上 下
1 / 11
1日目

終わりと始まり

しおりを挟む
「どうする……?」

 一人の女が、俺の眉間に銃口を向けながら問い掛ける。
 その表情は苦悶に満ちており、彼女自身が望んでの行為ではないことが分かった。

「さあな……どうすりゃ良いと思う?」

 苦笑を浮かべながら逆に問い返す。
 そんな俺に対して、今度は泣き笑いの表情を浮かべながら彼女は銃を下ろした。

「……ほら、見せてみて」

 言いながら、彼女―――明菜が俺の腕を取る。
 その動きにつられて鮮やかな朱色をした血が腕から指へと伝って落ちた。

「……大丈夫、皮膚は持っていかれてない。押さえておけば血は止まるわ」

 そう言うと、自分のハンカチを取り出して俺の腕に巻く。
 しかし、それで俺は安堵することは出来なかった。

「血が止まっても、俺の未来は変わらないさ……」

 思わず漏れる自嘲的な呟き。
 だが、それは事実だった。

 例え血が止まっても、傷が癒えたとしても、決して変わることはない。
 俺が―――

 
         ―――ゾンビになるという未来は―――


 ゾンビ病―――そんなフザけた名前の奇病が流行り出したのが三ヶ月前。
 その名の通り、感染した者を生ける屍と化す病は、治療法も確立されぬまま時だけが過ぎ、気が付けば日本は崩壊寸前にまで追い詰められていた。

 そんな中で、俺達は機能している街から街へと渡り歩きながら安住の地を探していた。どこかに怯えることなく暮らせる場所があると信じて。

 そして、ついに俺達は望んでいた情報を掴んだ。
 西の最果てにある町で、自衛隊が防衛拠点を築いていると。
 そこに行けば、誰もが安全を保障されると。

(なのに、これか…………)

 ハンカチの巻き付けられた腕を見ながら、心中で呟く。

 ゾンビに襲われた子供―――その姿を見た時、俺の体は自然と動いていた。
 その行為自体を間違っていたとは思っていない。
 だが、武器も持たずに突っ込んだのは無謀だった。
 結果、俺は腕を噛まれて、この有様と言うわけだ。

 情報を信じて続けてきた旅も、此処で終わりを迎えることになりそうだ。
 少なくとも、もう俺は彼女と共に行くことは出来ない。

「…………行けよ」
「えっ…………?」
「お前は行け……俺は、ここに残る……」

 もう、理想郷を目指す意味もない。
 彼女に無様な姿を晒す気にもならない。
 ならば、これが最善の選択のはずだ。

「馬鹿なこと言わないでよッ……!」

 責めるような口調。
 だが、それも涙声では意味を成していなかった。

「頼む……お前だけでも生き延びてくれ……」

 それが、今の俺の望み。
 自分の未来が閉ざされたなら、せめて彼女の明日だけは紡ぎたい。

「そんなこと出来るわけ―――」

 厳しい表情で俺を睨もうとする明菜。
 しかし、その目線はすぐに俺の後ろへと向けられた。

 俺も反射的に視線を向ければ、そこには数体のゾンビ。
 濁った瞳を俺たちに向けながら、緩慢な動きで近付いてきていた。

「こんな時にッ…………!」

 足元に置いていた銃を手に取ると、明菜が狙いを定めてトリガーを引く。
 だが、奴等の弱点である頭部には当たらず、肩や腹部を傷付けただけに終わった。

(相変わらず下手だな……)

 場にそぐわない苦笑を浮かべると、俺は立ち上がった。
 そして、レッグホルスターから銃を抜き取ると、大して狙いをつけることなく撃ち放つ。

『―――――――――ッ!!』

 響き渡る派手な破裂音。
 それと同時に、ゾンビが頭を吹き飛ばして倒れた。

「ふふっ……やっぱり、俺がいなくちゃダメか……」

 こんな状況だと言うのに、俺は笑いながら呟く。
 そして、ホルスターに銃を戻すと、明菜の前に立って歩き始めた。

「どこに行くの……?」
「決まってるだろ、俺たちの目的地だよ」

 それだけを言うと、俺は歩みを再会した。
 すると、どことなく嬉しそうな足取りで、明菜が俺の隣に並んだ。

「私が絶対に助けてあげるから……絶対に死なせないから……」

 根拠などない言葉。
 でも、それに救われている自分がいる。今も昔も。

(だから、守り抜く……コイツだけは絶対に……)

 誰にも奪わせない―――その思いを新たにした。

 心の持ち様を変えたところで、俺がゾンビになる未来は変わらない。
 それでも、俺には彼女を守ることが出来る。
 生きる意味があるのなら、タイムリミットまで愚直に進むだけだ。

(行ける所まで行ってやるさ……)

 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、俺は目線を上げた。
 もう二度と俯かないように―――
しおりを挟む

処理中です...