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十年前
しおりを挟むルーシアは昔、非常に口下手で他人と話すことを苦手としてきた。育った環境からか、周りには腹黒い大人やこちらのご機嫌伺いに必死な大人などが集まっているせいもあったということも関係している。そして、そんな相手にうまい切り返しが出来ず、父親である王と王妃の面目を潰してしまうと常に心苦しく思っていた。
そんなある日。私の悩みはお見通しだったのか、父様が環境を一度変えるべきだと言って、秘密裏に手配した同年代の貴族の少年少女達が集まるサロン。それに参加することになったのだ。
「ねぇ、この髪変じゃないかしら」
「いえいえ。姫様は金髪も良くお似合いになられますよ。個人的には黒髪の方が神秘的で好みですけれど」
乳母、もといばあやは顔の皺をより深めながら優しそうな瞳で微笑みながら言った。
ばあやは十五の成人を迎えるまで、ずっと私についていてくれた第二の母的存在だ。穏やかな性格は幼少期の頃から彼女の心の拠り所でもあった。
今現在は定年を迎え、城下でのんびりと生活しているらしい。定期的にやり取りしている手紙にそう書いてあった。
ルーシアはサロンに参加すべく、この国の王族の象徴である黒髪を、ありふれた色である金髪に染め上げているのだ。
(染め粉ってなんか甘い香りがするのね。でも、たかだかサロンに行くぐらいで口下手な性格が治ったり、うまい切り返しが思いついたりするようになるのかしら?)
そんな思いを読み取ったのかばあやは、
「姫様は自分の思う通りに、サロンを楽しめばいいんですよ。あんまり考えすぎると余計に仏頂面になってしまいますよ」
「もう、ばあやってば」
ルーシアは桃色のドレスを揺らし、二人で和やかに笑いあった。
*
「皆さん初めまして。ライン子爵家令嬢のルーシーと申します。この度サロンへの参加を認めてくださり、ありがとうございます。何卒、仲良くして頂ければ幸いです」
流石に王女のルーシアと名乗るわけにはいかず、架空のライン子爵家令嬢と名乗るよう指示されており、おとなしく従い自己紹介をした。
見渡せば、十歳前後の男女がいくつもあるテーブルの周りに立っている。今回は立食パーティーのようだ。数は二十人ほどであろうか。八歳であるルーシアは、おそらくこの中では最年少だろう。
主催らしき伯爵家のパーティーホールは城の会場の半分ほどの大きさで、全員の顔が把握できる程度の広さであった。
微笑みながらなんとか自己紹介を終え、軽やかなクラッシックが流れると共にサロンが始まった。
「ご機嫌よう、ルーシー」
自己紹介と言う名の緊張しい場面からやっと解放され、隅の方でほっとしていた彼女に子供とは思えないほど冷たい声がかけられた。ルーシアは振り向く。
(あぁ、確かこの方ってサロン主催の伯爵令嬢ね。見た所十二歳くらいかしら?随分と冷たい瞳と声をしているのね)
伯爵令嬢は黄金の髪を指にくるくると絡ませながら、足から頭の先までを舐めるように眺めてきた。
「……ご機嫌よう」
視線の不躾さに多少の嫌悪感を感じながらも、隙を見せないよう口角を上げ微笑みながら挨拶を返す。
「貴方、ライン子爵家って言ったかしら?わたくし、聞いたことないわ」
「……ええ。田舎の貧乏貴族ですから……」
「ふんっ。王様の頼みじゃなきゃ、田舎貴族なんか私のサロンに参加させなかったわ。一体どんな手段で王族に取り入ったのかしら?」
「......」
初対面の相手への傲慢な態度に呆れてものも言えなかったのもあるが、城内でルーシアは第一王女。大の大人たちは形式だけでも傅いていた為、このような不躾な物言いは初めてであり、反論や弁論を切り返すことが出来なかった。
(くやしい。腹が立つ程ではなかったが、この傲慢な令嬢に一言二言言い返してやりたいわ。でも一応今私は子爵家令嬢。伯爵家令嬢を上部だけでも立てなければならないのだわ)
私が下を向いて黙り込んだのをいい事に、令嬢は怯えているのだと勘違いしたのか、ペラペラとなにかしら言っている。
ルーシアの耳にはほとんど届いていなかったが。
「ただ黙っているだけのお人形さんを育てた親の顔を見てみたいわ」
その言葉を聞いた途端、手足がすっと冷えていくのを感じた。それと共に、腹のなかに熱い何かが溜まっていくのも感じた。
(そう、これは怒りだわ)
ルーシアは腹黒い大人達に荒波に飲まれるようにして育ったせいか、喜怒哀楽というものが薄いらしい。ばあやがいつの日かポツリと呟いていた。その後、悲しそうな顔をして「お可哀想に」と囁いていたことも覚えている。
そんなルーシアだったが、自分自身に向けられたことばならともかく、両親を馬鹿にされるのだけは我慢ならなかった。
久しぶりの怒りという感情は自分でも制御することが難しく、知らず知らずのうちに表情が抜け落ちていく。伯爵令嬢の煩わしい声のせいか、周囲の参加した子供たちは遠巻きに注目していることが感じ取られた。
「ねぇ」
そんな空気の中、いきなり柔らかな声が降ってきた。ルーシアはその熱い怒りを飲み込むのに必死になっていたため、声の主に顔を向けることはなかった。
