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08 愛憐
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子供に関してセンシティブな表現があります。苦手な人は回避してください。
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「拓巳に聞きましたよ。何でもトレーニングルームで手を取り合って、見つめ合っていたそうじゃないですか」
逢坂に恨みがましく詰られて、五十嵐は走る車からこの男を蹴り落としたくなった。
一体、どうしてそんな話になったのか。先日、白石の態度が妙によそよそしかったのは、あの時の自分たちの状況が、そんな風に見えていたからか。
「そんなことはしていない。ショウが下手にボクシングの真似事をしたから、拳を痛めないように止めただけだ」
「へええええ」
本当にこの男はいい性格をしている。上司を上司とも思わないこの不遜な態度は、彼自身もこれまで数多くの修羅場を乗り越えてきた証だ。ちょっとやそっとじゃ動じない。
自ら運転する車で各店の視察に回りながら、五十嵐は深いため息をついた。
いいだろう。こうなったら全てぶち撒けてやる。白状してこの男を取り込んだ方が、後々何かの役に立つかもしれない。
五十嵐は大きく息を吐き出して、観念したように口を開いた。
「はああ。いいか、確かに俺はショウが気に入っている。多分、お前が言う意味でだ。だがまだ何も始まっちゃいない。だから静かに傍観しといてくれ。頼むから」
「もし振られたらどうするんですか?」
「……」
痛いところを突いてくれる。確かに男同士、ノーマルな男なら速攻で拒否されるのがオチだ。けれど一度自覚した想いは、早々諦められるものでもなかった。
「なんて顔しているんです? そんなに彼のことが好きになったんですか?」
少し目を見開いて、逢坂が五十嵐の横顔を覗き込んできた。どんな表情をしているのか五十嵐には分からないが、よほど切羽詰まった、険しい顔でもしていたのだろうか。
「まさか貴方がそこまで入れ込むなんてね。確かお医者様でしたよね。お堅い職業だから安心? いや、違うか。そうですねぇ……彼は絶対に貴方を裏切らないと、そんな妄想でも抱いているんですか?」
「は?」
意味が分からなかった。思わず聞き返すと、逢坂は呆れたような目を向けてきた。
「まさか、気づいていなかったんですか? 貴方、人に裏切られることを極端に嫌うでしょう。変にマザコンを拗らせているから、元から期待しない癖がついているし。初めから期待しなければ、裏切られた時にがっかりしないって、ね。人と深く関わること自体、怖がっていますよね」
「……」
驚いた。まさかそんな風に分析されていたなんて。
マザコンの部分は聞き捨てならないが、確かに思い当たる節がありすぎて、五十嵐は一言も反論が出来なかった。なんなら人類みなライバル。利用されるぐらいなら、逆に利用してやろうという心構えだし。
「まあいいです。貴方がそこまで惚れたのなら、私も興味が湧きました。しばらくは黙って成り行きを見守っていますよ」
「是非そうしてくれ。……絶対に、手を出すなよ」
「? 何にです? もしかして彼にですか? 私が? もちろん出しませんよ。前に言いましたよね、貴方の方が私の好みのタイプです。出すなら貴方に出しますよ」
もしそんなことになったら、五十嵐は全力で拒否するだろう。
「遠慮する」
「なぜです? 私、上手いですよ?」
何がだ?
