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#32 憤懣の煽動者
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雪華襲撃事件の後――それは総司が金剛寺の狙いを悟った次の日の夜であった。
総司は"白き信頼"の管轄下にある三日月病院、その地下駐車場の小さな喫煙所でタバコをふかしていた。
その当時の総司は普段の業務を遂行しつつ、金剛寺による一連の事件についても追わなければならない状況にあった。娘の状態も気がかりであったし、彼の脳内は逼迫していた。
だから一服しながら、頭の整理をしていたのだ。三日月病院の地下駐車場は関係者以外は立ち入り禁止で、時間帯が夜ということもあり、とても静かで悩むには打ってつけの場所であった。
「……」
やるべきことはたくさんある。金剛寺の狙いが"情報種子機関"であるのなら、早々に対策をしなければならない。
だが彼を叩くには"スイレン"の人員の多くを割かなければならない上、大規模になればなるほど人目を引く。人目を引くということは、その分工作が必要であるということ。
割りに合うのだろうか。いや、そもそも明確な証拠がないこの状況で、本部から戦力を使う許可が出るのだろうか。その点に関してはこちらで根回しができれば問題はないか。
そもそも金剛寺を能動的に探す必要はないのかもしれない。"情報種子機関"を狙っているのなら、待ち伏せをしてしまおうか。
"情報種子機関"の中身を緊急に移動させ、空っぽになった"情報種子機関"に金剛寺を誘い込む。
これならば、どこかに潜んだ金剛寺を探して捕らえるよりも低コストで、工作の必要も少ない。
そのプランで実行するとしたら、まず誘い込むことを金剛寺に悟られてはいけないだろう。
まあ金剛寺は金剛寺で"情報種子機関"の中身が移動することを知っているはず。移動してしまえば、彼が集めた情報は全て無為になる。なれば、近いうちに実行してくるだろう。
それを考えると、悟られないようにする方法も小さくて良い。誰かに金剛寺を追うように指示を出して、秘密裏に居場所を探るフリをしておけばいい。
総司はボーッと考えていた。
「……」
ひんやりと冷たい空気が総司のパサパサなを撫でる。一本目のタバコを吸い殻に擦り付けて、そのまま二本目に手を伸ばした。
その二本目を咥えたところで、総司はその小さな喫煙所に自分以外の誰かがいることに気づいた。視線をその人影に向ける。
それはベージュ色の短髪をした少女だった。巫女服のような奇抜な格好をしていて、彼女はタバコを咥えた総司に右手を寄せつつ、その人差し指を伸ばす。
「どうぞ」
直後、人差し指の先にあったタバコに火がついた。総司は突然現れたその少女を見つめる。
「誰だ、君は」
タバコに火を付けたのは、彼女の異能か。ならば彼女は異能力者ということになるが、それならばどうやって、そして何故この場所にいるのか。
その総司の疑問に、少女は気づいていたのかもしれない。彼女はベージュ色の髪を揺らしながら、総司へ告げる。
「私は精霊の火孁。貴方と取引がしたくて来たんだけど、興味はある?」
精霊――それを聞いて総司は眉を顰めた。
精霊の存在は総司も認識している。が、精霊というのは基本人間社会に無頓着か、故意に干渉したがらないといった個体がほとんどだ。そんな精霊が自発的に取引などというものをけしかけてくるのか。
目の前の少女が精霊を騙る異能力者という可能性もある。総司は静かに言った。
「悪いが、商売がしたいのなら、私に直談判するよりも先に"白き信頼"を通してくれないか」
そう言いながら、総司はふかしてもらったタバコを一度も吸わず、右手の人差し指と中指の間に挟んで口から離す。そのまま灰皿へ押し付けようと、右手を下へ動かした。
総司の答えを聞いた火孁であるが、どういうわけか特に気にした様子もなかった。取引とやらが拒否されたというのに、まるで態度が変わらない。そんな彼女に総司は少し不思議に思ったものの、特段気にしなかった。
