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6章
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エドガーは空を仰ぎ、太陽の位置を確かめた。
もう正午だ。
手にした鍬を畑に突き立てると、鈍い音が土の中に沈んだ。目を上げると、眼前には見渡す限りの農地が広がっている。規則正しく並んだ畝には作物の緑が陽を浴びて、秋の爽やかな風が土の匂いを運んでくる。
この土地は、先代の領主から賜ったものだ。
三年前、この辺りに質の悪い賊が居座り、流れの傭兵だったエドガーが雇われてそれを退治した。その功を認め、先代は領内のこの地を与えてくれたのだ。先代領主は見識ある人物で、領民を大切にし、誰に対しても公平だった。傭兵という身分の者にも礼を欠かさず接してくれたその姿勢に、エドガーは心から敬意を抱いていた。
だが、惜しむべきことに彼は病に伏し、ほどなくこの世を去ってしまった。
土を掘り返していた手を止め、人参を引き抜く。根についた土を払い落としながら、エドガーはふと考える。
先代領主が亡くなってから二年。かつては各地を転々とする傭兵だった自分が、今ではこうして畑を耕し、静かな日々を送っている。戦場で鍛えた身体を、平穏な暮らしのために使う──皮肉ではあるが、不思議と嫌いではなかった。
……さて、そろそろ休憩にしよう。腹の虫が鳴き始めている。
人参を籠に入れ、近くの木陰へ向かう。そこにはすでに一人、先に腰を下ろしていた男がいた。彼は自宅のすぐ近くに住む農民で、つい先日、村で盛大な祝言を挙げたばかりの新婚者だ。
「おや、エドガーさんか。あんたも休憩かい?」
エドガーは頷き、彼の傍に立った。
「お前さん、この土地に来て、もうどれくらいになるんだっけ?」
「もう二年近くになりますね」
「二年か。どうだ、あんたの腰もそろそろ馴染んできた頃合いだろう?」
エドガーは少し考えてから、静かに答えた。
「ええ、おかげさまで。少しずつですが、ようやく日々の作業に慣れてきた気がします」
男はふとエドガーを見上げ、その姿をじっと見つめると、感心したように言った。
「しっかしお前、いつ見ても姿勢がいいな。確かここに来るまでは傭兵をやっていたと聞いたが……その姿勢を見てると、傭兵っていうより領地を守る騎士みたいに見えてくるよ」
その評価を受け、エドガーは小さく微笑んだ。
「……実のところ、昔は騎士だったんですよ。傭兵になる前は」
「へえ、本物の騎士だったのか! そりゃ驚いた。……でも、どうしてその身分を捨てて傭兵になったんだ?」
その質問に、エドガーは過去の出来事を思い出し言葉に詰まった。沈黙に気づいたのか、男が気まずそうに声を落とす。
「……すまない、立ち入ったことを聞いちまった」
エドガーは顔を上げ、柔らかな声で応じた。
「構いません。別に大した理由はないですので」
そう言って、エドガーはおもむろに視線を遠くの山並みに向けた。そこには深く紅葉し始めた山々が、穏やかな陽射しの中で静かに佇んでいる。
そう、大した理由はない。エドガーはそう自分に言い聞かせる。主君として仕えた男に、そして婚約者に、同時に裏切られた。──ただ、それだけの話だと。
かつて、自分はとある都市に住んでいた。三男で家を継げぬ身ゆえに、主君のもとへ奉公に出され、騎士として仕えることになった。
主は野心に燃える男だった。隣国の富を狙い、度重なる小競り合いを起こしては、戦を楽しむような人物だった。
そんな戦いの日々の中でも、エドガーにはささやかな未来への期待があった。婚約者がいたのだ。
親の勧めで決まった婚約だったが、エドガーは彼女との結婚を楽しみにしていた。結婚して家庭を持てば、戦場で剣を振るうばかりの自分も人並みな幸せを手に入れられるのではないかという、漠然とした希望があったからだ。
だが、あの日を境に、エドガーの人生はひっくり返った。
