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15 スクープ
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この日、午後のワイドショーは大物俳優の緊急入院の話題で持ちきりだった。
『昨夜遅く、俳優の西野智和さんがくも膜下出血の疑いで○○病院に緊急搬送されました。関係者の話によりますと、昨夜の午後9時過ぎにこちらのお店を来店され、親しいご友人ら数人と一緒に、アルコールを含むお食事をされていたとのことです。こちらのお店は多数の有名人が贔屓にしていることで有名で、西野さんも普段からよく利用されていて、マネージャーの方とも親しかったそうです。……西野さんといえば先ごろ千秋楽を迎えた舞台が大変評判で、共演されたAYUMIさんと共に追加公演の話も持ち上がっていました。ですがこの度の入院で、それも一旦白紙撤回になることと思われます──』
ビルの前に、マイクを持ったレポーターが何人も陣取っている。こんなことを知って誰が楽しいのか? といつも疑問に思うのだが、彼らは人様の個人的な情報を事細かに伝えることが自分達に課された使命とでも思っているらしい。いち芸能人の入院なんて、別に国民の生活に何一つ影響を及ばさない。ただファンの間で話のネタになるだけだ。
「奴らを絶対に店に入れるな。マスコミにマイクを向けられても、一貫して、早い回復を祈っています。とでも答えておけ」
苛々して五十嵐は背後に控える逢坂に怒鳴りつけた。
「そのことは全従業員に徹底して申し付けました。取材等、絶対に個別で応じないように、と。うちは単に人助けした立場ですから、店の前が五月蝿いのも今日、明日のことだけだと思います。特にやましいこともありませんし、男同士でお食事をされていた。ただそれだけですから」
「まったく……」
疲れたように目頭を揉む。
昨夜、五十嵐はまたも一睡もすることが出来なかった。救急車を送り出したあと部屋に戻って服を着替え、西野の担ぎ込まれた病院に車で駆けつけたからだ。夜中だったこともあり、なかなか連絡のつかなかった西野の事務所関係者と電話で話せたのが明け方。一応、西野の妻が病院に到着するまで待って、マネージャーの佐々木とようやく帰路に着いた。東の空には既に太陽が顔を見せ、寝不足の目に刺さって痛い。
「今日はこのまま店に泊まります。あ、いや、もう朝なんで変ですね。とにかく6階のリビングで、ちょっと仮眠を取らせてもらいます。家に帰ってまた出勤して来るのも面倒なので」
車で家まで送ろうとした五十嵐に、佐々木はこのままバーに戻りましょうと提案してきた。
地下にBMWを停め、佐々木に「本当にご苦労だった。また後で」と労を労って、自室に戻る。部屋の中はことさら静かだったが、ベッドが人型に盛り上がっているのを見て、五十嵐の張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
本田の出勤前に戻って来れて本当に良かったと思う。あと半刻もすると彼の携帯のアラームが鳴るだろう。
病院帰りなこともあって軽くシャワーを浴びようと、五十嵐は疲れた体を引き摺ってバスルームに向かった。
PiPi♪
たった一音鳴っただけでアラームを止めて、五十嵐はベッド脇に腰を掛けたまま、上半身だけで本田に伸し掛かった。
「うっ」
突然の襲撃に眉を顰めるが、寝穢く意地でも瞼を開けようとしない。
往生際悪くタオルケットに包まって逃げようとする男に苦笑して、五十嵐はその唇に軽くキスを落とした。唇から頬、フェイスラインを辿って首筋に吸いついて顔を埋めると、力のない腕が背中に回ってくる。
「圭吾?」
「ああ、起きる時間だぞ」
「うん……」
最後にもう一度合わせるだけのキスをして、五十嵐はようやく本田を拘束から解放した。肩に乗っていた腕が起こして欲しそうに伸ばされたままだったので、ついでに引っ張って彼が起きるのを助けてやる。
ベッドに座った本田は、まるで燃え尽きたボクサーのようにしばらくぼんやりとしていた。
「いつ帰って来た?」
「ついさっき」