――次の彼女の言葉を聞くまでは。
「そっかー、残念。私、宿星の五人の"呪い"の解法を知ってるんだけどなー」
「……ほう」
総司のタバコを押し付けようとする腕が止まった。彼は瞳を細め、したり顔をする火孁を見る。
宿星の五人の"呪い"。それは二年前の事件により引き起こされた、人災にして天災――それを解く、というのか。
確かに興味はそそられる内容だ。しかしながら、その言葉だけでは信憑性がない。言うだけなら誰にでもできるのだから。宿星の五人の"呪い"の事は、ある程度の異能力者なら把握している。
総司は小さく笑った。
「続けたまえ」
「ほー、食いついたね? じゃ、もっと楽しいことを教えてあげるよ」
悪戯っぽく笑い、今度は彼女がその黄色い目を細めた。
「あの"呪い"、実は解いちゃった人がいるんだよねー? 知ってる? それは字っていう神出鬼没な女のことなんだけどー」
「――」
それを聞いた総司は目を見開いた。手に持ったタバコをポトリと地面に落とす。
火孁はそんな総司を前に、妖しく体を小さく傾けた。
「あっ、興味あるみたいだね?」
「……字、か。確か"七人目"……それでいて、その女は――」
「やっぱり知ってるよね。"嚆矢の歴史"って言うんだっけ? まあそれなら話が早い。信じてくれるかな?」
字という人物を総司は知っていた。どういう人物なのかも。そしてその人物に繋がる者がいるということに、どこか狐につままれているような感覚に溺れそうになる。
だが、これは幻でも悪夢でもなく、現実なにだろう。
総司は艶やかに輝く彼女の瞳を見据えながら、落としたタバコの火を足で踏んで擦って消す。そして鋭い瞳で火孁を見つめた。
「いいだろう、乗ってあげよう。それで取引というのは?」
「ああそうさ、それがいい。取引ってのは単純だよ。こちらは"呪い"の解法と、今君を困らせている金剛寺に対する戦闘データを提供しよう。それで君らに要求するのは、私達に対する"貸し"を一つ。それから……」
火孁は唇を緩ませ、人差し指を立てた。
「我が出来の悪い弟弟子を、金剛寺の件に介入させることだ。そいつは宿星の五人の"呪い"の"六人目"の奴でね。私も少しは協力するからさ」
◆
"情報種子機関"中枢。
金剛寺は現れた火孁と対面し、歯を噛みしめる。総司に対し激情を向けていた隙に、火孁はその後ろの扉から入ってきていたのだ。
「クソ……あぁ、イラつくな……!」
金剛寺の目の前には"火の精霊"火孁。後ろには"ス白き信頼幹部"の東宮総司。加えて、金剛寺の行動を総司は推測していた。
つまるところ、金剛寺は八方塞がりといっても過言ではないほど、追い詰められていた。だからこそ、彼は憤りをさらに露わにする。
「何だお前らは……! いきなり出てきやがって……!」
しかしながら、金剛寺は再び攻撃に移ろうとはしない。それも当然だ。さっきの総司へ放った攻撃が自分に返ってきたことに対し、未だカラクリも対処法も分からないままなのだから。
火孁はそんな金剛寺の姿を見てほくそ笑む。
「あの時の狡猾さがないなあ、金剛寺よー? 水を求めて喘ぐ魚のような目だ。魚に例えたすぐ後にアレだが、それはそれで人間らしくて私は嫌いじゃないけどね」
「余裕を打ちかましやがって……!」
金剛寺は拳を挙げた。例のカラクリも解明できていないのにも関わらず、目の前の少女から放たれた言葉が金剛寺を動かした。
否、動かしたのは金剛寺の中の激情だ。イラつきが、憤怒が、彼の理性を覆い被せたのだろう。その瞳は血走り、理性は激情に隠れてしまっていた。
「もういい……! 全部潰して終わりだ……!」
そのまま金剛寺は手のひらに"口"を顕現させ、勢いよく掌底突きを火孁へと振り下ろす。
火孁はそれを目で追っていたが、まるで対策もせず見つめていた。それがさらに金剛寺の激情を滾らせ、彼の視界を狭める。それが仇になったのかもしれない。
「――ガ……!」
と、火孁へ拳を振り下ろした金剛寺の背後で、彼よりも早く総司が拳を振り上げたのだ。金剛寺は火孁へ攻撃を完了するよりも先に、総司の拳をモロに喰らった。
