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Q「私に欠けているものはナニ?」
第5話 10年越しのチェイス
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犯罪捜査共助規則に基づき、全国へ交付される指名手配書には計二種類が存在している。人間の顔写真や氏名が添付されたものと、異能の情報が書き足された幻想人(フェアリスト)たちのものだ。
事件は、そんな手配書に張り出された一枚の写真から始まる────
◆◆◆
通報者は何処にでもいるような中年のタクシードライバー。彼は降り出した雨に「今日は客足が増えそうだ」とほくそ笑んで、駅の辺りを軽く流していた。
すると、案の定一人の少女がタクシーを停めたのだ。全身がズブ濡れで、表情も目深に下ろされたフードに隠れている。
ドライバーは少しの違和感を覚えるも、そのまま彼女を乗せることにした。
「けど、一体どうしたんだい? こんな雨の中を一人でさ?」
「……」
「もしかして家出とかかい? だったら悪いことは言わないからさ」
「……」
少女は最低限の行き先を告げたっきり、黙りこくっている。いくら話題を振っても応えようとしない。
まさか、このご時世に時代遅れな幽霊を乗せてしまったんじゃないか? と勘ぐるのも束の間だった。
バックミラー越しにほんの一瞬見えたのは金と銀の双眸。
「……⁉」
ここでドライバーがただの冴えないドライバーであれば、事件はここで終わっていた。
だが、彼は三年前にとある幻想人によって妻と息子を惨殺された過去を持っていたのだ。
「お前は……もしかして……」
家族を殺した幻想人は警視庁によって捕縛され、収容所送りにされたと説明を受けた。ただ、それで理不尽に大切な人を奪われた憎しみが消えるわけじゃない。
だからドライバーは幻想人の起こす事件に敏感だったのだ。交付された手配書に載せられた幻想人たちの顔だって、全て覚えている。
「連続小児誘拐殺人事件の────」
◆◆◆
パトランプをギラつかせながら、〈ウルフパック〉の群れが街を疾駆する。白黒の装甲は雨滴を弾き、鋼の警察犬たちは己が標的を求めていた。
一般車両に開けてもらった道を先導するのは辰巳(たつみ)の一号車だ。その後ろを二号車、三号車と警視庁特務課・幻想人対策班の総員が続く。
当然、最後尾には十三号車を駆る華怜(かれん)の姿もあった。
『各員に告ぐ。ターゲットは通報者のタクシーを横転させた後、この周辺を逃亡している可能性が高い。なんとしても逃がすなよ』
『『了解!』』
「りょ、了解!」
華怜は少し遅れて応答しながらも、車両のセンサー系に目をやった。
幻想人たちは超常的な力を備えるほかに、自らの内側から、絶えず固定の電波を発することが確認されている。
何故そんな性質を持つのかは不明だが、これは幻想人たちを追跡する上で一つの明確なアドバンテージとなる。〈ウルフパック〉たちの鼻先には電波を受信するためのセンサーと、それを元に大まかな居場所を割り出すための演算装置が埋め込まれているのだから。
だが、十三号車のセンサーが幻想人の反応を捉えることはない。
「やっぱり厳しいか……」
恐らくはこの雨が、電波を拾う妨げになっているのだろう。華怜自慢の嗅覚も匂いが流されてしまえば使い物にならない。
ならば逃亡中のターゲットを捉えるには、目視に頼る他ないのか。
『このまま全員で探し続けても埒が明かないな……よし、今から班を四分する! 各班、三人一組でターゲットを散策するぞ。あと余った大上巡査部長は俺たちのフォローに回るんだ』
それはきっと、まだ十三号車に慣れていない華怜への配慮だった。
「私だって、やれるのに……」
『何か言ったか? この雨のせいで、音声が聞き取りづらいんだ』
「いえ、何でもありません!」
対策班は辰巳の指示通り四つに分かれ、それぞれが割り振れた区画の散策を開始する。
けれど、華怜は今更ながらターゲットの詳細を聞かされていないことに思い至る。辰巳から緊急出動の伝令を受けるまで、十三号車のシミュレーターに没頭していた自分に非があるのは明らかなので苛立ちはないが、それでも現状は少し奇妙であった。
現れたのが並の幻想人であれば、それに適した装備を備える〈ウルフパック〉のドライバーが選抜され出動することになる。
だが、今回に限っては対策班のみならず、交通課や捜査一課にも声が掛かり、街中に厳重な包囲網が敷かれているのだ。
ならば、ターゲットは警察の威信にかけてでも捕らえなければならないほどの危険個体か。華怜の頭を過ぎるのは「竹林抗争事件」を引き起こしたかぐや姫を筆頭に、凶悪な幻想人たちの名前ばかりだった。
「辰巳警部。私たちの追っているターゲットについて詳細な情報を求めます」