「そう……んー……」
凝った背筋をほぐすように伸びをして、
「ふう。で、あの男性は?」
「朝方、手術は無事に終わった。けど再発の危険があるから、最低2週間は予断を許さないらしい。後遺症が出るかどうかも今の段階では分からないだとさ」
「まあ、そうだろうね。でも、ふあぁぁ……手術が上手くいって良かった」
うんうんと頷きながら、本田が大きな欠伸を洩らす。
五十嵐はそんな彼の乱れた前髪をくしゃりとひと撫でして、朝の珈琲を淹れにキッチンに向かった。
「で、昨夜のあれはどういう状況だったの?」
顔を洗って頭もスッキリした本田が、カウンターチェアに座ってじっと五十嵐の顔を見てくる。キッチンカウンターを挟んでしばらく見つめ合っていたが、やがて五十嵐は観念したように口を開いた。どうせ他言しないでくれと念押ししないといけないし、誤魔化すつもりは毛頭ない。
まあ医者なら、守秘義務のことも熟知しているから大丈夫だろう。彼らには重篤な感染症及び、明確な虐待や違法行為が認められない限り、法律で厳格な守秘義務が課されている。
「4階、5階は、いわゆるレンタルルームなんだよ。短時間貸しの、ホテルの一室みたいな感じだな。ショウも、バーの3階がVIPしか利用できないのは知っているだろう? そいつら専用なんだ。酒飲みに来たフリして愛人を連れ込める。うちはレンタルルームの存在を秘密にしているから、会員しかその存在を知らない」
「愛人? ああ、なるほどね。つまり昨夜の患者はその愛人と浮気していたってことか。だから救急隊員に知られたくなかったんだ」
腹上死という言葉があるように、セックス中に興奮して倒れることはまあまああることだ。特に秘密の関係というシチュエーションがことさら燃え上がるスパイスになるのか、不貞中に脳卒中、なかでもくも膜下出血を起こして病院に運ばれることが男性に多い。そうして医療機関から家族に連絡がいき、不倫がバレるというわけだ。
本田は朝のこの時間にご飯を食べないので、珈琲一杯を時間をかけて堪能する。カップ片手に呆れて小さく首を振る彼に、五十嵐は続けて言った。
「で、頼みがあるんだが、昨日のことも、レンタルルームのことも、内密にしといてくれ」
「まあ、浮気は貞操の問題で、犯罪ではないからね……」
ちらりと睨みつけてくる本田の目が、少しだけ剣呑になった。
「一つだけ確認なんだけど。女性を無理に酔わせて……ってことはないんだよね? もちろん昨日のことだけじゃなくて、店で黙認していたりとか……」
どうも、最近世界中で問題になっている、アルコールに薬──いわゆるレイプドラッグを使う犯罪を警戒しているようだ。
「それはない。レンタルルームに通すのは、二人が合意していると見て分かる場合だけだ。セキュリティのために階段へのドアも施錠しているから客が勝手に入れないし、酔って意識のない人間を休ませるって言われても承諾したりしない。第一、そんな下劣な奴らだったらうちのVIPになれない」
金と地位のある客ばかりだから、卑怯な手を使わなくても浮気相手の方が媚びている。なので今まで、そんなトラブルは起きたことがなかった。
最高の雰囲気の中で酒と食事を楽しみ、その流れで一夜の火遊びに溺れる。そこらのホテルよりバレるリスクが少なく、店内での出来事であれば全力で店が隠蔽してくれるので、その界隈の人には重宝がられていた。もちろんその恩恵を受けるために、店の提示するルールを厳守するのが絶対の取り決めだ。
「そう、じゃあ……」
警察の介入するような事件でない限り、本田が何か言える立場にはなかった。特にそんな潔癖な正義感があるわけでもなく、たとえ守秘義務の遵守がなくても、つまらないゴシップを言いふらす暇も悪趣味さもない。
「それにしても圭吾、ひどい顔色してる」
「ああ、流石に疲れた……この2日、まともに寝ていないからな。昨日、午後に少し眠ったから辛うじてまだ立っていられるけど」
「この後、しっかり休むといいよ。私はそろそろ出るから」
本田が立ち上がって、飲み終わった珈琲カップを手にキッチンカウンターを回って来た。それをさっとシンクで洗って、水切りトレイの上に置く。