だが、もちろんそんなことを深く掘り下げて聞く酔狂は五十嵐にはなくて、けんもほろろに言い捨てた。
「お前が指摘した通り、俺は裏切り者が嫌いなんだ。お前は何かあったら、速攻で俺を切り捨てるだろう」
この返しには逢坂も意表を突かれたようで、その蛇のような目を瞬かせた。だがしばらく考えて、
「そうですね。もし貴方が取るに足らない男だと分かったら、寝首を掻きますね。私、時間の無駄は嫌いなんで」
そう、面白がってきっぱりと断言した。
その日、本田はにこやかに青い箱をカシャカシャと鳴らしながらやってきた。
「何だそれ?」
「Mac & Cheese」
ジャジャーンと言わんばかりに、その箱を五十嵐の目の前に堂々と揚げる。
「アメリカのママンの味。またの名を大学生の Main dish」
まるで芝居がかったように言う本田は、どこか誇らしげだ。
「……で?」
「今週、アメリカから荷物が届いたんだ。その中に入っていた」
マカロニ&チーズは、アメリカの国民食と言われるほど有名だ。中でも本田が手にしているメーカーのそれは、お手軽に安く作れて助かると、噂ではどこの家のパントリーにも一つは必ず常備されているほどらしい。
「作り方はすごく簡単なんだ。マカロニを茹でて、えー…… add butter, milk and Cheese Sauce Mix. mix well だって」
はいっと差し出されて、五十嵐は流れでそれを受け取った。
「これを、俺に作れと?」
「たまに、こういう Cheap な味が食べたくなるよね。これ、学食でよく食べてた」
どうやら今日の夕食はこれらしい。手の中の青い箱を見下ろして、五十嵐は肩を竦めた。『作り方』にある通り、これを調理するのは手間ではない。なので一向に構わないのだが、流石にこれだけでは味気ないだろう。
五十嵐は冷蔵庫を開けて中を確認すると、おもむろに本田の方に振り返った。
「とりあえず、ショウはいつも通り先にシャワーでも浴びていろよ。随分疲れた顔してる」
「え?」
「俺は下のキッチンに行って、何かないか探してくるから。いつものTシャツは洗って、チェストに入っているし」
「……ありがとう」
素直に言葉に従う本田を見送って、五十嵐は早速サンダルを履いて外に出た。
エレベーターに乗って2階に。バーのメインキッチンはそこにある。
このビルの1、2、3階を占める半会員制の高級バーは、まるで西部劇に出てくる酒場のような雰囲気を醸し出しつつ、落ち着いた木造りが中心になっている。そこにインダストリアルの良いところが上手くミックスされていて、この店の評判に繋がっていた。
一般客が利用できる1階では軽いつまみ程度しか出していないが、会員だけが立ち入ることが出来る2、3階席では、イノベーティブ・フュージョン料理のフルコースもかくやというメニューを提供している。なので2階のキッチンには、多彩な食材が揃っていた。
オーナー特権でシェフから、店で出している前菜と、鳥の胸肉、チーズにバゲットを1本、そして忘れずに牛乳を拝借していく。
少しスタッフ達と立ち話をして部屋に帰ると、本田がちょうどバスルームから出てきたところだった。少し茹だった赤みを帯びた肌に、シンプルな黒のTシャツにスエットパンツ。元は五十嵐の服だったから少し大きめだが、ここでの本田の部屋着としていつの間にか定着していた。
濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら、本田がキッチンカウンターに広げられた食材を見て笑った。
「あー、今日は Mountain Dew に Mac & Cheeseだけの、ザ・アメリカンな食事を想像していたのに。これはまた、豪勢なディナーになりそうだね」
「あんなもの、腹の足しになるか」
確かに成人男性二人、マカロニ&チーズでは物足りないだろう。量の問題ではなく、味も食感も単調すぎて絶対に飽きる。
我慢が出来ずに早々にワインを開けて、本田と軽く前菜をつまみながら、五十嵐はゆっくりと調理を始めた。塩胡椒をしただけの胸肉を、潰したニンニクとオリーブオイルでシンプルに焼いていく。なぜかシェフがローズマリーも入れてくれたので、それも肉の上に乗せてじっくりと火を通した。
同時に例の青い箱を開封し、湯を沸騰させた鍋に、箱に直に入っていたマカロニを投入した。するとなぜかそこで、料理が出来ないくせに──手伝わないくせに、本田が隣に来て五十嵐の手元を興味深げに覗き込んだ。
茹だったマカロニを湯切りして鍋に戻し、適当にバターを絡める。そして味の要になる、チーズソースミックスなるチーズの粉を振りかけるのだが、これがまた、オレンジ色が混じったどぎつい黄色だった。
「これこれ。学食の Mac & Cheese もこんなのだった。圭吾は本当に料理が上手いね」
「馬鹿にしているのか。こんなの、インスタントに湯を注ぐのと同じぐらい簡単だろ」
「ははは」
本田は楽しそうだ。
あとは牛乳でとろみを調節して完成。余熱で中まで火の通った鶏のステーキをメインに、マカロニ&チーズを添えたら立派な夕食になった。前菜が野菜中心のピンチョスだったので、栄養バランスもいいだろう。
外食ではなく部屋での食事だったので、誰に気を遣うこともなく気軽な食事だった。案の定マカロニ&チーズは早々に食べ飽きて、大量に鍋に残っている。「責任持って明日も食べるから」と本田は言っていたけれど、ぜひそうして欲しいものだ。
いつもと変わらない落ち着いた仕草に、穏やかな口調。時に戯けてみせて、軽口を叩く。けれどそれが空回りしているように見えるのは、気のせいだろうか?