それは、いつものように主の命を受け、敵軍と刃を交えていた時のことだった。
戦いの最中、エドガーは気づいた。自分たちの部隊が、敵に囲まれ孤立している状態だということに。事前の作戦では、側面から援軍が来る手はずだった。しかし、その援軍はいつまで経っても姿を見せない。
そこでようやく、エドガーたちは理解した。──自分たちの部隊が、主の策略によって敵を引きつけるための“囮”にされたことに。主は何の説明もなく、部下を捨て駒として使ったのだ。
必死に戦場を逃れ、命だけはなんとか取り留めたものの、その時負った傷は深く、帰還までには数カ月を要した。
ようやく傷を癒し故郷へ戻ると、そこに婚約者の姿はなかった。聞けば、彼女は俺が戦場から戻らないのを良いことに早々に見切りをつけ、別の男と結婚して土地を去ったという。
後になって知ったことだが、もともと彼女はこの結婚にさほど乗り気ではなかったらしい。
こうして自分は、主にも、婚約者にも裏切られた。
二重の裏切りが、エドガーの心を深く抉った。
それ以来、エドガーは人と深く関わることを避けるようになった。誰かを信じ、心を開けば、また同じように裏切られる──そんな恐れが、常に胸の奥に根を張っていた。
それなら、最初から距離を置いていればいい。だから騎士の身分を捨て、傭兵になった。誰とも深く関わらなくていいように。
「しかしエドガーさんも、大変な時期にこの土地に来ちまったよな」
隣の男の声が、思考を現実に引き戻す。
「せっかく腰を落ち着けたと思ったら、先代様は病で亡くなり……その後釜が、あの“悪徳領主”サイラス様だ」
その名を聞いた瞬間、エドガーの背がわずかに強ばった。
──サイラス。
昼間は、なるべく思い出さないようにしている名だ。
「サイラス様がこの地の領主になってから、税の取り立てがひどくなる一方だ。先代の時は不作の時は税を下げてくれたのに、あいつときたら不作の時でも税を下げないどころか、むしろ上げてくるなんて!」
男は憤りを吐き出すと、ふと何かを思い出したようにエドガーを見た。
「……あ、そういえばお前さん、まとめ役のじい様たちに、領主に税を引き下げるよう直談判してくれないかって頼まれてたよな。あれ、結局どうなったんだ?」
その問いかけに、言葉が詰まった。
確かに、街のまとめ役をしている長老たちに、税の軽減を求める直談判を頼まれてはいる。この地に根を下ろした新参者として、街の人々との関係を悪くしたくない。その思いや立場上の弱さを長老たちに見透かされ、巧妙に利用された形だった。
だが、とはいえ自分も今の領主には思うところがある。だからこそ、その役目を引き受け、彼に直談判しに行ったのだ。
その結果、サイラスに税の減額を条件にある「取引」を結ばされてしまった。
それからもう一週間が経とうとしている。
サイラスが突きつけた条件は、なんと一か月間、毎夜屋敷に通って自分を抱けという、とんでもない内容だった。
正直、これはサイラスがその立場を利用し、身体の関係を強制しているに等しく、健全な契約内容とは言い難い。
だが、エドガーはそれを受け入れた。自分にも利益のある取引だったからだ。
エドガーは、かつての裏切りが原因で人との関わりを避けて久しい。そのため、人と肌を重ね合わせる関係からは完全に遠ざかっていた。そんな渇いた日常に、契約という線引きがある上で提示されたその話は、エドガーにとって実に理想的だったのだ。
加えて、サイラスという男はとんでもなく魅惑的だった。
ふと、脳裏にあの日の光景が蘇る。
あの熱に浮かされたような時間。白い肌。挑発的に笑う唇。肩を流れる金の髪。耳に残る、甘く蕩けるような声。
――駄目だ。
激しく首を振った。今、思い出すべきことではない。
黙り込んだ自分の様子を見て、男が心配そうに尋ねる。
「その様子だと、やっぱり交渉はうまくいかなかったって感じか?」
どう答えていいか分からず、ただ短く答える。
「……まだ交渉中です」
