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五章
呪いの正体②
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「あくまで私の見解ですが、恐らくみらいさんは、今回の事件に直接の関係はありません」
「えっ……⁉」
一瞬、思考が停止する。胸の奥がぞくりとした。
どういうことだと俺は彼女に詰め寄る。
「私たちが襲われていた時、彼女は体育館に避難していたようです。それはあの先生の言葉からも明らかです。みんなとっくに体育館に避難している。安否がわからなかったのは君たちだけ―――彼はそう言っていました」
「あ、ああ」
「もし、みらいさんがあのポルターガイストを引き起こしていたとするなら、彼女は体育館から私たちを狙っていたことになります。しかし、それはあまりにも無理があります。距離も離れていますし、なにより体育館からは、私たちのいた教室は見えません。そんな悪条件の中、あのような高密度かつ高精度な攻撃を仕掛けることができるとは、到底思えません」
……確かに。
彼女の言う通りだ。
体育館は旧校舎を挟んで本校舎の裏手に位置している。直線距離で五十メートルほど。本校舎から体育館へ行くには、旧校舎の外をぐるりと回るか、中を突っ切っていく必要がある。そのため、体育館からは旧校舎が邪魔になって本校舎は見えない構造となっている。
そんな悪条件の中であんな正確な攻撃を仕掛けられるとは、俺にも思えなかった。
「てことは、みらいはやっぱり無関係なんだな!」
「少なくとも、今回私たちを襲ったのは、彼女ではないでしょう」
「そっか! そうだよな!」
ずっと胸の中にわだかまっていた黒い靄が急速に霧散していく。
やはりみらいは一連の事件とは何の関係もなかったのだ。全てが俺の杞憂だったのだ。火事の現場にキーホルダが落ちていたことも何かの偶然だった。近頃彼女の様子が少しおかしかったことも、きっと俺の思い過ごしだったに違いない。そうだ。そうに決まってる―――!
目の前がぱああと明るくなっていくのがわかった。
「よかったですね……」
さよがふっと微笑んだ。
「ああ。ありがとう。ありがとうな!」
「別に、私は何もしていませんよ」
喜びを露わにする俺を後目に、彼女は再び帰路を歩み始めた。
少し遅れて俺は彼女の後を追う。足取りは軽かった。平和な日常を少しだけ取り戻せた気分だった。
「でもさ、そうなると犯人はいったい誰なんだろうな?」
前を歩く彼女に訊ねた。
「……さあ、誰なんでしょうね」
素っ気なく返される。
「……何で初音をイジメていたメンバーを狙うんだろうな」
「……何か、怨みでもあるんじゃないですか」
こちらを振り返ることなく彼女が答える。
「怨みって?」
「そこまではわかりませんが……」
みらいに対する疑いが晴れても、俺たちのいる状況は変わっていなかった。犯人も、そしてその動機についても全くわかっていない。早急に次の手を考えなければならないのに、俺たちは八方ふさがりの状態だった。
沈黙が落ちる。
と、その時、
「ユウくーん」
前方から聞きなれた声が聞こえてきた。見ると夕日をバックに、一つの人影がこちらに近づいて来るところだった。
「あれは―――」
人影の正体はみらいだった。
こんな時間まで何をしていたのだろう。休校になり、俺たち以外は全員、家に帰されたはずだが………。
俺がそんな疑問を抱いていると、
「もう! 遅いよユウ君! どれだけ待たせるんだよっ!」
走り寄って来た彼女に、何故かいきなり怒られた。
「え、いや、別に待っててくれと頼んだ覚えは………」
「待ってるに決まってるでしょ! あんなことがあったのに、ユウ君だけいつまで経っても避難して来ないし! どれだけ心配したかわかってる⁉」
「あ、いや……それに関しては色々あって……」
「色々って何? それに今日は一緒に帰ろうって約束してたよね?」
むすぅ、とみらいが頬を膨らませる。
そういえば今朝にそんな約束をしていた。昼の騒ぎのせいで完全に頭から飛んでしまっていたが、確かに彼女とそう約束したのを覚えている。
「悪い……完全に忘れてた」