無理してそう演じているように感じられて、五十嵐はずっと、本田が家に来た時から気になっていた。
「なあ……」
食後、ワイングラスを片手にソファに並んで座り、照明を落として海外ドラマの続きを観る。薄明かりの中でぼんやりと浮かんだ本田の横顔がどこか憂いを帯びていて、五十嵐は彼との間にあったクッション一つ分の間隔を詰めた。
「何があった?」
「……? 別に……」
「ショウ」
きつめに名前を呼べば、本田が僅かに下を向く。やがて小さく息を吐き出して、視線はそのまま、ポツリポツリと吐き出し始めた。
「今日、救急で患者が運ばれてきた。交通事故で歩行者を巻き込んだ接触事故」
「……」
「歩行者の患者は妊娠36週目で、出産間近の妊婦だった。内臓が損傷していてね、緊急手術をしたけれど、あまりに出血がひどくて。どうにも出来ない状態だった。せめて胎児だけでも助けたかったけれど、それも無理だったんだ」
咄嗟に、言葉が出てこなかった。医療関係者であれば人の生死は日常茶飯事だろうが、やはり幼な子のそれは格段に堪えるのだろう。
「あと4週間もすれば出産予定日、すでに体重が2700gもある立派な男の子でね。だけど母親の心臓が止まるのと同時に、取り出した子供の心臓も止まってしまったんだ」
「ショウ」
思わず、五十嵐は本田を肩を抱き寄せた。うっすらと目尻に涙を浮かべた本田は、なされるがままじっとしている。
「気にするなとは言えないが、やれることはやったんだろう。人間は神じゃない。全ての命を救うなんてことは無理だ」
「分かっている。確かにそうだけど、そんな傲慢なことは思ってもいないけれど……」
どれだけ医療が発展しようとも、助けられない命はある。本田の体から徐々に力が抜け、まるで風船が萎むように、疲れたように五十嵐の胸に寄りかかってきた。
「今日の事故は本当にやり切れなかった。事故を起こした運転手もうちに運ばれてきたんだけど、こちらは12ヶ月の幼児がいる母親でね。なぜかシートベルトをしていなくて胸を強打。折れた肋骨が肺を傷つけて、今、 集中治療室に入っている。だけど頸椎も損傷を受けているから、助かるかどうかは微妙かな……バックシートに同乗させていた子供だけはチャイルドシートに守られて、ほぼ無傷で済んだ。それだけが唯一の救いだった」
加害者と被害者、どちらも幼い子を持った母親だった。警察からの連絡を受け、駆けつけた家族の慟哭が今も耳に残っている。
「せめて、あの子だけでも助けたかったんだ」
母親から無理に引き離され、連れ出された明るい外の世界。だが本当の陽の光を知ることもなく、一度も産声を上げることのなかった小さな命──
溢れ出た涙が、静かに本田の頬を伝った。片手で目元を隠し、声も上げずに亡き子を偲ぶ。
不謹慎だがその姿がどうにも愛おしくて。五十嵐は、男を抱く腕に力を込めた。
下手な慰めは不要だと知っていた。だから、ただギュッと本田を抱き締めて、その柔らかい髪に口付けを落とした。
彼の心が落ち着くまで、決して離しはしなかった。
子供に関してセンシティブな表現があります。苦手な人は回避してください。
