奇跡な男(ひと)

仁木 羽陽

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24 奇跡なひと

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『○○航空より最終搭乗のご案内を申し上げます。○○航空5331便マニラ行きは、ただいま140番搭乗口におきまして、最終のご案内中でございます。当便ご利用のお客様は──』

 先ほどから忙しなく、ターミナルの中をアナウンスが飛び交っている。



 五十嵐と本田は無事に保安検査と出国審査を済ませ、多くの人で賑わう免税店が並ぶショップ街を歩いていた。

 その保安検査で並んで待っている間。五十嵐はこれまでちゃんと頭で理解しているつもりだったが、今日初めて本田が持つ濃紺色の、自分のものとは違う表紙のパスポートを見て、彼は本当にアメリカ人なのだと痛感した。

「あ、ちょっと北海道クッキー買っていい? なんか妹が食べたいって言ってた」

 本当はチョコレートがよかったらしいが、夏の気温で溶けるから止めておけと諭したら、どうやら代わりのものを要求されたらしい。きちんと要望に応えてあげる辺り、兄弟仲は決して悪くないのだろう。

 その後は30分ほど提携航空会社のラウンジでゆっくりして、搭乗時間になってからゲートに移動した。さほど待つことなく案内されて、満を持して飛行機に乗り込む。

 本田が予約したのは、2列並びのペアシートになっているビジネスクラスだった。この飛行機にはファーストクラスがないので、実質この席が最高クラスになる。50席程が飛行機の前方を占めていて、優先搭乗も出来るので着席が楽だ。

 二人の座席は前から7列目と、ビジネスクラスの中程にあった。座席を囲んで衝立というか目隠しの高さがかなりあるので、プライバシーが保たれる。幅は狭いが背もたれがフルフラットになるので、居心地はまあまあ良かった。『最高の睡眠を』がコンセプトになっているだけあって、寛ぐためのアメニティも充実している。

 アメリカ資本の航空会社だからか、エコノミー席も含め、日本人の利用客は少なめだった。見たところ乗客全体の4分の1にも満たないだろう。サービスの質でどうしても日本の航空会社が好まれるので、それも仕方のないことだった。

 離陸して安定飛行に入るとすぐ、ウエルカムドリンクが運ばれてきた。夕方の便だったのでその後すぐに夕食が配られ、機内が一気に賑やかになる。きちんと陶器の皿に盛り付けられたフルコース。ボリュームもたっぷりだ。外資の航空会社だけあって、味付けは少しアメリカナイズされていたが、いつものようにワインを傾けながら、五十嵐と本田はそれなりに食事を楽しんだ。

 傍では甲斐甲斐しく客室乗務員が、お代わりのドリンクを聞いて回っている。この便は前日の台風の影響で欠航した機の振替便にもなっていたので、満席の客を相手に彼ら彼女達はとても忙しそうだった。

「折角サンフランシスコに寄るんだから、Alcatraz Islandアルカトラズ島 に行ってみたいんだよね」

「行ったことないのか? 確か、刑務所があったんだよな?」

「そう。よく知っているね」

「昔、映画で観た。ほら、島に立て篭もったテロリストと戦うやつ。テレビで何度も再放送していたから」

「あー、人気だったものね。私の Dad もあの映画に出ている俳優が好きで、実家にDVDまであるよ」

 食後のアイスクリームだけは文句なくスプーンが進んで、食後酒として白ワインをチーズと共に少しだけ嗜む。飛行機の中ではアルコールに酔いやすくなるから、無茶して飲んだりしないようにセーブした。

「向こうに到着するのが朝の9時頃だから、ちょっとは街を観て回れるかな」

「そうだな。下手にホテルで休んで寝てしまったら、確実に時差ボケになる。外を出歩いた方がいいだろう」

「そうだね。その翌日は私は夕方まで学会だから別行動だけど、圭吾、絶対に危険なところには行くなよ。サンフランシスコはここ最近、あまり治安が良くないらしいから、裏道とか絶対に入ったらダメ。ホテルに近いこの Tenderloin area なんだけど、特に麻薬中毒者が屯ろしているらしいから、昼間でも迂闊に立ち入らないで。アメリカでは Drug の問題も多いけど、何より一般市民が合法的に銃を持っているからね。十分気をつけて」

「ああ、分かってる。せいぜい有名どころをブラブラするか、ホテルの部屋で、大人しく仕事をしておくよ」

 昔ボクシングをやっていたこともあるし、体格的にもアメリカ人に素手で簡単に負けるとは思わないが、流石に飛び道具には敵わない。五十嵐は素直に本田の言葉に頷いて、安心させるように笑った。