「はあ、やっぱり。まあ、無事だったからいいけど―――って、あれ……? ユウ君、この人は………もしかしてお知り合い……?」
そこでみらいが、さよの存在に気付いた。さよは俺たちのやり取りを、少し離れた位置から傍観していた。
「あ、いや、この人は一年上の先輩で―――」
だが、みらいは俺の言葉が終わらないうちに、
「ご、ごめんね、ユウ君。お取込み中だったんだね。私、先帰ってるから!」
何故か、さっと顔色を変え、慌てて踵を返そうとした。
「えっ、いや待てって」
俺は、反射的にみらいの腕を掴んでいた。
「ちょっ、離してよユウ君!」
「急にどうしたんだよ。せっかくなんだから一緒に帰ればいいだろ」
「い、いや、それはダメだって―――」
みらいが俺の手を振り解こうと身体を揺する。どういう訳か、彼女は今すぐにこの場を離れたがっているようだった。
と、
「あなたが……みらいさん?」
さよが静かに口を開いた。
その途端、みらいが、えっと動きを止める。
「ど、どうして……」
みらいはひどく驚いたように、さよを見た。
何をそんなに驚くことがあるのだろうか。初対面にも関わらず、相手が自分の名前を知っていたことに、びっくりしたのだろうか。
「別に怪しい奴じゃないぞ。お前の名前を知ってるのは、前にちょっと話に出たことがあったからだ」
一応、説明しておく。
「そ、そう……なの?」
「ああ、だから大丈夫だ」
「そ、そう……なんだ……」
だがみらいは、まだ少し困惑したような表情を浮かべていた。
「あなたが、みらいさんですか……?」
さよがもう一度みらいに訊ねた。
「あ、はい……そう、です。ユウ君―――じゃなくて、時坂君の幼馴染の小日向みらいといいます」
少しおどおどしながら、彼女は自己紹介をした。
「そう、ですか……。あなたがみらいさん……」
「あ、えと、あなたは……?」
今度はみらいがさよに訊ねた。
「………」
だが、さよはじっとみらいに視線を据えたまま、何も答えようとしない。
「あの……」
「……えっ?」
「すみません。お名前は……」
「あ、すみません。三年の神崎です。神崎さよといいます」
ボーっとしていたのだろうか。さよが一瞬返答に遅れて生徒手帳を取り出した。珍しい。
「神崎さん、ですか。ユウ君とはお知り合いなんですか?」
「……いえ、知り合いというほどでは……。先ほどの騒ぎの中、私も逃げ遅れてしまって……それで、偶然、彼と一緒になっただけです」
少し逡巡する様子を見せた後、さよはそう答えた。
嘘ではなかったが、今はその説明でも仕方がないと思った。俺たちの関係を詳しく伝えるためには、一件目の火事の現場から語らねばならない。さすがに今ここで、そんなところからは話している余裕はないだろう。
「そうだったんですか。怪我とかはされなかったですか?」
「ええ、私は大丈夫です」
「私は、って……ああっ!」
そこでみらいは、俺の左手中指に巻かれた包帯に気が付いた。
がっと、素早い動作で俺の左手首を掴む。
「どうしたのこの怪我⁉」
「ちょ、ちょっと転んで……」
「ちょっと転んだだけでこんなにならないよ! 大怪我じゃないっ!」
「い、いやでも、意外とすぐ治るみたいで……」
俺は弁明しようと試みたが、興奮したみらいには、俺の言い訳などは聞こえていなかったようで、
「危険なことはしないでって、昨日言ったよね?」
上目遣いに俺を睨んできた。
「いや、まあ……それはそうなんだけど、今回は巻き込まれたっていうか……自分から首を突っ込んだわけじゃないっていうか……」
もごもごと俺が口ごもっていると、みらいが呆れたようにため息を吐いた。
「ユウ君、その内信用なくすよ。オオカミ少年みたいになっちゃうよ」
「……すみません。気を付けます」
「今回は許してあげるけど、次約束破ったら一日ごはん抜きだからね。わかった?」
腰に手を当てながら、みらいが俺を叱責した。
「……本当にすみません。これからはもっと気を付けます」
俺は素直に謝る。
ごはん抜きは嫌だったし、それになにより約束を破り、彼女に心配を掛けさせてしまったことは事実だ。こんな時間まで待たせてしまったことについても申し訳なく思っていた。
反省する俺の姿を、みらいはしばらくジト目で睨んでいたが、やがて小さく息を吐くと、