彼は地面へ叩きつけられ、青く淡く光る床を滑り吹っ飛んだ。椅子を撒き散らしながら、固体された机にぶち当たり破壊する。
「くそ……!」
だがそれはあまりダメージはなかったようだ。金剛寺は立ち上がり、唇が切れて出血した口元を拭う。
総司ももれず異能力者であるが故に、その身体能力は超人の域にいる。しかし彼は"スイレン"幹部の地位にいるが故に、実戦離れが顕著だった。そのため、戦闘能力も全盛期のそれよりも大分劣化していた。
それを見た火孁がやれやれ両手を小さく広げて、その威力についてからかう。
「見事な猫パンチだね」
「……後は任せよう、火の精霊殿。私がやるべきことは終えた。あとは君の役目だ」
「はーい」
彼女の冗談に困ったような視線を送りながら、総司はぴしゃりと言い放った。
彼はそのような冗談が少し苦手だった。そして何より、異能を使った直後だったため、冗談に付き合う気分でもなかったのだ。
総司の言葉に瞳を閉じて手を振り、火孁は立ち上がった金剛寺へと歩み出す。金剛寺も彼女を見るや否や、姿勢を低くして構えた。
先ほどの如く、すぐに飛びかからないところを見るに、金剛寺は理性を取り戻しつつあるのだろう。総司は下がり、円柱を模した"情報種子機関"の残骸へ背もたれながら、金剛寺を観察した。
総司の異能――それは"憤懣の煽動者"。対象の人間たちの感情を揺らし、激情を呼び起こす異能だ。
もれなく、総司はその異能を先ほどまで金剛寺にかけていた。故に彼の視界を塞ぎ、合理性を失わせ、有用な情報の断片も入手できた。
"憤懣の煽動者"の最大の利点は、対象者が異能をかけられていたことに気づかないということだ。そのため、金剛寺も先ほどまでの怒りの原因が総司にあることなど、思いもしていない。
その金剛寺は火孁と見合っている。その様子を見る限り、彼本来の冷静さが戻っているようだった。
激情というのは熱湯のように、ゆっくりと冷めていくのが常だ。
激情を冷やす要素があれば別であるが、総司も火孁もそんな助け船を彼に出してはいない。それなのに、すでに冷静さを手にしているというのだから、金剛寺は流石である。
「……さて」
火孁と金剛寺の再戦が始まる。総司は瞳を細めたのだった。
総司は"白き信頼"の管轄下にある三日月病院、その地下駐車場の小さな喫煙所でタバコをふかしていた。
その当時の総司は普段の業務を遂行しつつ、金剛寺による一連の事件についても追わなければならない状況にあった。娘の状態も気がかりであったし、彼の脳内は逼迫していた。
だから一服しながら、頭の整理をしていたのだ。三日月病院の地下駐車場は関係者以外は立ち入り禁止で、時間帯が夜ということもあり、とても静かで悩むには打ってつけの場所であった。
「……」
やるべきことはたくさんある。金剛寺の狙いが"情報種子機関"であるのなら、早々に対策をしなければならない。
だが彼を叩くには"スイレン"の人員の多くを割かなければならない上、大規模になればなるほど人目を引く。人目を引くということは、その分工作が必要であるということ。
割りに合うのだろうか。いや、そもそも明確な証拠がないこの状況で、本部から戦力を使う許可が出るのだろうか。その点に関してはこちらで根回しができれば問題はないか。
そもそも金剛寺を能動的に探す必要はないのかもしれない。"情報種子機関"を狙っているのなら、待ち伏せをしてしまおうか。
"情報種子機関"の中身を緊急に移動させ、空っぽになった"情報種子機関"に金剛寺を誘い込む。
これならば、どこかに潜んだ金剛寺を探して捕らえるよりも低コストで、工作の必要も少ない。
そのプランで実行するとしたら、まず誘い込むことを金剛寺に悟られてはいけないだろう。
まあ金剛寺は金剛寺で"情報種子機関"の中身が移動することを知っているはず。移動してしまえば、彼が集めた情報は全て無為になる。なれば、近いうちに実行してくるだろう。
それを考えると、悟られないようにする方法も小さくて良い。誰かに金剛寺を追うように指示を出して、秘密裏に居場所を探るフリをしておけばいい。
総司はボーッと考えていた。
「……」