五十嵐は立ったままカウンターの上に肘をつき、腕を組んで力無く項垂れていた。背後から急に抱き締められて、ぼんやりと目を開く。背中に、労りを込めた男の優しいぬくもりを感じた。
「じゃあ、行ってきます」
彼の方から、こういうスキンシップをしてくるのはこれが初めてだった。ついでに海外の映画の一場面のように、肩越しに顳顬辺りにチュッと音をたててキスをされ、五十嵐の気分が少し上昇する。
「行ってらっしゃい」
これまでの人生で、ほぼ口にすることのなかった言葉だ。それが自然に口をついて出てきて、五十嵐はどこか満たされた気分で本田を見送った。
疲れた体を、本田の残り香が僅かに感じられるベッドに横たえて数時間。次に五十嵐が目を覚ました時、太陽はすっかり真上に上がっていた。
今日は久しぶりに雨が止んで、快晴ではないが空が青白い。ただ湿気が酷くて、過ごしやすい1日とは言えなかった。
特に窓の外。まるで雨上がりの筍のように、
「オーナー、マスコミ各社から昨日の状況について詳しい経緯を知りたいと、多数取材の申し込みがきていますが」
起き抜けに逢坂にそう報告されて、実際にカメラを構えた多数の人間がビルの前で屯している状況も目視し。
途端、回復しかけた五十嵐の気力と機嫌がまた一気に降下した。
「言えることは何もない。当店で飲食中に倒れられたのでとても心配しています。早いご回復を心からお祈り申し上げます。とでも、適当に答えておけ」
「では報道各社に、そのような感じでメールで一斉に回答文を出しますね。ただ佐々木マネージャーには不自然にならない程度に、少しだけ友人として当時の状況を漏らしてもらいます。それらしく聞こえるように」
そうすれば嘘も本当に聞こえる。下手に全てを隠すより効果があるだろう。
「まあ2、3日の辛抱です。西野のネームバリューと、外で倒れて病院に担ぎ込まれたからマスコミもこうして騒いでいますけど、病状をちょっと騒ぎ立てて、一通り満足したら次にいきますよ。ネタ的に弱いのですぐに飽きます」
「……」
はたして。逢坂の予想通り、翌日には店の入り口に立つマスコミの数は半数以下になり、さらにその翌日には、誰一人見かけることがなくなった。こうしてすっかり、店はいつもの日常を取り戻した。
『昨夜遅く、俳優の西野智和さんがくも膜下出血の疑いで○○病院に緊急搬送されました。関係者の話によりますと、昨夜の午後9時過ぎにこちらのお店を来店され、親しいご友人ら数人と一緒に、アルコールを含むお食事をされていたとのことです。こちらのお店は多数の有名人が贔屓にしていることで有名で、西野さんも普段からよく利用されていて、マネージャーの方とも親しかったそうです。……西野さんといえば先ごろ千秋楽を迎えた舞台が大変評判で、共演されたAYUMIさんと共に追加公演の話も持ち上がっていました。ですがこの度の入院で、それも一旦白紙撤回になることと思われます──』
ビルの前に、マイクを持ったレポーターが何人も陣取っている。こんなことを知って誰が楽しいのか? といつも疑問に思うのだが、彼らは人様の個人的な情報を事細かに伝えることが自分達に課された使命とでも思っているらしい。いち芸能人の入院なんて、別に国民の生活に何一つ影響を及ばさない。ただファンの間で話のネタになるだけだ。
「奴らを絶対に店に入れるな。マスコミにマイクを向けられても、一貫して、早い回復を祈っています。とでも答えておけ」
苛々して五十嵐は背後に控える逢坂に怒鳴りつけた。
「そのことは全従業員に徹底して申し付けました。取材等、絶対に個別で応じないように、と。うちは単に人助けした立場ですから、店の前が五月蝿いのも今日、明日のことだけだと思います。特にやましいこともありませんし、男同士でお食事をされていた。ただそれだけですから」
「まったく……」
疲れたように目頭を揉む。
昨夜、五十嵐はまたも一睡もすることが出来なかった。救急車を送り出したあと部屋に戻って服を着替え、西野の担ぎ込まれた病院に車で駆けつけたからだ。夜中だったこともあり、なかなか連絡のつかなかった西野の事務所関係者と電話で話せたのが明け方。一応、西野の妻が病院に到着するまで待って、マネージャーの佐々木とようやく帰路に着いた。東の空には既に太陽が顔を見せ、寝不足の目に刺さって痛い。