「そうか。お前も大変だな、じい様たちの頼みとはいえ」
男の気遣うような態度に、エドガーは曖昧に頷くしかできなかった。
あまりこの話題を続けたくはない。エドガーは懐から持ってきた黒パンを取り出し、おもむろにそれをかじり始めた。
その時、遠くの道を歩いていく人影が目に入った。茶色の巻き毛が特徴的で、街の住人には見えない。服装から察するに、恐らく旅人のように見える。すると隣にいた男が、その人影に気づいたのか口を開いた。
「ああ、あの男、今の領主になってからよく街を訪れている商人だな。なんでも王都で手広く商売をしているらしい。そんな男がわざわざこんな辺境まで商売しに来るなんて、よっぽどあの領主様は金払いのいい客なんだろうな」
そんな男の評価を聞いて、エドガーの心に疑問が浮かんだ。
果たしてサイラスは、本当に領民から集めた金を私的に浪費しているのだろうか。
確かにサイラスは冷徹で、言葉の棘を隠そうともしない。だが彼は屋敷を訪れるといつも書類の山に囲まれていて、何かしらの仕事をしているように見えた。使用人の数も少なく、集めた税を浪費しているような男のようには感じなかった。
街の噂と、実際に見た彼の姿。そこには奇妙なズレがある。
気づけば、エドガーの胸の奥に奇妙な欲求が芽生えていた。
──サイラスという男の本質を、もっと知りたい。 彼は何を考え、何を背負い、なぜ自分にあのような条件を突きつけたのか、と。
だが、すぐに我に返る。
自分と彼との関係は、あくまで契約だ。税の減額という利害に基づいた、一時的な取引に過ぎない。
だが──それでいい。深い感情など介在しない。互いに心を開くこともない。だからこそ安心できる。また誰かを信じて、また裏切られる──そんな恐怖を味わわずに済む。
サイラスとの関係はどこまでいっても表面的なものだ。契約が終われば、それで終わり。それなら、傷つくこともない。
湧き上がった感情を振り払うように、硬いパンを最後の一口まで食べきる。籠を手に取り、立ち上がった。
余計なことを考えている暇はない。そう自分に言い聞かせ、エドガーは陽光の下へと歩き出した。
もう正午だ。
手にした鍬を畑に突き立てると、鈍い音が土の中に沈んだ。目を上げると、眼前には見渡す限りの農地が広がっている。規則正しく並んだ畝には作物の緑が陽を浴びて、秋の爽やかな風が土の匂いを運んでくる。
この土地は、先代の領主から賜ったものだ。
三年前、この辺りに質の悪い賊が居座り、流れの傭兵だったエドガーが雇われてそれを退治した。その功を認め、先代は領内のこの地を与えてくれたのだ。先代領主は見識ある人物で、領民を大切にし、誰に対しても公平だった。傭兵という身分の者にも礼を欠かさず接してくれたその姿勢に、エドガーは心から敬意を抱いていた。
だが、惜しむべきことに彼は病に伏し、ほどなくこの世を去ってしまった。
土を掘り返していた手を止め、人参を引き抜く。根についた土を払い落としながら、エドガーはふと考える。
先代領主が亡くなってから二年。かつては各地を転々とする傭兵だった自分が、今ではこうして畑を耕し、静かな日々を送っている。戦場で鍛えた身体を、平穏な暮らしのために使う──皮肉ではあるが、不思議と嫌いではなかった。
……さて、そろそろ休憩にしよう。腹の虫が鳴き始めている。
人参を籠に入れ、近くの木陰へ向かう。そこにはすでに一人、先に腰を下ろしていた男がいた。彼は自宅のすぐ近くに住む農民で、つい先日、村で盛大な祝言を挙げたばかりの新婚者だ。
「おや、エドガーさんか。あんたも休憩かい?」
エドガーは頷き、彼の傍に立った。
「お前さん、この土地に来て、もうどれくらいになるんだっけ?」
「もう二年近くになりますね」
「二年か。どうだ、あんたの腰もそろそろ馴染んできた頃合いだろう?」
エドガーは少し考えてから、静かに答えた。
「ええ、おかげさまで。少しずつですが、ようやく日々の作業に慣れてきた気がします」
