すべてが叶う黒猫の鈴

雪町子

文字の大きさ
34 / 36
第八章

ただいま

しおりを挟む
 真っ暗な庭にぼんやりとたたずんでいる。ぶるりと体が震える。吐息が白くなりそうに寒い夜だった。
 後ろでからからと窓が開く音がした。振り返ると、そこにいたのは彩だった。
「黒猫くん、ずっとここにいたんだ。――白猫ちゃんが心配?」
 無言で見上げていると、彩は黒猫を安心させるように優しく微笑んだ。
「さっきも言ったけど、もう大丈夫だよ。獣医さんが注射してくれたから、だいぶ体調も落ち着いてるし、今はまだ元気がないけど休んでれば元気になるからね。薬もちゃんと毎日あげるから安心して」
 そこまで言うか言わないかのうちに、彩はくしゅんとくしゃみをして、「ちょっとごめんね」と窓を閉めて家の中へ戻って行った。
 黒猫は白猫が倒れているのを見つけた後、真っすぐに彩の家を目指した。狂ったように鳴き喚くことで異変を知らせ、どうにか白猫の元にまで彩を連れてくることに成功した。ぐったりした白猫を見つけた彩は、すぐに白猫を家に連れて帰り、父に電話で話をつけて、家にいた祖母とともに近くの動物病院へ向かってくれた。
 怒涛の展開とは裏腹に黒猫は庭でぽつんと待っているしかなく、彩たちが戻ってくるまで不安でどうにかなりそうだった。
 数時間後、見慣れないキャリーに入れられた白猫が帰ってきた。白猫はまだぼんやりとしていたけれど、呼吸はだいぶ落ち着いていた。黒猫の強張った体からようやく力が抜けた。しばらくは看病が必要だから彩の家で療養することになったと聞き、それにも納得していた。
 もう心配がいらない状態なのは、頭では分かっていた。でも、その場から一歩も動くことができなかった。
 からからと再び窓が開く音がした。振り返ると、やっぱりそこにいたのは彩だった。ただし、今度はずいぶんと厚着をしていた。
 縁側に腰を下ろすと、「落ち込んでるの?」と唐突に言った。
 なんで彩にはいつもお見通しなのだろう、と不思議になる。
「でも黒猫くんが助けを呼んでくれたから、白猫ちゃんは今、大丈夫なんだよ」
 足をぶらぶらと揺らしながら、彩は続ける。
「それに、わたしは黒猫くんが助けを呼びに来てくれて嬉しかった。いつも私のほうが助けてもらうばっかりだったから。勢いでお父さんにも電話できちゃったしね」
 はにかむようにそこまで言って、急に彩は真顔になった。「あのね……」と言い淀む姿に、父親と何か深刻な言い合いにでもなったのだろうかと心配になる。
「獣医さんと今日色々お話したんだけど……その……魚肉ソーセージをあげるのは猫の健康によくないんだって……わたし、全然知らなくて」
 思わずずっこけそうになった。そんなことかよ。
 だけど、彩は神妙そうな顔で続ける。
「野良猫に気まぐれにごはんをあげることは、飢えとか病気に苦しむ猫を増やすことにもつながるんだって。わたし、知らないことばかりだった。町で見かける野良猫のこと。黒猫くんたちに会うまで考えもしなかった。自由でいいなあって思ってたの、憧れてたの。自分に都合のいいところしか知らなかったから。ずっと自分ばっかり見てたの、わたし。でも、ちゃんと知りたいって思った。わたしにできることはなんだろうって。だから、あのね、お父さんとも話したの」
(……この話は、どこに向かっているんだろう)
 いまいち話の展開についていけずに首を傾げる黒猫に、彩は目を細めた。
 突っ掛けを履き、黒猫に並ぶように庭を眺める。
「わたしね、ちょっとわがままになったみたい。この庭で黒猫くんと白猫ちゃんを見つけると、『おかえり』って言いたくなるの。それでね……『ただいま』って言ってほしい。ふたりがこうしてピンチなときにかけつけたり、そばにいるのは、わたしがいい」
 こちらを見た彩は――なぜか真っ赤な顔で、ハの字の眉毛で、泣いてるわけでもないのに潤んだ瞳をしていた。
「もしふたりにおうちがないなら、わたしのおうちに来ませんか。わたしたちと……家族になりませんか」
 そのとき、なぜか黒猫は自分が幼いときのことを思い出した。母猫に『ずっと僕が一緒にいてあげる』と言ったときのこと。のぞみの手のひらをはじめて舐めた日のこと。
 かつて黒猫のまえを誰もが通り過ぎていった。そのたび、そんなものだ、と言い聞かせて。やがては期待をしないようになった。だってそのほうが楽だし、自由だ。傷つくこともない。
 だけど――。
 黒猫はなぁお、と鳴いた。ゆっくり立ち上り、なんでもないように彩のすぐ近くに座ると、ぐいと頭を差し出した。 
「え?」
 分かってなさそうな彩に苛ついて、今度は頭をぐいぐいと足に押し付けて、にゃあ! ちょっと怒ったような声で一鳴きした。分かれよ、早く。
 それでようやく黒猫の意図に気づいたのか、おそるおそる、彩の手が伸びてくる。
 指が、触れた。最初は戸惑いがちに。やがて、やさしさすべてを込めたみたいに。
 ずっとこの手に触れてみたかったのだ、と気づく。ずっと誰かに期待をしてみたかった。
 ちいさくささやく「おかえり」を、黒猫は陽だまりのなか、遠く近くに聞いていた。
 ただいま、の代わりに黒猫はその手のひらに頭をこすりつけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...