『今更何を……って、伝え損ねていたのは俺のミスか。だったら、よく聞いとけよ。今俺たちが追跡中のターゲットは、あの小児連続誘拐殺人犯の』
「赤ずきん」────その名を聞いた華怜の目の前が、真っ赤に染まりかけた。
ほんの一瞬でフラッシュバックしたのは、忘れがたき過去の経験だ。あの真っ赤なケープも、銀と金の双眸を歪めて作った下卑た笑みも、忘れることなんてできやしない。
十年間憎み続けた、あの仇敵が自分のすぐ側にいるかもしれないのだ。その事を理解した華怜が思考を切り替えようとした途端、
『おい、大上! ちゃんと聞いてたか?』
叱責する辰巳の声が、華怜を辛うじて現実に引きとどめる。自身でも頭に血が昇りかけていた事を自覚し、冷静であろうと努めた。
「深呼吸……深呼吸よ、私」
そうだ、怒りは時に判断を鈍らせる。あくまでも思考はクリアーに保ち続けろ。
赤ずきんの備える異能は「血液操作」であると、データベースには記録されていた。愛用のマスケット銃に込める弾丸にも血液を付着させる事で弾道を制御させたり、血の付着した箇所を爆破させたりと、その応用幅も多岐にわたる厄介な異能だ。
「幻想人は超常的な再生力も備えてるから失血の心配もない……だとしたら」
もしも自分が赤ずきんなら、その異能を用いてどのように逃亡するか?
華怜はそのように思考を切り替える。そして────
「辰巳警部! 車両の周囲だけでなく、頭上を警戒して下さい!」
『頭上だと? 赤ずきんの異能は空を飛べるようなものじゃないはずだぞ』
「いいから! 彼女ならきっと!」
一号車が渋々ながらも足を止め、背部に背負った遠距離狙撃モジュールを頭上へ向けて展開する。
その先端に備えられた高性能カメラなら、この土砂降りでもターゲットの姿を捕捉できるはずだ。
『ん……? 何だ、アレは……?』
一号車のカメラが捕捉した映像が、他の車両間にも共有された。画面越しに見えるのは、ビルとビルの間を跳躍する人影。工事現場で使われているようなブルーシートを被ることで自身の姿こそ包み隠しているが、その指先からは真っ赤な糸が伸びている。
糸の先端は、そのままビルの壁面へと付着。人影はそれを手繰り寄せることで、ワイヤーアクションさながらにビル間を渡っているのだ。
「きっと操作した血液をワイヤー状に引き伸ばしているのでしょう。彼女が備える異能なら、ワイヤーの射出方向から巻き取りまで思うがままですから」
仮にも人型をした存在が、頭上を蜘蛛のように渡り歩いているなど、自分以外の誰が想像できるだろうか?
『なるほど。あの高さで逃げていたのなら、捜査網に引っかからないわけだ』
こうしている間にもターゲットはどんどん距離を離していく。これ以上距離を離されてしまえば、いくら〈ウルフパック〉と言えど、追い付くのは困難だ。
『こちら一号車、ターゲットを捕捉した。このままの追跡は不可能と判断したため、狙撃体制に移る。各員は落下予測ポイントの避難誘導と警戒を』
「いいえ、それには及びませんッ!」
一号車が後ろ脚を変形させ、反動抑制用のアンカーを突き立てようとした。
だが、それよりも速く華怜の十三号車がスタートを切る
『なっ……大上⁉ 何をするつもりだッ!』
「辰巳警部の狙撃の腕は知っています。だけど、この悪天候じゃどうしたって命中精度が下がるはず。だったら私が直接身柄を押さえた方が確実です!」
極限まで車体重量を削った十三号車であれば確かに、開いてしまった距離を席捲し、ターゲットへ追い付くことも可能だった。
だが、辰巳だって勝手なスタンドプレーを許容することは出来ない。
『無茶をするな、戻るんだッ!』
「無茶じゃありませんッ! 私のドライバーとしての腕を信用してくださいッ!」
その剣幕は通信機越しに噛み付かんとするものだった。
こんな絶好の機会を逃すわけにはいかないのだから。
『わかった……なら直接的な交戦は避けて、ターゲットの足止めだけに専念しろ。すぐに俺たちも追い付いてみせるから』
返ってきたのは苦虫を噛み潰すような、それでも華怜を肯定するような返事だ。
『それから……』
「それから、何です? 雨音でよく聞こえないのですが」
『それから、必ず無傷で戻れ、大上巡査部長ッ! お前は俺の大事な部下なんだからッ!』
「あはは……善処させていただきますよ」
低く響いたエンジンのアイドリング音は、獰猛な獣の唸り声を思わせた。
そのまま華怜はペダルをキックダウンし、さらに車体を加速させる。
事件は、そんな手配書に張り出された一枚の写真から始まる────
◆◆◆
通報者は何処にでもいるような中年のタクシードライバー。彼は降り出した雨に「今日は客足が増えそうだ」とほくそ笑んで、駅の辺りを軽く流していた。
すると、案の定一人の少女がタクシーを停めたのだ。全身がズブ濡れで、表情も目深に下ろされたフードに隠れている。
ドライバーは少しの違和感を覚えるも、そのまま彼女を乗せることにした。
「けど、一体どうしたんだい? こんな雨の中を一人でさ?」