男はふとエドガーを見上げ、その姿をじっと見つめると、感心したように言った。
「しっかしお前、いつ見ても姿勢がいいな。確かここに来るまでは傭兵をやっていたと聞いたが……その姿勢を見てると、傭兵っていうより領地を守る騎士みたいに見えてくるよ」
その評価を受け、エドガーは小さく微笑んだ。
「……実のところ、昔は騎士だったんですよ。傭兵になる前は」
「へえ、本物の騎士だったのか! そりゃ驚いた。……でも、どうしてその身分を捨てて傭兵になったんだ?」
その質問に、エドガーは過去の出来事を思い出し言葉に詰まった。沈黙に気づいたのか、男が気まずそうに声を落とす。
「……すまない、立ち入ったことを聞いちまった」
エドガーは顔を上げ、柔らかな声で応じた。
「構いません。別に大した理由はないですので」
そう言って、エドガーはおもむろに視線を遠くの山並みに向けた。そこには深く紅葉し始めた山々が、穏やかな陽射しの中で静かに佇んでいる。
そう、大した理由はない。エドガーはそう自分に言い聞かせる。主君として仕えた男に、そして婚約者に、同時に裏切られた。──ただ、それだけの話だと。
かつて、自分はとある都市に住んでいた。三男で家を継げぬ身ゆえに、主君のもとへ奉公に出され、騎士として仕えることになった。
主は野心に燃える男だった。隣国の富を狙い、度重なる小競り合いを起こしては、戦を楽しむような人物だった。
そんな戦いの日々の中でも、エドガーにはささやかな未来への期待があった。婚約者がいたのだ。
親の勧めで決まった婚約だったが、エドガーは彼女との結婚を楽しみにしていた。結婚して家庭を持てば、戦場で剣を振るうばかりの自分も人並みな幸せを手に入れられるのではないかという、漠然とした希望があったからだ。
だが、あの日を境に、エドガーの人生はひっくり返った。
それは、いつものように主の命を受け、敵軍と刃を交えていた時のことだった。
戦いの最中、エドガーは気づいた。自分たちの部隊が、敵に囲まれ孤立している状態だということに。事前の作戦では、側面から援軍が来る手はずだった。しかし、その援軍はいつまで経っても姿を見せない。
そこでようやく、エドガーたちは理解した。──自分たちの部隊が、主の策略によって敵を引きつけるための“囮”にされたことに。主は何の説明もなく、部下を捨て駒として使ったのだ。
必死に戦場を逃れ、命だけはなんとか取り留めたものの、その時負った傷は深く、帰還までには数カ月を要した。
ようやく傷を癒し故郷へ戻ると、そこに婚約者の姿はなかった。聞けば、彼女は俺が戦場から戻らないのを良いことに早々に見切りをつけ、別の男と結婚して土地を去ったという。
後になって知ったことだが、もともと彼女はこの結婚にさほど乗り気ではなかったらしい。
こうして自分は、主にも、婚約者にも裏切られた。
二重の裏切りが、エドガーの心を深く抉った。
それ以来、エドガーは人と深く関わることを避けるようになった。誰かを信じ、心を開けば、また同じように裏切られる──そんな恐れが、常に胸の奥に根を張っていた。
それなら、最初から距離を置いていればいい。だから騎士の身分を捨て、傭兵になった。誰とも深く関わらなくていいように。
「しかしエドガーさんも、大変な時期にこの土地に来ちまったよな」
隣の男の声が、思考を現実に引き戻す。
「せっかく腰を落ち着けたと思ったら、先代様は病で亡くなり……その後釜が、あの“悪徳領主”サイラス様だ」
その名を聞いた瞬間、エドガーの背がわずかに強ばった。
──サイラス。
昼間は、なるべく思い出さないようにしている名だ。
「サイラス様がこの地の領主になってから、税の取り立てがひどくなる一方だ。先代の時は不作の時は税を下げてくれたのに、あいつときたら不作の時でも税を下げないどころか、むしろ上げてくるなんて!」
男は憤りを吐き出すと、ふと何かを思い出したようにエドガーを見た。
