【完結】悪徳領主の一途な偏愛

大河

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7章

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 それは、サイラスとの関係が始まってから十日ほどたった時の出来事である。

 その日もいつものように屋敷を訪れると、彼は唐突に切り出した。

「明日、お前を連れて、この辺境領からもっとも近い商業都市へ向かおうと思っている」

 あまりに急な話に、エドガーは思わず問い返す。

「……何をされに行かれるのですか?」

 口にした途端、自分の無作法さに気づく。平民の身で領主の行動を質すなど、本来なら許されぬことだ。案の定、サイラスは片眉を上げ、目の奥を光らせた。

「ほう。お前は、この主人の行動に口を挟もうというのか?」
「申し訳ございません。不躾な物言いを……」

 慌てて頭を下げると、サイラスは喉の奥で笑い声を漏らした。

「よい。急な話だし、お前の疑問ももっともだ」

 軽く言い、彼はふと真顔に戻る。

「農地での仕事は大丈夫か? 数日間は屋敷を離れることになる」

 自分の仕事のことを心配する物言いに、エドガーは少なからず驚いた。この人は普段は人に対して高圧的に振る舞うくせに、相手のことをよく見ている。

 今は秋、農民たちは収穫に追われる季節だ。そのことを分かった上で、彼は自分にそんなことを尋ねてきたのだろう。だが幸い、自分は収穫を急がないといけない作物の刈り入れは済んでいる。数日程度なら問題はない。

「ご配慮いただき、ありがとうございます。急を要する仕事はありませんので、しばらく畑を離れても支障はございません」
「……そうか。それなら良かった」

 そう言うと、サイラスは穏やかに微笑んだ。紺碧の瞳が細められる。その表情を見て、エドガーは思わず言葉を失った。

 ――この男は、こんな表情で笑うこともできるのか。

 胸の奥から湧き上がる衝動に突き動かされ、エドガーは思わずサイラスの顔へと手を伸ばしかける。

「どうした? そんなにじっと私の顔を見て。何か顔についているか?」

 からかうような声に、はっと意識が戻る。

 手が空中で止まり、慌てて背後に引っ込めた。

「いえ……何でもありません」

(何をしているんだ、俺は)

 エドガーは目を閉じ、改めて自分に言い聞かせる。

 自分は、あの過去の出来事から、ずっと人と深い関わりを避けて生きてきた。騎士を辞め、傭兵になった。誰とも深く関わらず、依頼をこなして金を貰い、すぐ次の土地へ移る。そうやって生きてきた。

 今、サイラスと距離が近いのは、あくまで彼と交わした契約のせいだ。彼との関係は、契約が終わればそれまで。長く続けるつもりなど毛頭ない。

 ──そうは思うのに、先ほどの彼の柔らかな笑顔がエドガーの目に焼きついて、なかなか離れてはくれなかった。



 それから自分たちは馬を駆り、二日かけて商業都市へと旅立った。

 移動の行程は意外にも悪くなかった。いや、予想外に楽しい二日間だったと言っても過言ではない。

 サイラスは乗馬の技術に長けており、明らかに旅慣れていた。貴族でありながら道中で食事を質素に済ますことをいとわず、野宿の準備も手慣れたものだった。

 領地の外という解放感がそうさせるのか、道中、彼はいつもよりどこか楽しげに見えた。

 休憩を取るたび、サイラスはエドガーに色々な話を尋ねてきた。農民としての仕事の内容について、領地で過ごす日々のこと。また、傭兵だったころの話や、さらに遡って騎士をやっていた時代の話まで。

 それは詮索するというより純粋な興味に感じられたため、エドガーはそれらの質問に丁寧に答えた。

 彼は聞き上手だった。話の合間に質問を挟み、相槌を打ち、興味深げに耳を傾ける。特に戦場での経験談には目を輝かせ、細部まで聞きたがった。サイラスに促されるたび、エドガーは相手の身分のことも忘れてつい多くのことを語ってしまった。

 不思議な時間だった。

 自分たちの関係は、一方的な契約で一時的に身体の関係を結んでいるだけに過ぎない。それなのに、この道中で過ごす時間はまるで親しい友人と過ごすような、そんな時間だった。

 夕刻、焚き火を囲んで野営をした夜もある。炎の揺らめきがサイラスの頬を赤く染め、その表情はいつもの威厳ある領主ではなく、一人の青年のそれだった。星空の下で交わす何気ない会話に、エドガーは心地よい安らぎを覚えた。

