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五章

呪いの正体①

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 保健室で治療を受けた後、俺は体育館へ向かわされた。そこでは臨時の全校集会が行われており、俺もそれに参加させられたのだ。
 怪我は思いのほか大したことがなかった。左中指の爪が半分ほど捲れており、見た目は痛々しかったが、比較的きれいに捲れていたようで、包帯さえ巻いて固定していれば一週間ほどで日常生活に問題ないくらいには治るだろうと言われた。
 窓ガラスの大破および天井の崩落は、校舎の老朽化が原因だと説明された。
 そんなピンポイントで老朽化が進むわけないだろうと訴えたかったが、エネルギーの無駄だと判断し、俺は聞き流した。
 救急車で運ばれた彼女の件については避難途中の不幸な事故ということになっていた。生徒たちの間にざわめきが走ったが、その顔には不安や心配の色よりも、恐怖の色が濃く表れているように見えた。
 これは呪いなんじゃないか。
 そんな声も聞こえた。
 集会が終わると、本日は休校ということで生徒たちは各々の家に帰された。だが、俺とさよだけは職員室に呼び出され、事情聴取のようなものを受けさせられた。
 一体何があったのか。何故逃げ遅れたのか。天井が崩落したことに何か心当たりはないか―――
 複数の先生から、矢継ぎ早に質問攻めにされた。
 だが答えられるわけがない。
 当然だ。俺たちが遭遇したのは常識の枠から大きく外れた超自然現象。ありのままに伝えて信じてもらえるわけがない。
 説明するだけ時間の無駄だと思ったので、迫りくる質問を適当に処理し、俺たちは教師陣の拘束から逃れた。
 二人とも一応は怪我人なのだから、その辺をもう少し配慮してほしかった。
 結局、俺たちが校舎を出るころには、空は夕暮れの色に染まり始めていた。