「じゃあ早く帰ろ。あんまり遅くなると日が暮れちゃうよ」
みらいが俺の手を引いた。
「……神崎さんも、一緒に帰りますか……?」
少し迷うような仕草を見せた後、彼女は俺の後ろにいた、さよにも声を掛けた。しかし、
「いえ、私は遠慮しておきます」
さよはその誘いを断った。
「えっ……」
みらいが驚き、そして少し傷ついたような表情になる。
「なんだよ。一緒に帰らないのか?」
俺も驚いて彼女を見た。
「はい。私は……少し考えたいことがありますから」
「考えたい事? さっきまでそんなこと言ってなかったじゃないか」
「今、思い出しました」
「何だよそれ。言ってみろよ」
「結構です。一人で考えたいことですので」
それでは、と言い残すと、彼女は足早に立ち去ってしまった。だがすれ違いざま、憐れみと同情を入り混ぜたような表情でこちらを一瞥してきたように見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。
さよの姿が小さくなり、夕日の向こうに完全に消えてしまったところで、
「私、何か悪いことしたかな……」
みらいが少し心配そうに言った。
「いや、お前は何もしてないだろ。何か急用だったんじゃないか」
「そうかなあ。だったらいいけど……」
「気にすることないだろ。それより早く帰ろうぜ。晩飯も作らないといけないだろ」
さよの様子が少し変だったのは俺も気になったが、考えても仕方ないと思った。まだ何か言いたそうなそぶりを見せるみらいを制し、俺は強引に話を変えた。
「ああ、うん。それはそうなんだけど、実はまだ夕飯の材料が買えてないんだよね……」
「そうなのか。なら帰りにスーパーでも寄ってくか?」
「……私はそれでもいいけど、ユウ君、手、大丈夫? 結構痛むんじゃない?」
みらいが心配そうに、包帯の巻かれた俺の指を見た。
「別にこれくらいなんともないさ。今はもう全然痛くない」
左手をひらひらさせながら、俺は言った。
強がりではない。事実、痛みはもうほとんどなかった。すぐに治療を施したことが功を奏したのかもしれない。これなら日常生活を送る分には、支障はなさそうである。
「……そっか。じゃあ久しぶりに、一緒に買い物行く?」
「ああ。そうしようか」
破顔する彼女の頭に、俺は優しく手を乗せた。みらいがくすぐったそうに目を細める。
平和な空気が流れていた。
心が温かかった。
真夏の夕陽が、彼女の横顔を橙色に染めていた。
「えっ……⁉」
一瞬、思考が停止する。胸の奥がぞくりとした。
どういうことだと俺は彼女に詰め寄る。
「私たちが襲われていた時、彼女は体育館に避難していたようです。それはあの先生の言葉からも明らかです。みんなとっくに体育館に避難している。安否がわからなかったのは君たちだけ―――彼はそう言っていました」
「あ、ああ」
「もし、みらいさんがあのポルターガイストを引き起こしていたとするなら、彼女は体育館から私たちを狙っていたことになります。しかし、それはあまりにも無理があります。距離も離れていますし、なにより体育館からは、私たちのいた教室は見えません。そんな悪条件の中、あのような高密度かつ高精度な攻撃を仕掛けることができるとは、到底思えません」
……確かに。
彼女の言う通りだ。
体育館は旧校舎を挟んで本校舎の裏手に位置している。直線距離で五十メートルほど。本校舎から体育館へ行くには、旧校舎の外をぐるりと回るか、中を突っ切っていく必要がある。そのため、体育館からは旧校舎が邪魔になって本校舎は見えない構造となっている。
そんな悪条件の中であんな正確な攻撃を仕掛けられるとは、俺にも思えなかった。
「てことは、みらいはやっぱり無関係なんだな!」
「少なくとも、今回私たちを襲ったのは、彼女ではないでしょう」
「そっか! そうだよな!」
ずっと胸の中にわだかまっていた黒い靄が急速に霧散していく。
やはりみらいは一連の事件とは何の関係もなかったのだ。全てが俺の杞憂だったのだ。火事の現場にキーホルダが落ちていたことも何かの偶然だった。近頃彼女の様子が少しおかしかったことも、きっと俺の思い過ごしだったに違いない。そうだ。そうに決まってる―――!