ひんやりと冷たい空気が総司のパサパサなを撫でる。一本目のタバコを吸い殻に擦り付けて、そのまま二本目に手を伸ばした。
その二本目を咥えたところで、総司はその小さな喫煙所に自分以外の誰かがいることに気づいた。視線をその人影に向ける。
それはベージュ色の短髪をした少女だった。巫女服のような奇抜な格好をしていて、彼女はタバコを咥えた総司に右手を寄せつつ、その人差し指を伸ばす。
「どうぞ」
直後、人差し指の先にあったタバコに火がついた。総司は突然現れたその少女を見つめる。
「誰だ、君は」
タバコに火を付けたのは、彼女の異能か。ならば彼女は異能力者ということになるが、それならばどうやって、そして何故この場所にいるのか。
その総司の疑問に、少女は気づいていたのかもしれない。彼女はベージュ色の髪を揺らしながら、総司へ告げる。
「私は精霊の火孁。貴方と取引がしたくて来たんだけど、興味はある?」
精霊――それを聞いて総司は眉を顰めた。
精霊の存在は総司も認識している。が、精霊というのは基本人間社会に無頓着か、故意に干渉したがらないといった個体がほとんどだ。そんな精霊が自発的に取引などというものをけしかけてくるのか。
目の前の少女が精霊を騙る異能力者という可能性もある。総司は静かに言った。
「悪いが、商売がしたいのなら、私に直談判するよりも先に"白き信頼"を通してくれないか」
そう言いながら、総司はふかしてもらったタバコを一度も吸わず、右手の人差し指と中指の間に挟んで口から離す。そのまま灰皿へ押し付けようと、右手を下へ動かした。
総司の答えを聞いた火孁であるが、どういうわけか特に気にした様子もなかった。取引とやらが拒否されたというのに、まるで態度が変わらない。そんな彼女に総司は少し不思議に思ったものの、特段気にしなかった。
――次の彼女の言葉を聞くまでは。
「そっかー、残念。私、宿星の五人の"呪い"の解法を知ってるんだけどなー」
「……ほう」
総司のタバコを押し付けようとする腕が止まった。彼は瞳を細め、したり顔をする火孁を見る。
宿星の五人の"呪い"。それは二年前の事件により引き起こされた、人災にして天災――それを解く、というのか。
確かに興味はそそられる内容だ。しかしながら、その言葉だけでは信憑性がない。言うだけなら誰にでもできるのだから。宿星の五人の"呪い"の事は、ある程度の異能力者なら把握している。
総司は小さく笑った。
「続けたまえ」
「ほー、食いついたね? じゃ、もっと楽しいことを教えてあげるよ」
悪戯っぽく笑い、今度は彼女がその黄色い目を細めた。
「あの"呪い"、実は解いちゃった人がいるんだよねー? 知ってる? それは字っていう神出鬼没な女のことなんだけどー」
「――」
それを聞いた総司は目を見開いた。手に持ったタバコをポトリと地面に落とす。
火孁はそんな総司を前に、妖しく体を小さく傾けた。
「あっ、興味あるみたいだね?」
「……字、か。確か"七人目"……それでいて、その女は――」
「やっぱり知ってるよね。"嚆矢の歴史"って言うんだっけ? まあそれなら話が早い。信じてくれるかな?」
字という人物を総司は知っていた。どういう人物なのかも。そしてその人物に繋がる者がいるということに、どこか狐につままれているような感覚に溺れそうになる。
だが、これは幻でも悪夢でもなく、現実なにだろう。
総司は艶やかに輝く彼女の瞳を見据えながら、落としたタバコの火を足で踏んで擦って消す。そして鋭い瞳で火孁を見つめた。
「いいだろう、乗ってあげよう。それで取引というのは?」
「ああそうさ、それがいい。取引ってのは単純だよ。こちらは"呪い"の解法と、今君を困らせている金剛寺に対する戦闘データを提供しよう。それで君らに要求するのは、私達に対する"貸し"を一つ。それから……」
火孁は唇を緩ませ、人差し指を立てた。
「我が出来の悪い弟弟子を、金剛寺の件に介入させることだ。そいつは宿星の五人の"呪い"の"六人目"の奴でね。私も少しは協力するからさ」
◆
"情報種子機関"中枢。
金剛寺は現れた火孁と対面し、歯を噛みしめる。総司に対し激情を向けていた隙に、火孁はその後ろの扉から入ってきていたのだ。