「今日はこのまま店に泊まります。あ、いや、もう朝なんで変ですね。とにかく6階のリビングで、ちょっと仮眠を取らせてもらいます。家に帰ってまた出勤して来るのも面倒なので」
車で家まで送ろうとした五十嵐に、佐々木はこのままバーに戻りましょうと提案してきた。
地下にBMWを停め、佐々木に「本当にご苦労だった。また後で」と労を労って、自室に戻る。部屋の中はことさら静かだったが、ベッドが人型に盛り上がっているのを見て、五十嵐の張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
本田の出勤前に戻って来れて本当に良かったと思う。あと半刻もすると彼の携帯のアラームが鳴るだろう。
病院帰りなこともあって軽くシャワーを浴びようと、五十嵐は疲れた体を引き摺ってバスルームに向かった。
PiPi♪
たった一音鳴っただけでアラームを止めて、五十嵐はベッド脇に腰を掛けたまま、上半身だけで本田に伸し掛かった。
「うっ」
突然の襲撃に眉を顰めるが、寝穢く意地でも瞼を開けようとしない。
往生際悪くタオルケットに包まって逃げようとする男に苦笑して、五十嵐はその唇に軽くキスを落とした。唇から頬、フェイスラインを辿って首筋に吸いついて顔を埋めると、力のない腕が背中に回ってくる。
「圭吾?」
「ああ、起きる時間だぞ」
「うん……」
最後にもう一度合わせるだけのキスをして、五十嵐はようやく本田を拘束から解放した。肩に乗っていた腕が起こして欲しそうに伸ばされたままだったので、ついでに引っ張って彼が起きるのを助けてやる。
ベッドに座った本田は、まるで燃え尽きたボクサーのようにしばらくぼんやりとしていた。
「いつ帰って来た?」
「ついさっき」
「そう……んー……」
凝った背筋をほぐすように伸びをして、
「ふう。で、あの男性は?」
「朝方、手術は無事に終わった。けど再発の危険があるから、最低2週間は予断を許さないらしい。後遺症が出るかどうかも今の段階では分からないだとさ」
「まあ、そうだろうね。でも、ふあぁぁ……手術が上手くいって良かった」
うんうんと頷きながら、本田が大きな欠伸を洩らす。
五十嵐はそんな彼の乱れた前髪をくしゃりとひと撫でして、朝の珈琲を淹れにキッチンに向かった。
「で、昨夜のあれはどういう状況だったの?」
顔を洗って頭もスッキリした本田が、カウンターチェアに座ってじっと五十嵐の顔を見てくる。キッチンカウンターを挟んでしばらく見つめ合っていたが、やがて五十嵐は観念したように口を開いた。どうせ他言しないでくれと念押ししないといけないし、誤魔化すつもりは毛頭ない。
まあ医者なら、守秘義務のことも熟知しているから大丈夫だろう。彼らには重篤な感染症及び、明確な虐待や違法行為が認められない限り、法律で厳格な守秘義務が課されている。
「4階、5階は、いわゆるレンタルルームなんだよ。短時間貸しの、ホテルの一室みたいな感じだな。ショウも、バーの3階がVIPしか利用できないのは知っているだろう? そいつら専用なんだ。酒飲みに来たフリして愛人を連れ込める。うちはレンタルルームの存在を秘密にしているから、会員しかその存在を知らない」
「愛人? ああ、なるほどね。つまり昨夜の患者はその愛人と浮気していたってことか。だから救急隊員に知られたくなかったんだ」
腹上死という言葉があるように、セックス中に興奮して倒れることはまあまああることだ。特に秘密の関係というシチュエーションがことさら燃え上がるスパイスになるのか、不貞中に脳卒中、なかでもくも膜下出血を起こして病院に運ばれることが男性に多い。そうして医療機関から家族に連絡がいき、不倫がバレるというわけだ。
本田は朝のこの時間にご飯を食べないので、珈琲一杯を時間をかけて堪能する。カップ片手に呆れて小さく首を振る彼に、五十嵐は続けて言った。
「で、頼みがあるんだが、昨日のことも、レンタルルームのことも、内密にしといてくれ」
「まあ、浮気は貞操の問題で、犯罪ではないからね……」
ちらりと睨みつけてくる本田の目が、少しだけ剣呑になった。