 近づきすぎているという自覚はあった。けれど、相手は身分の高い貴族であるため、命令されたら従うしかない。

 それに、自分自身も彼との旅を、素直に楽しいと感じている事実は否めなかった。その矛盾した感情が、ますますエドガーを混乱させていく。

 そんな道中を経て、自分たちは商業都市にたどり着いた。

 辺境領地と王都の中間に位置するその都市は、王都ほどではないにせよ、物流の要所として人の往来が激しく、辺境とは比べものにならないほど賑わっていた。

 サイラスは慣れた様子で人をかき分け通りを進んでいく。彼のその足取りを見ていると、この都市への来訪は初めてではないのだろうということが窺えた。

「こっちだ、ついてこい」

 エドガーはそれに遅れないよう慌てて後を追った。

 自分たちがまず訪れたのは、都市の大通りにあるガラス製品店だった。

 大きな石造りの建物で、正面の看板には金色の文字で店名が刻まれている。見るからに高級店だ。

 サイラスは慣れた様子で店の扉を押し開き、エドガーもそれに続いて中に足を踏み入れた。

 昼間にもかかわらず、店内にはオイルランプが灯されており、その柔らかな光がガラス製品に反射して幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 エドガーは無意識に息を呑んだ。

 ガラス製品など、平民には手の届かない高級品だ。騎士だった時代を合わせても、こんな店に入ったことはない。

 サイラスの姿を追うと、彼は店の奥で店主らしき男と何やら親し気に話していた。声は聞こえないが、二人とも真剣な表情をしていた。時折、サイラスが手振りを交えて何かを説明し、店主が頷く様子が見える。

 エドガーは少し距離を取り、静かに待つことにした。しばしサイラスの横顔を眺めながら、エドガーは考えを巡らせる。

 彼はここに、ガラス製品を買いに来たのだろうか。

 ガラス製品は非常に高価な品で、貴族の間でも嗜好品の扱いだ。それを買いに来たのだとしたら、領地の人たちが噂していたように、集めた税を私的に流用しているという話も信憑性を帯びてくる。

 しかし、サイラスは商品を手に取ることもなく、ただ店主との会話に集中している。店内のガラス製品を物色する様子はなかった。

 いったい、どういうことなんだろうか。

 そんな疑問が浮かぶ中、ほどなくしてサイラスが何も持たずに戻ってきた。

「すまない、待たせたな」

 エドガーはつい口を開いてしまった。

「何もお買いにならないのですか?」

 サイラスは軽く首を振る。

「いいんだ。目的は果たせた」

 そう言って、彼は店の外へ向かった。エドガーも慌ててその背を追い、店を出る。

 薄暗い店内から外に出ると、日の光の眩しさに思わず目を細めた。

 サイラスはそんなエドガーの様子を見ながら、どこか楽しそうに口を開く。

「まだ日は高いが、もう宿に向かうか」

 そうして、二人はサイラスの案内で宿に向かった。

 辿り着いた宿は大通り沿いにある大きな建物だった。だが、入り口付近の雰囲気を見る限り、貴族が泊まるような高級宿の雰囲気ではない。エドガーは恐る恐る尋ねた。

「本当にこちらに泊まられるおつもりですか?」

 サイラスはさも当然といった様子で答える。

「そうだ。何か問題でもあるのか?」
「ここは平民も普通に利用する宿に見えます。安全を考えると、もう少し格式の高い宿にしたほうが……」

 その提案に、サイラスはおかしそうに笑った。

「今日はお前という護衛がいる。お前が私を守ってくれるのだから、この宿でも安全だろう」

 その話を聞き、エドガーは慌てた。

「もしかして、俺を貴方と同じ部屋に泊まらせるおつもりですか?」

 サイラスはニヤリと笑みを浮かべる。

「当然だ。でなければ、お前をこんな遠方まで連れ出した甲斐がない」
「平民の俺が、貴族の貴方と同室に泊まるなんてできません」

 エドガーはそれを否定したが、サイラスは首を振った。

「何を言っている。ここしばらく毎日身体を重ね合わせている関係なのに、今さら宿の部屋程度のことで慌てるほうがおかしいだろう」
「そ、それはそうですが……」
「ああもう、言い訳ばかり探していないで早く中に入るぞ」

 なお言い淀むエドガーに対し、サイラスは半ば腕を引っ張るようにして彼を宿の中へと引きずり込んだ。

 宿に足を踏み入れると、そこは想像していたより立派な造りだった。

 石造りの建物で、ロビーには商人や旅人たちが談笑している。貴族が利用するような格式はないが、清潔で居心地の良さそうな雰囲気だ。

 宿の主人がにこやかに近づいてきた。

「いらっしゃいませ。お部屋をご用意いたしましょう」

 サイラスは慣れた様子で応じる。

「二人分の部屋を頼む」

 すると宿の主人は、恐縮そうに尋ねてきた。

「恐れ入りますが……そちらの従者の方と、お部屋をお分けになりますでしょうか?」

 エドガーは内心でほっとした。やはり身分の違いを考えれば、別室になるのが当然だろう。

 だが、サイラスはあっさりと首を振る。

「同室で構わない」
「承知いたしました」

 宿の主人は素早く頷き、自分たちを案内し始めた。

 ――やはり彼と同じ部屋に泊まることになるのか。

 エドガーは複雑な気持ちで、サイラスの後に続いた。
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