俺はその教室を出る。隣の教室では相変わらず派手な音が続いていた。
どうする、どうするどうするどうする―――
焦りと苛立ちだけが込み上げてくる。他に隠れられそうな場所は―――
とその時、目の端で何かが動いた気がした。脊髄反射の速度で俺はそちらを振り返る。
気のせいかもしれない。でも一瞬、廊下の先で何かが動くような気配があったのだ。それはすぐ壁の向こうに隠れてしまったが、人影のようにも見えた。
まさか……犯人―――!
ダッと、俺は駆けだした。
見つけた。ようやく尻尾を掴んだ。
よくも俺たちを振り回してくれた。俺の日常を壊してくれた。絶対に捕まえてやる! 何としてもその面を拝んでやる!
勝利の道が見えてくる―――が、その刹那、
ゴオオオオオ―――
どこからともなく、地響きのような轟音が近づいてきたかと思うと、
ドゴォォォオオオオオオン―――‼
俺の後ろで、轟然たる音が鳴り響いた。
思わず振り返る。
すると廊下の向こうで、霧のような砂塵が舞い上がっているのが見えた。
その砂塵は俺の教室―――今、さよがいる教室から吐き出されているものだった。
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