「……あ、そういえばお前さん、まとめ役のじい様たちに、領主に税を引き下げるよう直談判してくれないかって頼まれてたよな。あれ、結局どうなったんだ?」
その問いかけに、言葉が詰まった。
確かに、街のまとめ役をしている長老たちに、税の軽減を求める直談判を頼まれてはいる。この地に根を下ろした新参者として、街の人々との関係を悪くしたくない。その思いや立場上の弱さを長老たちに見透かされ、巧妙に利用された形だった。
だが、とはいえ自分も今の領主には思うところがある。だからこそ、その役目を引き受け、彼に直談判しに行ったのだ。
その結果、サイラスに税の減額を条件にある「取引」を結ばされてしまった。
それからもう一週間が経とうとしている。
サイラスが突きつけた条件は、なんと一か月間、毎夜屋敷に通って自分を抱けという、とんでもない内容だった。
正直、これはサイラスがその立場を利用し、身体の関係を強制しているに等しく、健全な契約内容とは言い難い。
だが、エドガーはそれを受け入れた。自分にも利益のある取引だったからだ。
エドガーは、かつての裏切りが原因で人との関わりを避けて久しい。そのため、人と肌を重ね合わせる関係からは完全に遠ざかっていた。そんな渇いた日常に、契約という線引きがある上で提示されたその話は、エドガーにとって実に理想的だったのだ。
加えて、サイラスという男はとんでもなく魅惑的だった。
ふと、脳裏にあの日の光景が蘇る。
あの熱に浮かされたような時間。白い肌。挑発的に笑う唇。肩を流れる金の髪。耳に残る、甘く蕩けるような声。
――駄目だ。
激しく首を振った。今、思い出すべきことではない。
黙り込んだ自分の様子を見て、男が心配そうに尋ねる。
「その様子だと、やっぱり交渉はうまくいかなかったって感じか?」
どう答えていいか分からず、ただ短く答える。
「……まだ交渉中です」
「そうか。お前も大変だな、じい様たちの頼みとはいえ」
男の気遣うような態度に、エドガーは曖昧に頷くしかできなかった。
あまりこの話題を続けたくはない。エドガーは懐から持ってきた黒パンを取り出し、おもむろにそれをかじり始めた。
その時、遠くの道を歩いていく人影が目に入った。茶色の巻き毛が特徴的で、街の住人には見えない。服装から察するに、恐らく旅人のように見える。すると隣にいた男が、その人影に気づいたのか口を開いた。
「ああ、あの男、今の領主になってからよく街を訪れている商人だな。なんでも王都で手広く商売をしているらしい。そんな男がわざわざこんな辺境まで商売しに来るなんて、よっぽどあの領主様は金払いのいい客なんだろうな」
そんな男の評価を聞いて、エドガーの心に疑問が浮かんだ。
果たしてサイラスは、本当に領民から集めた金を私的に浪費しているのだろうか。
確かにサイラスは冷徹で、言葉の棘を隠そうともしない。だが彼は屋敷を訪れるといつも書類の山に囲まれていて、何かしらの仕事をしているように見えた。使用人の数も少なく、集めた税を浪費しているような男のようには感じなかった。
街の噂と、実際に見た彼の姿。そこには奇妙なズレがある。
気づけば、エドガーの胸の奥に奇妙な欲求が芽生えていた。
──サイラスという男の本質を、もっと知りたい。 彼は何を考え、何を背負い、なぜ自分にあのような条件を突きつけたのか、と。
だが、すぐに我に返る。
自分と彼との関係は、あくまで契約だ。税の減額という利害に基づいた、一時的な取引に過ぎない。
だが──それでいい。深い感情など介在しない。互いに心を開くこともない。だからこそ安心できる。また誰かを信じて、また裏切られる──そんな恐怖を味わわずに済む。
サイラスとの関係はどこまでいっても表面的なものだ。契約が終われば、それで終わり。それなら、傷つくこともない。
湧き上がった感情を振り払うように、硬いパンを最後の一口まで食べきる。籠を手に取り、立ち上がった。
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