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#46 大きな亀裂
しおりを挟む「――お人好しなもんだな」
白夜は小さく笑うと、唇の端を強く噛み締めた。
「俺は後悔の……清算。そのために、こいつを殺る」
「……心意気だけはご自由に。実行はさせませんが」
白夜の殺意を雪音の言葉は真っ向から否定する。白夜は小さく笑って雪音に言った。
「お前だって大好きなお姉様をやられてるってのに、清く正しく、いい子ちゃんな選択か。その理性、ぜひとも見習いたいね」
「私の姉はそんなこと望んでませんから。私が貴方と同じような考えでそれが成就したとしたら、姉は喜ぶどころか悲しむ――私は姉を悲しませない」
「ハッ、そりゃ虐げられる側の人間の言葉だぜ。今後、弱者を襲う愚者には気を付けるんだな」
「人は生きてこそです。……貴方は欲望に忠実なのが災いして、自ら愚者になってしまわないように――」
雪音は言葉の途中でいきなり刀を振るった。その太刀筋が白く一閃し、不意打ちを狙ってか、虚空に出現していた"利口な騙り手"の"口"を断絶する。
血飛沫が床と天井に飛び散り、しかしながらそれを斬った得物の刀身は綺麗なままで、雪音はその矛先を息切れする金剛寺へ向けた。
「――こんな愚者みたいになっても、良いことはないでしょうからね」
「そりゃ概ね同意だ。……にしても、随分とくたびれてんなぁ、オイ」
白夜は金剛寺を見下ろすかのようにしながら、そう告げた。口元は緩んでいるが、その瞳は笑っていない。
さっきの"利口な騙り手"による不意打ちに関して、実のところ雪音だけでなく白夜も気付いていた。
今までは"口"を認識してからでは迎撃が間に合わず、回避するしかなかったのだが、今の"口"による攻撃については雪音が迎撃してみせた。
それはつまり、"利口な騙り手"の精度が落ちているということ。今まで回避しか対応できなかったのが、今になって迎撃という選択肢が取れるまでに、金剛寺は疲弊しているのだ。
「……っ!」
二人の言葉を肯定するかのように、金剛寺はその場で崩れ落ちた。腰を床につけ、膝を曲げた状態で虚ろな瞳を二人へ向ける。
「――俺の負けだ」
「……は?」
ぼそりと死にかけの瞳から放たれたその一言に、怒りの籠った瞳を広げたのは白夜だった。
敗北宣言一つ。それに頷けるほど、白夜の器量は大きくはない。
金剛寺は火孁の左腕を千切り取り、時をまたいで、次は雪音の姉を襲撃し、白夜自身にも刃を向けた。その結末が「俺の負け」であるなど、白夜の感情を逆撫でしないわけがなかった。
一気に彼へ詰め寄ろうとする白夜を、隣の雪音が刀で静止する。
「負けを認めたのなら、それまでです。あとは"スイレン"に送り、厳正な処罰を」
「てめぇこの期に及んでさえも――」
自らの前に出た刀、それを持つ雪音の腕に白夜は手を伸ばし掴んで、そこでようやくハッとした。
その腕は震えていた。恐怖によるものではない。抑えるにも抑えきれない感情が沸き上がっているのは白夜だけではなかった。
白夜は感情のままに、雪音は理性で包み隠した感情で動いていた。白夜の手の中で、怒りに震える雪音の腕――それを見ていると、まるで自分が好き勝手にやっているだけなのが浮き彫りになってきて、心につっかえができる。
白夜と雪音の境遇は似ていた。白夜は火孁を、雪音は雪華を、それぞれ襲われて奪われそうになった。
だから白夜は金剛寺を殺れるこのタイミングを逃すわけにはいかないのだ。けれど雪音は私怨を持って捌くのではなく、理性を持って裁く選択肢を取った。
どちらが"気持ち良い"のかは白夜は知っている。しかし同時に、どちらが"まとも"なのかも知っていた。
自分よりもはるかにまともな、等身大でいようと感情を抑えている少女を目の前にして、白夜の頬に嫌な汗が流れる。ようやく自分を客観視してしまった気がして、胸の辺りが気持ち悪い暖かさを孕んだ冷たさに覆われた。
怒りに――否、自分に対して冷めていく感覚。
白夜という自分の存在、それがちっぽけに見えていく感覚。