「一つだけ確認なんだけど。女性を無理に酔わせて……ってことはないんだよね? もちろん昨日のことだけじゃなくて、店で黙認していたりとか……」
どうも、最近世界中で問題になっている、アルコールに薬──いわゆるレイプドラッグを使う犯罪を警戒しているようだ。
「それはない。レンタルルームに通すのは、二人が合意していると見て分かる場合だけだ。セキュリティのために階段へのドアも施錠しているから客が勝手に入れないし、酔って意識のない人間を休ませるって言われても承諾したりしない。第一、そんな下劣な奴らだったらうちのVIPになれない」
金と地位のある客ばかりだから、卑怯な手を使わなくても浮気相手の方が媚びている。なので今まで、そんなトラブルは起きたことがなかった。
最高の雰囲気の中で酒と食事を楽しみ、その流れで一夜の火遊びに溺れる。そこらのホテルよりバレるリスクが少なく、店内での出来事であれば全力で店が隠蔽してくれるので、その界隈の人には重宝がられていた。もちろんその恩恵を受けるために、店の提示するルールを厳守するのが絶対の取り決めだ。
「そう、じゃあ……」
警察の介入するような事件でない限り、本田が何か言える立場にはなかった。特にそんな潔癖な正義感があるわけでもなく、たとえ守秘義務の遵守がなくても、つまらないゴシップを言いふらす暇も悪趣味さもない。
「それにしても圭吾、ひどい顔色してる」
「ああ、流石に疲れた……この2日、まともに寝ていないからな。昨日、午後に少し眠ったから辛うじてまだ立っていられるけど」
「この後、しっかり休むといいよ。私はそろそろ出るから」
本田が立ち上がって、飲み終わった珈琲カップを手にキッチンカウンターを回って来た。それをさっとシンクで洗って、水切りトレイの上に置く。
五十嵐は立ったままカウンターの上に肘をつき、腕を組んで力無く項垂れていた。背後から急に抱き締められて、ぼんやりと目を開く。背中に、労りを込めた男の優しいぬくもりを感じた。
「じゃあ、行ってきます」
彼の方から、こういうスキンシップをしてくるのはこれが初めてだった。ついでに海外の映画の一場面のように、肩越しに顳顬辺りにチュッと音をたててキスをされ、五十嵐の気分が少し上昇する。
「行ってらっしゃい」
これまでの人生で、ほぼ口にすることのなかった言葉だ。それが自然に口をついて出てきて、五十嵐はどこか満たされた気分で本田を見送った。
疲れた体を、本田の残り香が僅かに感じられるベッドに横たえて数時間。次に五十嵐が目を覚ました時、太陽はすっかり真上に上がっていた。
今日は久しぶりに雨が止んで、快晴ではないが空が青白い。ただ湿気が酷くて、過ごしやすい1日とは言えなかった。
特に窓の外。まるで雨上がりの筍のように、
「オーナー、マスコミ各社から昨日の状況について詳しい経緯を知りたいと、多数取材の申し込みがきていますが」
起き抜けに逢坂にそう報告されて、実際にカメラを構えた多数の人間がビルの前で屯している状況も目視し。
途端、回復しかけた五十嵐の気力と機嫌がまた一気に降下した。
「言えることは何もない。当店で飲食中に倒れられたのでとても心配しています。早いご回復を心からお祈り申し上げます。とでも、適当に答えておけ」
「では報道各社に、そのような感じでメールで一斉に回答文を出しますね。ただ佐々木マネージャーには不自然にならない程度に、少しだけ友人として当時の状況を漏らしてもらいます。それらしく聞こえるように」
そうすれば嘘も本当に聞こえる。下手に全てを隠すより効果があるだろう。
「まあ2、3日の辛抱です。西野のネームバリューと、外で倒れて病院に担ぎ込まれたからマスコミもこうして騒いでいますけど、病状をちょっと騒ぎ立てて、一通り満足したら次にいきますよ。ネタ的に弱いのですぐに飽きます」
「……」
はたして。逢坂の予想通り、翌日には店の入り口に立つマスコミの数は半数以下になり、さらにその翌日には、誰一人見かけることがなくなった。こうしてすっかり、店はいつもの日常を取り戻した。
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