「ア、アレク様…!」
「……?」
あれだけベラベラと余計な口を叩いていた令嬢の声が突如甘さを含んだものになり、ルーシアは思わず顔を上げ、眉をひそめる。
「ご機嫌いかがかな、二人の美しいご令嬢方」
声をかけてきたのは、茶髪に翠目の優男風な美しい少年であった。いや、少年というのは正しくない。青年と少年の間くらいというのが妥当といえるか。
彼はうやうやしく一礼をしながら目の前のご令嬢の手を取り、手の甲に挨拶のキスをした。さらにルーシアの手も取り、同様にキスをした。
伯爵令嬢は頰を赤らめ、熱い視線でアレクと呼ばれる彼を見つめている。
「リリア嬢は本日もお美しくて、直視出来ないな」
「ア、アレク様こそ!」
目の前の令嬢がリリアという名前だということを初めて知ったルーシアは、令嬢が夢中になっていることを確認し、この場をすぐに離れた。
(ほんと助かったわ。もし、あの令嬢のお小言がずっと続いていたら、さすがに堪忍袋の尾が切れていたわ)
以前にも貴族の子供と相見える機会があったのだが、その頃はつくり笑顔というものが彼女の辞書には載っておらず、泣かせてしまったことがあった。同様なことが今回も起きれば、せっかく用意してくれた父様の面目が立たないだろう。
とはいえ、久しぶりの強い怒りと周囲への気遣いのせいで気疲れしてしまった。
父様には申し訳ないが、早々に切り上げてしまいたい。
ルーシアはひとまず外の空気が吸いたいと、誰もいないテラスへと出た。ホールからは微かなクラッシック音楽が聞こえてくる。
瞳を閉じ、何も考えないようにしたが、先程の令嬢の言葉がずしっと心に引っかかるのを感じた。
ーー『ただ黙っているだけのお人形さん』
ーー『育てた親の顔が見てみたい』
(自分が情けないせいで、両親への悪口に繋がってしまったのね。本当に……情けないわ。もっと、口が上手ければよかったのに。もっと、愛想が良くて柔軟な心でいられれば……!)
一人で考えているとどんどんと深みにはまっていってしまう。そんなルーシアは、後ろに人がいることに気がつかなかった。
「ルーシー嬢」
「きゃっ!」
驚いたために、思わずはしたない声を上げてしまった事に頰を染める。
(ルーシー嬢?そういえば、私そんな名前だったわね)
一呼吸置いて、ルーシアは声のした方を見上げた。
「ええと…」
「ああ、いきなり不躾に声をお掛けし申し訳なかった。俺はバード公爵家次男、アレックス。以後、お見知り置きを。麗しきお嬢さん」
彼は柔らかな微笑みを浮かべながら、優しげな声で言った。
「ご丁寧にありがとうございます」
ルーシアは目を見ず言った。思えばその時誰かと話せる気分ではなかったため、相当そっけない返しだっただろう。
「......」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
一分か三十秒か。それよりもっと短い時間だったか。ルーシアは話したことの無い相手との沈黙に耐えかねない気分になったため、ドレスを翻し、ホール内へと戻ろうとした。と、そのとき。
「君は何をそこまで悩んでいるんだい?もしよかったら、この俺に話してくれないかい?」
彼の翠色の瞳がじっとこちらを見つめるのを感じ、ルーシアはブルーサファイアの瞳を上げた。
(何故、分かったのかしら?そんなに、ひどい顔していた?)
目の前で微笑む彼は完全なる貴公子だったためか。それとも、先の現場でやんわりと仲裁をしてくれたためだろうか。ルーシアは、そのひとが内情を探ろうとするような質問をすることに嫌悪感を覚えることはなかった。
両親やばあやには言わずとも伝わっているであろうが、誰にも話したことない心の底の悩み。
(この人になら、話しても……いいかしら)
ルーシアはポツリと、サロンへ参加した理由である悩みを打ち明けた。
「君は年の割に深く考えすぎている気がするよ。うまい切り返し?口下手が悪い?そんな事に気にする必要なんてない」
「〝そんなこと〟って…。私にとっては重要なことなのよ」
ルーシアは心の内に秘めていた悩みを〝そんなこと〟で片付けることに対し、微かにあきらめを感じた。
所詮他人事なのだ、と。
「確かに君にとっては非常に重要なことなんだろう。でも目の前のオレは、君が口下手だからって蔑んだり笑ったりしない。仮に君は、僕が口下手だとしたら笑うかい?蔑むのかい?」
「……っ!」
「君がどう生きるのかが問題なんだ。君は今のままでも十分魅力的だよ」
ありきたりで使い古された様な言葉。それなのに、その弱りきった心には深く突き刺さった。
アレックスはルーシアの方を見つめながら、再度柔らかく微笑んだ。
(ああ、私はこのままでいいのね。このままの私を受け入れてくれる人は大勢いるってことを、父様は私に気づかせたがったのかもしれないわ。こんな簡単に心のモヤモヤが晴れていくなんて!)
ルーシアは、今日一番の〝本当の笑顔〟でアレックスに微笑んだ。
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