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「拓巳に聞きましたよ。何でもトレーニングルームで手を取り合って、見つめ合っていたそうじゃないですか」
逢坂に恨みがましく詰られて、五十嵐は走る車からこの男を蹴り落としたくなった。
一体、どうしてそんな話になったのか。先日、白石の態度が妙によそよそしかったのは、あの時の自分たちの状況が、そんな風に見えていたからか。
「そんなことはしていない。ショウが下手にボクシングの真似事をしたから、拳を痛めないように止めただけだ」
「へええええ」
本当にこの男はいい性格をしている。上司を上司とも思わないこの不遜な態度は、彼自身もこれまで数多くの修羅場を乗り越えてきた証だ。ちょっとやそっとじゃ動じない。
自ら運転する車で各店の視察に回りながら、五十嵐は深いため息をついた。
いいだろう。こうなったら全てぶち撒けてやる。白状してこの男を取り込んだ方が、後々何かの役に立つかもしれない。
五十嵐は大きく息を吐き出して、観念したように口を開いた。
「はああ。いいか、確かに俺はショウが気に入っている。多分、お前が言う意味でだ。だがまだ何も始まっちゃいない。だから静かに傍観しといてくれ。頼むから」
「もし振られたらどうするんですか?」
「……」
痛いところを突いてくれる。確かに男同士、ノーマルな男なら速攻で拒否されるのがオチだ。けれど一度自覚した想いは、早々諦められるものでもなかった。
「なんて顔しているんです? そんなに彼のことが好きになったんですか?」
少し目を見開いて、逢坂が五十嵐の横顔を覗き込んできた。どんな表情をしているのか五十嵐には分からないが、よほど切羽詰まった、険しい顔でもしていたのだろうか。
「まさか貴方がそこまで入れ込むなんてね。確かお医者様でしたよね。お堅い職業だから安心? いや、違うか。そうですねぇ……彼は絶対に貴方を裏切らないと、そんな妄想でも抱いているんですか?」
「は?」
意味が分からなかった。思わず聞き返すと、逢坂は呆れたような目を向けてきた。
「まさか、気づいていなかったんですか? 貴方、人に裏切られることを極端に嫌うでしょう。変にマザコンを拗らせているから、元から期待しない癖がついているし。初めから期待しなければ、裏切られた時にがっかりしないって、ね。人と深く関わること自体、怖がっていますよね」
「……」
驚いた。まさかそんな風に分析されていたなんて。
マザコンの部分は聞き捨てならないが、確かに思い当たる節がありすぎて、五十嵐は一言も反論が出来なかった。なんなら人類みなライバル。利用されるぐらいなら、逆に利用してやろうという心構えだし。
「まあいいです。貴方がそこまで惚れたのなら、私も興味が湧きました。しばらくは黙って成り行きを見守っていますよ」
「是非そうしてくれ。……絶対に、手を出すなよ」
「? 何にです? もしかして彼にですか? 私が? もちろん出しませんよ。前に言いましたよね、貴方の方が私の好みのタイプです。出すなら貴方に出しますよ」
もしそんなことになったら、五十嵐は全力で拒否するだろう。
「遠慮する」
「なぜです? 私、上手いですよ?」
何がだ?