「……」
「もしかして家出とかかい? だったら悪いことは言わないからさ」
「……」
少女は最低限の行き先を告げたっきり、黙りこくっている。いくら話題を振っても応えようとしない。
まさか、このご時世に時代遅れな幽霊を乗せてしまったんじゃないか? と勘ぐるのも束の間だった。
バックミラー越しにほんの一瞬見えたのは金と銀の双眸。
「……⁉」
ここでドライバーがただの冴えないドライバーであれば、事件はここで終わっていた。
だが、彼は三年前にとある幻想人によって妻と息子を惨殺された過去を持っていたのだ。
「お前は……もしかして……」
家族を殺した幻想人は警視庁によって捕縛され、収容所送りにされたと説明を受けた。ただ、それで理不尽に大切な人を奪われた憎しみが消えるわけじゃない。
だからドライバーは幻想人の起こす事件に敏感だったのだ。交付された手配書に載せられた幻想人たちの顔だって、全て覚えている。
「連続小児誘拐殺人事件の────」
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当然、最後尾には十三号車を駆る華怜(かれん)の姿もあった。
『各員に告ぐ。ターゲットは通報者のタクシーを横転させた後、この周辺を逃亡している可能性が高い。なんとしても逃がすなよ』
『『了解!』』
「りょ、了解!」
華怜は少し遅れて応答しながらも、車両のセンサー系に目をやった。
幻想人たちは超常的な力を備えるほかに、自らの内側から、絶えず固定の電波を発することが確認されている。
何故そんな性質を持つのかは不明だが、これは幻想人たちを追跡する上で一つの明確なアドバンテージとなる。〈ウルフパック〉たちの鼻先には電波を受信するためのセンサーと、それを元に大まかな居場所を割り出すための演算装置が埋め込まれているのだから。
だが、十三号車のセンサーが幻想人の反応を捉えることはない。
「やっぱり厳しいか……」
恐らくはこの雨が、電波を拾う妨げになっているのだろう。華怜自慢の嗅覚も匂いが流されてしまえば使い物にならない。
ならば逃亡中のターゲットを捉えるには、目視に頼る他ないのか。
『このまま全員で探し続けても埒が明かないな……よし、今から班を四分する! 各班、三人一組でターゲットを散策するぞ。あと余った大上巡査部長は俺たちのフォローに回るんだ』
それはきっと、まだ十三号車に慣れていない華怜への配慮だった。
「私だって、やれるのに……」
『何か言ったか? この雨のせいで、音声が聞き取りづらいんだ』
「いえ、何でもありません!」
対策班は辰巳の指示通り四つに分かれ、それぞれが割り振れた区画の散策を開始する。
けれど、華怜は今更ながらターゲットの詳細を聞かされていないことに思い至る。辰巳から緊急出動の伝令を受けるまで、十三号車のシミュレーターに没頭していた自分に非があるのは明らかなので苛立ちはないが、それでも現状は少し奇妙であった。
現れたのが並の幻想人であれば、それに適した装備を備える〈ウルフパック〉のドライバーが選抜され出動することになる。
だが、今回に限っては対策班のみならず、交通課や捜査一課にも声が掛かり、街中に厳重な包囲網が敷かれているのだ。
ならば、ターゲットは警察の威信にかけてでも捕らえなければならないほどの危険個体か。華怜の頭を過ぎるのは「竹林抗争事件」を引き起こしたかぐや姫を筆頭に、凶悪な幻想人たちの名前ばかりだった。
「辰巳警部。私たちの追っているターゲットについて詳細な情報を求めます」
『今更何を……って、伝え損ねていたのは俺のミスか。だったら、よく聞いとけよ。今俺たちが追跡中のターゲットは、あの小児連続誘拐殺人犯の』
「赤ずきん」────その名を聞いた華怜の目の前が、真っ赤に染まりかけた。
ほんの一瞬でフラッシュバックしたのは、忘れがたき過去の経験だ。あの真っ赤なケープも、銀と金の双眸を歪めて作った下卑た笑みも、忘れることなんてできやしない。
十年間憎み続けた、あの仇敵が自分のすぐ側にいるかもしれないのだ。その事を理解した華怜が思考を切り替えようとした途端、
『おい、大上! ちゃんと聞いてたか?』
叱責する辰巳の声が、華怜を辛うじて現実に引きとどめる。自身でも頭に血が昇りかけていた事を自覚し、冷静であろうと努めた。
「深呼吸……深呼吸よ、私」
そうだ、怒りは時に判断を鈍らせる。あくまでも思考はクリアーに保ち続けろ。
赤ずきんの備える異能は「血液操作」であると、データベースには記録されていた。愛用のマスケット銃に込める弾丸にも血液を付着させる事で弾道を制御させたり、血の付着した箇所を爆破させたりと、その応用幅も多岐にわたる厄介な異能だ。
「幻想人は超常的な再生力も備えてるから失血の心配もない……だとしたら」
もしも自分が赤ずきんなら、その異能を用いてどのように逃亡するか?