目の前がぱああと明るくなっていくのがわかった。
「よかったですね……」
さよがふっと微笑んだ。
「ああ。ありがとう。ありがとうな!」
「別に、私は何もしていませんよ」
喜びを露わにする俺を後目に、彼女は再び帰路を歩み始めた。
少し遅れて俺は彼女の後を追う。足取りは軽かった。平和な日常を少しだけ取り戻せた気分だった。
「でもさ、そうなると犯人はいったい誰なんだろうな?」
前を歩く彼女に訊ねた。
「……さあ、誰なんでしょうね」
素っ気なく返される。
「……何で初音をイジメていたメンバーを狙うんだろうな」
「……何か、怨みでもあるんじゃないですか」
こちらを振り返ることなく彼女が答える。
「怨みって?」
「そこまではわかりませんが……」
みらいに対する疑いが晴れても、俺たちのいる状況は変わっていなかった。犯人も、そしてその動機についても全くわかっていない。早急に次の手を考えなければならないのに、俺たちは八方ふさがりの状態だった。
沈黙が落ちる。
と、その時、
「ユウくーん」
前方から聞きなれた声が聞こえてきた。見ると夕日をバックに、一つの人影がこちらに近づいて来るところだった。
「あれは―――」
人影の正体はみらいだった。
こんな時間まで何をしていたのだろう。休校になり、俺たち以外は全員、家に帰されたはずだが………。
俺がそんな疑問を抱いていると、
「もう! 遅いよユウ君! どれだけ待たせるんだよっ!」
走り寄って来た彼女に、何故かいきなり怒られた。
「え、いや、別に待っててくれと頼んだ覚えは………」
「待ってるに決まってるでしょ! あんなことがあったのに、ユウ君だけいつまで経っても避難して来ないし! どれだけ心配したかわかってる⁉」
「あ、いや……それに関しては色々あって……」
「色々って何? それに今日は一緒に帰ろうって約束してたよね?」
むすぅ、とみらいが頬を膨らませる。
そういえば今朝にそんな約束をしていた。昼の騒ぎのせいで完全に頭から飛んでしまっていたが、確かに彼女とそう約束したのを覚えている。
「悪い……完全に忘れてた」
「はあ、やっぱり。まあ、無事だったからいいけど―――って、あれ……? ユウ君、この人は………もしかしてお知り合い……?」
そこでみらいが、さよの存在に気付いた。さよは俺たちのやり取りを、少し離れた位置から傍観していた。
「あ、いや、この人は一年上の先輩で―――」
だが、みらいは俺の言葉が終わらないうちに、
「ご、ごめんね、ユウ君。お取込み中だったんだね。私、先帰ってるから!」
何故か、さっと顔色を変え、慌てて踵を返そうとした。
「えっ、いや待てって」
俺は、反射的にみらいの腕を掴んでいた。
「ちょっ、離してよユウ君!」
「急にどうしたんだよ。せっかくなんだから一緒に帰ればいいだろ」
「い、いや、それはダメだって―――」
みらいが俺の手を振り解こうと身体を揺する。どういう訳か、彼女は今すぐにこの場を離れたがっているようだった。
と、
「あなたが……みらいさん?」
さよが静かに口を開いた。
その途端、みらいが、えっと動きを止める。
「ど、どうして……」
みらいはひどく驚いたように、さよを見た。
何をそんなに驚くことがあるのだろうか。初対面にも関わらず、相手が自分の名前を知っていたことに、びっくりしたのだろうか。
「別に怪しい奴じゃないぞ。お前の名前を知ってるのは、前にちょっと話に出たことがあったからだ」
一応、説明しておく。
「そ、そう……なの?」
「ああ、だから大丈夫だ」
「そ、そう……なんだ……」
だがみらいは、まだ少し困惑したような表情を浮かべていた。
「あなたが、みらいさんですか……?」
さよがもう一度みらいに訊ねた。
「あ、はい……そう、です。ユウ君―――じゃなくて、時坂君の幼馴染の小日向みらいといいます」
少しおどおどしながら、彼女は自己紹介をした。
「そう、ですか……。あなたがみらいさん……」
「あ、えと、あなたは……?」
今度はみらいがさよに訊ねた。
「………」
だが、さよはじっとみらいに視線を据えたまま、何も答えようとしない。
「あの……」
「……えっ?」
「すみません。お名前は……」
「あ、すみません。三年の神崎です。神崎さよといいます」
ボーっとしていたのだろうか。さよが一瞬返答に遅れて生徒手帳を取り出した。珍しい。
「神崎さん、ですか。ユウ君とはお知り合いなんですか?」
「……いえ、知り合いというほどでは……。先ほどの騒ぎの中、私も逃げ遅れてしまって……それで、偶然、彼と一緒になっただけです」