 東京、サンフランシスコ間の飛行時間は、およそ10時間足らず。食事を済ませた後は機内が暗くなったこともあり、各々に映画を見たり、タブレットで本を読んだりして時間を過ごした。

 次に五十嵐が気付いた時には、本田はいつの間にか椅子をフルフラットにして毛布に包まって寝ていた。出発のギリギリ前まで病院での仕事を片付けたり、ボストンの病院で執刀することになる患者の病歴やレントゲン写真をチェックしたりしていたので、大分疲れていたのだろう。
 母親と妹に頼まれたという大量の日本のお土産も、

「出汁パック? と○やの羊羹? キャラメルサンド? 何だよこれ? げ、しかもこれ、Online shopping  ネット販売   やってない!」

 と買いに走り回っていたから、荷造りも大変そうだった。実は彼のトランクはそれら土産だけで占められており、本田自身の私物は五十嵐のトランクに詰められている。まあ、本田にしたら家に帰るのだから、服などはそんなに必要ないし、せいぜいこの2、3日を乗り切れればいいだけだ。

 五十嵐はそれからも立て続けに映画を観てはウトウトしてを繰り返し、ろくに眠れないまま、飛行機は順調に東の空に向かって太平洋を横切っていった。モニターで飛行情報フライトマップを確認すると、既に3分の2以上進んできている。あと3時間もすれば、目的地に到着するだろう。
 そろそろ朝食の準備でも始めているのか、俄かに前方のギャレーに乗務員が集まって、忙しなく動き出した。

 おもむろに。静粛な機内にポーンというアナウンスが入る前のチャイムが鳴り響く。続いて、女性の声の機内放送が続いた。

『Is there a do……  on board? We have an emerg……, please make yourself known to any member of ……』

 飛行機特有の轟音に、音質の悪いマイク。そして何かに焦っているのかすごい早口の英語だったこともあり、あまりよく聞き取れない。シートベルトはちゃんと着用しているし、どうせ大したことのない業務連絡なのだろうと深く考えず、五十嵐は自分も本田に倣って、もう一度目を閉じた。

 ボストン滞在中は、両親の家に泊まると本田は言っていた。

「それまで病院近くで一人暮らししていた部屋は、日本に行く前に解約したからね。その際に、私の荷物は全て実家の私の部屋に引き上げたし。ホテル? いや、ボストンでは予定はしていないよ……え? もちろん圭吾も一緒に、私の実家に滞在するつもりで……部屋? ちょっと狭いけど、1ヶ月ぐらいのことだし、一緒でいいんじゃない?」

 遠慮しないで。歓迎するよ、と言ってくれてはいるが、はたして、二人の関係を周りになんと説明するのか?

 彼の生まれ故郷が見れる嬉しさ反面、どんな顔をして本田の両親に会えばいいのか悩む。

 五十嵐は少し緊張していた。千差万別ある家族関係と比べてみても、自分と母親の関係は破綻していたと自覚している。温かい家庭の雰囲気なんて想像もつかず、まして親と同年代の人と接したことすら、ホスト時代の『金蔓』相手の経験しかない。しかも……

 自慢の優秀な息子が、出張先の日本から、わざわざ男の恋人を連れて帰ってきた……なんて。

 そりゃ親は腰を抜かすほど吃驚びっくりすることだろう。

 片目を開けてチラリと隣の男を見れば、本田は人の気も知らず、枕に顔を半分埋めてスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。

 五十嵐自身は飛行機の中でそうそう眠れるタチではない。だが、向こうに着いて時差ボケだけは避けたかった。到着が午前中なので、その日の夜までは起きていて、体内時間を現地に合わせたいのだ。

 飛行機はあと数時間でサンフランシスコ国際空港に到着する。眠れる時間はもうあまり残っていないけれど、少しでも休息を取ろうと、五十嵐が努めて瞼を閉じた、その時だった。

 今度は日本語でのアナウンスが入った。同時に照明が点灯して、客席が一気に明るくなる。

 ポーン♪

『ご就寝中に失礼いたします。ただいま機内におきまして、急病人が発生しております。お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんでしょうか? 繰り返します。お客様の中に、お医者様は──」

 続けてもう一度、英語でのアナウンス。



「…………」

 マジかよ……

 傷病者が発生した緊急時に、いつも居合わせる『奇跡の人』
 そして。

 これまで他人を信用することが出来なかった五十嵐の人生に、突如、降って湧いたかのような愛しいひと。彼と出会えたことは、五十嵐にとって本当に『奇跡』に近かった。

 五十嵐は視線を上に向け、何かを噛み締めるように天を仰いだ。大きく息を吸い込んで、深呼吸をひとつ。

 やがて達観した思いでゆっくりと目を開き、いまだ夢の中にいる自分の恋人をそっと揺り起こした。

 

 END







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ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
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