「あー疲れた」
 昇降口を出ると同時に、俺は特大のため息を吐いた。
「何なんだよ一体。あいつらの辞書に心配の文字はねえのか。こっちは怪我人だっていうのに」
 吐き捨てるように言った。
「仕方ありません。彼らにだって原因究明という仕事があるのです」
 横を歩いていたさよが抑揚のない声で言う。
「そうだけど、もうちょっとさあ……」
 腹の虫が治まらず、俺は小言を漏らし続ける。
「こうして愚痴がこぼせるのも、生きているが故です。そのことに今は感謝しておきましょう」
「まあ、それはそうなんだけど………」
 つい数時間前の出来事が、頭の中にフラッシュバックしてくる。
 今思えば、あの鉄の塊が飛び交う戦場のような中で、俺たちはよく生き残れたと思う。下手をすれば二人とも死んでいたかもしれない。
 そう考えれば、今こうして生きていることだけにも、喜ぶべきなのかもしれなかった。
「……そういえばお前、本当に怪我は大丈夫なのか?」
 俺は隣を歩く彼女に訊ねた。先ほど俺が保健室で治療を受けている間に彼女の姿はなかった。天井の崩落でその瓦礫に圧し潰されたのだから、骨の一、二本折れていてもおかしくないと思うが―――
「問題ありません」
 彼女は毅然とした様子だった。強がっているような様子もない。
 腕や足にはまだうっすらと血が滲んでいる箇所もあったが、それも遠目から見ればわからないほどだ。痣の痕もじっくりと見ないとわからないほどになっている。張っていた結界が予想以上に頑丈だったのが、はたまた彼女の持つ摩訶不思議な能力によるものなのかはわからないが、とにかく彼女が無事でよかったと思った。
「今回の敗因は、私が原因です。すみませんでした」
 突然、さよが謝ってきた。
 俺は驚いて彼女を見る。
「なんだよ急に……」
「相手の実力を過小評価していたんです。完全な私の対策不足です」
「対策って……」
「込められた呪力の量も質も、前回とは桁違いでした」
「強くなってたってことか……?」
「はい。ここ数日で、相手は驚くほどの成長を遂げています」
「言霊が効かなかった理由もそれか?」
「ええ。あの時、私の霊力は相手の呪力に完全に押し負けていました」
「………」
「犠牲になった彼女にも……悪いことをしました」
 ポツリと呟くようにさよが言った。犠牲という言葉が重たく俺に圧し掛かってくる。
「―――ッ、そ、それは俺がちゃんと監視できていなかったから―――」
「いいえ、あなたに非はありません」
 さよが静かにかぶりを振る。
「このような事態も想定しておくべきでした。今回は、完全に不意を突かれたんです」
 そう言って、自嘲するような笑みを浮かべた。
「…………」
「ですが、収穫も一つありました」
「……収穫?」
「亡くなった生徒たちの死因についてです」
「死因……?」
「ええ」
 さよが足を止めた。
 俺も歩くのを止め、彼女と向かい合う。
 夏の真っ赤な西日が、俺たちの影をグラウンドに濃く映し出していた。
「先ほど、先生が言っていたことを覚えていますか?」
「…………?」
「倒れた生徒の下から百足が出てきた、と」
「ああ……確かに言ってたな」
 俺は先生の言葉を思い出す。
「でも、それが何だっていうんだよ。百足に噛まれたくらいで人は死なねえだろ」
 〝死〟という単語を口にしてから、俺はまだ彼女が死んだとは決まっていないということを思い出した。
「確かにその通りです。免疫力の低い子供やお年寄りならいざ知らず、現役の女子高生が百足に噛まれた程度でショック死するとは思えません」
「ああ、そうだな」
 俺は頷く。
「ですが、普通の百足ではなかったらどうですか?」
「……普通の百足じゃ、ない?」
「ええ」
 さよはそこで一拍置く。
 そして、
「〝こどく〟という言葉を知っていますか?」
 静かな声音でそう言った。
「こどく?」
 俺は首を捻る。
「一人きりって意味の……孤独か?」
 俺がそう返すと、彼女は首を横に振った。
「それは〝孤独〟です。私が言っているのは、蠱惑の蟲に毒と書いて〝蟲毒〟です。蟲術や巫蟲とも言います」
「な、何だそれ……?」
 どの単語も、俺は聞いたことがなかった。
「古代中国で用いられていた呪術の一種です。蛇や百足、カエルや蜘蛛―――様々な毒虫を一つの容器の中に閉じ込め、その中で共食いをさせるんです」
「は? 共食い……? 何のために?」
 俺は無数の毒虫が狭い容器の中で共食いしている光景を想像してみたが、それは想像以上にグロテスクで気持ちの悪いものだったので、早々にイメージすることを切り上げた。虫たちにそんなことをさせて、一体何をしようというのか。
「最後の一匹を、神霊として祀り上げるためです」
 さよが言った。
「祀り上げる……?」
「最後の一匹となった毒虫には、喰われていった虫らの怨念が宿るとされています。その怨念の宿った毒虫を使役し、人を呪い殺すというわけです」
「呪い殺すって……そんなことができるのか……⁉」
 俺は目を見張る。
「私も実際に見たことはないので断言はできません。しかし、最強の毒となることから、昔は刑法においてもその使用が禁止されていたようです。近現代に至るまで、禁術とされてきた呪法です」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 そこで俺は声を上げる。
「まさかあいつは、その蟲毒にやられたとか言うんじゃないだろうな?」
「……そのまさかだと思います」
 さよは俺の言葉に、静かに頷いた。
「彼女を―――いいえ、その前のお二人の死にも蟲毒が絡んでいるのだと思います。死因のわからない不自然な死体。蟲毒を用いたとするならば頷けます」
 彼女の黒く透き通った瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
 俺は息を呑む。
「でもそんな……。虫を使役した殺人なんて、俺は聞いたことがない。想像がつかないよ」
 信じられないというように俺が言うと、さよは薄く嗤った。
「これまでの犯人の行動で、何か想像がついたものがありますか?」
「………ッ」
「犯人は常に、我々の想像の上にいます。蟲毒は確かに難易度の高い呪術ですが、今回の犯人ならば、扱うことができても不思議はないでしょう」
「……でも、どうして蟲毒なんか……。普通に殺害する方法じゃダメだったのか」
「さあ……証拠を残したくなかったのかもしれません。呪いを用いた殺人など常人には想像もできませんから。仮に想像できたとしても、その立証は難しいと思います」
「なら、もう犯人は捕まえられないのか……?」
「いえ。まだ希望は残っています」
 さよが力強く言った。
「動機はわかりませんが、犯人は、かつて初音さんに対しイジメを行っていたグループメンバーを殺し周っているようです。これまでに三人が犠牲になりました。ですが、イジメを実行していた人物はまだあと一人残っています」
「……なら、次はそいつが………」
「その可能性は十二分にあります」
「でも、どうやってそれを阻止するんだよ。相手は百足を使役して人を殺すんだろ? いくら俺があいつに張り付いてても、百足一匹近寄らせない自信なんてないぞ」
「………そうですね。難しいところです」
 さよは少し考え込むようにあごに手を当てて、
「ひとまずあなたは、これまで以上に彼女に対し注意を払っておいてください。可能なら一緒に登下校もしてください。そして、家ではなるべく窓を開けず、戸締りをしっかりとするようにと伝えてください。気休めにしかならないかもしれませんが、何もしないよりはマシだと思います」
「それは、そうかもしれないけど……いきなりそんなこと言って、不審に思われないか?」
「思われるかもしれませんが、今回ばかりは仕方がありません。何とか理由を付けて、彼女を説得してください」
「……まあ、できるだけやってみるよ……」
 俺は後頭部をぼりぼりと掻きながら答えた。
 事実をそのまま伝えても動揺させてしまうだけなので、何かそれ相応の理由を考えなければならないなと思った。
「重大な役回りばかり押し付けてしまい、申し訳ありません。そのお詫びと言っては何ですが、あなたに一つ朗報があります」
「朗報……?」
 何のことかと俺は首を傾げる。
「みらいさんのことについてです」
「みらいの?」
 彼女からみらいの名前が出て、俺は一瞬ドキリとする。
「あいつが……どうしたんだよ……」
 だが、次に彼女から告げられたことは、間違いなく俺にとっては朗報だった。
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