少し逡巡する様子を見せた後、さよはそう答えた。
嘘ではなかったが、今はその説明でも仕方がないと思った。俺たちの関係を詳しく伝えるためには、一件目の火事の現場から語らねばならない。さすがに今ここで、そんなところからは話している余裕はないだろう。
「そうだったんですか。怪我とかはされなかったですか?」
「ええ、私は大丈夫です」
「私は、って……ああっ!」
そこでみらいは、俺の左手中指に巻かれた包帯に気が付いた。
がっと、素早い動作で俺の左手首を掴む。
「どうしたのこの怪我⁉」
「ちょ、ちょっと転んで……」
「ちょっと転んだだけでこんなにならないよ! 大怪我じゃないっ!」
「い、いやでも、意外とすぐ治るみたいで……」
俺は弁明しようと試みたが、興奮したみらいには、俺の言い訳などは聞こえていなかったようで、
「危険なことはしないでって、昨日言ったよね?」
上目遣いに俺を睨んできた。
「いや、まあ……それはそうなんだけど、今回は巻き込まれたっていうか……自分から首を突っ込んだわけじゃないっていうか……」
もごもごと俺が口ごもっていると、みらいが呆れたようにため息を吐いた。
「ユウ君、その内信用なくすよ。オオカミ少年みたいになっちゃうよ」
「……すみません。気を付けます」
「今回は許してあげるけど、次約束破ったら一日ごはん抜きだからね。わかった?」
腰に手を当てながら、みらいが俺を叱責した。
「……本当にすみません。これからはもっと気を付けます」
俺は素直に謝る。
ごはん抜きは嫌だったし、それになにより約束を破り、彼女に心配を掛けさせてしまったことは事実だ。こんな時間まで待たせてしまったことについても申し訳なく思っていた。
反省する俺の姿を、みらいはしばらくジト目で睨んでいたが、やがて小さく息を吐くと、
「じゃあ早く帰ろ。あんまり遅くなると日が暮れちゃうよ」
みらいが俺の手を引いた。
「……神崎さんも、一緒に帰りますか……?」
少し迷うような仕草を見せた後、彼女は俺の後ろにいた、さよにも声を掛けた。しかし、
「いえ、私は遠慮しておきます」
さよはその誘いを断った。
「えっ……」
みらいが驚き、そして少し傷ついたような表情になる。
「なんだよ。一緒に帰らないのか?」
俺も驚いて彼女を見た。
「はい。私は……少し考えたいことがありますから」
「考えたい事? さっきまでそんなこと言ってなかったじゃないか」
「今、思い出しました」
「何だよそれ。言ってみろよ」
「結構です。一人で考えたいことですので」
それでは、と言い残すと、彼女は足早に立ち去ってしまった。だがすれ違いざま、憐れみと同情を入り混ぜたような表情でこちらを一瞥してきたように見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。
さよの姿が小さくなり、夕日の向こうに完全に消えてしまったところで、
「私、何か悪いことしたかな……」
みらいが少し心配そうに言った。
「いや、お前は何もしてないだろ。何か急用だったんじゃないか」
「そうかなあ。だったらいいけど……」
「気にすることないだろ。それより早く帰ろうぜ。晩飯も作らないといけないだろ」
さよの様子が少し変だったのは俺も気になったが、考えても仕方ないと思った。まだ何か言いたそうなそぶりを見せるみらいを制し、俺は強引に話を変えた。
「ああ、うん。それはそうなんだけど、実はまだ夕飯の材料が買えてないんだよね……」
「そうなのか。なら帰りにスーパーでも寄ってくか?」
「……私はそれでもいいけど、ユウ君、手、大丈夫? 結構痛むんじゃない?」
みらいが心配そうに、包帯の巻かれた俺の指を見た。
「別にこれくらいなんともないさ。今はもう全然痛くない」
左手をひらひらさせながら、俺は言った。
強がりではない。事実、痛みはもうほとんどなかった。すぐに治療を施したことが功を奏したのかもしれない。これなら日常生活を送る分には、支障はなさそうである。
「……そっか。じゃあ久しぶりに、一緒に買い物行く?」
「ああ。そうしようか」
破顔する彼女の頭に、俺は優しく手を乗せた。みらいがくすぐったそうに目を細める。
平和な空気が流れていた。
心が温かかった。
真夏の夕陽が、彼女の横顔を橙色に染めていた。
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