華怜はそのように思考を切り替える。そして────
「辰巳警部! 車両の周囲だけでなく、頭上を警戒して下さい!」
『頭上だと? 赤ずきんの異能は空を飛べるようなものじゃないはずだぞ』
「いいから! 彼女ならきっと!」
一号車が渋々ながらも足を止め、背部に背負った遠距離狙撃モジュールを頭上へ向けて展開する。
その先端に備えられた高性能カメラなら、この土砂降りでもターゲットの姿を捕捉できるはずだ。
『ん……? 何だ、アレは……?』
一号車のカメラが捕捉した映像が、他の車両間にも共有された。画面越しに見えるのは、ビルとビルの間を跳躍する人影。工事現場で使われているようなブルーシートを被ることで自身の姿こそ包み隠しているが、その指先からは真っ赤な糸が伸びている。
糸の先端は、そのままビルの壁面へと付着。人影はそれを手繰り寄せることで、ワイヤーアクションさながらにビル間を渡っているのだ。
「きっと操作した血液をワイヤー状に引き伸ばしているのでしょう。彼女が備える異能なら、ワイヤーの射出方向から巻き取りまで思うがままですから」
仮にも人型をした存在が、頭上を蜘蛛のように渡り歩いているなど、自分以外の誰が想像できるだろうか?
『なるほど。あの高さで逃げていたのなら、捜査網に引っかからないわけだ』
こうしている間にもターゲットはどんどん距離を離していく。これ以上距離を離されてしまえば、いくら〈ウルフパック〉と言えど、追い付くのは困難だ。
『こちら一号車、ターゲットを捕捉した。このままの追跡は不可能と判断したため、狙撃体制に移る。各員は落下予測ポイントの避難誘導と警戒を』
「いいえ、それには及びませんッ!」
一号車が後ろ脚を変形させ、反動抑制用のアンカーを突き立てようとした。
だが、それよりも速く華怜の十三号車がスタートを切る
『なっ……大上⁉ 何をするつもりだッ!』
「辰巳警部の狙撃の腕は知っています。だけど、この悪天候じゃどうしたって命中精度が下がるはず。だったら私が直接身柄を押さえた方が確実です!」
極限まで車体重量を削った十三号車であれば確かに、開いてしまった距離を席捲し、ターゲットへ追い付くことも可能だった。
だが、辰巳だって勝手なスタンドプレーを許容することは出来ない。
『無茶をするな、戻るんだッ!』
「無茶じゃありませんッ! 私のドライバーとしての腕を信用してくださいッ!」
その剣幕は通信機越しに噛み付かんとするものだった。
こんな絶好の機会を逃すわけにはいかないのだから。
『わかった……なら直接的な交戦は避けて、ターゲットの足止めだけに専念しろ。すぐに俺たちも追い付いてみせるから』
返ってきたのは苦虫を噛み潰すような、それでも華怜を肯定するような返事だ。
『それから……』
「それから、何です? 雨音でよく聞こえないのですが」
『それから、必ず無傷で戻れ、大上巡査部長ッ! お前は俺の大事な部下なんだからッ!』
「あはは……善処させていただきますよ」
低く響いたエンジンのアイドリング音は、獰猛な獣の唸り声を思わせた。
そのまま華怜はペダルをキックダウンし、さらに車体を加速させる。
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