しかし、白夜は食いしばって告げる。
「こいつはここで仕留める……! はやく、俺の悪夢を終わらせてえんだよ……!」
「……」
前に出された腕を振り払い、白夜は雪音を見返した。そんな白夜を雪音はじっと見つめる。
ただただ静止して白夜を見つめる雪音の瞳に対し、白夜の瞳は微かに震えていた。
火孁の事件――あれは彼女に大きな傷を残したのは間違いないが、同時に白夜の精神にも大きな亀裂を生んでいた。自分が原因の一端なのに、火孁だけが傷ついて自分は傍観者でしかいられない事への無力感が、どうしようもなく虚しかった。
虚しさには手が届かない。手が届かなければ、どうすることもできない。しかしそれは精神を蝕み続けて、いつしか負い目の中心に棲みつく悪魔となっていた。
そんな中で白夜に降りかかったのは宿星の五人の呪いによる挫折。――それが棲みついた悪魔を助長させる要因となり、白夜を怠惰と沼へと消沈させた。
否、違うか――白夜は知っていた――己に棲みつく悪魔なんて偶像に過ぎず、それは責任と原因の拠り所を押しつけているだけの仮想存在でしかない。
「……俺が逃げた、ただそれだけだったんだ」
ぼそりと白夜はぼやき、瞳を閉じる。
過去は変えられない。自分の運命から逃げたあの日を、改変することは生涯かけてもできない。
なれば、認めるしかないのだ。過ちを認めて、それからできることはただ一つ。――今を"改変"すること。
そして目の前にあるのはチャンス。かつては手が届かなかった虚しさを清算できる手段が、自らの手の中にあった。その先には消えたはずの未来も確約されている。
ここで手を伸ばさなければ、今度こそ本当に全てが水の泡になるに違いなかった。
白夜は目を開ける。
「少しぐらい人道を外れたっていいさ……! 俺はこのために来たんだからな……!」
「……」
白夜の瞳の揺らぎは止まっていた。雪音に一歩だけ歩み寄り、その青い瞳を見下ろす。
「殺すか生かすか、それを決めるのは俺とお前だ。合戦といこうじゃねぇか」
「いくら貴方にしても短絡的すぎますね。――焦りすぎているようにしか見えません」
雪音は瞳を細め、白夜を見つめ返した。
周囲に冷気と歪んだ威圧が発生し、微かに天井が軋む。
「――」
そして次の瞬間、それらの軋轢が力を失って無力化された。異能の活性化により気配察知の能力が高まった故に、ある種の異能を感知した二人は揃って一人の男へと視線を移す。
「若いねぇ……ハハハ、いやほんと」
二人の貫くような視線を受けた金剛寺は力なく笑った。ひとしきり笑って見せた後、顎を引いた直後にその緩みが消えうせた。
「呑気なもんだよ、お前ら」
「……てめぇは年食ってる割に汚ねぇな、オイ。なんだ? 敗北宣言後に隠れて延命作業か?」
白夜と雪音が感じた異能――それは金剛寺の利口な騙り手のものだった。二人が言い争う隙に何か愚策を施したようだ。
金剛寺はよろよろと立ち上がる。雪音により凍結されている彼の半身がピキピキと音を立てた。
「嘘は言ってねぇな。俺の負けだ。……だが、お前らを勝たせる気も無ぇ」
「一体何を……!?」
二人の眼光を振りほどくが如く、さらに鋭い瞳を放つ金剛寺。同時に彼の異能力が膨れ上がり、雪音は言葉を中断して白夜の名前を叫んだ。
「白夜っ!」
名前を呼ばれた白夜も今度ばかりは冷や汗をかいていた。異様なほど膨れ上がっていた金剛寺の異能力が、足元よりもずっと下から感じられる。白夜も上ずった音色で叫んだ。
「やべぇ……! 雪音! 身を守れっ!!」
――直後、地面が上下左右に細かく揺れて、壁に無数に亀裂が下から湧いて出る。
「こいつ、このビルの下層を喰らって崩しやがった!」
地面が抜け落ちて感じたのは浮遊感。遅れてくる轟音が聴力を襲い、舞った瓦礫や埃が視界を奪いとった。
床を崩され、落下を始めた白夜は噛み締めて忌々しい名前を叫ぶ。
「金剛寺ィィィイイ!!!!」
その叫びは白夜の体と共に、奈落へと消えていった。
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