だが、もちろんそんなことを深く掘り下げて聞く酔狂は五十嵐にはなくて、けんもほろろに言い捨てた。
「お前が指摘した通り、俺は裏切り者が嫌いなんだ。お前は何かあったら、速攻で俺を切り捨てるだろう」
この返しには逢坂も意表を突かれたようで、その蛇のような目を瞬かせた。だがしばらく考えて、
「そうですね。もし貴方が取るに足らない男だと分かったら、寝首を掻きますね。私、時間の無駄は嫌いなんで」
そう、面白がってきっぱりと断言した。
その日、本田はにこやかに青い箱をカシャカシャと鳴らしながらやってきた。
「何だそれ?」
「Mac & Cheese」
ジャジャーンと言わんばかりに、その箱を五十嵐の目の前に堂々と揚げる。
「アメリカのママンの味。またの名を大学生の Main dish」
まるで芝居がかったように言う本田は、どこか誇らしげだ。
「……で?」
「今週、アメリカから荷物が届いたんだ。その中に入っていた」
マカロニ&チーズは、アメリカの国民食と言われるほど有名だ。中でも本田が手にしているメーカーのそれは、お手軽に安く作れて助かると、噂ではどこの家のパントリーにも一つは必ず常備されているほどらしい。
「作り方はすごく簡単なんだ。マカロニを茹でて、えー…… add butter, milk and Cheese Sauce Mix. mix well だって」
はいっと差し出されて、五十嵐は流れでそれを受け取った。
「これを、俺に作れと?」
「たまに、こういう Cheap な味が食べたくなるよね。これ、学食でよく食べてた」
どうやら今日の夕食はこれらしい。手の中の青い箱を見下ろして、五十嵐は肩を竦めた。『作り方』にある通り、これを調理するのは手間ではない。なので一向に構わないのだが、流石にこれだけでは味気ないだろう。
五十嵐は冷蔵庫を開けて中を確認すると、おもむろに本田の方に振り返った。
「とりあえず、ショウはいつも通り先にシャワーでも浴びていろよ。随分疲れた顔してる」
「え?」
「俺は下のキッチンに行って、何かないか探してくるから。いつものTシャツは洗って、チェストに入っているし」
「……ありがとう」
素直に言葉に従う本田を見送って、五十嵐は早速サンダルを履いて外に出た。
エレベーターに乗って2階に。バーのメインキッチンはそこにある。
このビルの1、2、3階を占める半会員制の高級バーは、まるで西部劇に出てくる酒場のような雰囲気を醸し出しつつ、落ち着いた木造りが中心になっている。そこにインダストリアルの良いところが上手くミックスされていて、この店の評判に繋がっていた。
一般客が利用できる1階では軽いつまみ程度しか出していないが、会員だけが立ち入ることが出来る2、3階席では、イノベーティブ・フュージョン料理のフルコースもかくやというメニューを提供している。なので2階のキッチンには、多彩な食材が揃っていた。
オーナー特権でシェフから、店で出している前菜と、鳥の胸肉、チーズにバゲットを1本、そして忘れずに牛乳を拝借していく。
少しスタッフ達と立ち話をして部屋に帰ると、本田がちょうどバスルームから出てきたところだった。少し茹だった赤みを帯びた肌に、シンプルな黒のTシャツにスエットパンツ。元は五十嵐の服だったから少し大きめだが、ここでの本田の部屋着としていつの間にか定着していた。
濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら、本田がキッチンカウンターに広げられた食材を見て笑った。
「あー、今日は Mountain Dew に Mac & Cheeseだけの、ザ・アメリカンな食事を想像していたのに。これはまた、豪勢なディナーになりそうだね」
「あんなもの、腹の足しになるか」
確かに成人男性二人、マカロニ&チーズでは物足りないだろう。量の問題ではなく、味も食感も単調すぎて絶対に飽きる。
我慢が出来ずに早々にワインを開けて、本田と軽く前菜をつまみながら、五十嵐はゆっくりと調理を始めた。塩胡椒をしただけの胸肉を、潰したニンニクとオリーブオイルでシンプルに焼いていく。なぜかシェフがローズマリーも入れてくれたので、それも肉の上に乗せてじっくりと火を通した。
同時に例の青い箱を開封し、湯を沸騰させた鍋に、箱に直に入っていたマカロニを投入した。するとなぜかそこで、料理が出来ないくせに──手伝わないくせに、本田が隣に来て五十嵐の手元を興味深げに覗き込んだ。
茹だったマカロニを湯切りして鍋に戻し、適当にバターを絡める。そして味の要になる、チーズソースミックスなるチーズの粉を振りかけるのだが、これがまた、オレンジ色が混じったどぎつい黄色だった。
「これこれ。学食の Mac & Cheese もこんなのだった。圭吾は本当に料理が上手いね」
「馬鹿にしているのか。こんなの、インスタントに湯を注ぐのと同じぐらい簡単だろ」
「ははは」
本田は楽しそうだ。
あとは牛乳でとろみを調節して完成。余熱で中まで火の通った鶏のステーキをメインに、マカロニ&チーズを添えたら立派な夕食になった。前菜が野菜中心のピンチョスだったので、栄養バランスもいいだろう。
外食ではなく部屋での食事だったので、誰に気を遣うこともなく気軽な食事だった。案の定マカロニ&チーズは早々に食べ飽きて、大量に鍋に残っている。「責任持って明日も食べるから」と本田は言っていたけれど、ぜひそうして欲しいものだ。
いつもと変わらない落ち着いた仕草に、穏やかな口調。時に戯けてみせて、軽口を叩く。けれどそれが空回りしているように見えるのは、気のせいだろうか?