「クソ……あぁ、イラつくな……!」
金剛寺の目の前には"火の精霊"火孁。後ろには"ス白き信頼幹部"の東宮総司。加えて、金剛寺の行動を総司は推測していた。
つまるところ、金剛寺は八方塞がりといっても過言ではないほど、追い詰められていた。だからこそ、彼は憤りをさらに露わにする。
「何だお前らは……! いきなり出てきやがって……!」
しかしながら、金剛寺は再び攻撃に移ろうとはしない。それも当然だ。さっきの総司へ放った攻撃が自分に返ってきたことに対し、未だカラクリも対処法も分からないままなのだから。
火孁はそんな金剛寺の姿を見てほくそ笑む。
「あの時の狡猾さがないなあ、金剛寺よー? 水を求めて喘ぐ魚のような目だ。魚に例えたすぐ後にアレだが、それはそれで人間らしくて私は嫌いじゃないけどね」
「余裕を打ちかましやがって……!」
金剛寺は拳を挙げた。例のカラクリも解明できていないのにも関わらず、目の前の少女から放たれた言葉が金剛寺を動かした。
否、動かしたのは金剛寺の中の激情だ。イラつきが、憤怒が、彼の理性を覆い被せたのだろう。その瞳は血走り、理性は激情に隠れてしまっていた。
「もういい……! 全部潰して終わりだ……!」
そのまま金剛寺は手のひらに"口"を顕現させ、勢いよく掌底突きを火孁へと振り下ろす。
火孁はそれを目で追っていたが、まるで対策もせず見つめていた。それがさらに金剛寺の激情を滾らせ、彼の視界を狭める。それが仇になったのかもしれない。
「――ガ……!」
と、火孁へ拳を振り下ろした金剛寺の背後で、彼よりも早く総司が拳を振り上げたのだ。金剛寺は火孁へ攻撃を完了するよりも先に、総司の拳をモロに喰らった。
彼は地面へ叩きつけられ、青く淡く光る床を滑り吹っ飛んだ。椅子を撒き散らしながら、固体された机にぶち当たり破壊する。
「くそ……!」
だがそれはあまりダメージはなかったようだ。金剛寺は立ち上がり、唇が切れて出血した口元を拭う。
総司ももれず異能力者であるが故に、その身体能力は超人の域にいる。しかし彼は"スイレン"幹部の地位にいるが故に、実戦離れが顕著だった。そのため、戦闘能力も全盛期のそれよりも大分劣化していた。
それを見た火孁がやれやれ両手を小さく広げて、その威力についてからかう。
「見事な猫パンチだね」
「……後は任せよう、火の精霊殿。私がやるべきことは終えた。あとは君の役目だ」
「はーい」
彼女の冗談に困ったような視線を送りながら、総司はぴしゃりと言い放った。
彼はそのような冗談が少し苦手だった。そして何より、異能を使った直後だったため、冗談に付き合う気分でもなかったのだ。
総司の言葉に瞳を閉じて手を振り、火孁は立ち上がった金剛寺へと歩み出す。金剛寺も彼女を見るや否や、姿勢を低くして構えた。
先ほどの如く、すぐに飛びかからないところを見るに、金剛寺は理性を取り戻しつつあるのだろう。総司は下がり、円柱を模した"情報種子機関"の残骸へ背もたれながら、金剛寺を観察した。
総司の異能――それは"憤懣の煽動者"。対象の人間たちの感情を揺らし、激情を呼び起こす異能だ。
もれなく、総司はその異能を先ほどまで金剛寺にかけていた。故に彼の視界を塞ぎ、合理性を失わせ、有用な情報の断片も入手できた。
"憤懣の煽動者"の最大の利点は、対象者が異能をかけられていたことに気づかないということだ。そのため、金剛寺も先ほどまでの怒りの原因が総司にあることなど、思いもしていない。
その金剛寺は火孁と見合っている。その様子を見る限り、彼本来の冷静さが戻っているようだった。
激情というのは熱湯のように、ゆっくりと冷めていくのが常だ。
激情を冷やす要素があれば別であるが、総司も火孁もそんな助け船を彼に出してはいない。それなのに、すでに冷静さを手にしているというのだから、金剛寺は流石である。
「……さて」
火孁と金剛寺の再戦が始まる。総司は瞳を細めたのだった。
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