無理してそう演じているように感じられて、五十嵐はずっと、本田が家に来た時から気になっていた。
「なあ……」
食後、ワイングラスを片手にソファに並んで座り、照明を落として海外ドラマの続きを観る。薄明かりの中でぼんやりと浮かんだ本田の横顔がどこか憂いを帯びていて、五十嵐は彼との間にあったクッション一つ分の間隔を詰めた。
「何があった?」
「……? 別に……」
「ショウ」
きつめに名前を呼べば、本田が僅かに下を向く。やがて小さく息を吐き出して、視線はそのまま、ポツリポツリと吐き出し始めた。
「今日、救急で患者が運ばれてきた。交通事故で歩行者を巻き込んだ接触事故」
「……」
「歩行者の患者は妊娠36週目で、出産間近の妊婦だった。内臓が損傷していてね、緊急手術をしたけれど、あまりに出血がひどくて。どうにも出来ない状態だった。せめて胎児だけでも助けたかったけれど、それも無理だったんだ」
咄嗟に、言葉が出てこなかった。医療関係者であれば人の生死は日常茶飯事だろうが、やはり幼な子のそれは格段に堪えるのだろう。
「あと4週間もすれば出産予定日、すでに体重が2700gもある立派な男の子でね。だけど母親の心臓が止まるのと同時に、取り出した子供の心臓も止まってしまったんだ」
「ショウ」
思わず、五十嵐は本田を肩を抱き寄せた。うっすらと目尻に涙を浮かべた本田は、なされるがままじっとしている。
「気にするなとは言えないが、やれることはやったんだろう。人間は神じゃない。全ての命を救うなんてことは無理だ」
「分かっている。確かにそうだけど、そんな傲慢なことは思ってもいないけれど……」
どれだけ医療が発展しようとも、助けられない命はある。本田の体から徐々に力が抜け、まるで風船が萎むように、疲れたように五十嵐の胸に寄りかかってきた。
「今日の事故は本当にやり切れなかった。事故を起こした運転手もうちに運ばれてきたんだけど、こちらは12ヶ月の幼児がいる母親でね。なぜかシートベルトをしていなくて胸を強打。折れた肋骨が肺を傷つけて、今、 集中治療室に入っている。だけど頸椎も損傷を受けているから、助かるかどうかは微妙かな……バックシートに同乗させていた子供だけはチャイルドシートに守られて、ほぼ無傷で済んだ。それだけが唯一の救いだった」
加害者と被害者、どちらも幼い子を持った母親だった。警察からの連絡を受け、駆けつけた家族の慟哭が今も耳に残っている。
「せめて、あの子だけでも助けたかったんだ」
母親から無理に引き離され、連れ出された明るい外の世界。だが本当の陽の光を知ることもなく、一度も産声を上げることのなかった小さな命──
溢れ出た涙が、静かに本田の頬を伝った。片手で目元を隠し、声も上げずに亡き子を偲ぶ。
不謹慎だがその姿がどうにも愛おしくて。五十嵐は、男を抱く腕に力を込めた。
下手な慰めは不要だと知っていた。だから、ただギュッと本田を抱き締めて、その柔らかい髪に口付けを落とした。
彼の心が落ち着くまで、決して離しはしなかった。
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